6-10 ポイント・オブ・ノー・リターン
席に戻ったが座らずに、さて、まずはどうしようかと立ったまま考える。
……この件に優ちゃんを巻き込みたくはないな。
かと言って、この格好で外に出るのも恥ずかしすぎるので、申し訳ないが優ちゃんには席を外してもらおう。
家に戻ってから話してもいいんだけど、今を逃すとまたずるずると引きずりそうな気がする。
「優ちゃん、少し妹と話があるから、ごめんだけど、ちょっと外せるかな?」
「……大事な話なのね。分かった」
私の声色から何か感じ取ってくれたようで、特にどうしてと聞いてくることもなく優ちゃんは頷いた。相変わらず察しが良いと言うか理解があると言うか……何にせよ助かる。
「……やだ。優さんもいてください。だって――」
こちらもこちらで何かを感じたらしく、少し怯えてるような目で私の顔を見上げてきた。
「――なんか、おネエ、怖い感じがするんだもん」
「ええっと……」
私たち姉妹の板挟みになり、優ちゃんが珍しく困った顔をしている。……申し訳なさすぎる。
「皐月、優ちゃんを巻き込まないで」
「優さん……」
妹が涙目になりながら優ちゃんの手を握った。何だこいつ、優ちゃんに気安く触れるんじゃねぇと私の殺意はマシマシである。
「……卯月、私はどうしてもいない方がいい?」
「うん」
「……でも、ごめんなさい。こんな皐月ちゃんを置いてはいけない」
「優さん……!」
妹が感涙に咽ぶ。
「…………」
名前の通り優しすぎるよ、優ちゃんは。
そんなところが大好きだよ。
でも、そいつどうせ得意の嘘泣きだよ。
そんな奴に優しくする必要ないよ。
私にだけ優しくしてよ。
……皐月なんかに優しくする優ちゃんは、嫌いだよ。
多くの言葉が脳裏を過ったが、結局どれも吐き出すことはできなかった。
「……じゃあ、いてもいいよ」
「……ありがとう、卯月」
礼を言われるようなことでもない。
私は座らずに、立ったままで皐月を見下ろした。
私はこれから酷いことを言う。
そういや、いつだかTwitterのフォロワーに時々びっくりするほど冷たくなるとか言われたことあったっけな。それは自覚があった。言った奴は人を見る目がある。
「まず皐月、おまえは私のことが本当に好きなの?」
「……うん」
「それは家族としてだよね?」
そうだと言え。それならまだ引き返せる。
そういう圧を言葉に込めたつもりだったが伝わらなかったのか、伝わっていたが無視されたのか。妹は首を横に振った。
「皐月の好きは……そういうのじゃないもん……おネエと恋人になりたいっていう意味の好きだもん……」
そうか。
それがお前の答えか。
優ちゃんが初耳だと言わんばかりに目を見開いていた。……だからここから離れた方が良かったのに、言わんこっちゃない。
ポイント・オブ・ノー・リターン。
そんな言葉が脳内に浮かんだ。
「……そう。じゃあ言うけど、私はおまえのことが嫌いだから諦めて。女同士だからとか、血が繋がってなくても家族だからとか、そういう理由を超越して純粋におまえのことが嫌いなんだよね」
こんな黒いところ、優ちゃんにだけは見られたくなかった。
……でも、もういっか。忠告を無視して、妹の味方をした優ちゃんが悪いんだ。
「お、おネエはいつも皐月のこと嫌いだって言うけど……いつもの冗談だよね……?」
縋るような目だった。
……ああもう、本当に。
鬱陶しいな。
「私がおまえのことを嫌いだって言うのはいつも本心からだったよ。それをおまえが都合良く解釈してただけだから」
「違う……そんなの嘘だもん……だって、誕生日に作ってあげたケーキだって食べてくれたもん……」
「作ってあげた、ね」
思わず鼻で笑ってしまった。
そういうとこやぞ。
いつもいつも見下しやがって。
そりゃおまえに比べれば私は陰キャだし、友達もいなかったし、バカでも運動がメチャクチャできるおまえと違って何の取り柄もないよ。
「勝手に作ってたから仕方なく食べたんだよ。作ってくれなんて頼んでない」
「卯月、それは――」
「優ちゃんは黙ってて。関係ないでしょ?」
刹那、胸が激しく痛んだ。
心臓がバクバクする。
私は友達に、なんてことを言ってるんだろう。
「……っ、関係、なくはない。私はあなたの友達だもの」
流石は優ちゃん。冷たく突き放しても食い下がってきた。
……私だったら、優ちゃんにこんなこと言われちゃったら傷ついて黙っちゃうよ。もしかしたら泣いちゃうかも。
「友達。そう、こんな私を見てもまだ友達って言ってくれるんだ。優ちゃんは優しいよね。大好き」
変な脳内麻薬が出てるのかもしれない。
思考と、実際に口から出てくる言葉に齟齬がある。
「じゃあ、友達として、私のどこが好き?」
「いつも一緒にいて楽しいわ」
即答してくれてありがとう。
でも何かそれ違くない?
「それは私が変だから? さっき皐月が言ってた通り、道化として見る分には面白いよね?」
「卯月っ!」
それは今まで聞いたことのない、怒りに満ちた声だった。
やだ嬉しい、こんな私なんかのために怒ってくれてるわ、この子。
優ちゃんはいつもクールだ。カッコかわいい。そんな優ちゃんが取り乱している。勢いよく立ち上がってきて、私に掴みかかってきた。
不穏な空気を感じたようで、伊崎と佳織さんも慌てて駆け寄ってきたが、無視して私は言葉を続けた。
「皐月も。こんな私のどこに惚れた?」
「……おネエは……皐月のことを守ってくれたから……」
何のことを言ってるんだか皆目検討がつかない。
こいつを守ったことなんてあったっけ?
「記憶にございません」
普段ならここで伊崎が汚職した政治家かよなどというツッコミを入れてくれる仕組みだが、流石のヤンキーもそういう空気ではないことを察したようだった。
「汚職した政治家かよ」
前言撤回。こいつはそういう奴じゃなかった。
「皐月は……皐月のせいで……おネエがママから怒られるようになって……それからおネエ変わっちゃって……それで……皐月は……皐月、は……」
どうやら思考が纏まらないらしく、妹は壊れた再生機のように皐月は皐月はと繰り返していた。
「よく知らんけど、いつもお母さんから怒られてる私に同情してたの?」
聞こえているのかいないのか、妹は私の問いかけには答えずに今度は皐月のせいで、皐月のせいでと繰返していた。
「皐月のせいで? 私は覚えちゃいないけど、何か罪悪感を覚えるようなことがあったわけだ。ふーん、なるほどね。じゃあ、おまえのそれは恋愛感情じゃないよ」
「違うっ! 皐月はおネエのこと、ちゃんと好きだもんっ!」
そこだけは譲れないのか、今度はハッキリと反応してきた。聞こえてんじゃねぇか。
「おまえは罪悪感を恋愛感情で上塗りして、罪の意識から逃げてただけだよ。卑怯者」
「……あ、う、ああっ……あああぁぁぁぁぁっ! 違う! 違う違う違う違う! そんなんじゃない! どうしてそんなこと言うのぉっ……!?」
妹が発狂して泣き叫んだ。
「おまえのことが嫌いだからっつってんだろ」
次の瞬間、頬に鋭い痛みが走った。
何が起きたのか分からなかった、なんてことはなく、意識と思考はクリアだ。優ちゃんにビンタされたのだ。
「……痛いんだけど」
母親に頬を打たれた記憶がフラッシュバックし、頭の中で一番入ってはいけないスイッチが入る音がした。
「卯月、それ以上は自分も人も傷つけるだけ。……だから、もうやめて」
「人のことぶっといて分かったように言わないでよ。いつも達観したようなことばかり言って何様なの? ああ、お友達様?」
「卯月っ……!」
優ちゃんの――神谷さんの手に力が込もり、掴まれている肩に痛みが走る。
「あー、ほっとけほっとけ優。そいつ、ただメンヘラ発動してるだけだから、ほっときゃ明日には元に戻ってるよ」
伊崎が仲裁に入り、神谷さんを私から引き剥がした。
伊崎の方が私のことをよく理解しているようだ。
流石にここまでやったらもう元の関係には戻れないと思いますけどね。
「でもっ……!」
「いいから。卯月も、ここらでやめときな」
神谷さんはまだ私に対して何か言いたげだったが、伊崎がそれを止めた。私の方も少しだけ冷静になってきた。癪だが伊崎のおかげである。あのままだったらもっとヤバいことを口走っていたかもしれない。
「……サンキュー伊崎」
「はいよ」
「佳織さんも」
「えっ、わ、私?」
いきなり名前を呼ばれてここまで蚊帳の外だった佳織さんがテンパっていた。可愛い人である。
「ありがとう」
それは本心からの言葉。
メイド服着せられたことは許しませんけど。
「卯月ちゃん……ダ、ダメ……ダメだよ、それは……一人になろうとしないで……」
……今の一言だけで、よく別れの言葉だって分かったな。分からないように言ったつもりだったのに。
この人、ぽややんとしてるようで結構侮れないからな……。
「神谷さんも、ありがとう。……一緒にいれて楽しかった」
「卯月……もう優ちゃんとは……呼んでくれないの……?」
ひどく寂しそうな、泣きそうな顔だった。
もしかしたら私も同じ顔をしてるかもしれない。やばい、涙が滲んできた。でも、零してたまるか。
「うん。……もう私には関わらないで」
それ以上はもう神谷さんの顔を見ていられなくなり、ガチ泣きしそうで、それを見られたくなくて。私はダッシュで店を出た。
そのまま限界まで家までの道を走り続けたが、三分も経たずに途中で足がもつれて転んでしまった。コンクリートの地面に両手から着地してしまい、見事に両の手のひらを擦りむいた。見ると、両手ともに血まみれになっていた。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。
これは自業自得だ。天罰だ。人を傷つけた報いなのだ。
私は無様に地面に這いつくばったまま、一人でオンオンと泣いた。
そりゃ血が出たら泣いちゃうよ。だって女の子だもん。
時間の感覚がなくなっていたのでどれだけそうしていたかは分からないが、不意に頭に手を置かれる感触を感じた。
いつだったか。
雪道で転んで泣きそうになっていた私に、手を差し伸べてくれた女の子がいた。いたんだよ。
もしかしたらまた、あの子が私を助けに来てくれたのかもしれない。
「立ち上がれるか?」
残念ながら男の声だった。
あんな酷いことを言っておきながら期待して、私の方こそ何様なんだろう。……つくづく自分に嫌気がさす。
この声は、先輩だ。何で来たんだろう。自分の彼女だって大変なのに。
「触らないでください、セクハラですよ」
突っ伏したままで拒絶の意を示した。
「そんだけ軽口が叩けりゃ大丈夫そうだな」
「目ん玉腐ってるんですか!? どこをどう見たら大丈夫に見えるんですか!? メイド服で! すっ転んで! 両手は血まみれで!」
思わず顔を上げてキレ芸を披露してしまったが、すぐそこに屈んでいた先輩の顔があり、思わず赤面した。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を見られた。死にたい。
「……こんな顔見られたらもうお嫁に行けません。もらってください」
「冗談も言えるようで何よりだ。ほら、立て」
「……やです。もう動きたくありません。ここで野垂れ死にます」
「仕方ねぇな、じゃあ担いでくか」
「ひょわ!?」
先輩は私の上体を無理矢理起こして、そのままおんぶして歩き出した。
力技すぎるよパイセン。……もう抵抗する気力もないからいいけど。
「……セクハラ」
「そんなつもりはなかった」
「セクハラする人間の常套句ですね。……服に、私の血ついちゃいましたよ」
「クリーニング代は後日請求するからな」
「払うわけがありません。……ねぇ、先輩」
「ああ」
「……ごめんなさい、私、あなたの彼女を傷つけたと思います」
「そうかもな。けど、喧嘩くらいするもんだ。仲の良い友達ならなおのことな」
「見てたんですか? ……なら分かると思いますけど、もう友達じゃありません」
「……そうか。おまえも人間が下手くそだな」
「なかなかの悪口ですね、それ」
「安心しろ。俺もだ」
「安心できる要素がないのですが。あ、この曲がり角を右側です」
「了解」
「…………」
「…………」
「先輩」
「ああ」
「タバコ臭いです」
「……それはすまないと思う」
「…………」
「…………」
「先輩」
「どうした」
「…………」
「…………」
「どうして、来てくれたんですか。こんな奴に優しくしても仕方ないですよ。あるいは体が目当てですか?」
「……俺は優のことが好きだからな。今はこうすることが後々に優のためになると判断した。別におまえのためじゃないし、それから体目当てでもない」
「急に惚気んな、殺すぞ。あとお世辞でも体目当てって言え」
「悪い、心根が正直なもんでな」
「…………」
「…………」
「先輩」
「ああ」
「…………ありがとうございます」
「……ああ、どういたしまして」
それきりお互い話すこともなくなり、時折私が右とか左とかあっちとか、行き先を指示するくらいの会話しかなかったが、不思議と気まずく思うことはなかった。
メイド服の女を背負う男の姿は相当奇怪だったようで、すれ違う人からはチラチラと見られたが、そんなことは別にどうでもよかった。
家に着き、背中から降ろされる。
「じゃあまたな」
先輩はそれだけ言うと片手を上げて去っていった。
「……はい。さようなら、先輩。ありがとうございました」
その背中に、感謝と別れの言葉を投げかけた。
ちゃんと聞こえていたようで、振り返らないまま先輩は手を振ってくれた。




