補足
月夜の再会、数千年の恋
あの日、世一の拳が宝玉を砕いた瞬間。
世界は消滅したのではなく、神という「支配システム」だけが崩壊したのだ。
神々は肉体と万能の力を失い、ただの「意識」の塊となって、彼らが作った六道輪廻の渦へと放り込まれた。
かつて絶対者であった大神は、その運命を受け入れられなかった。
「なぜ余が!」「神に戻らねば!」
その執着は鎖となり、彼は虫へ、獣へ、あるいは名もなき草へと転生を繰り返した。
強者に食われ、踏まれ、枯れる恐怖。世一が言った「自分で生きる世界」の過酷さと理不尽さ。
終わりのない生存競争の中で、かつての神の精神は悲鳴を上げ、摩耗し、やがて誰であるかも分からぬほどに壊れていった。
一方で、元・天照、今の結は違った。
彼女の魂を繋ぎ止めていたのは、過去の栄光への執着ではなく、たった一つの「約束」だったからだ。
(必ず、会いに行きます――)
彼女もまた、何度も死に、何度も生まれた。
ある時は戦乱の世の村娘として、ある時は道端に咲く花として。
記憶が薄れそうになるたび、あの日の煙草の匂いと、ぶっきらぼうな優しさを思い出し、魂に刻み込んだ。
そして、時は流れ――現代。
コンクリートのジャングル、東京。
ビルの谷間を、一人の男が疲れた足取りで歩いていた。
月神 世一。
どこにでもいる、しがないサラリーマンである。
彼には前世の記憶など欠片もない。かつて世界を壊し、神を殴り飛ばした大悪党の面影は、その名前と、なぜか満月を見ると落ち着くという癖に残るだけだった。
「はー……今日もついて無いな」
仕事でのミス、満員電車の疲労。
世一はネクタイを緩め、ふと夜空を見上げた。
そこには、ビルの明かりにも負けない、煌々とした満月が浮かんでいた。
その光を見た瞬間、胸の奥のざわつきがスッと消えていく。
「……あ~、今日は月が綺麗だ」
独り言のように呟いた、その時。
「こんばんは」
背後から、鈴を転がすような声がした。
世一が振り返ると、そこに彼女がいた。
長い黒髪、白い肌。現代的な服装をしていても隠しきれない、神々しいまでの透明感を持つ女性。
彼女は、震える手を隠すように後ろで組み、泣き出しそうなのを必死に堪えて、満面の笑みを浮かべていた。
何千年、何万回もの輪廻を超えて。
ようやく、ようやく見つけた。
記憶を失っても、魂の形は変わらない。目の前にいるのは、紛れもなくあの日の彼だった。
世一は、初対面のはずの彼女から目が離せなかった。
心臓が、早鐘を打っている。
「は、はい……こんばんは」
世一の返事を聞いて、彼女――結は、一歩踏み出した。
もう「神と罪人」ではない。
同じ人間として、同じ月を見上げる存在として。
彼女は夜空を見上げ、万感の愛を込めて、古くからの愛の言葉を告げた。
「月が、綺麗ですね」
世一は瞬きをした後、自分でも驚くほど自然に、優しく微笑んだ。
「……ああ、本当に」
神のいない世界で、二人の物語がここからまた、動き出した。




