序章「神様」
登場人物
・大和武
・鏑木信吾
・二階堂綾
・金平佳狐
家紋
・大和氏の二つ引両に対い立ち鶴
・千葉一族、鏑木氏の月星紋
・二階堂氏の三つ盛亀甲に花菱
・焔宝珠の紋
記述のある最初の神の降臨があったとされるのは西暦2100年。世界の中で小さな国土にも関わらず最も独自の文化を形成していた日本という国にである。
21世紀前半に前世の存在が立証されて以来、前世の記憶を手に入れる秘術を研究する機関が組織されたことがきっかけで、魂に刻まれた前世の記憶を取り戻すとともに謎のエネルギーによる奇跡の発現が度々起こることが確認された。超能力の実証研究の始まりである。
超能力が実証されるにつれ、超能力者が次々と人工的に生み出されていった。瞬間移動にサイコキネシスに透視能力……前時代的なものとして知られるそれらはメカニズムが解明され新たな科学として兵器開発へと進歩を辿る。やがて戦争に用いられるだけの有用性は、人自らが人の命を奪うことで証明してしまった。
気がつけば物理法則を捩じ曲げてしまう叡智の結晶は、戦争史を一変させるだけの力となっていた。そのために、どこかの国が使えば仕返しに使う国が出てくるということが繰り返され、各国がこぞってぶつけ合うようになるまでに然して時間はかからなかった。
荒廃する大地は作物を実らせず、海は血の色に染まり、煙で空も見えなくなった頃、そこに現れたのは着物を召して神々しいまでの光に包まれた一柱の女神であった。そして彼女による《最後の審判》は下された。世界の人口のおよそ七割程、50億人もの生きた人間が瞬く間に蒸発したのだ。対立する多くの国々の人間だけを消し去った大量《神隠し》として歴史に刻まれることになる。
消された人々は総て超能力を兵器開発することに関知した者達であった。そのことから後に超能力は神に逆らう禁忌とされ人々は戦争と兵器開発を廃止とする新しい時代を迎えていった。
世界を震撼させたその事件から戦争が事実上なくなっておよそ150年。真の平和が訪れたと思われた世界に次なる異変が起き始めていた。
近年、神の降臨が世界各地で確認されるのである。信じるものの違いは人類の歴史の中でなくなることなどなかったように、今度は神話で見たことのある神々による戦争が起きるのではないかと人々は囁き始めていた。
西暦2250年。世界の総人口は20億人となり、この地球における形而上学的な存在たちが人類の前に次々とその姿を現すようになってきている。
神と言えば空。空といえば天空城。そんな短絡的な思考から俺はぼーっと空を眺めている。
それは決して俺に限ったことではない。空に浮かぶあれを見て神を感じずにいられない奴がいるなら連れて来いってんだ。
《大黒天空城》──漆黒の日本家屋の立ち並ぶ空中要塞都市はいったいどういう原理なのか空を浮遊し続ける。
大黒天とは日本や中国だけでなくインドにおいても最上位の戦闘神として知られる。それがゆえに、突如現れたあの天空城には誰も怖くて近づけないのだとニュースで見たっけ、もう去年の話だ。
唐突に日本の上空に現れてもう一年もただ浮いているだけなのだから、見慣れてしまっているのは一般人の俺などからすればきわめて普通のことだった。
ぶっちゃけ神が現れたって人間の営みは変わらない。俺達学生の本分は勉強だし、社会人になれば就職もする……成績の悪い俺にそれが適うかどうかは別の問題ではあるがな。
俺の名前は大和武。なんだか惜しいねとよく言われるが放っておいてくれ。二つ引両に対い立ち鶴の家紋を背負う、大和家の放蕩息子と呼ばれ今は家族から離れ一人暮らしをしている15歳だ。生まれつきの眼光の鋭さからか誰も近付いては来ず、誤解ばかりを受けることの多いただの不良だ。
俺の出来ることと言えば虚勢を張るくらいなものだ。人に愛想良くなんて出来ないし、誰かに何かを期待することもない。逆にされるのは大嫌いときた。
そんな俺の前に神が現れたのだから本当に何が起こるかなんてわからない。
ただ、あいつを思い浮かべると俺は苦虫を舌先で転がした上でその後奥歯で感触を確かめながら磨り潰したかのような顔になってしまう。だから説明するのも面倒くせえし一言で言っておく──神なんてただのクソだ。
おかげでというか、そのせいで神通力を授けられた俺には人生最大の危機が訪れている──あれを見ろ。
俺の左斜め前に透明な姿をした霊体が浮いている。他の人間には見えず、俺にだけ見えるその姿は俺に向けコマネチのポーズをしている。
問題は、だ。
この霊体というのが俺の姿をしているということだ。ダサい……非常にダサい格好を毎日俺に向けてし腐っている。どうにも俺の魂は神と出会ったがために二つに分けられてしまったらしいのだ。多少の神通力をもらったとはいえ、俺はそれを使うたびに某かのダサいポーズをする羽目になる。ちっとも嬉しくない。
神というものは人間の望むものを与える存在ではない。少なくとも、俺の出会った神はむしろ嫌がらせを好んでいると確信している。悪戯好きの狐の姿をした──
7:30 a.mのアラームが鳴るとともに眼前に飛び出したホログラムの表示が点滅した。俺は左手人差し指に装着した操作具を振りかざしてアラーム表示をオフスライドすると歩き出した。
今日は4月8日。高校の入学式だ。遅刻魔の俺も遅れるわけにはいかない。
同じ制服の生徒がちらほらと見え始める。俺は小・中と地元がこの辺りだから同校だった後輩に当たる生徒たちも見かける。皆、一様に決められた学区を地元にエスカレーター式に通うのが倣わしだ。遥か昔の世は生徒の成績による競争によってわざわざ通う学校を選んでいたというが、それにより差別を助長させ戦争を引き起こしたという経験から改められたということらしい。今では制服には必ず自分の家柄を示す家紋が背中に描かれることが義務化されて以来、良くも悪くも目立ってしまうのが難点ではある。
15分も歩けばもう校門が見え始めた。桜の咲き誇る春の出迎えに入学式をもってくるのはこの国の文化として古来より変わりこそしないが、俺は郷愁を感じられて嫌いではない。
県立神明高等学校。俺の通うこの学校の掲げる主要テーマは「前世返り」。授業の多くは前世の自分を降ろして魂に刻まれた記憶から知識体系を組み直すという作業が中心となる。小・中学では義務教育による知識の詰め込みによってあぶれた劣等生の俺としては、ここで諸々取り戻せないならお先真っ暗確定千万というわけだ。
「なにぼーっとしてんだよ!」
後ろからバンと大きな音とともに体重の乗ったいい一撃が俺に放たれた。
「あぶ……な!……っっ!」
ぐらり。考え事をしていた俺は完全に油断していた。重心を置いていた右足首ががくりとギアチェンジしたかのように曲がり、意識もその衝撃に霞む。既につんのめった先には前を歩いていた誰かの背中が迫る。瞬間、俺の意識はぷつんと途切れた。
「アレ……?」
周囲がざわめいた。誰もが衝突を避けられないと思って息を飲んだその瞬間に俺の姿は掻き消えた。そして。ぶつかるはずだったその男の正面に立ち塞がるようにして現れた──コマネチ姿を思いっきり決めた状態で。
「うお!」
突如目と鼻の先に現れた俺に相手の男はびっくりして仰け反るような動作で避けようとするもぶつかり一緒に倒れる。
「いててて……」
俺は先に立ち上がると、すぐさま彼に手を差し出し引っ張り上げた。
「あたー、何が起こったんだ……」
「悪いな……って鏑木か。なるほど──てことはあいつのせいか」
鏑木信吾。月星紋を背負う千葉一族に端を発する名家の長男で、幼馴染みだ。当たったのがこいつで助かった。危うく俺の秘密がバレるところだった。俺は転ばされたそもそもの原因たる人物を鏑木に目線で指し示してやった。
「綾ぁ、てめぇ!!」
「にひひ〜……メンゴメンゴ」
鏑木はわなわなとした怒りのボルテージを徐々に上げながらニヤニヤしながら謝る女の方ににじり寄っていく。
二階堂綾。こいつも二階堂家は三つ盛亀甲に花菱の家紋を背負う長女で幼馴染み。家が近いという理由で昔からつるんでいる腐れ縁の二人目だ。
「だいたい男のくせに軟弱すぎるのよ、そのくらいで倒れるなんて……ってあれ? あたし、ヤマトを殴らなかった? シンゴだったっけ?」
「だからよーなんでいつもいつも……」
言っても聞かない女。それが綾だ。俺はとうの昔に悟っているからなるだけ刺激しないようにしているのだが、この二人の絡みは小中高ともはやどこへいっても夫婦漫才として名物化してしまっている。周囲のざわめきもやがて見慣れた喧噪に対する苦笑いへと変わっていく。
「クラス発表の張り出しってどこか知ってるか?」
鏑木は校門を入ってあちこちに張り出してある掲示物に目を配る。ホログラムを呼び出して検索をかけているようだ。掲示物の中からデータを洗い、絞り込みをかけている。それに釣られて綾も周囲を見回し始めた。そこここを歩く生徒達は皆一様に同じ行動を取っている。
仕方なく俺もプログラムを起動させて生命反応が一番集まっているポイントを検索する。
「あっちに人が多く集まっている場所がある。たぶんあそこだ」
「ちぇ、ずりーよな。OS書き換えたらより使いにくくなってよー困るぜ」
「自動化が進んでるからな。仕方ねえだろ」
「へーそうなんだ。私は機械音痴だからよくわかんないなー」
「綾みたいな奴のための自動化なんだから気にするな」
「ふーん、じゃあいっか」
赤外線感知がついているのは一つ前の旧式のモデルで、わざわざモニター用のコンタクトレンズを片目に入れる必要がある。俺はたまたま左目だけ視力が悪かったのでこちらの方が都合がよかっただけだ。対する新式には物理的な距離を即座に数値化してモニターする機能が備わっているから容量を考えれば皆、授業などで板書や資料のコピペのし易いホログラム寄りにアップデートしていくのは当然と言えた。
「見て見て! 早く!」
ごった返す掲示板の前。何をそんなにはしゃぐ必要があるのか、昔から見知った顔ばかりが集まる人だかりの前で、不憫にも綾がぴょんぴょん跳ねながら日本語の名前の羅列から自分の名前を探しているようだった。
だがさすがに背の低い女子ではこれだけ多くの人がいると掲示物が見えないらしい。ホログラムも皆が一様に立ち上げまくっていて見えにくさはここに極まれりといった感じだ。
「もっと大きく掲示物を張り出せってんだ」
「面倒くせーな、まったく。『スコープ』」
鏑木の言うことは尤もだと思いながら俺は左目のスコープ機能を音声入力で立ち上げる。こうやって遮蔽物が多くなった環境では自動よりも専ら手動の方が実用的となることが多分にある。俺が容易にアップデートしない理由でもある。
「鏑木信吾……1-D。二階堂綾……1-D。大和武……1-D──なんだ、全員また一緒かよ」
俺が読み上げていくと、綾がそれを聞いて歓喜の悲鳴を上げる。
「きゃー、やったね! また一緒だよ〜」
「もう俺達三人はセットで括られてるのかもな」
そう言って鏑木は拳を前に突き出した。俺もそれに合わせてがっと拳をぶち当てる。綾は昔と変わらず同じようにそれを見て微笑んでいた。
この関係がまた高校も続くんだなあと噛み締めながら俺は「教室行こうぜ」と促して校舎へと入っていく。
教室は下駄箱を入ってそのまま一階の廊下をまっすぐ進むとぶつかる教室A組の三つ隣だ。おろしたての上履きの固さが取れていない新鮮さは趣を感じて何だか浮き足立った気持ちになってしまうのが気恥ずかしい。それを見抜いてか鏑木は俺の上履きを何とはなしに踏みつけてくるから俺は膝蹴りで応酬する。するとそれに気付いた綾も鏑木の頭を叩いた。そしてそれに抗議した鏑木と綾とで再び痴話喧嘩が勃発する。
そうやって廊下をわーわーと騒ぎながら俺達三人はD組へと向かった。
A組の教室の前を通った時点で既に気付いていたが、D組の教室の扉に男女の名前が混ぜこぜになった名簿が張り出されている。
俺の隣で鏑木が呆れたといった感じで呟いた。
「なんだよ、教室に張り出されてたのかよ」
「しかも席に名前が振ってあるしね」
「…………」
それぞれ自分の教室に入室していく新一年生の波に倣って俺達も席についていく。
教室は初めて会う顔ばかりということもないので、軽く自己紹介をしたり世間話などでざわめいていた。俺は別段、幼馴染み以外の人間に興味は湧かなかったのでただ教室を眺めていると、何人かは人見知りなのか人嫌いなのかじっと席についたまま動かない人間もいるようだった。人それぞれというやつだ。
やっと入学式のための引率に担任らしき教師が教室に入ってくるのに10分はかかった。その後、すぐにぞろぞろと校舎の中を各クラスずつが移動していく恒例な運びとなって体育館へと誘導されること5分。あっという間に体育館には全校生徒500名程が詰め込まれていき、ざわめきはもはや振動となって会場を震わせているようだった。
用意されたパイプ椅子に座って皆一様に周りを眺めていると、俺にとっては極めて個人的な、そして腹立たしい姿が視界の先をすたすたと歩いていくのを見かけてしまう。
「『スコープ』」
俺の左眼にははっきりと見える。全身白銀の毛皮に包まれて狐の面を被った銀髪の女。頭からは尖った耳まで生やして大きな尻尾を九本、上機嫌に振り回している。
──くっそ! なんであいつがここにいやがる!?
流し目。絶対に俺の方を見ていた彼女は何食わぬ顔で仮面をずらして笑う素振りを見せて教師の列に並んでいく。
俺は牝狐の存在が気になって仕方なかったが、入学式が始まるのでとりあえず視界に入れたまま状況を見守ることにする。
あれだけ煩かった人の声は一切止んで儀式的な立ち居振る舞いの教師と生徒代表達の挨拶が次々と執り行われていく。
脳が痺れるくらいに待ち詫びた閉会の辞が行われると途端に会場の空気が緩んでざわめきが戻って来た。
「……それでは新任の教師を紹介します。金平先生どうぞ」
マイクでの紹介とともに壇上に上がったのはあろうことか牝狐だった。途端に喧噪はまた静謐な空気に変えられてしまう。何せ神だ。人々をかしずかせる力が彼女にはある。
「はじめまして。保健室の、養護教諭として赴任しました。金平佳狐といいます。よろしくお願いします」
深々と辞儀までして白々しい。その姿を見送るしか出来ないことに俺は親指の爪を噛んで苛立ちを抑えていた。
常人の人々の目には小綺麗な保健の先生が現れたことだろう。だが俺の目には単なる牝狐としか映らない。先程の衝突で今は俺の右斜め後ろに浮遊するもうひとりのダサい俺が生まれたのは、あの牝狐が俺に何か得体の知れない変な力を与えたせいだ。俺は未だにそれに納得していない。あの神出鬼没女をついに捕まえる日が来たのだ。
「待て!」
我慢しきれなくなった俺はパイプ椅子から飛び上がり、走り出していた。金平は一瞬だけこちらに視線をやるとそのまま無視して行ってしまう。
「待てって言ってんだろ!」
周りにいた教師達も驚いた様子でこちらを窺っている。
「……仕方のない子ね」
狐の面に右手を翳す。光と化した魂魄が周囲から集められていくのが俺にはわかる。そして神具である仮面を外すと焔宝珠の紋が宙空に現れて、集めた魂魄を飛散させていく。鈴の音が鳴ったかと思うと周囲の教師、そして生徒など彼女を知るところとなったものへの奇跡は呼吸をするその肉体へと取り込まれていく。
かつて俺の魂は一つであった。だがそれをあいつに二つに分けられてしまったがゆえに面妖なことになってしまった。あいつが何かする度に魂がざわめいて落ち着かないのだ。あいつは遠くにいながら近くにいて、ずっと揶揄っている節がある。俺にはそれが許せない。
「我を崇めよ、人間。我は白面金毛の九尾ぞ」
悪戯めいた笑みを浮かべると言霊の力で以て俺の動きを精神面から干渉して止めてしまう。そして彼女の周りにいた教師達は皆、かしずいて膝を折り彼女のための道を作った。
「──なんてね。ふふ……用がある時は保健室に来なさい」
そう言って彼女の通った後には桜の花弁達もが狐神の門出への祝詞であるかのように輝かしい風となって彩っていった。万物の総てが神のためにあると言われているかのような力の流れに俺はただ圧倒されて立ち尽くすしかなかった。
──悔しい。
だが、それは頭で整理した俺の気持ちに過ぎない。本当は、この奇跡の力に俺の感情は慶び、他の教師たちと同じように、かしずいていたに違いなかった。事実を捩じ曲げるから奇跡。俺はこんな力が大嫌いなのはずっと変わらない。
「俺は……負けない」
神だろうと何だろうと俺の心まで変えられたくない。俺の心は俺のものだ。誰にも侵されてはならない。
体育館から学舎へと通じる渡り廊下を舞い散る桜を前に、未だ動けぬまま俺の心だけが逆巻いていた。