第七話 牢獄
意識を取り戻した俺が最初に目にしたのは、石製だと思われる天井だった。
俺は同じく石製だと思われる台の上に寝かされており、そのせいか頭や背中が若干痛む。
横を見ると俺と同じ姿勢で眠っている妹の椿姫が居た。ふと嫌な考えが頭によぎったが、落ち着いて椿姫の状態を確認する。呼吸、脈共に正常、見たところ特に怪我をしているわけでも無さそうだ。
俺は椿姫のその様子にホッと息を吐き、体を起こす。体を起こす際に殴られた腹が痛んだが、その痛みを無視し周りを見渡す。
六畳位の広さの部屋には、俺達が寝かされている壁際にあるベッド位の大きさの台以外に、反対側の壁際の床に溝らしき物があるのが見える。あの溝はもしかしたら用をたす場所なのだろう。
三方向は石製の壁に囲まれており、唯一壁がない面には鉄製の檻があり外側から南京錠らしき物で鍵が掛けられていた。
所謂、牢屋と言うやつだろう。その牢屋の外の壁には火でも電気でもない謎の灯りが付いており、その灯りが牢屋の中を申し訳程度に照らし出してた。
恐らく俺はフランツに敗北した後、ここに閉じ込められたのだろう。
状況を理解した俺は大きく溜め息を吐く。
──また守る事が出来なかった──
怪我は無いようだが結果論にしか過ぎない。その事実に俺は酷い無力感に苛まれる。
守る力を手に入れる為に剣道に傾倒し、全国大会でも優勝出来る程になった。
それなのに……あの男、フランツには全く歯が立たなかった。
この世界に来る直前の時もだ。椿姫を守るどころか逆に守らせてしまった。
俺は何の為に今まで──
俺が自己嫌悪に陥りかけた時、隣から椿姫が寝起き時によく出す可愛い声が聞こえてきた。
「ん、んんぅ……おにい、ちゃん?」
椿姫は目を覚まし俺を見るなり目を大きく広げたかと思えば、次の瞬間には大粒の涙を流しながら俺に抱き付いてくる。
その際にフランツに殴られた腹が痛んだが、痛みを堪えて椿姫を受け入れた。
「お兄ちゃんっ! お兄ちゃんっ! おにぃちゃぁぁんっ!」
「椿姫……」
「怖かった、怖かったようっ……お兄ちゃんが、斬られそうになっで……お兄ちゃんが、ぐすっ、居なくなっちゃうって、思って……ううああああぁぁっっ!!」
俺の背中に手を回し、力一杯抱きつき泣きじゃくる。
そんな椿姫の姿を見て心配を掛けてしまった事に気付いた俺は、椿姫の頭と背中に手を回しそっと抱き締める。
そのままの状態で椿姫が安心し落ち着くまで頭と背中を撫で続ける。
椿姫は漸く落ち着いたのか、胸に擦り付けていた顔をそっと上げ俺を見上げてくる。その目は真っ赤に腫れ上がり様々な感情が入り交じった表情をしていた。
「ごめんなさい、お兄ちゃん……私……私……何にも出来なかった……」
「椿姫……それは俺の台詞だ。ごめんな、お兄ちゃんなのに椿姫を守れなくて……」
俺の言葉にゆっくりと椿姫は首を横に振る。
「そんな事無い、お兄ちゃんは勝てないと分かっていても立ち向かっていった。……でも私は動揺して何も出来ずに泣いて床に這いつくばっているだけだった……」
椿姫がそう言って泣き腫らした顔を附せた、それを見た俺は椿姫の顔を胸に押し付ける。
もし椿姫が冷静に対処したとしても、あの状況ではどうにもならないだろう。
俺もあの時はその場を誤魔化せればという考えも浮かんだが、感情が先行し実行する事は無かった。
もしあの場で相手の求める知識を持っている様に見せ掛けたとする。だが今冷静に考えると、あの王の様子ではその知識を得る為に俺達を拘束するのは目に見えている。
監禁でもされれば逃げ出すのは容易ではないし、もし部屋を分けられれば尚更難しくなるだろう。
と言うか、どちらかが知識を持っていると判断すれば、片方を人質に知識を聞き出そうとする可能性が高い。
結局は俺が弱かったから、どうにも出来ずにこんな結果になってしまった。
子供の頃……何も出来ずに目の前で失われる命を見る事しか出来なかった忘れる事の出来ない、忘れてはいけない光景が脳裏に浮かぶ。
俺はあの時から何も変わっていない。強くなったと勘違いした只の子供でしかなかった。
それ故に椿姫の今の心境は痛いほど分かる、分かってしまう。だから尚更掛ける言葉が浮かんでこない。
あの時の俺と同じ心境であるならば、どんな言葉を掛けようとも納得しないだろう。
自分自身が強くなることでしか、自分の心を納得させる方法が無いと分かっているから。
今の俺にはただ黙って、椿姫が落ち着くのを待つ事しか出来なかった……。
◆◆◆◆◆
あれからどのくらい経っただろうか、そう思ったのはこちらに近づいてくる足音に気付いたからだ。
椿姫を抱いた状態では背中側の通路には目をやれない為、足音に意識を傾け動向に注意する。そして、恐らくは俺達が居る牢屋の前でその足音は止まった。
「飯を持ってきたぞ、っとお邪魔だったか」
檻の外からの声に俺は振り返ると、そこにはにやけた顔で俺達を見る一人の男が立っていた。
飯を持ってきたという事は、恐らくこの男は牢屋番なのだろう。
牢屋番にしてはかなり体格が良く、只者ではない気配を感じさせる50才位の男だった。この男もその気配からフランツの様に俺より強いとはっきりと感じ取れた。
短髪の茶色の髪に、今はにやけてはいるが野性味とたくましさに溢れた命の漲った強い男の顔をしている。だが悪い人物には見えない、そんな雰囲気を男からは感じた。
何故、このような人物が牢屋番をしているか気になったが今は置いておく。
それよりも彼からならば現状を聞き出せるかもしれない。そう思い、とりあえず丁寧に接する事にする。
「俺達は兄妹で、仲はいいがそういう関係じゃ無いです」
「むう……」
そう言った俺に不満そうに顔を膨らませて椿姫が俺を見てくる。
ちょっと可愛いと思ったが、今はそういう状況ではないと思い直し、俺は椿姫の不満を訴える視線には気付かないふりをした。
今はそれよりも、目の前に居る只者ではない雰囲気を纏った男に注視する。
「冗談だから気にすんな。後、敬語はいらないねぇからな、それよりも飯だ」
男はそう言い、檻の下にある人が通れない位の隙間から木製のトレイを差し込む。
そのトレイの上には、お世辞にも美味しそうには見えないパンと陶製の器に入ったスープと水が二組載っていた。
「美味しくもないし、少ねぇが何も食べないよりはましだ、ちゃんと食っとけよ。さてと……おい、起きろ飯だぞ、お前さん、ここに入れられてからまだ何も食ってねぇだろう……」
「…………」
男は俺達が居る反対側の牢屋に同じ食事を差し入れながら、その牢屋に居るらしい誰かに声を掛ける。
今まで気が付かなかったが、どうやら反対側の牢屋にも人が居るようだ。
反対側の牢屋に目を向けるとそこには、椿姫と余り変わりがない体格をした少女がその小さい体を起こし、首を小さく横に振ってる姿があった。
両足を胸に抱えているのであまり見えないが、緑のフリルが所々に付いている白い服を着ている。
目線を少し上にやると、暗くて見えにくいが少しタレぎみの緑色の目に小さな口が付いている顔が見える。その顔は暗い表情でも隠す事の出来ない位の美少女だ。
目と同じ色の髪を頭の横で一つに結っており、その間から覗き見える特徴的な尖った長い耳が目を引く。
この世界の知識が無いので分からないが、恐らくこの世界特有の人種なのだろう。
だがそんな外見的要素よりも、俺は何故か彼女の表情に親近感を覚える。
その表情はあの時の俺そっくりで……何か大切なものを失ったと思われる酷く哀しい感情を浮かべていた。
「……凄く、哀しそうな顔をしてる……」
「そう、だな……」
意識の殆どを彼女に向けていた俺は、椿姫の呟きにそうとしか返せなかった。
何故かと言うと、彼女を見ていると親近感だけでなく、馬車でここに連れて来られる途中に見掛けた少女に感じた物と同じ想いが湧いてくるからだ。
彼女達の哀しい想いを感じ、ただ助けなければいけないという想いだけが何故か湧いてくる。俺がこういった子達を助けるのは、自分のエゴにしか過ぎない筈なのに……。
何故そんな想いが湧いてくるのか分からず戸惑っていると、牢屋番が声を掛けてきた。
「はぁ、今回も食いそうにねぇな……ここに置いておくぞ」
少女に一言そう告げて牢屋番はこちらに顔を向けてくる。
「ところで、お前ら何をやらかして捕まったんだ?」
「……何もしていない、ただ怪しいと言われ捕まっただけだ」
これまでの事から異世界人だとは言わない方が良いだろうと考え、俺はそう答えておく。
「ああ、やっぱりそうか……」
「え?」
「……ここに入れられる奴はな、大体冤罪で入れらちまうんだ」
「どういう事だ?」
「それはだな──」
「……あの王様の様子からして立場を脅かす人や逆らった人は、牢屋に入れられる前に……殺されちゃったんだと思う。そして、利用価値のある人には臣従を強いて、それに従わなければ適当な罪で牢屋に入れ、従うまで閉じ込めてるんだと思う。だから何もしていないのに牢屋に入れられた私達の事をそう判断したんだと思う……ですよね?」
「す、すげえな嬢ちゃん、その通りだ……俺も色んな人間を見てきたが、嬢ちゃん位の年でそこまで頭が回る奴は見たことがねぇ……」
椿姫の確信めいた言葉に、牢屋番は驚き目を丸くしていた。
こんな状況でも、相変わらず椿姫の頭の回転の速さは凄まじい。
「成る程なぁ……嬢ちゃん程の頭の良さなら利用されそうだな……なぁ、食いながらでいいから俺の提案を聞かねぇか?」
実際は違うが、異世界人だと説明するわけにもいかないので、訂正しないでおく。
「提案? その前にこの国の事を教えてくれないか? いきなり連れてこられたから、ここがどこかも、そして状況も分からない、その提案を聞いても判断しようが無い……」
「ここがどこかもわからねぇのか? ふむ……まあいい、じゃあ何から聞きたい?」
流石にここがどこかも分からないのは怪しかっただろうか。だが、深くは追及されなかったので気にしないでおく。
「じゃあ、まずは──」