名無しの少女と失敗作。
書いたもののタイトルが「○○と○○」みたいなのが多すぎる気がしてならない。今回は頑張ったけど季節感はガン無視だしおそらく突っ込みどころ多いです。温かい目で見守ってね♡(白目)
景色が流れていく。蝉の声を追い越し、車はどんどん走っている。
数時間前まで見飽きるほど立ち並んでいた高層ビルに変わって、今度は見飽きるほどの田んぼとのっぺらい空き地が目立ってきた。そろそろ着く頃だろうか。
「何黄昏てんの兄貴、キモいんだけど」
すぐ隣から罵倒が飛んできた。何か言うのも面倒くさいので、視線だけで「はいはいごめんごめん」と謝ってから手元のケータイに視線を落とす。
表示された時刻は8時半。俺が住まう神奈川のある場所から高速道路に入って車を飛ばして約3時間と少し。そこに今向かっている目的地がある。
「こら由美、キモいだなんてそんな言葉遣いしないの。貴女は須藤家の後継になるかもしれない子なのよ?今のうちから言葉遣いは正しておきなさい。ほんと最近の高校生は……」
助手席から飛んできた母親の嫌味にうげ、と顔をしかめてから唇を尖らせ、俺と同じようにケータイに視線を落とす由美。
うちの家系は代々続いてきたものすごいお金持ちの家系で、何やら本家の後継候補が亡くなっただか失踪しただかわからないが姿を眩ませたらしく、うちの妹に白羽の矢が立ったらしい。ちなみになんの仕事をしているのか、その金が何処から入ってきてるのかはよく知らない。まあ、今のうちに本家の人間たちに慣れておけと言う事で二年に一度はこうして遠路遥々やって来ているわけである。
何故長男の俺ではなく、妹の由美が後継候補に選ばれたのか。それには深いようで浅い理由があるのだが────
ジャリザリ、と音を立てて車が止まる。
「ほら、由美、母さん。着いたぞ」
親父の視線が、由美と母さんに向けられる。
その視線は俺に向くことはなく、さっさと車を降りて行ってしまった。
「……………」
────須藤家の失敗作こと俺は、本家からも自分の家族からも『居ない者』として扱われてしまっている。妹はまだ気にしてくれているだけまだマシだが、会話する度に罵倒されている。
……まあ居ない人間として扱われるのはもうすっかり慣れてしまったし、心の中に溜まった黒い感情を誰かにこぼす事も諦めてしまった。愚痴ったって仕方がない。
ため息をついて、家族に遅れて車を降りる。最後尾の由美の四歩ほど後ろを歩いて、馬鹿でかい家の門をくぐった。
◇◆◇
玄関に入ると三人のおばさんと二人のおじさんに迎えられた。みんな和服を身にまとっていて、俺を除く家族全員に「よく来たね」なんて声をかけている。
しっかし相変わらず広い。
本家の家は流石金持ちと言いたくなるような馬鹿でかい平屋で、庭には土蔵もあるくらいだ。あと池もあったっけ。池もあれば例のカコーンと音を立てる竹のアレもあり、鯉も泳いでる。ナマズも泳いでた気がする。何かもう色々てんこ盛りで、何処かで見かけた『金持ちはド派手なことが好きで欲張り』という説を全力で体現しているようだ。
思考を明後日の方向に飛ばしていると挨拶が一通り終わったのか、由美たちは家の奥へ行ってしまった。
「さて、どうするか」
誰に聞かせるわけでもなく、一人呟く。お盆休みというワケで結構な人数が居間に集まってるんだろうが、居ない存在になってる俺が行ったって仕方ないし。
とりあえず玄関を出て、アテもなく歩いていく。日差しが足元の砂利に親の仇と言わんばかりに叩きつけ、軽く陽炎が揺れていた。
暑い。にしても暑い。地球温暖化を体で感じる。クソ。
涼しさを求めて自然と、足は池に向かっていた。
池のすぐ前にある大きな岩に腰をかけ一息。岩も日差しを吸って熱いけどまあすぐに慣れるだろ。仕方ない。
ちょうど良く、竹のアレがカコーンと涼しげに音を立てた。水の音もいい感じに涼しさを演出してくれてるのだが、蝉の声のせいで台無しである。池の中の鯉とナマズも心なしか暑い暑いと気だるげに見えた。
「あちぃ……畜生……」
こんな事なら台所から麦茶の一杯くらい貰ってくるんだった。今更後悔したって仕方ないけど。
もっと涼しい場所を求めて、視線を巡らせる。
視線が土蔵を捉えて止まった。小さい頃から何度かお盆休みにここにきて、来るたびに土蔵に引きこもっていたっけ。結構涼しかった気がする。あそこなら涼めるしいい感じに時間も潰せるだろう。
やけに薄暗く涼しい土蔵の中に思いを馳せながら、歩みを進めていく。
「………あれ」
目の前まで来て、ちょっとした異変に気がついた。いつも決まって固く閉ざされていた扉が少し開いていて、涼しい空気が漏れ出している。
「先約かな」
言いながら、扉を引く。本家の人間だったらまあ、気まずい空気は嫌なんで軽く頭を下げて池に帰ればいいし。
頰を冷たい風が撫でる。扉が完全に開ききって、
「お、こんな所に誰か。珍しい」
久しぶりに、俺に妹以外の人の視線が向けられた。
「……すんません。すぐ帰るんで」
癖で思わず頭を下げ、踵を返……そうとして手首を掴まれ止められた。
「何すか?」
「なんかその敬語むかつくからやめて。あと別に引き換えさなくていいから。話し相手が丁度欲しかったんだよ」
ヤケに子供っぽい笑顔を向けられた。歳は俺と同じか一個上くらいだろうか。真っ黒い髪を肩のあたりで切りそろえていて、それが余計に子供っぽさを引き立てている。
見たことない顔だった。まあ俺自身、俺のことを覚えようとしない人間達の顔を覚えようとする程馬鹿じゃないけど。
「ほら、戸閉めて。暑いんだからもー」
「わかった、わかったから。手首持ったまま上下にブンブン振るのはやめてくれ」
さっきから手首が悲鳴をあげてるから……。
やっとこさ解放された右手で戸を閉める。
……さて、どうしたもんか。目の前の元気な女の子は楽しげに笑って、まん丸な瞳で俺の目を覗き込んでくる。
「君、見ない子だね」
「………まあ、色々あるから。っつか、それ俺の台詞なんだけど」
覗き込んでくる視線から目を逸らし、土蔵の中を見回す。ガラクタが入った棚やら古い本が詰まった本棚が所狭しと立ち並んでいて、本棚の足元には、俺の膝くらいまでの高さの本の塔ができている。
「本、読んでたの。退屈だったし」
俺の視線に気がついたのか、本に視線を向けながら女の子が言った。
「俺もよく読んでたよ、ここの本。来るたびに色々増えてたからいい暇つぶしになった」
「そうそう、ここの本ねー。何かいっつも増えててさ。色々面白い物もあるし、暇つぶしには困らないよね。ここ」
話し相手ができたのが嬉しいのか、満面の笑みを咲かせながら逸らした視線をまた覗き込んでくる。
「なに、何だよ」
「名前。聞いてないでしょ?自己紹介するのが当たり前だと思うの」
ほらほら、とまた俺の手首を握って上下に振りだしたんで、ため息をつきながら嫌いな自分の名前を名乗った。
「須藤 大成。大成する、とかのあの大成だよ」
名乗り終わって、口の中に苦味が溢れる。俺の名前には、『長く時間をかけて大成した須藤家の息子』みたいな意味が含まれていたらしいが。そんなことは一切なく、家族曰く俺は未完成品────または失敗作だと。あらぬ期待を抱かれて勝手に失望されて。その期待が名前にも含まれてるだなんて、嫌に決まってる。
────『お前はそんなことも出来ないのか』
初めて向けられた、失望の視線。いつまで経ってもその気持ち悪さは忘れられなくて…………
「おーい。おーい?聞いてる?タイセイくん。大丈夫?」
「ああいや、ごめん。聞いてなかった」
脳裏にこびりついた嫌な記憶から目を逸らし、目の前の女の子に向き合う。割と本気で心配してくれてるのか、眉間にシワが寄っていた。
「で、そっちは?俺だけ名乗ってお前だけ名乗らないってのはどうかと思うんだけど」
言うと、目の前の満面の笑みは困ったような笑みに変わり、その口からは
「うーん。私、自分の名前が思い出せなくて」
と。なんとも言えない返事が返ってきた。
「………………………………」
「………………………………」
「「…………………………」」
横たわる沈黙。まさか俺の周りにこんなデンパな子が居たなんて。
「待って、今失礼なこと考えてたでしょ?」
「考えてない考えてない。考えてないよ」
図星を突かれて声が裏返る。デンパッ子の頰が膨らんだ。表情豊かだなあ。
「……仕方ないじゃん。ここの所、私の名前なんてみんな呼んでくれなくなって。すっかり居ない人間みたいに扱われて……自分の名前なんて忘れちゃうよね」
向き合っていた視線が逸れた。俺が逸らしたのか、相手が逸らしたのかはわからない。
ああ、コイツは俺と同じなのかと。少しだけ心が緩み、そこから「コイツとなら仲良くできるかも」何て甘い考えと、溜め込んでおいたはずの黒い感情が溢れ出した。
喉元まで、ずっと吐き出すことのなかった黒いモノがせり上がってくる。無駄だと分かりきっているのに。吐き出したって仕方ないのに、溢れ出す。
「俺も、同じだ」
吐き出た声は、蝉の声にかき消されてもおかしくないほど弱々しいもの。でもその声はしっかり届いたのか、逸れていた視線がまた向き合った。
「俺も同じ。いつだか忘れちまったけど、何回も何回もヘマしちまったことがあってさ。そしたら『我が家の恥だー』何て言われて。その日から、俺は居ない者みたいに扱われて」
大成と呼ばれたのも、久しぶりな気がする。嫌いな名前なのに呼ばれて少し嬉しいだなんて矛盾してる自分が笑えてくる。
そこまで聞いて目の前の女の子は、
「そっか。なら仲間だね!」
なんて、笑い飛ばしてくれた。正直同情されたり哀れみの視線を向けられるより、笑い飛ばされた方がマシだ。
「仲間ってお前……」
思わず苦笑。可笑しいくらいのポジティブさが何かありがたい。
「そう、そんな事より私の名前だよ。そのまんまだけど、名前がないから『ナナシ』とでも呼んでくれていいんだよ!」
「ナナシって……そのままじゃんかよ」
二人で思わず声を上げて笑う。おかげで土蔵を包み込んだ黒い空気が吹き飛んだ。
その後は背中合わせに座り込んで、目立った会話もなく本を読みふけった。
久々に感じた『人間』は、暖かくて。気温が暑苦しくて鬱陶しいはずなのに、すごく心地よかった。
◇◆◇
気がついたら陽は沈み、あれほど鬱陶しかった蝉は鳴きやんでいた。まぁ代わりに周りの田んぼから聞こえるカエルの大合唱がうるさいんだけどね。
土蔵を出て、本館に向かう。居間の方が騒がしい。そっか、飯時か。
「ご飯みたいだねー」
「だな」
デンパッ子改めナナシが、居間の方を遠い目で眺める。
「私達の、用意されてるかな」
「わかんね。でも行ってみないことにはわからないだろ」
言いながら歩みを進める。玄関から入らず縁側に上がり、襖を少しだけ開けて中を覗き込む。
長い机をみんなで囲い、ワイワイと騒ぎながら箸を進めている。
「……………」
当然、と言うべきだろうか。そこに俺とナナシの席はない。
襖から離れると、目の前には俺と同じような表情をしているナナシ。
「ご飯、どうしようね?」
「この辺りにコンビニとかなかったっけか」
「自転車で15分辺りの所に」
自転車、か。確か土蔵に一台ママチャリがあったっけ。
俺の思考を読むように、顔を覗き込んでくるナナシ。同じことを考えてるのか、ニヤりと楽しそうな笑顔を浮かべた。
「二人乗り?」
「しちゃうか?」
「しちゃいますかー!青春ですなー!!」
縁側から降りて、土蔵に向かって駆けて行く。
土蔵の奥からママチャリを引っ張り出してきて、まだ乗れることを確認。多少錆びついててギシギシ言うけど、これくらいなら大丈夫だろう。ライトもつくし。
門の辺りまで自転車を押して行き、門をくぐったあたりで跨る。
「ほらお嬢さん。お乗りなさい」
「あら、ありがとう」
口調はお淑やかでは有るものの、子供っぽい笑みは隠せていない。ニヤニヤしながら自転車に跨ったナナシは、乗ってるのかわからないくらいに軽かった。
「おまえちゃんと食ってるか?」
「こら。女の子にそういうこと言わないの。ほら行きますよー!ゴーゴー!」
ナナシに背中を叩かれて、急かされるようにペダルを漕ぎだす。
軽いなあ。これあんま一人で乗ってるのと変わらない。
ぐんぐんとスピードが伸びていく。頰に当たる夜風が心地いい。
『女の子にそんなこと言わないの!』
何かその台詞が、誤魔化しているように聞こえて。
蘇るのはさっきの、夕飯の光景。
俺があそこで土蔵に向かわず、さっきまで一人だったら。ちゃんとナナシは夕飯を食おうとしただろうか。
ちゃんと食えてるのかなあ、コイツ。軽いし。
なんて失礼なことを考えながら、都会じゃなかなか見ることができない星空を堪能しつつコンビニに向かった。
飯を購入する時間も含めて、約40分後。俺とナナシはコンビニの袋をぶら下げて、縁側に向かって歩いていた。
土蔵で食っても良いな、なんて意見を俺が提示したんだが。さすがにあそこで飯を食うのは嫌だとナナシが言ったせいで縁側に向かってるわけである。
「まさか弁当類が丸ごと売り切れてるとはねー」
「まあ田舎のコンビニ、しかも飯時だから。しょうがないんじゃねえの?」
俺が今ぶら下げてる袋の中にはおにぎりしか入っていない。ナナシが言った通り弁当類は軒並み売り切れていて、仕方なくおにぎりを大量に買い込んだわけである。
「……でも私こんなに食べれないよ?」
「いやいや。お前軽すぎだから。ちゃんと食えよ」
おにぎりを何個も食べるってのが「ちゃんと」の定義に入るかはわからないけど。
そんな会話を交わしてるウチに縁側に着いた。二人で隣り合って座って、おにぎりを開封する。
俺は鮭で、ナナシは何も入ってない塩おむすび。何も入ってないのはどうなのよ、と聞いたんだけど「それがいいんじゃん!!」との事。よくわからん。
何気ない会話を交わしておにぎりをつまんでいると、真後ろの襖が開いた。
「………あ。兄貴」
襖の後ろから顔をのぞかせたのは由美だった。一瞬、俺の隣のナナシに視線を向けたがすぐに俺に視線を向ける。なんだ、コイツもナナシを『居ない者』として扱ってるのか。少しだけ腹が立つ。
「何でこんなとこでおにぎりなんて食べてんの。兄貴も夕飯一緒に食べればよかったじゃん」
「何言ってんだよ。いつものごとく俺の分は準備されてなかったろ」
俺の諦めたような、冷たい視線を受けて。由美は拳を握りしめた。
「そんなんだから────ああもう!ホントそういうとこムカつく!バカ、キモいんだけど!!ホント死んじゃえば?!」
まくし立てるように怒鳴ると、逃げるように屋敷の奥へと走って行ってしまった。
ため息をついて、おにぎりを一口。
「いいの?タイセイ。タイセイも言いたいこと、色々あるんじゃない?」
また俺の思考を読むように、目を覗き込んでくる。
「良いんだよ。言いたいヤツには、言わせておけば」
人生は誰かしらが妥協することで成り立っている。
あそこで俺が色々言い返したら余計にややこしくなるだけで。アレが最善の手だったんだ。
俺が我慢すれば全てが上手くいくなら、それくらい────
「それじゃあ」
俺の思考を遮ったのは、ナナシの冷たい声。
「それじゃあ、生きてるのか死んでるのかわからないね?」
「……………」
思わず黙り込む。
「反論やら意見する資格は生きてる人の特権だと思うけど。それをしなかったら、死んだも同然じゃない」
「………そう、かもなあ。そんな自分がムカつくよ」
それからナナシとはどんな会話をしたのか覚えていない。ただ味がしないおにぎりと、生返事しかできない機能が死んだ俺の喉の感覚と。
────生きてるのか死んでるのかわからない。
ナナシの冷たい声音で放たれたあの言葉が、こびりついて離れなかった。
◇◆◇
近づいてくる騒がしい足音で目をさます。
視界に入るのは屋敷の天井。部屋と布団はいくらでも余っていたし。適当に一番奥の部屋に布団を敷いて寝たんだっけ。
まだ本調子じゃない重い頭を起こすと同時に、襖が大きな音を立てて開いた。
「タイセイタイセイ!!」
「やめろ大声は寝起きの頭に響く……」
顔をしかめた俺を無視して、駆け寄ってくるナナシ。
「ねえねえ、面白そうな部屋見つけたんだけど!」
「面白そうな部屋って……そんなんあったっけな……」
寝起きで回らない頭をやっとこさ回して記憶を探っても、そんな面白そうな部屋なんて思い当たらない。
……にしても良かった。昨日の事は綺麗さっぱりなかった事にされたのか、ナナシの声は明るい。
「ほらほら早う早う。私が連れてってあげるから!」
「わかった、わかったから……お前俺の手首好きだな!?」
手首を引っつかんでグイグイ引っ張っていくナナシ。掛け布団も数メートル近く連れてきてしまった。ほら、敷き布団の元へお帰り。
引っ張られつつもなんとか立ち上がり、ナナシの後をついて行く。その面白そうな部屋とやらは、俺の寝ていた部屋からは割と近い場所にあった。
「どう、どう?面白そうじゃない??開かずの間だよ!?」
「うーむ……」
なるほど確かに、開かずの間ではあった。襖に取って付けたような、あの輪っかを回して南京錠を掛けるタイプの鍵が付けられていて、開かないようになっている。
「確かに面白そうだけど……前回来た時にあったっけな」
前回来たのは俺が高校一年で、由美が中二の頃だから二年前。その頃にはこんな部屋は無かったはずなんだが。
「何処かに鍵とか落ちてないかな……入れないかな??」
「ばか。ゲームのやりすぎだ。この屋敷で鍵かけてんだから重要なものが入ってるだろうし、そんな鍵そこら辺にあるワケねーだろ」
無理無理、と首を振りながら土蔵に向かって歩いていく。
「えー面白そうじゃない?お金持ちが鍵をかける部屋って何があるんだろーとか気にならないの??」
「そりゃなるっちゃなるけど……その鍵が開かねーならどうしようもないだろ。今日も今日とて、土蔵で時間を潰すしか無いんです」
「ゔぇー………」
ぶーぶーと中指を下に向けつつ後ろを付いてくるナナシ。と言われてもなあ。鍵。鍵か……この家の当主か跡継ぎ候補なら持ってたりするかもしれないけど、その当主の顔も跡継ぎ候補の顔も知らないわけだし。
思えば、何度もここに来ては居るもののちゃんと会ったことないなあ、と。今更だけど。
縁側に腰掛けて靴を履く。途中廊下で何人かすれ違ったが、誰一人俺とナナシを見ようとはしなかった。
「誰一人見ようとすらしなかったね」
「他人事だけど見られてないのはお前もだからな」
「えー私は一瞬チラッと見られたしー」
「嘘つけばーか。誰も見てなかったろ」
何も生まない不毛な争いをしつつ、土蔵の戸を開ける。
「見てたと思うんだけどなあ……」
「まだ言ってるよ………」
苦笑しつつ、本の塔から一冊本を取って座り込む。
本を開くと、何やら一枚の紙が地面に落ちた。
「お。なーにそれ?」
「わからん。今この本から落ちてきたんだけど」
後ろから覗き込んでくるナナシに若干ドキッとしつつ、紙を拾い上げる。
結構古い紙で、日の光に浴びて黄ばんでいる。何やら下の部分だけちぎれてしまっていて、書いてある文章が途切れて読めなくなっていた。
『家の裏の丘に立つ、二股に分かれた一本松。そこで願いを捧げたものには一度、願いを叶える機会が一度与えられ────』と、この先が読めない。
聞いたことあるか?とナナシに視線で問う。が、覚えがないのか渋い顔をしながら首を横に振った。
渋い顔は一瞬で『面白いものを見つけた』と言わんばかりに、満面の笑みに変わる。ああ、嫌な予感がする。
「確かに屋敷の裏に丘があったよね?」
「確かにあったなー」
「タイセイ、自分がムカつくから変わりたいって言ってたよね??」
「……言ってたなー」
「ごーとぅー、丘。一本松」
「まじかよお前こんなの信じるのかよだからお前のその手首に対するこだわりは何なんだよ!」
手首を引っつかんで俺を引っ張っていくナナシに思わず苦笑する。
ああ、もう。コイツと一緒にいると退屈しねえなぁ……。
◇◆◇
「着きましたね!」
「うるせぇ手首フェチ」
「着きましたね!!」
「はいはい着きました着きました」
確かに家の裏の丘には二股に分かれた一本松があった。これ二股に分かれてるし一本松って言っていいのか微妙な感じがするんだけどどうだろう。
松を眺めながら、「立派だねー」なんて感動しているナナシ。確かに立派なんだけど、いかんせん二股に分かれてるせいで間抜けに見える。どっちだよ。
「で、願い事は?」
「したほうがいい?」
「でしょー」
「ですよねー」
コイツ他人事だからって楽しそうな笑みを浮かべやがって。ムカつく。
渋々歩みを進めて、松の足元に立つ。
「ほらほらお手手のしわとしわを合わせて!」
「はいはい」
合掌とかそういう言い方しろよ……とボヤきつつ、両手を合わせる。
そうだなあ。願い事は────
────自分を、変えられますようにと。
「…………特に何も変わらないね?」
「うんナナシ俺の体に何か変化があることを期待してた?ふざけんな??」
「ごめんて」
てへぺろ、と拳を頭にコツン。ムカつく。
まあ確かあの古ぼけた紙には、『願いを叶えるチャンス』と書かれていたし。今すぐ体に変化があるわけじゃないだろ。
あまり期待してなかったし、こんなもんだろと踵を返す。
「えーもう帰るの?もっといようよー」
「うるせーな。もう願い事は終わったろ、土蔵に帰るぞー」
本日二度目のブーイングをしてやがるナナシを引き連れて、土蔵へ帰った。
まあ結果から言うと、この日は何もなかったわけで。こんなもんだろと一人で解決した。
† † †
タイセイとの晩ご飯(昨日と同じくコンビニのおにぎり)を済ませて、縁側に横になる。自然と視線に入ったタイセイの背中は、『つまんねー』と言いたげだった。私もつまらないよ。
「まーいいわ。あんなおまじないこの程度だろ?」
「そーかなぁ。紙も古かったしそれっぽいなって思ったんだけど」
むー。代々伝わるおまじないとかそんな感じじゃないのかー。つまらんなぁ。また明日もタイセイと遊べる面白そうなことを探さないと。
なんて思いを馳せていると、タイセイが立ち上がった。
「んじゃ、俺寝るから。お前はどーすんの?」
「私はもーすこしブラブラしてからかな。おやすみー」
手を気だるげに振るタイセイの背中に言葉を投げかける。さて、どうしようか。
とりあえずおにぎりのゴミを台所のゴミ箱に捨てるべく立ち上がり、廊下を奥に進んでいく。
「……およ?」
例の開かずの間がある場所。そこから微かに光が廊下に漏れ出していた。
ゴミをそっと廊下に置いて、様子をうかがう。中に誰か居るようで、襖がほんの少しだけ開いていた。
「ほほう、しめしめ……不用心なのが悪いんだかんね。このナナシちゃんに中を見せなさいなーっと」
中を覗いた瞬間、視線がある場所を捉えて固まった。
「────、──────」
逸らしたい。逸らしたいのに視線が現実を捉えて離さない。
これがお前の現実だと、ちゃんと向き合えと殴りつけてくる。
部屋にあったのは仏壇。その前で、見覚えのある女性が膝をつき、手を合わせている。
仏壇に供えられている写真は────
「────ああ、」
「生きてるのか死んでるのかわかってなかったのは、私の方じゃん─────」
† † †
「………ゔ、ああ……」
相変わらず重い頭を持ち上げる。クソ。寝起きはこれだから嫌だ。
布団の上でボーッとすること数十秒。
「………何でお前隣に大人しく座ってるのん?」
「いや、いつ気付くかなーって」
隣で同じようにボーッとしているナナシ。心なしか元気がない気がする。
「寝起きは頭回らねぇし注意も効かないから。悪いな」
「んー……いや、別にいいんだけど」
会話のテンポも悪い。何だろう。言いたいことがあるのに無理やり飲み込んで、言うか言わまいか迷っているような。
「おいナナシ。言いたいことがあるんなら言った方が────「もう良いよ!知らないから!!!!」
言葉が、若干悲鳴気味の怒鳴り声にかき消された。聞き覚えのある声だ。
思わず、ナナシと襖を開けて廊下を覗き込む。
ちょうど、その怒鳴り声の張本人────由美が走ってきた所だった。
「お、おい。どした」
久しぶりに自分から由美に声をかけた気がする。声をかけられた由美の方も驚いたのか、部屋の前で足を止めた。
何故か視線を俯かせた由美に、できるだけ自然に問いかける。俺はどうやって由美と話していたっけ。
「……えっと。何かあった、のかな」
「────とはと……ば……」
「なんて?」
由美の視線が、上がる。その目からは大粒の涙。
「元はと言えば!全部全部兄貴のせいで!!!!」
思わず面食らって、言葉を失う。
「兄貴がダメだから、兄貴がダメになっちゃったから、私がやるしかないなって意気込んで、頑張ってたのに────!!」
溜め込んでいた爆弾が、一気に爆発したって感じだった。
ふと、脳裏を土蔵の例の紙の一文がよぎる。
『願いを叶える、機会が与えられる』
ああもう、他にやり方はなかったのかよ。
これが願いを叶える機会なら、モノにしないと。
しっかりと、自分を変えないと。
まずは一歩踏み出し、泣いてる由美を抱きしめる。
「………うん、ごめんな。俺のせいで」
暴れるかと思ったけど、意外に由美は俺の腕の中でおとなしくしていた。
「ホントだよ、バカ兄貴……失敗作なんかじゃないのに、一度の失敗で諦めて。なんでも出来るのに何もできないって諦めて。ばか、ばか。死んじゃえ……」
頼りない拳が、俺の胸を殴りつける。
「兄貴は悪くないんだよ。兄貴は失敗作なんかじゃないんだよ。立派に努力して、お父さんの期待に応えようとしてたのにお父さんがずっと兄貴にだめだ、だめだ、失敗作だって言って、兄貴が思い込んじゃったから本当に失敗作になっちゃっただけで。それを見てるのが嫌だから、私がやるよって候補になったのに……」
「うん、うん。そっか……」
俺のことをこんなに思っていてくれた妹が、由美が愛おしい。
由美は俺のせいで頑張っていることはわかっていた。だから由美の罵倒を黙って受け止めていたのだ。そんなに頑張ってりゃストレスも溜まるだろうと黙って受け止めて。
俺だって、失敗作でいることに嫌気がさして、もう一度頑張ってみようと思ったことだってあった。
でもここで俺がもう一度頑張ると言ってしまったら、由美の頑張りが無駄になってしまうと。由美が、崩れてしまうんじゃないかと。
ダメなやつでいることしかできない自分が、嫌だった。
だから、変わらないと。
現に気を遣った結果、由美はこうして崩れてしまった。なら次は俺が頑張る番だと。
ダメなやつで居るしかない自分を、変えないと。
「由美、もう頑張らなくていい。次は俺が頑張る番だから」
「…………良いの?」
「ああ、良い。由美が俺のことを失敗作じゃないって言ってくれたから。それだけで十分だ」
俺のダメさは思い込みのせいだと言ってくれたから。考え方を変えればどうにでもなる。
ダメになったと思い込んでダメになったなら、次はできると思い込め。
出来る出来ると思えば、人間割とできるモノだ。
両の頰を叩いて気合を入れる。俺の横顔を、ナナシが寂しげな視線で見つめていた気がした。
泣き疲れたのか寝てしまった由美を布団に寝かせて、廊下に。
「あああああああああぁやって見栄張っちまったけどどうしよううううあああああああ!!」
思わず頭を抱えてしまった。根っこの部分まで俺はどうやらダメ人間になってしまったらしい。
「何とか言えよナナシ……せめて笑ってくれよ虚しいだろ……」
笑ってくれないと余計に虚しい。視線をあげて、向かいの壁に寄りかかって座っているナナシを見つめる。
「方法、あるよ?」
「えっ」
あっさりととんでも無いことを言いやがったナナシと俺の温度差に、思わず固まる。
「今、なんて?」
「だから、方法ならあるよって」
笑みを作るわけでもなく、無表情でそう告げてくるナナシ。
「私、全部思い出したからさ。私の名前も、なんで私のことをみんなが見てくれなかった原因も」
言いながら立ち上がり、ナナシがポケットから何かを取り出す。
「……それって」
「うん。鍵。行こっか、開かずの間に」
◇◆◇
昨日開かずの間だと騒いでいた襖の前に着いた。ナナシは何か言うわけでもなく、鍵を錠前に差し込んで開ける。
「タイセイ。今から見るもの、信じられないと思うけど。これは全部事実だから」
「お、おう。わかった」
やけに真剣なナナシに気圧されつつ、頷く。俺が頷いたのを確認すると、ゆっくり襖を開いた。
「────────」
ああ、確かに。信じられない光景だった。
そりゃあナナシをみんなが見ようとしないわけだ。そりゃあコイツの顔を知らないわけだ。
「そっか、お前は────」
ナナシは────
「もう、死んでたんだな」
「うん。情けない話だけど、私色々嫌気がさして自殺しちゃったんだよ」
部屋の中にポツンと置かれた仏壇。そこにあった写真は、ナナシと瓜二つで。
この人間はもうこの世には居ないぞ、と。告げている。
んな馬鹿なと笑いつつ、思わずため息を吐き出す。確かにこいつといる時はヤケに涼しかった気もする。
「それで、本題ね。タイセイ」
昨日一昨日と同じように、俺の手首をしっかりと握るナナシ。
「この状況をどうにかする方法だけど────」
◇◆◇
一時間ほど寝たらスッキリしたのか作戦会議中に起きた由美とナナシを引き連れて、居間の襖の前に立つ。
「よし、行くぞ由美、ナナシ……って由美はナナシが見えないんだっけ」
「……うん、見えない。寒気はするけど」
「なんで俺に見えるのかはすごく疑問だけどまあ……それを考えるのはまた後で」
ここまできたら引き返せない。後ろには俺を戻らせまいと、二人の心強い仲間が居るし。
できる。やれるぞ。好き勝手言ってくれやがった家族に、次は俺が好き勝手言ってやる番だ。
勢いよく、できるだけ音を立てるような襖を開ける。
居間には幸い、屋敷にいる人間全員が集まっていた。その全員の視線が俺に集まる。
『大人しくしてればいいのに』『なんだお前は』『お呼びじゃない』と言いたげな、冷たい視線が刺さる。
思わず拳を握り、奥歯を噛みしめる。この視線だ。この視線に俺はダメにされた。
「……大丈夫だよ、兄貴。兄貴は失敗作なんかじゃない」
背中に、由美の手が触れる。
「そうだよ。人の頑張りを見抜けない人間の方が、よっぽどダメな人間だ」
ナナシの手が触れる。
2人の手に背中を押されて。もう一歩、踏み出した。
「ここにいる全員に、話があります。……いや。話がある」
いつもはすぐに逸らされる冷たい視線が、俺を捉えたまま動かない。話を聞いてやろうという偉そうな態度が見て取れた。そうか、聞き手に専念してくれるならやりやすい。
「跡継ぎ候補。俺が代わるから。由美にもちゃんと同意はとってある」
俺に向けられていた視線が一気に由美に移る。
しばらく、部屋を支配する静寂。それを破ったのは親父だった。
「正気なのか由美。こんな失敗作に任せるだなんて」
「正気。それに兄貴は失敗作なんかじゃない」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。お前が須藤家の当主になれば全てが上手くいくんだ。馬鹿なことを言ってる暇があったら────」
見事に引っかかった。親父達は今、『現時点で一番最強の須藤の人間が作った会話劇』の中にいる。
由美が待ってましたと言わんばかりに、言葉を投げつけた。
「それだよ、父さん。そうやって決めつけるから、兄貴はダメになった。しかもいつもいつも『須藤由美』としての私じゃなくて、『須藤家の後継』としての私を求めてた。そりゃ何もかも嫌になるよね」
親父が固まった。ここで一気に畳みかける。
「親父さ。今朝由美と喧嘩したろ。あの後な、コイツ泣いてたんだぞ。もう嫌だって」
親父の表情が、苦虫を噛み潰したようなソレになる。
さあこい、あと一手だ。あと一手で、詰み────
「だからってお前ら2人で決めたことをはいそうですかと鵜呑みにできるわけがないだろう!ここにいる全員が、お前を否定する!!」
────来た。これだ。
長机に歩み寄り、ポケットから一枚の封筒を取り出し叩きつける。
「なら、これでどうだ。アンタらが恐れおののいていた、須藤家の跡継ぎ候補────須藤 真理の遺書だ。ここに俺のことを推薦する一文が書かれてる」
作戦会議中、ナナシ改め真理はこう言った。
『私須藤家で一番頭いいだとか言われてみんなビビってたから、たぶん私の推薦だとか言えば一発だよ。将棋で負けなしだったんだからねー、私』
と、楽しそうに。正直コイツがこの家で一番頭良いってのは信じきれてないが、目の前の奴らが目を見開いているところを見ると事実らしい。
「遺書、いくら探しても見つからなかったんだろ?土蔵の中にあったぜ。ちゃんと探さないとダメだろ」
まあ、これは嘘で。真理に急遽書いてもらったんだけど。
遺書に目を通すと、親父の苦虫を噛み潰したような顔が徐々に周りに広がっていく。
まあ後は時間の問題だろうと、満足気に踵を返して居間を後にした。
◇◆◇
「いやあ、気持ちよかったなー。いい感じに仕返しできた」
「でっしょー?さすが私。須藤家で一番頭がキレる人間、ってねー」
土蔵で二人ではしゃぎ回る。いやあ、アイツらのあのぽかーんとした顔とか。もう忘れられないわ。ざまぁみろ。
「でもね、タイセイ」
笑っていた真理が、急に真剣な表情に変わる。
「大変なのはこれからだよ?」
「わかってるわかってる。だからこれから、少しずつ色々なことを教えてくれよ。やらなきゃいけない仕事とか────」
何か、様子がおかしい。
真理の手が、俺の手首を握った。
「あのね、タイセイ。『これから』は無いんだよ」
「は?いや、何言ってるんだよ。ばか。そんなこと言って驚かせようとしたって……」
いつも笑い飛ばしてくれた、無駄にポジティブな返事が返ってこない。
「私さー。死んだって気づいたときに、いろいろ思い出したんだよ。私が自殺した情けない人間だったこととか、あの丘の二股松の話とか」
言葉が出ない。
コイツは今俺に、真剣な話をしていると。茶化すことは許さないぞ、と。頭の中で自分が、茶化そうとしている自分を羽交い締めにしている。
「あの松の話にはね、続きがあるの。願いを叶える機会を得て、その機会をモノにして願いを叶えた者からは……代償に、何か一つ松に捧げなくちゃいけない」
言おうとしてることが、なんとなくわかった。
「でもさ。今のタイセイ、失礼だけど持ってるものの方が少ないんだよ。だからそんなタイセイから、何かを奪うわけにはいかないから────」
「────元から居ない、この世にいちゃいけない私が。消えなくちゃ」
「ば、ばか。何勝手に決めてんだよ。まだお前に何も教えてもらってねーぞ。勝手に消えんなって」
「だーめ。私がいたらきっと、またタイセイをダメにしちゃうから」
手首から、真理の指が離れた。自然と涙が流れる。ああ、俺……泣いたのいつぶりだっけ。
「私は、変われるように背中を押しただけ。その先は、自分で歩いていかないと」
足元から消えていく。須藤真理という存在が消えていく。
「大丈夫、きっと出来るから。私が保証するんだよ?またダメになったら、承知しないからね。ほらほら、見送りくらい笑顔で頼みますよ、次期須藤家当主の須藤 大成君」
ああ、そうだ。こいつはいつも笑っていたから。俺に笑い返してくれたから。
俺も、別れの時くらい笑い返さないと。
「ああ、頑張ってやる。お前が当主になった未来より、もっと良いもんにしてやるからな。天国で待ってろ?色々聞かせてやる」
笑顔で、さようならと。手を振った。
† † †
蝉の声が懐かしい。
ああ、そうか。あんな事もあったなと。今になっても夏が来ると思い出す。
俺の事を失敗作だと言いやがる人間はもう居なくなり、みんながちゃんと俺と会話してくれるようになった。
二股に分かれた松にもたれ、大きなあくびを一つ。
夢を見よう。あの日の夏の夢を。
いつも笑いかけてくれた、名前のなかった少女の笑顔を。