軽戦車にはトーションバーを
ご っ か ん !には約2年も滞在することとなった。その間に国内では熱河作戦における八九式軽戦車の鈍足が問題となり、新たな戦車の開発が行われていた。
当然ながら、ディーゼルエンジンの開発に関わっている事もあって、新戦車開発の話は耳に入っていた。そのため、いくつかの助言を行っている。
まず、シーソー式以外に、トーションバーやクリスティ式も試作して比較検討する事。そして、車体機関銃や砲塔後部機関銃を廃止して、主砲と同軸に装備する事。
これらの助言を行って、簡単な図面を送ったりもしていた。
そうして出来上がったのが、俺の記憶にある九五式と九八式両方の軽戦車だった。
ただ、唯一にして最大の違いは主砲。
九二式重装甲車に37ミリ狙撃砲を採用してしまったことから、「騎兵砲を歩兵が使う訳にはいかん!」というセクショナリズムによって、九四式37粍速射砲を車載化した、九四式37粍戦車砲が開発される運びとなった。
もともと、37ミリ狙撃砲は初速も遅く、対戦車戦闘には全く向いていない。あくまで対陣地攻撃に特化した様な砲だったため、機動力を生かして敵陣地を蹂躙する騎兵装甲車では問題なかった。しかし、これから主力となる戦車に搭載するのは憚られる代物だった。正直。
九二式の武装の貧弱さから37ミリ砲の搭載を行ったことが、ここで幸運を舞い込ませたのは予想外の喜びと言える。これで一応の対戦車能力を得られる。少なくとも、BT戦車とは渡り合えるだろう。
そして、車体に機関銃を装備した車両と主砲同軸にのみ装備した車両が作られ、試験が行われていた。
俺が本土へ帰ったのはそのころだった。
シーソー式を採用した九五式は俺の知る九五式そのもの。もう二台はクリスティー式ベースのため九八式B型のそれだった。
当時の戦車は履帯脱落の危険を減らすため、前部起動輪とするのが普通だった。これが後部起動輪式となるのは、エンジンとミッションを一体化させ、整備性や交換効率を上げる事が主流となった戦後の話だった。
日本では61式戦車の開発にあたって、戦前の「後部起動輪では履帯が脱落しやすい」という教訓から、前部起動輪で作られたともいわれている。しかし、脱落しやすかったのは、履帯自身の剛性の問題が大きかったと後の研究で明らかになったとか。
そうした事で、74式ではパワーパックの採用と合わせて、後部起動輪へとすんなり移行できている。
そういう経緯を知ったので、履帯の剛性という話をしていた。「欧州では~」と、あたかもすでにそのような研究結果があるかのように話をデッチアゲル事にも慣れてしまった。
「なるほど、さすが原さんですね!」
三菱の開発者には感心されっぱなしだが、実態は・・・
そんなこんなでタブレットで漁って履帯の材質なども教えて、何とか製造に漕ぎつけることが出来た。
「試験の結果、やはりトーションバーが最良ですね。しかも、補助ダンパーが無ければ採用できるほどの耐久性を示せたかどうか」
関係者が口をそろえてそう言う。実際、まだまだトーションバーは不安定なシロモノだった。そのため、トーションバーを主としながら、油圧ダンパーに直巻きバネを組み合わせたものを追加して、補強している。このダンパーだけで支えているのがクリスティー式だが、負担が大きいのでシーソー式ほどの耐久性を持たすことが出来ていない。ダンパーとトーションバーを組み合わせて何とかシーソー式と互角。乗心地ではトーションバーという事で、どうやらこちらが優勢らしい。
ただし、砲塔に二名載せるか一名にするかで意見が対立している様だ。
後の常識から考えれば、戦車を指揮する車長が常に戦車の周囲を警戒出来る状態を作り出すことが戦況を有利にする。
砲塔に一人となると、周囲の警戒と主砲の操作を一人で行わなければならず、警戒は疎かになってしまう。砲塔上に外部視察用のキューポラを装備しているのは飾りだろうか?
この砲塔問題で揉めた。
そうそう、すでに溶接の前例があり、その実績もよく、年々技術的にも向上しているためか、リベット止めは採用されていない。これだけで数百キロも軽量化に成功し、目標重量を達成してしまっている。どちらかというと、正面装甲や防盾を更に増厚しようかという話すらある。
そのような紆余曲折があったものの、約一年の試験を経て九五式軽戦車として採用されることとなった。
機関銃配置問題についても、主砲同軸、連双銃という形で落ち着いた。




