わたしにもお姫様に憧れていた時期がありました
第二章 わたしにもお姫様に憧れていた時期がありました
もう一度お姉ちゃんが作った、チョコレートとピスタチオと木苺のケーキが食べたい。
この光景を前にしたら、そんな思いが浮かんできました。
だって目の前に魔物がいるんです。
三百六十度どこから眺めても魔物です。
裂けた口。
六枚の翼。
四本の腕。
天使さんだったらいいのですが、こんな強面の天使さんはいらっしゃらないでしょうね。
「お待ちして居りました、魔王様」
思考がフリーズしました。
魔王?
魔王って言いました?
魔王って誰のこと?
いや、魔王がいる世界って何?
ここどこ?
あなた、誰?
いやいや、まずは落ち着きましょう。
現代のクリスティーと呼ばれる、わたしの推理力を以てすれば、この状況を分析するのも容易です。
恐らく、目の前の御仁は魔王の手下です。
魔物らしい風体からして、間違いありません。
そしてこの場所は、魔王の居城でしょう。
気が動転していましたが、よくよく観察しますと、明らかに中世西洋風のお城。
しかもかなり朽ちていますし、槍を持った骸骨さんやら、角の生えたメイドのお姉さんやらがいます。
何故かコウモリさんも飛んでいて、どこからか謎の悲鳴も聞こえてくる。
素晴らしく悪の巣窟です。
そして目の前の魔王の手下さん(仮定)は、わたしに向かって「魔王様」と言ってきました。
これはきっと、魔王として異世界に召喚されてしまったパターンです。
その流れで「勇者達を倒してください」みたいなことを言われるパターンです。
一介の小学生に、何を期待しているんでしょうか、この木偶は。
しかし、予想が外れている可能性もあります。
寧ろ外れていてください、お願いします。
「あ、あの・・・魔王様って?」
「あなた様で御座います、魔王様」
しれっとぬかしやがりました。
四本の腕を組んで、傅かれても怖いです。
「よく分からないんですけど、あの・・・わたし、もう帰らないと。お姉ちゃんが待ってるんです」
嘘ではないです。
お姉ちゃんの手作り和風おろしハンバーグが、わたしを待っているのです。
気弱で怯えてる少女を演じるので、どうか見逃してください。
「ここは魔界。勇者に拠り、存亡の危機に瀕した世界。あなた様はその世界の救世主となるべく降り立たれた。総ての魔物、総ての悪魔、総ての悪しきものはあなた様のお味方。さぁ、か弱きものらに、救いの手を」
話を聞いてくれない御仁でした。
この手のタイプが、一番扱いに困ります。
そんな、父親がゴールデンウィークに連休を取れたと聞いて、行き先を聞く前から、海外に行けると期待する子供の目はやめてください。
お姫様に憧れる女の子は多いと思いますが、魔王に憧れる女の子は少数派だと思うんです。
居ないってこともないでしょうけど。
今回はご縁がなかったということで―
「御免なさい、あの・・・わたし、魔王はちょっと・・・おうちに帰りたいんですけど、どうやったら帰れるんでしょうか」
「おお!勇者を滅ぼしてくれるとの、その勇ましきお言葉!胸が震えます!」
次のお誕生日には、補聴器を送りますので、どうか、家に帰してください。
話を聞かないというか、単に極度の難聴なのでしょうか。
見た目ではとても、年齢が判別出来ません。
「押し寄せる勇者の数は六十億人。然れど、魔王様の御威光を以てすれば、万事滞りなく進みましょう」
は?
は・・・え?
六十億人?
あ、聞き間違えですね。
いやー驚きました。
六十六人って言ったんですよね、絶対。
ろくじゅうおくにん。
ろくじゅうろくにん。
六十六人なら大したことないですけどね、いや、魔王なんてお断りですけど。
でも、一応聞いてみましょう、自分の耳がおかしくないか、確認しないと。
「ろくじゅうろくにん、ですよね?」
「六十億人で御座います」
見事な滑舌でした。
きっと、魔物になる前はアナウンサーをやっていたに違いありません。
六十億人って地球上の全人口に近いんですが、勇者さんってそんなにいるんですか。
わたしには関係ないことですが。
「あの・・・元の世界に戻る方法なんていうのは」
「勇者を倒すご決心をなさったのでは?総ての勇者を打ち倒さねば、元の世界に戻ることは叶いません」
わたしとしたことが、その可能性を見落としていました。
これは総ての勇者を倒し、最高の結末を目指す物語なのです。
魔王視点で。
総ての勇者って六十億人ってことですか。
隕石でも降ってきたら、早いんですけどね。
魔物と悪魔も一緒に消し飛びますが。
勿論、わたしも。
ということは、もしかして勇者さんを倒す以外の選択肢が存在しないんでしょうか。
ここで話を断って、目の前の魔物さんの夕食になる選択肢もありそうですが、それだけは嫌です。
それに比べたら、魔王をやりつつ、元の世界に戻る手段を探すのが妥当でしょうか。
元来、ものぐさで年中やる気が不足しているわたしですから、魔王なんて至極面倒でしかないんですが。
それでも甘いものと美味しい紅茶があれば、生きていけるかも知れません。
魔界にはなさそうですが。
そもそも、ちゃんと食べられるものがあるか不安です。
魔界で餓死なんて、洒落にもなりません。
お夕飯の後に召喚してくれたら、良かったのに。
時計がないから時間が分かりませんが、お腹はお夕飯を激しく所望しています。
「魔王のお話は置いといて、何か食べるものはありませんか?お腹が空いてしまって」
自分から言い出すとは、恥ずかしい娘です。
「あぁこれは!気が付きませんで、申し訳ありません。お食事の用意は出来ております。それから湯殿と寝所の用意も整っております」
流石に魔王だけあって、厚遇です。
お夕飯のメニューなんでしょう。
お風呂掃除しなくて良いなんて、生きていて良かった、ホントに良かった。
ベッドは一人で寝られるなら、それで何も言いません。
姉と一緒にシングルサイズは窮屈です。
まさかの、和風おろしハンバーグでした。
しかもお姉ちゃんのより美味しいし。
姉は料理の才能皆無なので、当然ですが。
食後にレアチーズケーキとダージリンが出たのも驚きました。
悪くないじゃないですか、魔王。
お風呂も広いし。
行儀が悪いと知りつつ、あれだけ広いと、やっぱり泳ぎたくなります。
カナズチですが。
人は泳げる様に出来ていません。
鮫に襲われたらどっちにしろ終わりです。
魔王はか弱いのです。
色々ありすぎて、今日は疲れました。
このベッドならぐっすり眠れ・・・お姫様が好む様な、天蓋が付いているのは、どうかと思います。
それになんですか、この寝巻き。
あのサタンさんが用意してくれたものですが(名前はお夕飯の時に聞きました)趣味を疑います。
ひらひらの生地に、ピンクとホワイトのツートンカラーでロングスカート。
これじゃまるでお姫様じゃないですか。
こういうのは、ちょっと・・・
このとき既に、魔王としての自覚が芽生え始めていたのです(通りすがりの魔王さん談)
下着はメイドのお姉さんが用意してくれたそうですが、これから先やっていけるか不安な部分が見え隠れしています。
作り笑顔と天性の猫被りで何とかしますが。
そういえば、寝るときに部屋に鍵をして欲しいってお願いしたんですけど、どうなったんでしょう。
いや、だって、あんな方々と同じ屋根の下で眠るとなると、部屋に鍵くらいはして頂きたいです。
当然の主張です。
「魔王様、準備が整いました」
急に扉の外から声をかけられ驚きましたが、どうやらメイドのお姉さんらしいです。
「準備?何の準備でしょう?」
くすっとお姉さんが笑ったのが、聞こえました。
何かおかしなことを言ったでしょうか。
「魔王様が部屋に鍵を、とご希望されたそうなので。結界を貼らせて頂きますね」
流石は魔界です、行動が読めません。
結界なら鍵より厳重ですね。
っていうか、結界を貼る前に聞きたいことが、一杯あるのですが。
―扉の隙間から虹色の光が漏れ、光はほとんど一瞬で消えてしまいました。
急いで扉に駆け寄り、ドアノブを回してみますが、開きません。
「閉じ込められた・・・?」
朝になれば開けてくれるのかも知れませんが、一つ大きな問題があるのです。
非常に、非常に重大な問題が。
「・・・おしっこ、いきたい」
この部屋には時計があります。
現在二十三時(魔界時間)
朝まで我慢出来るかな・・・
第三章 地獄の業火に未来永劫、焼かれ続けるが良い! へ続く