南部さんがやり過ぎている件
山口多聞さん企画、架空戦記創作大会参加作品です。
ディスクハローで耕運することを外国ではディスキングというらしい。そうすると、荒耕起を行うカルチという機具で耕運するのはカルチングというのだろうか?
あれ、そうするとプラウによる耕運はプラウチング?ではないと思う。
ちなみに、大規模農家の我が家には大型農機が鎮座している。自身の畑作用に使う機械たち、そして、依頼を受けた稲作用に使う機械たち、総計10台に上る。そして、トラクターのアタッチメントが10基ほど。ディスクハローもその一つだ。
そんなこんなの機械がたくさんあって、だいたい一年中何かをやっている。11月初めには、お盆から断続的に続いていた稲刈りが一息ついて、ソバと大豆の収穫時期を見極める頃合いになる。
稲麦用の自脱型コンバインは掃除をして奥へとしまい込み、汎用コンバインにはソバや大豆用の網を用意しておく。
稲刈りは自脱型コンバインで朝露があろうと刈るのだが、大豆やソバは機械刈りだと朝露NGなので、朝のうちは暇だ。
しかも、雨上がりなので今日は休み。水を含んだ水田のカルチングもあまりよろしくないので、それも無し。自脱型コンバインの掃除は終わっている。
という訳で、6月から買い始めたおもちゃを今日もバラしている。
「兄貴、ちょっと・・、またそれやってるし」
妹が呆れている。
「同じものを4つも買って、飽きもせず遊んでるって凄いね」
そう言うが、同じものを4つも買うほど酔狂ではない。すべて違う。
「どれも同じにしか見えないけど?」
と言われても、すべて違うんだが。
そう言って、説明しようとしたが、断られた。
「その話は前にも聞いたし、最上段がゴシキ、その次がロクサンシキ、八ゴーシキ、だから、今バラしてるのがイチゴーシキ?」
よく覚えている様だ。その通り。
「分かったから、はい、昼からこれ」
そう言って渡されたのは草刈りのご案内だった。水利の関係で稲作が出来ないいくつかの田んぼを麦のために借り受けているが、当然、麦刈り以後は放置なので草ぼうぼう。さて、コレを片付けてトラクターにモアーを取り付けて草刈りに行きますかね。
さて、今バラしているのは、南部製の最新歩兵銃、15式小銃なのだが、当然、本物な訳ではない。南部工業の遊戯銃部門が自衛隊への実習教材も兼ねて市販しているガスガンだ。中身はかなり精巧なモデルガンとなっており、冬でも快調に動く優れもの。以前の世界にあった国内遊戯儒メーカーのどの製品よりも再現度が高い。まあ、これは当たり前だね。玩具用に材質を変えてあるとはいえ、外装はほぼ実銃の設計を使ってある訳だし、内部構造にしても、ガスガン専用部品以外は、実銃の部品を良く再現されている。
おもちゃとしての性能も遊戯銃大手に引けを取らない。本物の銃器メーカーが出してるからそれも当然か。問題があるとすれば、ラインアップは南部製銃器やライセンス生産品に限られることだろう。他社が外国の有名どころをドシドシラインアップしているのとは対照的だ。
俺が持っているのは、小銃シリーズの主だった四丁のみ。ガスガンや電動ガンシリーズとしてハンドガンや機関銃もあるが、それらには手を出していない。
弾倉式の九六式軽機関銃なんか、ガス供給機構は有名遊戯銃メーカーの逆撃ち出来る特許技術を利用してるとか。だが、実銃準拠の10kg越えの大重量でお値段2ケタ万円とか、さすがに手が出ない。
さて、件の五式と言うヤツだが、正式には試製五式自動小銃という。
自動小銃とは名乗るが、端的に言って、外観はFN製BARと言えばわかるだろう。
構造については、俺が南部さんに渡したSKSの資料が随分応用されており、戦後の自動小銃同様に、各パーツ毎に工具なしに分解、組み立てが可能な方式になっている。
SKSがそんな形体だったとは記憶していないが、あれやこれやと探してプリントアウトしているので、何か混ざっていたのかもしれない。
ガスガンを購入した時の説明書に実銃の歴史が載っていたが、元々は短小弾での開発が行われていたらしい。
短小弾モデルは試製騎銃として1938年からテストされたが、新たな銃弾が必要になる事から、開戦後ほどなくして試験は中止されている。
そうそう、弾薬統一の話が出て、陸海軍が7.7mm弾の統一の話し合いをもって、実際に統一できたのは1936年の話だった。
当時、海軍が毘式機銃に採用していた7.7×56R弾と、陸軍が八九式機関銃や九二式重機関銃に採用した7.7×58SR弾は規格が別物だった。
これをどちらに合わせるかという話になったのだが、議論は平行線をたどり、最終的にはどちらでもなく、間を取って7.7×57リムレス弾という話に落ち着いた。
こうして陸海軍共通の新弾薬、九七式実包が採用され、その弾薬を使用する九七式航空機関銃が開発されている。
そして、陸軍の機関銃をこの弾に合わせるために新規開発されたのが、かねてからMG34を研究して開発されていたベルト給弾式の機関銃、九九式機関銃だった。
九九式は肉厚の銃身を装着して三脚に載せれば重機関銃として扱え、車載器具を用いて戦車や装甲車に装備すれば車載機関銃となり、肉薄の軽量銃身と二脚を備えたモノを軽機関銃として運用できる、汎用機関銃だった。
同時に、歩兵銃も7.7mm化という話になって開発されたのが、九八式小銃だった。
この九八式小銃は銃の跳ね上がりが大きく、三八式と比べて扱いが難しかったのだが、6.5mm弾の威力不足に困っていた陸軍としては、多少の扱い難さより、大威力の7.7mm弾への移行を重視していた。
しかし、1941年末に開戦という事態となり、すべてを九八式へ変更することが出来ていなかった。
結局、敗戦のその日まで7.7mmと6.5mmが混在する状況が続いてしまっているのは、改変前と変わりがない。
さて、五式自動小銃だが、これの開発経緯は、九九式の重量に起因していた。九九式は軽機関銃仕様でも13kgにも達する重量があった。
これは、九六式までのガス作動式とMG34のショートリコイル式の良いとこどりをしようとした結果で、確実性の高いガス作動式を採用しながら、ベルト給弾機構を備えた結果、この大重量となってしまった。
これは九六式が10kg程度でしかなかったことと比べて銃弾口径変更以上の重量増となって、より軽量な機関銃の必要性が模索されていた。
これに対し南部工業 (1937年に南部銃器製造所から社名変更)では、試製騎銃の開発実績を生かして、7.7mm実包を用いたBARの様な自動小銃の開発を行う事となった。元がSKS或いは内部はAK47?をベースにした銃であったため、銃弾変更に合わせた構造強化を行い、1943年には試作品が完成していた。
陸軍ではこれを試験に供して1944年には仮採用としたが、連射が可能なこれとは別に、単発のみの自動小銃の開発も行っていたため、四式ではなく、五式の名称を与えている。しかも、あくまで仮採用という事で試製と前置きまで付いていた。
しかし、事実としては九九式を補うための銃器として大量発注が行われる運びとなっていたのだが、様々な事情から実際の生産はかなり遅れ、ほとんどが本土への配備しかできていなかった。
そして、ポツダム宣言受け入れと共に、九九式や試製五式といった新型銃器は米軍の接収を逃れる様に北方へと送り込まれていくことになる。
敗戦後も北方集団への銃弾や補修部品の製造は許されたことから、試製五式は補修部品名目で銃の製造を継続し、北方集団へと供給され続けることとなった。
試製五式自動小銃はガス圧作動式で単発、連射が可能。更に、銃口には従来はラッパ型の消炎器が取り付けられるところを、横と斜め上に穴をあけた特製のラッパ型消炎器が取り付けられ、少なからず銃の制御に寄与していたという。
そして、BARより格段に軽く、重量5kgと戦後の自動小銃並みとなっているところも特徴だろう。
ちなみに、63式小銃とは、改変前の64式に相当する銃だが、64式よりもFN FALの方が外見としては近い。
それもそのはず、63式は試製五式自動小銃を7.62mmNATO弾仕様に改修し、鉄と木で作られていたものを再設計し、一部にアルミを使うなどして軽量化したものだから、FN製BARをモデルに作った五式を改修したらFALに似てしまうのは当然と言えるだろう。
85式は当然ながら、89式に相当する銃なのだが、製作した会社の違いから、より武骨な形になっているのはご愛敬。FALの後継だからFNCに近いのも頷ける。
そして15式だが、昨今流行のポリマーフレームという奴で、左右どちらからでも操作が可能なのが特徴だろう。重量も標準型で3kgしかなく、銃身交換も容易で、標準仕様は16インチ、他に10インチと20インチが選べる。短銃身モデルは85式でも試作はされたようだが、採用されることなくお蔵入りとなっているらしく、警察や海保、特殊部隊ではサブマシンガンや外国製カービン銃を使用していたが、15式には短銃身モデルがある事で、警察や海保、特殊部隊でも採用されるという。ポリマーなので外装色も変えることが出来、標準はオリーブ・ドラブだが、警察や海保にはブラックが納入されるという。弾倉は85式のモノをそのまま使う事が可能。
南部さんは自衛隊の発足を見ることなく亡くなっているが、試製五式の開発に精力を尽くしていたらしい。
そして、この試製五式が敗戦後も継続して生産されていたことで、会社も残り、自動的に自衛隊の使用する小銃、機関銃の生産が南部工業で行われている。機関銃も改変前の62式言う事聞かん銃ではなく、優秀な九九式の弾薬変更を行った63式機関銃で、今でも優秀な機関銃として信頼され、巡視船の装備ともなっており、対馬沖で幾度となく韓国側への射撃が行われている。61式戦車以降の戦車の搭載機関銃も肉厚銃身仕様という以外に違いはなく、後継となる5.56mm機関銃も外国製のライセンス生産ではなく、南部工業が開発した92式機関銃が採用されている。
さて、今組み上がったガスガンなのだが、南部工業は何時からガスガンを作っていたかというと、近接訓練用として、85式小銃が納入され出したころから作られていたらしい。実銃の様に動く、いわゆる「ガスブローバック」はそれより新しいが、遊戯銃のライフルで採用したのは南部工業が最も早かったようだ。何処も出していない時期に早くも自衛隊の訓練用として開発されていたらしく、その流れで今の市販遊戯銃が販売されるようになったらしい。
南部工業における遊戯銃の歴史も戦前にさかのぼるとの話だが、あれ?やっぱり俺がヤラカしてるのかな?
おっと、昼飯の前にトラクターの準備しないと妹に怒られるな。




