7話『夜会へ向かう馬車の中で』
車輪の軋む音が、夜の街道に響いていた。
窓の外では、灯りの点々が流れていく。
対面の座席に座るレオニスは、目の下にうっすらと影を落としていた。
きりりと整った顔立ちも、今夜は疲労の色が隠せていない。
……完全に寝不足だな、この人。
私は思わず眉をひそめた。
昨夜、ソファで寝ていたはずの自分をベッドへと運んでくれたのはレオニスだろう。(というか他にいない)
かわりに自分はソファで寝たけど、寝れなかったのね。
なのに今日は夜会――リディアと再会再熱一大イベント。
そんな顔で大丈夫なの!?
「……閣下、少しお疲れのようですが?」
「……問題ない」
「いやいや、どう見ても問題ありますよ」
もう返事をする気力もないのか、レオニスは軽く眉を寄せただけ。
私は腕を組んで考え込んだ。
ダメだわ、あの顔じゃリディアにも響かないし、そもそも意識朦朧でリディアが見えない可能性すら出てきた。
あっ!
そうだ!!
私は思い切って隣に座り直す。
レオニスがわずかに目を細めた。
「……何をしている」
「はい、ここで寝てください!」
「は?」
「大丈夫です、ほら、膝! 使ってください!」
私は自分の太ももをポンポン叩いた。
馬車の中に、ぽかんとした沈黙。
「……何故?」
「 疲れてるでしょう? 少しでも休んでください!」
レオニスは額に手を当てた。
「……窓に身を寄せて寝るからいい」
「そんなんじゃ寝れないでしょう! 帰りもしてあげますから!ほら、遠慮などせず! 熟睡出来ますよ!?」
そうよ、ここでしっかり寝てもらって、夜会で再会したリディアとシャッキリとした意識でラブ再燃してもらわないと!
そしたら私は自然にお役御免! 完璧じゃない!?
そんな魂胆が見え見えなのかどうかはわからないが、レオニスはため息をつく。
「……何を企んでいる」
「いえいえまさかっ! ただの思いやりです!」
「……本当に?」
「ええ! さあ、寝てください!」
観念したように、レオニスは小さく息を吐き、「じゃあ……少しだけ」と言って身体を傾けた。
よぉーしよし!
頭が膝に触れた瞬間、変な緊張で背筋がピンと伸びる。
ここで失敗だけは絶対に出来ない!
馬車の揺れに合わせて、レオニスの呼吸がゆっくりと落ち着いていく。
その横顔は穏やかで、眠っているようだった。
(……寝た? 寝た?)
そっと覗き込む。
長い睫毛が頬に影を落としている。
――こうしてみると、造形が美しすぎる。さすが主人公。
バカな事を考えていたその瞬間、馬車が石畳を叩いて揺れた。
その衝撃で、レオニスの頭が少し沈む。
「っ……!」
反射的に彼の頭を両手で支える。
起きちゃう!!
そのまま息を呑んだまま、動けなくなる。
く、苦しい。この体勢。
*
馬車が止まり、御者の声が響く。
「ご到着でございます」
外から音楽と人々のざわめきがかすかに漏れていた。
煌びやかな宮廷の夜。
レオニスはまだ眠っている。
「ねぇ、まだ時間はありそう?」
「早く着きましたので、まだ余裕はあります」
「そう、じゃあもう少し待って」
自分のせいでこんな事になってしまったことに胸が痛む。
いや、私じゃないけど。
セレーネがやった事は、この物語の中では今の私のせいでもある。
他人事ではない。
セレーネが裏で手を回して2人を引き裂いたのは事実な訳だし、そのやり方には納得がいかない。
この物語の最大の被害者は、レオニスなんだ。
ゆるやかに流れる時の中で、私は感慨深くレオニスの寝顔を見つめる。
こうして穏やかな時の中に身を任せていると、このままでもいいような気分になるから不思議だ。
いやいやいやいや、そうじゃなかった。
あんな夜を過ごすのも御免だし、そもそも私が手を貸さなくても2人は元鞘に戻るわけだし、処刑されるの忘れてたわ。
「奥様、そろそろ……」
「ありがとう」
私は慌ててレオニスの肩を軽く揺する。
「閣下、着きましたよ」
「……ん」
ゆっくりと瞳を開けたレオニスは、まだ少しぼんやりとした様子で姿勢を整える。
「よく寝れていたようです、ご気分はいかがですか?」
「ああ、良くなった」と、よそよそしく礼を言って、先に馬車の扉へと向かった。
私も続いて立ちあがろうとする――が、その瞬間。
「……え、あれ?」
足が……動かない。
見事に、痺れていた。
膝枕をしていた脚が完全に機能停止。
ピリピリとした感覚が足元から這い上がる。
外で待つレオニスが不思議そうにこちらを見る。
「どうした?」
「えっと……先に向かってください!」
「先にだと?」
無表情のまま、あきれたようにまた馬車に乗り込んできた。
「どうかしたのか?」
「……」
「馬車酔いでもしたのか?」
「いえ、その……足が……ちょっと……」
「足?」
私は、しぶしぶ正直に白状した。
「えっと、……痺れちゃいまして……」
レオニスが目を丸くする。
そして。
「……ふっ」
低く、押し殺したような笑い。
次の瞬間には、それが静かな笑い声へと変わっていた。
「くくっ……」
「な、なんで笑ってるんですか!?」
「いや……悪い」
「そんなに笑わなくても!!」
「俺のせいだな」
そう言って、レオニスは私の前にしゃがみこんだ。
「えっ、ちょっ!?」
腕を伸ばしたかと思うと、次の瞬間、私の身体がふわりと宙に浮いた。
「なっ……!?」
「控え室で少し休むといい。ここでは邪魔だからな」
「いやいや!歩けます!歩けるってば!!!」
「歩けないだろう」
そのまま私を軽々と抱き上げ、馬車の段差を一歩で降りる。
周囲の従者たちが一斉に目を見開いた。
「……大公様……!?」
私は恥ずかしくてレオニスの肩に顔を伏せる。
会場がざわめく。
そんなものはお構いなしに、レオニスは一言も発さず、そのまま堂々と会場の奥――控え室へと進んでいく。
案内されたのは、大公専用の控え室――扉が開けた瞬間、私は思わず息を呑む。
控え室とは思えないほど豪奢な部屋だった。
って、
「……ちょっと、ベッドまであるんですけど!?」
「当然だろう、何を言ってるんだ」
レオニスは当たり前のように答え、そのまま私をベッドの上にそっと下ろした。
「ちょ、ちょっと!? 」
「ちょうどいい、俺もまだ寝足りない」
言うが早いか、ためらいなく隣に腰を下ろす。
「えっ、ここで!?」
「他にどこがある」
た、確かに……。またソファで寝ろとは流石に言えない。
私がソファへ、と言いたいところだけど、まだ下半身の感覚が戻らない。
「今寝たら夜会が終わっちゃう」
「そんなすぐには終わらない」
「いやいやいや! そういう問題じゃ―ぎゃっ!?」
抗議の途中で、あっさりと抱き寄せられ、腕の中に閉じ込められた。
なんでぇぇぇぇ!?
「……この香りは落ち着く」
「えっ」
「香水を変えたのか?」
心臓が跳ねた。
な、なんだ。香水のせいか。
「い、いつもの香りがきつくて……変えただけです」
「……そうか。眠くなるな、この香りは」
その言葉と同時に、
レオニスの腕が、もう一度強く私を引き寄せた。
え、え、え!? ちょっと!?
「ドレスが乱れてしまいますっ」
「構わないだろう」
「か、構うでしょう! このあと夜会が――」
「夜会など、後で俺だけ顔を出しておく」
はぁ?アンタが来いって言ったんでしょう!!
「レオニスがっ……」
私の抗議を遮るように、レオニスは額にそっと唇を落としてきた。
?
「……おまえも、少し休め」
時が止まる。
え?
頭の中で警報が鳴り響く。
な、なんで!?!?
な、なんか全部裏目に出ている気がしてならない。




