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ご っ か ん  !

 昭和七(1932)年十一月、夏ごろから話しがあった満州での寒冷地試験の辞令が発令された。

 行き先は関東軍司令部付きとして、かのハイラルである。


 知ってるか?冷凍庫に入らずともバナナで釘が打てるんだぜ?手拭いを濡らして振り回したら、凶器が出来るんだぜ?凄いだろぉ~?


 最低気温は氷点下40℃、ふざけるな、ンなとこで人が生きていけるか!と思ったのだが、原さんは生き生きと仕事を始めている。

 性能試験は装甲車や戦車に限らず、火砲の性能試験まで兼ねて行われる大規模なものだった。


 丸一日野砲の射撃を行ったり、凍結した地面がどのくらい掘れるか試してみたり、様々な事を行っている。


 試験では色々な問題が多発した。


 野砲は丸一日の連続射撃に耐えられなかった。


 新型野砲が先に音を上げた。ライフリングの摩耗で砲弾がまっすぐ飛ばなくなる。


 旧式野砲の改造型は砲架が壊れた。無理に改造して射程を伸ばしたのが祟ったらしい。


 そして、凍結した地面は硬すぎて掘れなかった。野砲を据えようとしても穴掘りが出来ないのだからどうしようもない。


 一番驚いたのは、機関銃が連発しなかったことだろう。日本の機関銃には欧米より口径の小さな6.5ミリが採用されているが、潤滑のために蝋が表面に塗布してあるのだが、これが凍ってしまっているらしい。これがどうやら30口径(7.6ミリ)前後の欧米の弾丸なら随分マシになるらしい。


 そういえば、欧州土産として南部さんに半自動小銃の設計図渡しちゃったけど、6.5ミリで作るのはやばいかもしれんね。


 そして、さらに驚いたことがある。


 氷点下20℃程度ならば、たいていの機械は普通に動かすことが出来る。ところが、これを割り込みだすとそうもいかなくなる。

 まず、水冷エンジンがダメになる。そういえば、この時代ってまだ不凍液ってものが無いんやね、帰ったら早速海外探して日本での生産を始める様にしてもらわなきゃ。


 この不凍液、甘く見てはいけない。実は冷却剤として相当な性能を有していて、有名な水冷戦闘機の飛燕などは、冷却剤の入手が出来なかったことから、水温110℃程度で運用していたらしい。当然、100℃を超えるため、内部を加圧する必要があるのだが、そうなると配管やラジエータへの負担が大きくなる。ただでさえ精度が低いエンジンしか作れないところに常時加圧運転なんてしたらどれだけの負担になる事やら。


 そういう話を思い出して、なおの事冷却剤の開発や国産化の必要性に思い至ることとなった。


 さらに、オイルもダメになった。耐寒性能が当たり前と思っていたが、それは戦後の話らしい。戦前にはそんなものはなかった。

 これも課題だ。耐寒性をはじめとして高性能オイルを開発しておかなければ、戦闘機はもちろん、戦車だってまっとうに性能発揮できない。


 問題はまだまだ続く。


 トラックが壊れやすいなどは常識の範疇で、燃料輸送にブリキ缶を使っていたら途中で穴が開いて荷下ろし中にタバコを吸ったら火災が起きたとかいう笑えない事件も発生した。

 火災にまで至らずとも、積み込んだ時には満タンだったガソリンが部隊に届いた時には半分も残っていなかったなどという事態まで起きている。


 満州事変後の満州平定こそ行われているが、日華事変も起きていない今だからまだ良かった。こんな状態で補給がどうのとか、さすがに笑いが出てくるほどお粗末な状況なのだが、笑ってばかりもいられない。


 そして、この話には更に後日談がある。


「ブリキ缶では輸送に適しておりません。燃料輸送にはドラム缶の使用が必要であると思われます」


 そこまでは良かった。解決策はすぐそこに転がっていたのだから。が・・・


「そのドラム缶なんだがね、我が国ではようやく製造が始まったところなんだ」



「ハァ?」


 ダメだ、この国・・・



 本当に何もなかった。戦艦大和がどうした、ゼロ戦がどうした。そんな表の話ばかりに浮かれて戦前の日本はすごかっただの、技術力があっただのという輩が居るが、ホント、笑わせてくれる。一皮剥けばこのザマだ。これで米国と戦争だって?フ ザ ケ ル ナ !


 どこ見てそんな妄想を実行しようと思ったのか、気が遠くなってくるよ。


 喜々として仕事に耽る原さんに振り回されているところにディーゼルエンジンの試作が完成したという知らせが入った。


「そうだ、ついでだからそちらで試験をしましょう!」


 そんな熱い返事を受けて、エンジンと技術者がやってきた。


 エンジンの調子はすこぶるよかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 軽く調べるだけで出てくるですけど、ドラム缶が無かったとは そちらこそふざけているんですか? 1929年(昭和4年)には日本石油と小倉石油により、日本で始めてドラム缶の製造が開始されましたが…
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