契約
「君はもう、生きられないよ・・・。」
悪魔のささやきが僕の耳元を掠める。トリカエシノツカナイコトヲシテシマッタ・・・。後悔が僕の頭をよぎる。何であのとき姉さんの言うことを聞かなかったんだろう。何であのとき家出をしてしまったんだろう。
僕は悪魔に魂を売ってしまった・・・。
五月のある日僕は町を当てもなく歩いていた。ふくろうの声が聞こえる。もう夜だ、帰らなくちゃ。理性はそう語りかけるのに、体がついていかない。姉さんとけんかして家を飛び出してきたから。
僕は雨野知寿。中一だ。
僕の家には両親はいない。いつの間にかいなくなっていた。でも僕はいやじゃなかった。あの日までは。
その日、学校で友達と、家の話をしていて、家族の話題になった。
「お父さんは何をしているの?」
クラスの子が話しかけてきた。
「いない。」
僕がそう答えると、
「じゃあお母さんは?」
と聞かれた。
なんで僕の感情を揺さぶるような質問をするかな。
「いないよ。」
「え?」
突然クラスが水を打ったように静まり返った。
「いないって言ってんだろ。なんども繰り返させるな!」
そのとき、先生が入ってきたから、大変。
「雨野君、あやまりなさい!そんな口調で話していいとおもってるの?何があったか知らないけど。」
ああ、最悪。確かに僕も悪いかもしれない。でも、僕だけが悪いっていうわけじゃないだろ?何にも知らない先生に口出しされたくない。
その日、僕は職員室に呼び出された。
「雨野君、どうしてあんな口調で話したの?
あなたはそんな子じゃないでしょ?」
これだから大人っていやだよ。自分の思い通りになると思っていて、自分の思い込みで子供を縛り付ける。
「理由を言わなきゃいけませんか?
これから僕、用事があるんですけど。」
先生は驚いた様子だった。
「あら、あなたなにか習い事やっていたっけ?」
「違います。これから夕食の支度をしなければいけないんです。
姉さん、帰ってくるの、遅いから。」
先生は、瞬きを何度かして、いいわ、とだけこたえた。
「失礼しました。」
そう言って職員室を飛び出す。走って家に帰ると、姉さんがいた。
帰ってくるの早いな。
「姉さん?」
「仕事、なくなった。もう来なくていいって。ねえ知寿、どうしたらいいの?」
そんなの、僕にもわからない。
それから、家は授業料を滞納するようになった。
「雨野。また滞納か。いい加減にしてくれよ。」
毎日、そういわれた。
そしてある日、それに嫌気が差した僕は、学校を抜け出した。
「雨野、待ちなさい!」
先生の声が聞こえたけれど、無視。そして、走った挙句、見知らぬ公園に着いた。
「わたしは悪魔。君の魂と引き換えに、願いを聞き入れよう。」
僕はうなずいた。
「どんな願いがいい?」
「姉さんに、仕事を――。」
なぜか両親がほしいとは思わなかった。
そして僕の意識はとぎれる。
「知寿、おきなさい。学校に遅刻するわよ。」
姉さんの声がする。僕は悪魔に魂を売ったはずじゃ・・・。
「はーい。」
僕は返事をして、下に降りていった。昨日のは夢だったんだ。そう思おうとしながら。
「もう、びっくりさせないでよね。学校から出て行ったって連絡があったと思ったら、公園で倒れてるって言われるんだもん。
でも、無事でよかった。」
姉さん、今日はなんか機嫌がいい。そう僕が言うと、
「だって仕事が見つかったんだもん。」
やっぱり、昨日のは夢じゃなかったんだ。
「じゃあ、行ってきます。」
僕がそういうと、姉さんは、
「昨日の公園には行かないでね。」
とだけ言って、見送ってくれた。
もちろん、僕は二度と行くつもりはなかったけれど。
その日の放課後、僕は悪魔に昨日の公園に来るように言われた。
「いやだ。」
「じゃあ君の姉さんの仕事がなくなってもいいのか。」
それもいやだった。
「じゃあ、今日の四時に昨日の公園に。」
「まって、僕、あの場所知らないよ。」
悪魔はにやり、と笑った。
「わたしの手下に案内させる。三時五十分くらいに君の家の前に送る。」
そして、悪魔は去っていった。
家に帰っても、誰もいなかった。三時五十分くらいまで、一人で待っていた。それは永遠に思える時間だった。
きっかり三時五十分。家のチャイムがなった。
「雨野君。」
僕は出て行った。
「僕は雨野君を迎えに来た、悪魔の手下。」
「本当か。
じゃあ、悪魔の名前は?」
そいつは答えられなかった。
「じゃあ、お前は偽者だな。」
「・・・。どうしてわかったの?」
そして、変装をといた。
「姉さん!」
「ねえ、あの公園に行かないで。」
僕は事情を話した。
「僕のせいで、姉さんが仕事を失うのはいやだ。
なら僕は、姉さんを救いたいんだ。」
「雨野君。」
声がした。
「悪魔の名前は?」
そいつは答えることができた。
「じゃあな、姉さん。」
そして、僕はあの公園へ向かった。魔物の先導を見失わないようにしながら・・・。
公園では、悪魔が待っていた。
「君はもう、生きられないよ・・・。」
その声が耳元を掠めた瞬間、僕は後悔の念におそわれた。
どうして、姉さんの声を聞かなかったんだろう・・・。
僕は悪魔に魂を売ってしまった・・・。
「さあ、君はもう、地獄行きだ。ゆっくり反省するんだな。」
悪魔の声が遠くに聞こえる。そして、意識を失った。
「知寿。わたしはあなたに生きていて欲しかった。」
そう、今日は僕の葬儀の日。
姉さんごめんなさい。
「雨野。お前がそんなに思いつめているとは知らなかった。ごめんな。」
先生、すみません。
「雨野君。一言いってくれればよかったのに。」
クラスのみんな、ごめん。気がつくと、後ろに悪魔がきていた。
「どうだい。自分の葬儀を見る気分は」
そして、またにやりと笑う。
「雨野知寿をただいまより地獄に送ります。受け取りたまえ、閻魔様。」