8-8 変わり、恋われ、過つ
人生をどこかで間違えた。いつもそう考えて生きてきた。じゃあ、どこで致命的に間違えた?
友達から差し伸べられた手を再び取ったあの日か?
皐月を傷つけたあの日か?
新しい母親を、ママと呼ぶことが出来なかったあの日か?
……そもそも、生まれてきたことが間違いだったか?
誕生日を祝ったり、祝われたりする意味が私にはよく分からなかった。誕生日おめでとうと言ってる奴の何割が本心からそれを言ってる? ただ儀礼的に、自動的に、脳死的にその言葉を口から出してるだけじゃないの?
「はは、バカじゃん」
バカは私だ。
我ながら拗らせすぎてて思わず笑ってしまった。
そんなだからおまえは社会に馴染めないんだよ、卯月ちゃん。
閑話休題。
今日は疲れた。
皐月のことは明日に回して、このまま自室に戻って泥のように眠ろうか。皐月だってもう寝てるだろうし、今から話すなんて迷惑だろうし。
……バカか、それじゃ今までと変わらない。
踏み出せ。
例えそれで何かを壊すことになろうとも。
例えそれで皐月を今よりも苦しめることになろうとも。
皐月との関係はもうとっくに修復不可能だ。今さら仲良し姉妹になんてなれっこないし、以前のような不仲な姉妹にも戻れない。
今はもう、ただ同じ家に住んでいるだけの他人。
私が、私の選択がそんな今を作った。私の劣等感が皐月に罪悪感を植えつけた。偽りの恋愛感情さえも抱かせた。なればこそ、私が皐月のことをどうにかしなければならない。
こんなのは欺瞞だ。
エゴだ。
自己満足だ。
そんなの分かってる、分かってるんだよ。
私は皐月をどうにかすることで、自分が救われたいだけなんだ、きっと。
ひっでぇお姉ちゃん。
今まで見聞きしてきたどんな姉、兄よりも醜悪だ。
覚悟を決め、皐月の部屋のドアをノックした。
「……おネエ?」
もう寝てるだろうという予想に反して返事があった。
……随分と久しぶりに声を聴いた気がする。
「入っていい?」
「…………うん」
私を部屋に入れるか悩んだんだろう、少し間を置いての返答だった。
ドアを開けると、皐月は真っ暗な部屋のベッドの上で膝を抱えて座っていた。
「起きてたんだ」
「……おネエの声に起こされたんだよ。パパと喧嘩でもした?」
「まあ、そんなとこ。……ごめん、起こしちゃって」
「……ダメだよ。家族は、仲良くしないと」
「私に家族なんていない。あの男も、あの女も、おまえのことだって家族だなんて思ったことはない」
脊髄反射でそんなことを口走ってしまう。
ちょっと待って初手ミスったんだけど。
……家族って言葉は私にとって地雷ワードなんだな。
「……そんなの、知ってるよ」
「ごめん、今ミスった。そんなことを言いにきたわけじゃない」
「じゃあ、なに? ……皐月にはもうおネエと話すことなんてないよ」
「……そうだね、私たちは他人だもんね」
他人。その言葉が心にブッ刺さったのか、皐月は膝に顔を埋めて肩を震わせた。鼻をすする音が聞こえてくる。
……やっぱり、私には誰かを傷つけることしかできないのか。
「隣いい?」
返事はなく、少し迷ったが勝手に皐月の隣に座った。
「……皐月はまだ私のことをおネエって呼んでくれるんだね」
「…………うん」
「私のことがまだ好き?」
「……うん」
「それは思い込みだって、前に言われたのに?」
「……最初は、おネエの言う通りで……皐月がおネエに悪いことしたってのを忘れるための……思い込みだったのかもしれないけど……」
たどたどしく、自分の気持ちをなぞるように、皐月が言葉を口にしていく。
「……それでも……今はおネエのことが……好きなんだもん……好きになっちゃったんだもんっ……」
顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見てきた。
私の濁った目とは違う、嘘のない純粋で綺麗な瞳だった。
分かっていた。この気持ちとまともに向き合おうとすれば、私は罪悪感に押し潰されてしまうであろうと。だから今まで皐月を避けてきた。
「……うん、ごめん。ごめんね、皐月。私が、私の劣等感が、皐月をそうさせた」
「……どういう意味?」
「私は自分が誰にも愛されてないって、子供のころからそう思ってた。お母さんや周りの友達に愛されてる皐月とは違って。……多分ね、それが辛かった。だから、皐月のことを嫌いだって思い込むことで、全部皐月やお母さんのせいで私はこうなってるんだって……そう思い込むことで自分の劣等感を上書きしようとしたんだと思う。……きっと、それが間違ってた。……ごめんね」
「……おネエの言ってること、よく分かんない」
そりゃそうだ。
私だって自分のことながら全部を理解して話せていない。
「それって何の謝罪なの? それで謝って、おネエは皐月のことを好きになってくれるの!? 違うでしょ!? 皐月はおネエのことを今でも大好きなのに、おネエは今だって皐月のことなんて見てくれてない! ただ自分が謝って、それで満足しようとしてるだけじゃん!」
全部その通りで、ぐうの音も出ない。
反論の余地なし。完全論破された。
「嫌いだって言ったり……いきなり謝ってきたり……おネエは皐月をどうしたいの……こんななら無視されたままの方が良かったよ……」
皐月が泣いている。
私が泣かせた。私が皐月の心を壊した。
私が、私の劣等感が、嫉妬が、皐月をこんな風にしてしまった。
私は人を好きになったことがない。皐月が今どれだけ苦しいのか、想像もつかない。
どうすればいい。
分からない。
でも、どうにかしなければ。
『でも、妹は欲しかったんだよね』
初めて皐月に会ったあの日、私はそう言った。
あの日から、私はお姉ちゃんになったはずなのに。
私はずっと皐月に何もできないままでいた。
『だって私はあの子のお姉ちゃんだから』
楓さんはそう言った。
そうだ、お姉ちゃんは。
お姉ちゃんは、妹を大切にしなければいけないんだ。
それはただの一般論かもしれない。理想論かもしれない。私の苦手な綺麗事かもしれない。
だけど、それでも。目の前で泣きじゃくるこの子を何とかしなければと、使命感にも似た何かが私を突き動かした。……あるいは、それこそが罪悪感だったのかもしれない。
「皐月」
出来る限り、優しくその名を呼んだ。
「…………なに」
「私は、まだ皐月のことをちゃんと見てあげられていないのかもしれない」
「……おネエ?」
「皐月のことを、心から好きだとは、今でもまだ言えない」
「……うん」
「でも、私は皐月のお姉ちゃんだから」
「……おネエ……ちゃん……」
「だから、皐月が望むことなら、これから何でもする」
「……嘘つき」
「嘘じゃない」
「じゃあ皐月にキスしてみてよ」
……やっぱり、そうなるのか。
「……嘘つき。どうせ、おネエにできないよ」
そうなるだろうと覚悟していた。
それでも、私は何でもするって言った。
また、私は間違えようとしてるのかもしれない。
この選択は、結果としてまた皐月を傷つけるだけなのかもしれない。
「分かった。歯ぁ食いしばれ」
「な、殴るの!?」
「嘘。ただの照れ隠し。……目、瞑って」
「えっ、な、なんで……?」
「キスするから。……言わせんな恥ずかしい」
「……へ、変だよ、それ、お姉ちゃんのすることじゃないよ」
いや、おまえがそれを言うんかい。
「変な妹のお願いなんだから仕方ないだろ」
「……こんなの間違ってるよ」
「そうかもね」
「好きだって、言ってもくれないのに」
「……まあ、おまえのこと好きじゃないからね」
「ひどい……ほんとに、ひどい」
皐月がこちらを向いて目を瞑ると、一筋の涙が頬を流れたのが見えた。
本当に、ひどい話だと思う。
こんなことは許されない。
こんなことは間違っている。
皐月の気持ちにはきっとこの先も応えられないって、分かっているのに。
それでも私は皐月にキスをした。




