第三話 転移
──日本・塚原家宅──
一刀と椿姫の叔父夫婦の一軒屋にて、一人の女性が家事をしていた。
彼女の名前は塚原麻衣子、一刀と椿姫の叔父の妻であり、一刀の父親である刀夜の妹でもある。
一刀と椿姫は剣道大会会場から帰宅途中、夫である塚原刀真は仕事の為に留守にしている。今この家に居るのは麻衣子一人だけだ。
昨日、一刀の優勝を見届けた叔父夫婦は、刀真が翌日仕事が控えていたので一足先に戻っていた。
そして一晩経った夕食前、彼女は楽しそうに一刀達の為に夕食のご飯の準備を行っている。
お祝いを含め、何時もより少し豪勢で二人の好きな物を中心にだ。
麻衣子は二人の為なら、多少どころではない手間でもこなしてしまう。
叔父夫婦にとって彼らは実の息子・娘では無いが、今では実の子供の様に想っているからだ。
子供を数年前に事故で失って以降、新たに子供を授かる事が出来なかった事も有るのだろう。
一刀達の学校行事や剣道の試合等には休みを取り必ず参加し、誕生日だけでなく義理の親子になった日も祝う等、かなりの溺愛っぷりを見せていた。
塚原一族は家族の絆が一般的な家庭より強く、その絆故に結婚も親戚同士で行う事が多い。
本当かどうか分からないが、昔は兄妹や姉弟での結婚も行っていたと言う話もある。
刀真と麻衣子も従兄妹では有るが兄妹の様に育ち、麻衣子は刀真の事を慕い今はこうして夫婦となっている。
そういった訳で塚原一族にとって実の親子かどうかなど関係が無いのだ。
手の込んだ料理の準備も完了し、後は二人が帰ってくるのを待つだけ──なのだが。
「……遅いわね……」
帰宅予定時間を1時間過ぎたが、まだ二人は帰ってこない。
渋滞等で遅れているのだろうか、と麻衣子が思い始めた頃、電話機から電子音が鳴り響く。
一刀達からの電話かと思い受話器を取ると、電話口の相手は予想もしていないところからだった。
『塚原刀真さんのご自宅でしょうか?こちら──県警察ですが……』
警察からの電話に麻衣子の胸中に嫌な予感が湧き上がるが、それを押さえ込み受け答えを行う。
「はい、そうですが、どういったご用件で……」
『大変申し上げにくいのですが……実は──』
「え……う、そですよ、ね……」
電話口で告げられた信じられない内容に頭が真っ白になる。
『残念ですが……』
警察官の言葉に、その内容が真実だと理解した麻衣子の身体はくずおれた。
身体中から汗が吹き出し、視界が暗転して何も考えられなくなる。
呼吸は乱れ、まともに息をすることもできなくなった。
それから数分経ち何とか持ち直した麻衣子は、彼女が落ち着くまで待ってくれた警察官とのやり取りをどうにか終えて受話器を置く。
「うううぅっ! ……一刀ぉ……椿姫ぃ……あああぁぁっっ!!」
警察から伝えられた内容は一刀達がテロに遭遇し、死亡したとの事だった。
その凶報に麻衣子は泣き崩れた。
「何で……あの子だけでなく、一刀達まで……うううっ! ごめん、なさい……兄さん、桜義姉さん……私は、私は、あの子達を守れなかった……」
暫くの間、二度も我が子を失った母親の慟哭が家の中に響き渡っていた……。
◆◆◆◆◆
──日本・とある企業の社屋内──
麻衣子が一刀達が死亡した凶報を聞いた同時刻、一人の男も同じ情報を聞いていた。
男の名は塚原刀真、麻衣子の夫であり、刀夜の妻である桜の双子の兄でもある。
「はい……そう、ですか……あの子達が……くっ!」
刀真の携帯電話を持っていない方の手が強く握られる、その手から強く握りすぎて血が滲み出ていた。
だが刀真は荒ぶる気を落ち着け、冷静を装い通話を再開する。
「……それで、関連は有りそうですか? ……ですか、そうなると……」
刀真は電話口の相手となにやらよく分からない会話をしている。
「はい……では引き続きお願いします……では……」
通話を終了させた刀真は、廊下の窓から見える空をゆっくりと見上げる。
その顔は悲しげであり、かつ悔しげな表情をしていた。
「……すまない一刀に椿姫、俺はお前達を守れなかった……すまない義兄さんに桜……義兄さんが命を掛けて救ったあの子達を俺は救えなかった……まさか俺では無く一刀達を狙って来るとは……くそっ!」
その言葉は一刀達が、テロに巻き込まれてで死んでしまった訳では無いようにも聞こえる。だが、彼の回りには誰も居らず、その言葉を聞いた者は誰も居ない。
「状況からして向こうの世界に行った可能性が高い……か、もう俺にはどうする事も出来ないな……。せめて二人に加護を……」
刀真は静かに目を瞑り、居なくなってしまった愛する子達を想う。
その内容には一部不可解な物があるが、その事を理解出来る者は側には居ない。
静かな冷たい廊下には、一人静かに祈り続ける哀しい男の姿しかなかった……。
◆◇◆◇◆
──途切れたはずの意識が少しずつ戻ってくる。
目を開けると目の前には妹の椿姫の可愛い顔が見える。
俺達の姿勢はあの時のままで、俺は椿姫の方を見た状態で倒れており、椿姫も俺の方を向き俺の横に倒れている状態だ。
何故か手榴弾による傷や拳銃に撃たれた関わらず、俺は生きており意識がはっきりとしている。それどころか、身体中の痛みや喉に溢れていた血も存在しない。
しかし今はそれよりも目の前の椿姫は無事なのか、と俺は思い椿姫の顔をまじまじと見つめる。
その額に弾痕は無く、死んでいる様には見えず、穏やかに眠っているようにしか見えない。
念の為に脈や息を確認してみるが特に問題無く、ちゃんと生きている事を知らせるように脈打ち、呼吸をしていた。
何が起こったのか全く理解は出来ていないが、椿姫が生きている事にホッとした俺は、視線を椿姫から外し周りを確認する。
「えっ……?」
そこに見える、ありえない光景に俺の思考は停止を余儀なくされる。
俺達タワーの展望室に居た筈だ、だが今、俺達が居るのは──
見渡す限り一面の草原の中だった……。
「ここは、どこだ……?」
草原に横たわる俺は余りの周囲の変わり様に、そう呟く事しかできなかった。
顔を正面にやると空は雲一つ無い一面の青空、横にやると辺り一面は膝下辺りまで伸びた草や所々に花が咲いているくらいで、他には何も無い。観光客の姿も、鬼瓦師範の姿も、俺達を撃った男達の姿も周りには見当たらない。
鬼瓦師範は分からないが、俺達二人は正体不明の男達により殺された筈だ……。 それが何故かこんな草原の真ん中に居るのか。しかも俺達二人だけでだ。
一体俺達の身に何が起きたのか……全く状況が分からない。
「ん……んんぅ……」
そんな訳が分からない状況に、混乱していると横から声が上がる。
どうやら妹の椿姫の意識が回復しそうだ。
「……んぁ? おにいちゃん?」
ぼーっした顔で椿姫が俺の顔を見つめてくる。
「んーっ、おにいちゃんすきー……」
寝ぼけた椿姫が何時もの朝の様にぎゅっと抱き付いて来た。
椿姫は朝は余り強くなく、何時もこんな感じで寝惚けている。
訳が分からない状況だったが、椿姫の可愛らしさに混乱した頭が冷静になり落ち着いてきた。
何時もの様に抱き返しそうになるが、そんな事をしている場合では無いと思い直し、体を起こして椿姫を膝の上に乗せ声を掛ける。
「おい、椿姫起きろ」
「んんぅ……あ……おはよう、お兄ちゃん」
「ああ、おはよう」
どうやらようやく目を覚ましたようだ。
こんな状況にも関わらず、何時もの様に朝の挨拶を交わす。
だが直ぐに椿姫はハッとした顔になり、俺に問いただす。
「お、お兄ちゃんっ! 怪我は!?」
椿姫は先程迄の出来事を思い出したのか、そう言って俺の体をペタペタと触ってくる。
「俺は大丈夫だ、何故かは分からないが怪我一つ無い。そういう椿姫こそ無事か?」
「うん……と言うか何で私、生きてるの?」
「……俺にもよく分からないがお互いに生きている様だ」
「そう、なんだ……良かった、お兄ちゃんが生きてて……ぐすっ……お兄、ちゃん、怖かった、よぉ……! うわぁぁぁん!!」
椿姫の泣き声が暫く草原に響き渡る。お互いに無事を確かめ合うように抱きしめ合い、お互いの体温を確かめ合う。
暫くして椿姫は落ち着いたのか、泣き腫らした目で俺の顔を覗き込んでくる。
「お兄ちゃん、ここは……?」
椿姫も周囲の状況がおかしい事に気が付いたのだろう、困惑した表情を顔に浮かべる。だが俺も今の状況が分かっていない為に説明ができない。
「俺も分からない。目が覚めたらここに──草原に居たんだ」
「草原……? 何で……お兄ちゃん、確認だけど……私はあの時死んでたよね」
「ああ……思い出しただけでも、胸が引き裂かれそうになるが、間違いない。椿姫は頭を拳銃で撃ち抜かれて殺された……。そして俺もあの後、撃たれて殺されたのは間違いない」
「お兄ちゃん…………でも、そうなると……」
椿姫は俺の言葉に悲しそうな表情をするが、意識を切り替えたのか、俯き思案顔になった。
こうなった椿姫は深い思考に嵌まり込んでいる為、声を掛けても反応しない、なので黙って椿姫の考えが纏まるのを待つ。
時々、だけど、まさか、と小さく呟いている。
しばらくすると考えが纏まったのか、顔を上げ少し自信がなさそうに呟く。
何時もはっきりと答えを出す椿姫にしては少し珍しい。
「恐らくだけど……」
「何か分かったのか?」
「うん、私もまだ確信がないし、荒唐無稽に感じるかもしれないけど……恐らく私たちは異世界に転移したんだと思う」
「異世界? 椿姫が時々読んでいるフィクション小説にそんな単語があった様な……」
「うん、その異世界。簡単にいうと地球が存在する世界とは違う別の世界の事だよ」
椿姫の説明に困惑してしまう。俺は勉強以外では体を動かしてばかりいたし、両親が他界してからは椿姫を守る為にどうしたら良いのかばかりを考え、剣道の習得に躍起になっていたので、そういった娯楽とは殆ど接点が無い。
椿姫がそういった本を読んでいるので多少は知っているが、俺自身は読んだ事が無いので詳しくは分からないのだ。
「うーむ……良く分からんが、ここは俺達が住んでいた地球ではないという事か?」
「うん、その認識で良いと思うよ」
「で、どうして今の状況が俺達が地球じゃない世界に移動した事になるんだ?」
「私が読んでいる本の中に事故や殺されて死んだ人が、別の世界で生まれ変わったり、その背格好のまま転移して別の世界で生活したりする話があるの」
「うん? だが、それだけで今の状況を説明をするのは無理が無いか?」
「うん、でもね、私達は間違いなく殺された。頭を撃ち抜かれて人間は生き返らないし、あれが夢とも思えない。夢だとしても今の状況の説明が出来ない。私達が寝ている間にこんな場所に放置する意味も無いしね」
確かに殺されたのに無傷の状態の俺達。あんな生々しい出来事が夢である筈も無い。
もし夢だとして、寝ている間に運ばれたとしても、今まで目が覚めなかったのも不自然過ぎる。
「確かにそうだが……」
「だから、殺された時に、この世界の誰か若しくは事象によって、この世界に転移させられたんじゃないかなと思うの」
「地球上の何処かと言う可能性は無いのか?」
「それも無いかな……ほら、あの花だけど、どの図鑑にも載っていない見たこともない花なの、新種の可能性も無くは無いけど、こんな草原に咲いてる花が未発見な可能性は低いからほぼ無いと思うよ」
咲いている花を指差しながら、椿姫はここが異世界である根拠を示す。
うーむ……俺には普通にタンポポの花にしか見えないが……。
椿姫の判断を疑う訳では無いが、地球じゃない異世界に来たと言われても、ちょっと信じられない。その事を椿姫に正直に告げる。
「まあ私も半信半疑だしね……情報が少なすぎるから今ある材料でそう考えただけだから」
「となると、まずは情報を集めない事には、正しくは判断できないって事で良いのか?」
「そうだね、周りになにか状況を判断できる物があればいいんだけど……」
そう言って俺の膝から降りた椿姫は立ち上がり周りをぐるっと見渡す。
「あっ!」
「ん? 何か見つけたのか?」
俺は立ち上がり、椿姫が向いている方へと体を向ける。
椿姫の視線の先には明らかに人工物だろう建造物がかなり遠くの方に見える。
それは石か何かで作られた壁に見え、その上に何かの建物──城らしき物──がそびえ立っていた。