奇妙なやり取り
友達とバイバイをして数十年。
私はもうすっかり歳をとっていました。結婚をして子供を儲け、今ではもう定年を過ぎて職もなく、去年の夏からは、めでたくおじいちゃんになりました。
残念なことと言えば、今まで苦楽を共にしてきた仲間も次々とこの世を旅立っていることです。最近時の流れとは早いものとしみじみ思います。
しかし、今でもあの友達との奇妙なやり取りは続います。このやり取りの仕方を、なんと言えばいいのか分かりません。
仕事を辞めてからは、朝になったら必ず外に出て、盆栽の手入れを欠かさずやるようになりました。
そして必ず空に話書けるのです。
「おはようございます。今日はよく晴れていて気持ちがいいですね。昨日は町内会で……」
「あなたー。手紙が届いているわよー」
家内に呼ばれて居間へ行くと、こたつの上に置かれた白い封筒。差出人は書いていません。まだ新婚だった頃、家内は差出人が書いていない手紙を不審に思い、私に何度も「大丈夫か」聞いてきたことでした。しばらくして、もうどうでもよくなったのか、今ではもうすっかりそんなこともなくなって、毎日新聞を取るような感覚で私に寄越してきます。
バリバリ働くサラリーマンの頃は空を見ることも忘れ、あまり空に話をかけることもなくなってしまったのでが、時々上を向いて小さな声で呟きました。
私が仕事で何を見、何を学んだのか、子供とはじめてキャッチボールした時の喜び、夫婦喧嘩や愚痴などを青い空に投げかけていました。私にとって、こっぱずかしかったり、誰にも言えないことばっかりです。
でも、友達にだけは話しても良いと思ったのです。まだ一緒に遊んでいた頃、二人だけの秘密というのを私はとても大事にしていました。「君だけに教えるね」。この言葉が友達と私を繋いでくれる証のような気がしたのです。私は取り替えのきかない人間なのだと子供ながらに思いました。それは今でも変わりません。大好きな友達の中に私がいるのは大きな喜びです。なので友達が手紙をくれるとは私の心の支えなのです。
友達はどういう手段で手紙で返答をしたいるのか、私には皆目検討がつきません。それに手紙の内容は全て私が話したことへの感想や助言で、友達は自分のことを話してくれたことは一度だってありません。最近はほぼ毎日空に話しているので、その折手紙が来るのですが、なんだか一方的な気がして最近申し訳なくも思ってしまいます。
しかし、今日の手紙はいつもと違っていました。