第一話 大会
「剣児、そろそろ終わりにするぞ?」
「そうだね一刀、それじゃ本気で行くよ?」
俺の名は塚原一刀、そして俺の目の前で剣道着を身に付けて竹刀を居合抜きの形で構えているのは、佐々木剣児だ。
お互いに高校三年生で18才になる。
剣児は170㎝の俺より10㎝程身長は高い、だが体重は余り変わらない。その為かなり細身に見えるが筋肉は程よく付いていて、頼りない印象は皆無だ。しかもアイドル並みに顔も整っていて性格も温厚で優しいので、女性にかなり人気が有り、校内にファンクラブも有る程もてる。
俺とは幼稚園の時からの付き合いで、小中高と全て同じクラス、更に俺の家が開いている道場の門下生でもある為、お互いの事は知り尽くしていると言っても過言では無いだろう。
そして同門同士であるが故か、自然と剣児の構えと俺の構えは同調したかのように同じだ。俺達が修得している塚原流の構えの一つ【居】である。所謂、居合い抜きの型とほぼ同じ構えだ。
そんな状態の俺達が向き合っているのは、とある会場で開催されている剣道全国大会の高校生個人の部であり、現在はその決勝戦を行っている最中だ。
今まで地元の大会等には出場していたが、今回は初めての全国大会出場になる。
その大会での道場対抗団体戦で優勝を果たし、個人戦もお互いに決勝まで相手を全く寄せ付けずに勝利した。
道場対抗団体戦での優勝に加え、個人戦初出場にも関わらず圧勝での決勝進出、しかもそれが同校、同門の二人だ。注目されない筈が無く、多くの観客達が余所見もせずに俺達の試合を注視しているのを肌で感じる。
そして俺達の構えに決着が近いと感じ取ったのか、会場が静寂に包まれる。
それもその筈、今までの試合で俺達がこの構えを取った直後、相手選手を10割の確率で降して来たからだ。
それを知っているからこそ、観客達は決着が近いと感じ取ったのだろう。
物音ひとつしない会場内に緊迫した空気が張り詰める。
そして、その静寂に耐えきれずに身じろぎしたと思われる観客の衣擦れの音を合図に、俺達は同時に間合いへと踏み込む。
腰元から放たれた竹刀が、恐らく一部の人間以外は見えない剣速で互いの相手目指し空気を切り裂く。
竹刀がすれ違う一瞬前、剣児の剣速が一段階上がったが、俺は慌てずに剣速を維持したまま重心を落とし、剣児の竹刀に竹刀を合わせ頭上へと剣筋を逸らす。その剣児の竹刀を滑る様に這った俺の竹刀は、そのまま剣児の胴へと吸い込まれるかの様に向かっていく。その俺の動作に、面越しでも分かるくらい目を見開き驚いた剣児が咄嗟に後ろに下がろうとする。
だが、俺がそれを許す筈も無く、更に一歩踏み込み剣児の胴に竹刀を打ち付ける。
その瞬間、竹同士が打ち合った高い音が会場内に響き渡った。
その一拍後、勝負の終了を告げる審判の声が耳に届く。
「胴あり一本!! それまで!!」
審判の声が響いた更に一拍後、怒濤の様な歓声が会場中に満ちる。
そんな一人一人の声が聞き分ける事が出来ない状況で、俺はとある人物の声を聞き分ける。
「お兄ちゃん、やったぁ!! 優勝おめでとう!!」
その声が聞こえる方に視線を向けると、観客席の最前列で満面の笑顔で俺の勝利を称える少女の姿が目に映る。その少女は俺にとって大事な存在である血の繋がった妹だ。
その妹の笑顔に俺は頬を緩めながら姿勢を正し、指定位置に移動し試合終了の礼を行う。向かいに立っている剣児の顔は悔しそうでもあり、スッキリとした表情をしていた。
◆◆◆◆◆
「はぁ、負けちゃったかぁ」
「それにしてはスッキリとした顔をしてるな?」
「勿論、悔しくはあるけど、本気で戦ったからね。それにしても相変わらず強いね、流石は塚原卜伝の再来と言われるだけはある」
「周りが言ってるだけで俺自身はそう思った事は無いけどな。それにお前も佐々木小次郎の再来とか言われてるだろ」
俺達を知っている一部の人達は俺の規格外な強さと、俺達の苗字から塚原卜伝と佐々木小次郎の再来だと言っている。
亡くなった父さんの話によると、俺達の先祖はその卜伝らしい。
塚原卜伝とは400年以上前になる戦国時代の剣豪であり、兵法家とも呼ばれる人物の事だ。だが名字も珍しくもないし家系図がある訳でも無いから、本当かどうかも分からない。
唯一の証拠としては大昔から塚原流の剣道場を開いている事位だろう。それも証拠としては薄いが。
ただ、俺自身も自分の剣道の強さが尋常では無い事は理解している。なので半信半疑と言ったところだ
剣児の方も名字が佐々木と言うだけで、佐々木小次郎の子孫と言う訳では無いらしい。なのでお互いに重い名を背負わされたと思っていたのだった。
そんな会話をしている俺達は現在、表彰式終了後に控室で私物等の整理を行っている所だ。
俺達の所属する道場の控室は団体用の為それなりに広いが、剣道具以外はそれほど物を持ってきている訳では無いので、時間は余り掛からない。
そして、片付けが完了した頃に襲撃者は現れた。
小学生位の背丈をした襲撃者は、扉を開けた瞬間に俺に向かって飛び込んで来る。
俺はその小さな襲撃者を拒む事無く胸の中へと迎え入れ、腕をその小さな襲撃者の背中に回す。
「お兄ちゃーん!!」
その小さな襲撃者……否、俺の妹である塚原椿姫は、俺の胸にその柔らかい頬を猫の様に擦り付ける。
そんな可愛らしい仕草で甘えてくる椿姫は俺が昔プレゼントしたピンクの髪止めで綺麗な黒髪をハーフテール──椿姫曰くツインテールの一種らしい──と言う髪型にしており、きめの細かい綺麗な肌をした小さな顔にはパッチリした大きな黒い瞳に、柔らかく小柄な鼻、花のように愛らしい口が存在し、大変に愛らしい顔立ちをした少女だ。
そして、身長は132㎝で柔らかな華奢な体、しなやかな細い手足、控えめな膨らみの胸、12才の平均からすると全体的に小さめだ。
見た目通り運動は得意ではないが、それを補って余るほど頭が良い。
その頭脳は凄まじく、先生達でさえ簡単に解けない問題を一瞥しただけで解いてしまう。 更に記憶力も良く、こちらも一瞥しただけでほぼ記憶でき、忘れる事も余り無い。人並外れた能力を発揮している時以外の仕草や言動は年相応で非常に可愛らしいけどな。
そんな椿姫に対して俺は剣道に特化している。剣道以外の武道もやってはみたが全く向いていなかったのだ。
叔父さんの話によると俺達の両親も色々と規格外だったようだったから、血筋なのだろう。ただ、俺も椿姫も一部しかその力を受け継いでいなさそうだが。
何故叔父さんからの伝聞かと言うと、両親は何故か人前や俺達兄妹の前でも剣道以外の能力を見せないようにしていたからだ。
余り思い出したくないある事件で俺は父さんが通常ではあり得ない動きをしていたのを初めて見た……あの時は分からなかったが、今ならあの時の父さんの動きが人並み外れていた事が分かる。
しかし何故俺達にも見せないようにしていたのかは、叔父さんも教えてくれなかったので理由は分からないままだ。
と、甘えてくる椿姫の頭を撫でながら物思いに耽っていると、横合いから声を掛けられる。
「相変わらず、仲が良いね」
そう言ってニコニコした顔で剣児が俺達を見ていた。
「そうか? 普通じゃないか? 剣児も妹とは仲いいだろ」
「僕達兄妹は一般的な兄妹と比べると仲は良い方だと思うけど、兄妹と言う枠は越えてないよ。一刀達の仲の良さは兄妹と言うレベルを越えてるからね」
「勿論ですよ、お兄ちゃんと私は将来結婚するんですから!」
この様に椿姫は「お兄ちゃんのお嫁さんになる」と公言しており、学校等の仕方ない場合以外は殆ど俺と一緒にいる。
そう言って俺の腕に抱き付いている椿姫を初めて見た人達は、大体がお兄ちゃんっ子なんだなぁと言った暖かい視線を向けて来る。
俺自身もシスコンなのは自覚しているので、椿姫に──お嫁さん宣言はともかく──懐かれると悪い気はしない、というか嬉しいので必要以上に可愛がってしまう。
その結果、兄妹夫婦と言う噂が町内や学校で流れてしまったが。
俺としてはあくまで妹として可愛がっているだけなんだが、どうしてそんな噂が流れてしまったのか……まあ椿姫は凄く嬉しそうだったから良いけどな。
それに向けられる視線も悪感情とかでは無さそうなので、特に訂正するでもなく放置している。
そんな事を考えていると、背中に暖かくて柔らかい何かがのし掛かって来た。
「おにーさん♪ こんにちは!」
「ん? 矢美ちゃんか?」
「はい、そうです。おにーさん今日の試合凄かったですね、格好良かったですよ♪」
いつの間にか控室に入って来ていた矢美ちゃんは、自身の柔らかい二つの塊を俺の背中に押し付けてくる。しかし何時もの事なので俺は動揺はしない。
だが、俺の腕の中に居る椿姫は半眼で矢美ちゃんを睨み付けていた。
「矢美ちゃん? 何時も言ってるけど当たってるんだが?」
「何時も言ってますけど当ててるんですよ、おにーさん気持ちいいですか?」
「矢美さんっ! お兄ちゃんにその脂肪の固まりを押し付けないで下さいっ! お兄ちゃんが嫌がってるじゃ無いですかっ!」
「そんな事無いですよね、おにーさん♪ ぎゅ~!」
「あああっ、もうっ! 離れて下さいっ!」
椿姫が矢美ちゃんを俺から引き剥がそうとする。
矢美ちゃんは特に抵抗せずに俺から離れ、俺の背中は柔らかい塊から解放される。
そこで俺は椿姫を抱えたまま後ろを振り向き、矢美ちゃんを視界の正面に捉える。
少し赤い顔ではにかんでいるこの子は佐々木矢美ちゃんと言い、中学二年生で14才の少女で、名字で分かるとおり剣児の妹だ。
少し茶色掛かった黒髪をポニーテールで纏め、つり目だがモデルでも通用しそうな顔付きをしており、スタイルも良く14才とは思えない程大きく育った胸をしている。
そんな女性らしさが一部の隙もなく揃っている身体には、学生らしく学校指定のセーラー服を纏っている。
少し前に本人から聞いてもいないのに、この間Dになったとちょっと困った顔をして言ってきた。何故かと言うと部活動上、どうしても邪魔になるのでサラシで締め付けなければならず、胸が苦しいらしい。
矢美ちゃんは弓道をしており、そのままだと弓を引くときに胸に当たってしまうそうだ。そんな弓道的にはハンデを抱えているが、腕前は全国大会の上位に入り、優勝経験もある程だ。
因みに道場にも椿姫程ではないが──弓道練習があるので──時々訪れるので門下生とも顔見知り合いな為、誰も指摘はしてこない。
そして彼女にはある一つの肩書きがある事を、椿姫から聞き知っている。
それは俺達の住む地域に存在している俺のファンクラブ、その会長だ。
何故彼女が俺のファンクラブの会長かと言うと、家族以外で俺に一番近い存在だからという事で創設者からの推薦で会長になったそうだ。
それを聞いた時は解散させようかと思ったが、矢美ちゃんから余りに必死に懇願されたのでこちらが折れた。それに、矢美ちゃん以外は特に接触してくる訳でも無く、周囲に迷惑を掛けている訳でも無いから放って置くことにしたのだ。まあそのせいで本人公認になってしまったが。
因みにこのファンクラブは俺の通う高校内では無く、俺の住む地域一帯に会員達は存在しており、高校生に限らず中学生に小学生、更に極僅かだが幼稚園児も居るらしい。
矢美ちゃんの話に戻るが彼女は昔から、今回の様に俺に対し過度なスキンシップを行ってくる。
俺の事をおにーさんと呼び始めたのは、とある事件で矢美ちゃんを助けてからだ。しかし、最近は俺への接し方が若干変わった様に感じていた。
昔は無邪気に抱きついて来ていただけだったが、中学生になってからは少し照れた顔で抱きついて来るのだ。
初めはそういう年頃なんだろうとしか思っていなかったが「僕には結構前から抱きついて来なくなったよ」と同じく抱き付かれていた剣児から聞いてから、ようやく俺は一つの可能性に思い当たった。因みにこの時点ではファンクラブの存在には気づいて無かった。
だが、俺は敢えてそれに気付いてないかの様に矢美ちゃんと接した。
彼女自身から告げられていないのもあるが、俺が矢美ちゃんを妹のような存在として見ているからだ。まあ、ファンクラブの会長に就任している時点で言わずもがなではあるが。
俺が彼女の事を妹の様な子としてでは見れなくなる、その時まではこのままの関係でいるつもりだ。そんな時が来るかどうかは分からないけどな。
「相変わらずモテモテだね」
「それはお前もそうだろうが……」
「んー、でも僕のファンの子達は、僕の事をアイドルの様にしか見てないからね。それに僕はまだ……」
「そうか、まだ無理か……」
「うん……そう簡単には忘れられないよ。それは一刀もでしょ?」
「そうだな……」
剣児の言葉に俺は小さく頷き返すだけに留める。これ以上はお互いに辛いだけだ。
それを察したのだろう剣児は話題を変えてくる。
「話は戻るけど、一刀のファンの子達は僕のファンの子達とは違って本気でしょ?」
「あー……まあなぁ……」
「むー……」
剣児の言葉に俺は曖昧に返事をする。因みに唸っているのは椿姫だ。
俺のお嫁さんを公言する椿姫としては、ファンクラブの存在は看過出来ないのだろう。椿姫曰く「お兄ちゃんのファンになるのは理解出来るけど、お兄ちゃんには妹だけが居ればいいの」との事だ。何故そういう結論に至ったのかは分からないが。
話は戻るが、剣児のファンクラブは剣児の性格や格好よさに惹かれ作られた組織。
だが俺のファンクラブは俺が今まで助けた人達の内、女の子数十人全員で作られている。俺に助けられた以外のにわかの子は所属出来ない決まりらしい。
それが本当なら正確な人数は覚えていないが、俺が今まで助けた人達はかなりの人数に上る。そして殆どが女の子だった気がする。その中に確かに幼稚園児も居た。
しかも各々がほぼ命に関わる事だった。
何故そんなに助けた人達が居るかと言うと、俺はとある出来事から、目についた危険に晒された人達をそれはもう無節操な程に助けて来た。
それは正義感から来る物ではなく、只の自己満足でしかない。
そんな俺を慕ってくれる子達には悪いが、俺はあの時に出来なかった事を繰り返さない為に、いつか訪れるかもしれないその時の為に、練習の様な気持ちで助けているだけだ。
矢美ちゃんにファンクラブを解散するよう言ったのも、そんな申し訳ない気持ちからで、偽善者ですらないのだ。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
そんな事を考えていると、椿姫が俺の顔を心配そうな顔をして覗き込んでいた。
俺はそれに何でもないと答え、椿姫の頭を撫でたのだった。
次話は翌日投稿予定です。