先輩のアジテーション6
#6「1.984」
てやんでえ!オイラは加ト吉!この物語の語り部よ!
オイラはこの下町で一二を争う銭湯好きを自負してんだ!一番好きなのが「華の湯」。ここが古き良き下町の銭湯でねぇ、刺青も顔の傷もオーケーの絶滅危惧種ときたもんだ!
今日はそんな華の湯に見かけねぇ顔の若ぇのがやってきた。名前をコイチってんだ(苗字は伽羅橋)。新入りがこの銭湯の湯に浸かれば恒例のあの行事が始まるのよ!その名も「下町名物熱々我慢比べ」!
(編集部注:先輩は出ないのかって?ざんねーんここは男湯だから先輩は出てきませーん!)
ルールは至極簡単よ。1分ごとに風呂の温度を10度ずつ上げて、新入りが熱さに耐え切れずあがれば終了。耐えた時間が長ければ晴れてオイラ達の仲間入りだぜ!それじゃあ我慢比べスタートでぃ!!
ところが、コイチは下町の銭湯マン達の予想を遥かに上回る耐久力の持ち主であった。
既に湯船の温度は150度。我慢強さだけが取り柄の加ト吉も、ついに耐え切れず全身がドロドロに融解してしまった。
(...おかしいぞここの銭湯。お湯が沸騰してるし、何人か死んでるみたいなのに全くあがろうとしない。オレの気のせいだろうか...)
そう、加ト吉は溶けてしまったが、それより上のジジイ達はまだ溶けずに耐えていたのだ!
滅びゆく下町銭湯の最期の輝きか、はたまた無念の慟哭か。イレギュラーな事態が生んだ悲しき下町の運命。温度はなおも上昇する。
170度
(もうダメだ...意識が遠のいていく。これが「死」か...。さようなら先輩...。先輩って聞いて野獣先輩を思い浮かべた人...貴方は深刻なミーム汚染を受けています...今すぐお近くの病院で治療を受けてください...)
200度
「啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞
啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞啞!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「うるさいよ!風呂は静かに入んな!」
コイチの絶叫に隣の女湯のババアからクレームin。
240度
「陽胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃胃威威威威威威威さんの声だけでもいい?」
(宮尾美也注:↑の最後の部分は予測変換で話すっていう技法なんですよぉ〜。今後もこのシリーズで使われる事があるので覚えててくださいねぇ〜。ちなみにぃ、考案したのはモーレスターの小説を書いてた方だそうですよぉ〜)
250度
百戦錬磨の下町ジジイどももついには皆ドロドロに融解した。そして残すはコイチと下町の長老である善蔵の2人だけとなった。
本来透明なお湯が融解したジジイどもの体液でうんこ色に染まっている。
270度
「斜に構えてサービスではないけどもねえてサービスできた」
290度
「餃餃餃餃餃ーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
570度
「は?」
580度
「は?」
既に温度は600度に迫ろうとしている。熱気の余り更衣室の人たちも中に入れない状態だ。隣の女湯のババア達のほとんども蒸し殺されている。それなのに、おかしい。こちらは予測変換で叫ぶほど絶体絶命なのに、対する善蔵は目を瞑り無表情を保ったままだ。落ち着け。彼には何か仕掛けがあるはずだ。ほとんど死滅した脳細胞で相手を観察し見抜かなければ...。
状況を理解した時、コイチは戦慄した。
なんと!善蔵は融解したほかのジジイや加ト吉達を首から下にベール状に身に纏い、熱湯から身を守っていたのだ!あったまいー!
「...どうした若いの。もう降参かね...?」
「降参は...しない...負けるのは...アンタだからだァ!このインチキクソジジイ!」
最後の力を振り絞りコイチが湯船から空高く飛び跳ねる。落下予測地点は善蔵の頭上!
ジジイベールを身に纏った善蔵は身動きが取れない。
「フッ...若いもんには...敵わんわい...」
それが善蔵の最期の言葉であった。コイチは善蔵の頭を踏みつけ、彼の全身を湯船に沈めた。首から上は無防備であった善蔵は言葉も叫びも無く溶けゆき、やがて他のジジイ達と同じになった。
誰も居なくなった男湯をコイチが出ると、先輩がマッサージチェアに座り待っていた。
「どうしたコイチ?身体が半分溶けてるぞ」
「夜風に当たって固めます。行きましょう」
華の湯はこの一件でボイラーが爆発したので閉店となった。跡地は発展場になった。
以上