04
ウルに乗っているスピカを見た先生は、口をあんぐりと開けて唖然としていました。見たことのない表情に、スピカは少し戸惑ってしまいます。緊張の面持ちで先生の反応を待っていると、やがて先生が引きつった笑みで言いました。
「いや、まさか本当に使役してくるなんて……。しかも背に乗せてくれるってことは、その子はスピカのことを気に入っているのね」
「そうなの?」
「ええ。倒して使役した場合は、背中になんて乗せてくれないわ。どうやったの?」
どうやった、と聞かれても、スピカには心当たりがありません。まず、どうして魔法を受け入れてくれたのかすら分かっていないのです。それをそのまま伝えると、先生はあからさまな落胆のため息をつきました。
「そう……。仕方ないわね。それじゃあ、銀麗の魔女は見つかった?」
それを聞いて、今の今まで忘れていたことを思い出しました。あの広場での時間が楽しすぎて、すっかりと頭から抜け落ちていました。
森の中で会ったのは、ソフィアただ一人です。ということは、あの子が銀麗の魔女なのか。そう思いかけましたが、すぐに首を振りました。自分と同い年ぐらいのあの子がそんなすごい魔女のはずがない、と。
「あの、先生。銀麗の魔女ってどんな姿ですか?」
一応、それを聞いておきます。もし少女の姿だと言われれば、あの子かもしれません。
「そうね……。外見の年齢で言えば、私と同じぐらいだと思うわよ。もっとも、私も実際に見たことはないけれど」
やはりあの子は銀麗の魔女ではないようです。きっとスピカと同じように、何らかのモンスターに案内されてたどり着いたのでしょう。少しだけ、安心しました。
「それで、次はどうするの? 新しいモンスターを探す?」
先生の問いに、スピカは首を振りました。
「ううん。しばらくはこの子たちと遊ぶ。森の中でも友達ができたしね」
「そう。ならまた気が変わったら言いなさい。次も考えておいてあげるから」
「はーい」
元気よく返事をして、スピカはその場を後にしました。
ベッドに横になっていた少女は、目を開けるとゆっくりと体を起こした。被っていた機械を脱いで、脇に置く。その機械はVRギアと呼ばれているもので、VRゲームをするのに必須なものだ。詳しい原理を少女は知らないが、脳が発する命令をこの機械が代わりに受け取ってなんとかかんとか。ガイドブックに詳しく書かれていたはずだが、一行でギブアップした。
ベッドから下りて、ぐっと伸びをする。時計を見ると、午後六時を指している。午後四時からあのゲームを始めたので、八時間ほどをゲーム内で過ごしたことになる。
あのゲームではどういう原理か時間が加速されているらしく、四倍ほど早く時間が流れている。つまりゲーム内で一日過ごしても、リアルでは六時間しか経っていないということになる。安全性は問題ないとされているが、それでもあのゲームはリアルで六時間しか遊べないようになっている。それ以上は強制的にログアウトさせられてしまうそうだ。
もっとも、学生の少女はまず六時間も遊べないわけだが。
少女の名前は白雪星香。ゲーム内ではスピカという名前だ。この春中学に通い始めたところで、背は小さく、幼く見られることの方が多い。
星香は部屋を出ると、側の階段を下りる。キッチンに入り、言った。
「お母さん、ごはんは?」
「ちょうどできたところよ」
座りなさい、と促されて、スピカは椅子に座る。スピカの隣の席には、すでに先客がいた。星香の兄だ。高校一年の兄も星香と同じゲームをしている。兄の方は剣士で、友人たちと一緒によく狩りをしているそうだ。そうして得たお肉などを町に持ち込み、食堂で料理にしてもらっているらしい。あのゲームではよくある遊び方だ。
「お兄ちゃん、ウルフを使役できたよ」
星香がそう言うと、兄はへえ、と感心したような声を上げた。
「すごいな。もうウルフを倒せたんだ」
「ううん。いつの間にか懐かれて、使役できた」
「はい? つまり、倒してない?」
「うん。倒してない」
ラビットの時といい、どうなってるんだと兄は苦笑する。それは星香にも本当に分からない。
「そう言えば、お兄ちゃんの友達にもテイマーがいるよね?」
青の魔法を使って使役、召喚するプレイヤーはテイマーと呼ばれる。このゲームにいわゆる職業やクラスというものはないが、使う魔法によってプレイヤー間で区別されている。
「ああ、いるよ。それがどうかした?」
「ウルフに乗ってる?」
「え? いや、乗れなかったと思うけど……。え、まさか、星香は乗ってるの?」
星香が頷くと、へえ、と兄は驚いたような声を上げた。興味深そうに、星香の目を見つめてくる。少しだけくすぐったく思っていると、兄が続ける。
「一応聞いておくけど、確か無理なはずだ。星香も、あまり町では乗らない方がいいよ。変な目立ち方をすると、ろくなことにならないからね」
「そう? 分かった。気をつけるね」
星香が頷くと、兄は少しだけ安心したように微笑んだ。
翌日。スピカは学校から帰ってきた後、早速ゲームにログインしました。いつものようにラビを召喚します。そして今日は、ウルもです。二匹ともすぐに駆け寄ってきてくれます。
「今日もよろしくね」
スピカがそう言うと、ラビは大きく飛び跳ねて、ウルは大きく吠えました。
二匹を連れて、早速森へと向かいます。ですが、少し歩いたところで、ウルが悲しそうにスピカを見つめてきました。
「えっと……。もしかして、乗ってほしいの?」
まさかと思いながらも聞いてみると、肯定するように短く吠えました。兄の話では普通は乗せないらしいのに、うちの子はどうしてこうなのでしょうか。かわいいのでいいのですが。
目立ちたくない、とは思いますが、スピカとしてはこの子たちが最優先です。それじゃあ、とウルの背中に乗ると、ウルは嬉しそうにわん、と吠えました。狼とは一体。
背中にスピカ、頭の上にラビを乗せて、ウルは歩きます。周囲から好奇の視線が飛んできますが、ウルはそれを一切気にしません。むしろちょっぴり誇らしそうです。スピカもちょっとだけ誇らしく思います。どうだかわいいだろう、と。
「ウル~」
背中から抱きついてもふもふ。もふもふ。ウルの足取りが軽くなります。単純ですが、やっぱりかわいい。狼らしさがないような気もしますが、今更なので気にもなりません。
視線は気になります。けれど、気になりません。そんな矛盾した気持ち。この子たちがいれば、スピカは楽しくて楽しくて、十分なのです。
だから、気づきませんでした。
スピカたちを見る視線の中に、ねっとりとしたものがあったことに。