第十七話 瘴薬
ロバートの目が光ったのを見た俺は、何が起きてもいい様に周囲を警戒した。しかし、特に何かが起こった感じはしない。
ロバートの方へと視線をやると、ロバートが驚愕の表情をしていた。
「何故、効かないのですか……!」
「今、何かしたか?」
ロバートの目がおかしな感じで光っただけで、他には何も起こってはいない。妹達に視線をやるが誰も変わった様子は無い。
「あ! 思い出した!」
急に芽衣が声を上げる。今のやり取りで何かを思い出した様だが……。
「あの光を見た瞬間、気を失ったんだよ。気が付いたら一刀にぃがいたから、多分ボクはあの光のせいで操られたんだと思う」
「じゃあ、今のはもしかして……」
「芽衣を操っていた【操心】の技能か!」
「芽衣ちゃんを操っていたのもあの人なの?」
【操心】という技能が珍しいものなら、その可能性も高い。
その真偽も気になるが、何故俺達にその技能が効かなかったのかも気になる。
「貴方達は何者ですか……!? 私の技能が通用しないなど、ベルンハルト様程の強者でなければ有り得ません!」
俺達にはそれほどの強さは無い。となると何かしら要因がある筈だが……。
「お兄ちゃん、私分かったよ。芽衣ちゃんが前回操られていたのに、今回は操られていないの。その時の芽衣ちゃんと今の芽衣ちゃんとの違い……それはお兄ちゃんと兄妹になった事。それによって兄妹神の加護が芽衣ちゃんに与えられた……。私はその加護によって【操心】が効かなかったんだと思うよ。私達に効かないのも、それで説明がつくからね」
「なるほどな、確かに俺達全員の共通点は、その加護を持っている事だな」
能力面での共通点はその部分だけだ。何故、兄妹神の加護を持っていれば、【操心】が効かないのかは分からないままだが、今はこれ以上考えても分かりそうにない。
「兄妹神の加護……と言いましたか? まさか……そんな事は有り得ない筈です。兄妹神の加護を与えられるのは、異世界人の中でも極一部の者のみの筈……。いや、ですがそれで私の技能が効かない事など……」
俺達の話が聞こえたのか、狼狽えるロバート。その隙に【鑑定】でロバートの能力を確認したが、【操心】の技能以外は一般的な兵士と変わらない能力値しか持ち合わせていなかった。恐らく【操心】に頼りきりで能力を伸ばそうとは考えなかったのだろう。
だが俺は油断せずに刀の柄に手をやりながら、ロバートへとゆっくりと近付いて行く。それに気付いたロバートは後退りながらも、子供に突き刺していた剣を引き抜き、剣を構えてくる。しかし、どうみても素人に毛が生えた程度にしか見えない。
やはり【操心】に頼りきりで、まともに剣の修練を行っていなかったのだろう。
「くぅ……こんなところで躓く訳にはっ!」
そう言って剣を振り上げながら、ロバートは俺に向かってくる。そして、俺に近付いた所で振り下ろして来たが、腰が入っておらず、しかも間合いも完全に外れていた。
目の前で剣が振り下ろされるのを見届け、剣が床に当たった所で刀の峰でロバートの手を打ち付ける。
「~~~っ!」
打ち付けられた痛みで剣を手放したロバートは、その場で尻餅をつき、打ち付けられた手をもう片方の手で押さえた。
「あああぁぁっ! 私の指がぁぁっ!」
今ので指の骨は折れているだろう。その痛みに耐えきれず、ロバートは大声で痛みを訴える。
ロバートの持っていた剣は遠く離れた所に飛んでいったので、取りに行く事は不可能だろう。
ロバートを捕らえる為に縄を【収納空間】から取り出す。それを手にロバートへと近付いて行く。俺の動きを察知したロバートが指を押さえながら後ずさる。
「ち、近寄らないで下さい!」
ロバートはそう言いながら、無事な方の手で自身の胸元に手を入れる。その動きに、俺は武器を隠し持っているのかと判断し、歩みを止める。
だが、ロバートが胸元から取り出した物は、試験管の形をした容器だった。
もしかしたら危険な薬品かもしれないと思い、ロバートから距離を取る。
「……何だそれは?」
「これは邪神の瘴気を濃縮した液体……瘴薬です。本当なら自分自身に使うつもりは無かったのですが、ここで捕まれば私は処刑されるでしょう。そうなる位なら私は……!」
そして、ロバートは容器の蓋を口で開け、容器の中身を自身の口に流し込んだ。
「なっ!? 瘴気を口にするなんて……何て事を!」
コロナの声を聞きながら、俺は瘴気の性質を思い出す。
瘴気に充てられた動物は瘴魔に変化してしまう。そして、それは勿論人間も例外では無い。無論そんな瘴気を、しかも濃縮された物を経口摂取すれば、ただですむ筈が無い。そして、それを証明するかの様に、ロバートの身体が変質していく。
「あ、ぐ、う、が……ががががががあああっっっ!!!」
奇声を上げるロバートの変化は、まず髪の色からだった。濃い茶色の髪が赤黒く変色する。そして、それは髪だけに限らずに、肌の色も同じく赤黒く変色していく。それと同時に身体が肥大化し服が弾け飛ぶ。
俺を含めた全員は、それをじっと見ている事しか出来なかった。余りの光景に、行動するという思考が頭から完全に抜け落ちていた。
呆然とロバートの変化を見ていると、ふいに奇声が止んだ。そして、俺達の前にいたのは全身が赤黒く染まり、普通の人間の三、四倍に筋肉が肥大化した、元は人間だった何かだった。開いた目は真っ赤に染まり、八重歯が牙のように口から飛び出している。
ロバートだった時の名残は、全くと言って良いほど残っていない。
「こ、これは……」
「まさか人間が瘴魔になったのか……?」
相手が襲い掛かってくれば【鑑定】を使う隙はない。ロバートとの間に距離がある今の内に、俺は【鑑定】を使用した。
名前等:ロバート 瘴魔族 男 37才
称号:人間を辞めた者 殺人者
技能:操心(使用不可)
加護:邪神の加護
状態:興奮
準位 ??
生命力 2057/2057
精神力 14/14
筋力 1832
体力 1245
耐久力 812
俊敏力 543
知力 13
魔力 1
ロバートの能力値は激変していた。魔力は無いに等しく【操心】が使えなくなっているが、肉体的な能力値は数十倍から百倍以上になっていた。こんな筋力で殴られればただではすまないだろう。
「ククク、チカラガ……アフレテクル。コレナラマケナイ!」
声は低く聞き取りづらく、喋り方も変わっている。目の前で変身を見ていなければ、本人だとは気が付かない変わりようだ。
「シネッ!」
ロバートが何の小細工も無しに、真っ直ぐに俺に向かい、その太く変わった腕を振り下ろしてくる。まともに受ける訳にはいかないが、後ろには妹達がいるので、どうにか受け流すしかない。
抜き放った刀を眼前で斜めに構える、が。
「【空間障壁】!」
そんな椿姫の声とほぼ同時に現れた半透明の壁に、ロバートの剛腕が叩き付けられる。尋常では無い筋力で殴られた為にヒビは入っているが、障壁はなんとか持ちこたえていた。
防がれたにも係わらず、再びその剛腕を振るうロバート。障壁は二度目は耐えきれずに砕け散る。だが、三度振るわれる前に俺はロバートの心臓目掛け、突きを繰り出す。
刀の切っ先がロバートの胸に突き刺さるが、危険を察したのかロバートが後方へと飛びすさる。赤黒い血が胸から流れ出てくるが、致命傷には程遠い。
「グゥッ!」
「浅いか!」
「お兄ちゃん、正面で相手の気を引いて、危険な攻撃の防御は私が受け持つから。コロナお姉ちゃんと芽衣ちゃんは、お兄ちゃんとは別方向から攻撃を、だけど攻撃したら直ぐに後退を繰り返して。ヒルティちゃんは遠距離から牽制をお願い」
椿姫の指示によりそれぞれが動き出す。コロナと芽衣がそれぞれロバートの左右側面へ、俺は正面からロバートへと対峙する。そして、椿姫とヒルティが俺の後方にて杖を構える。
ロバートは囲まれ少し迷った様だったが、正面に立った俺に向かってきた。振るわれる力任せの横凪ぎの一撃を、後方に下がる事により避ける。
その隙を狙い、コロナの細剣による背後からの突きと、芽衣の短剣による首筋を狙った攻撃がロバートに見事に命中する。だが──
「固すぎるよ!」
「武器の方が壊れてしまいそうです!」
二人の攻撃は皮膚を少し傷付けたに過ぎず、ロバートも攻撃された事に気付いていないのか、俺の方しか見ていない。
恐らく耐久値が高過ぎる為に攻撃が通らないのだろう。俺の突きには反応したところを見ると、俺の攻撃は通じるだろうが、下手に攻撃すれば反撃を食らう可能性がある。
せめて相手の足を止める事が出来れば、攻撃を行う事は出来るだろう。
「ヒルティに任せるの」
「行けるか?」
俺は振り返らずにヒルティに確認を取る。
「大丈夫なの! 光の精霊フォスちゃん、お願いなの……【精霊顕現】」
部屋全体に眩い光で一杯になり、目を思わず瞑ってしまう。光が収まったのを目蓋越しに感じた俺は目を開ける。
すると髪や肌の色が白い女性の姿をした人間と変わらない大きさの精霊が、俺の少し前方に現れていた。
「フォスちゃん、久し振りなの。今まで喚べなくてごめんなの。でも今は目の前の敵を倒すのを手伝って欲しいの」
『ん、大丈夫、ヒルティの状況は分かってたから。じゃ、行くよ』
そう言ってその手をロバートに向けてかざすと、その手のひらから閃光が放たれた、と思った瞬間にはその閃光はロバートの右足を貫いていた。
「グアアァァァァッ!!」
余りにも速すぎる攻撃に俺達は勿論、ロバートにもそれを見切る事は不可能だった。
足を貫かれたロバートは片膝を付き蹲る。
だが、その一撃を放った直後に光の精霊フォスは、成人した女性の姿から半透明の幼女の姿に変わっていた。そして、それも直ぐに消えてしまった。
「ごめんなの。今のヒルティじゃこれが限界なの」
「いや、充分だ。ヒルティのお陰で動きが止まった」
その隙を見逃さず、俺達はロバートへと攻撃を仕掛ける。関節や筋肉が薄い箇所への三人による波状攻撃で、ロバートは少しずつだが傷付いていく。
時折、ロバートも反撃を繰り出してくるが、腰の入っていない攻撃など怖くは無く、問題無く受け流したり避けたり出来ている。
「グ……コンナハズハ……」
遂にはその腕が上がらなくなり、急所を庇う事すら出来なくなった。
そして、俺を睨み付けてくる顔を見ながら、俺は心臓に刀を突き刺した。
「ク、ソ……」
その言葉を最後に、ロバートは二度と動く事は無かった。




