その後の彼女を知る者はいない
カルトリオ公爵家が代替わりをしたという話題は、ここ最近の社交界の一番の話題である。
マーテリー侯爵家が新たなカルトリオ公爵を支えているというのもあって、まだどこか幼く見える公爵には既に婚約の話がこれでもかと舞い込んでいるのだとか。
「……わかりやすい事」
ナタリアはその話題に関して、酷く冷めた感想しか持てない。
スヴェン・カルトリオの外見については、表向き大々的にというわけではないが、それでも彼を見知った者はいる。ナタリアは直接お目にかかった事がないが、見た、という者の話を聞く限り自分は見ないままの方がいいだろうと思っていた。
力を持つ者というのはそれなりに敵も多い。
それは、我がリコット伯爵家だってそうだ。
けれどもリコット伯爵家と敵対している家など可愛いもの。
精々社交で嫌味を飛ばし合うとかちょっとした牽制をし合う程度で、一族郎党滅ぼしてやろうとまで思われるようなものでもないし、それはリコット伯爵家側からしてもそうだった。
お互いにちょっと足を引っ張り合う程度のやりとりで済んでいる。
けれどもカルトリオ公爵家の敵はそうではない。
スヴェンを亡き者にしようと暗躍していた者たちは実に多く存在していた。
その大半は既にもうこの世にいないし、結果残った敵と呼べる者たちも鳴りを潜める事になったが、それでもスヴェン・カルトリオを失脚させる機会があればいつだって実行しただろう。
スヴェンが表舞台に出なくなったからそれらも実行に移す機会を失ったに過ぎない。
殺されかけて、しかし生き延びた結果見るに堪えない外見になった男。
そのまま年を重ねて、醜悪さを際立たせたような存在だと言われている男について、ナタリアは噂で聞く程度の事しか知らない。
けれども関わらない方がいいと勘が告げていた。
自分の家の派閥が公爵家と敵対していないのならば、それ以上深入りするつもりもない。
カルトリオ公爵が新たな若い男になったとはいえ、未だあの老人は生きているのだ。裏で糸を引くような相手がいる以上、うっかりでも関わったらどんな目に遭う事か……
かつて、リコット家の別邸に住んでいた女。
カルトリオ公爵家との繋がりはそれくらいだ。
けれどもナタリアはアデラの事を妹だと思った事はほとんどない。ただ父親が同じだけのもの。
血が繋がっていようが書類上家族として国に届けを出したわけでもない、とても薄っぺらな関係。
顔と名前を知っている赤の他人くらいなものでしかないのだ。
死ねばいいと憎むものでもないが、自分の知らない場所で不幸に陥ったからとて心を痛める程でもない。両親がアレなので哀れみがなかったと言えば嘘になる。教育を受けて、その上で身の振り方を考えるのであれば良かったが、しかしその教育すら拒んだ相手。ナタリアは最低限の情けをかけたけれど、結局それは無意味だと知った。
そんな、最近庭に迷い込んできた子猫以下の存在。
むしろまだ名前を憶えているというだけでもマシだと思う。
もしマーテリー侯爵がアデラにちょっかいをかけていなければ、一応血の繋がった妹という立場を駆使してナタリアの婚約者につき纏っていた可能性も有り得ない話ではなかった。
ナタリアの婚約者、つまりは入り婿との仲は良好で、結婚した後子供も二人、元気に育って今は勉強が終わったらしく庭ではしゃいでいる声が聞こえてくる。
もうそんな年頃でもないでしょうに……と思いながらも、窓から庭を見下ろすナタリアの視線は柔らかい。
カルトリオ新公爵の年齢はナタリアの子供たちより五つほど上だったか。
既に成人しているのであれば、まだ未成年の我が子たちがあちらと関わりを持つような事はほとんどないだろう。
噂では新公爵には弟と妹もいるという話だが、だからといって繋がりを求めるつもりはナタリアにはない。
醜い姿の老人とは関わりを持ちたくないと避けていた多くの貴族たちも、しかし代が新たになったのならば……と甘い汁を求めてか群がっているようではあるけれど。
頼りない若者を、そのまま後継者になどするはずがない。
どれだけ若くとも新公爵は侮ってはいけない存在だ。ナタリアだけではなく、夫もそう言っていたのでやはり程々の距離を取るのがベスト。
新公爵の補佐と言える立ち位置にカルロ・マーテリー侯爵がいる以上、娘と結婚させて公爵家の力をちょっとでもアテにしよう……なんて考えは通用しないと思った方がいい。
カルロ・マーテリーは子を成せないのだと知られていた。カルトリオ前公爵との関係だって知られている。
スヴェンから教育を施されていたカルロがいて、更には新たな公爵となった新当主だってそれは同じく。
スヴェンよりマシかもしれないが、そんなのが二人いる時点でスヴェン一人をほぼ相手取るようなものなのに。
マーテリー侯爵が結婚したという話は聞いていない。
なのでナタリアとしては、あぁやっぱりね、としか思わなかった。
結婚式だって盛大に行われたわけではない。ナタリアはアデラに勝ち誇ったかのように宣言されたから多少周囲より持っている情報が多いが、その情報を表に出すのは得策ではない事をよく知っている。
アデラの両親共々行ってしまったが、恐らく結婚式とは名ばかりの、それこそアデラの両親を騙すだけの形だけのものだったのだろう。
スヴェンの新たな妻については誰も知らないようだが、かといってそれが大きな話題になるかと言われれば別にそうでもなかった。
スヴェン本人がそもそも社交から遠のいているのに、妻だけが社交に出てくるとは考えにくい。スヴェンの代理としてカルロが社交に出ていたようなものなのだから、スヴェンの妻になったであろう女性が社交に姿を一度も見せなかったとしても、何も問題はなかった。
いくら相手がいなくても平民だけは避けていたスヴェンの妻となれば、まぁ一応貴族の血を引いてはいるのだろう……程度でしか噂など広まりようがなかったのだ。この国の貴族じゃないなら他の国から娶ったのかも、だとか。ナタリアが知る噂は精々そのあたりだ。
奥方が亡くなったとかそういう話は出ていないが、果たして本当に生きているのかどうかも定かではない。
表に出てこない以上、情報もほとんど落ちてこないのだから当然だ。
アデラが結婚するの、と言って出て行った一年後くらいに公爵領で馬車が事故に遭って乗っていた平民の夫婦が不幸にも亡くなってしまった、とかいうニュースをナタリアも小耳に挟みはした。恐らくはアデラの両親だろう。
あの二人に関しては、公爵家から見てもいてもいなくてもどうでもいい存在だ。
必要なのは子を産む事ができるアデラであって、両親については価値を見出せなかったのだろう。
父は貴族だったといえど何らかの功績を出したわけでもないし、人脈という点でもカルロと比べれば天と地ほどの差がある。母もまぁ、子を産むだけなら可能ではあったとしてもこちらは完全に生まれも育ちも平民なのでスヴェンからすれば存在を認識していたかも不明。
アデラの両親という点で多少大切にしていたというポーズはとっただろうけれど、それだっていつまでも続けるつもりがなかったであろう事は、まぁナタリアにだって想像がつく。
屋敷の中でただ子を産むだけの道具となったアデラに、両親の死が伝えられたかは謎だ。
子が宿った時に知らせればショックで流産の恐れがあるので言わないとは思うが、ある程度時間が経過して落ち着いた頃に伝えられる可能性はある。
両親がいなくなった後のアデラは、頼れる人がいないも同然の、何の力も持たない女だ。
平民として暮らしていた時だって父の援助で生活に困った事はないし、リコット家の別邸で暮らしていた時だってそれは同じ。
リコット家から出て行って、両親を亡くした後のアデラはカルトリオ公爵家に完全に囚われたも同然である。仮に逃げ出したとしても、一人で生きていけるだけの力があるとはとてもじゃないが思えなかった。
甘やかされてほとんど何もできないまま育ってきたアデラが逃げ出して、最初はその美貌を使って男にとりいったとしても、その生活がアデラにとって甘いものであるかはわからない。嫌気がさしてまた逃げて、を繰り返していくような事になれば最終的に娼婦に落とされるか、年齢がいきすぎてその頃には誰にも見向きもされないかだ。
スヴェンの相手という事が恐らく最大の苦痛かもしれないが、それさえ抜きにすれば公爵家での生活は間違いなくリコット家での生活よりも豊かだろう。
ただ、まぁ。
元より何もできない娘だった。
外見に自信があるだけの、甘やかされて育ったせいで自己肯定感だけは育っているものの、特筆すべき何かがあるでもない女。
アデラを言い表す言葉として、ナタリアはこう評するしかない。
もし彼女が思った通りの未来が訪れていたのなら、彼女は侯爵夫人としてナタリアの前に現れた時、間違いなくナタリアに相応の態度を求めただろう。侯爵夫人として所作もなっていなければ教養も何もあったものじゃない、目も当てられない存在であっても。
けれどもナタリアはそんな未来が無い事を知っていた。
だからこそ一応の警告はしたのだ。アデラがナタリアを悪く思っているが故に、どのみちそんな言葉は届かなかったけれど。
そんな彼女が公爵家で、公爵が望む役目を果たした。
それは間違いない。世間に出てきたスヴェンの後継がそれを物語っている。
「でも、じゃあ。
今貴方は無事なのかしらね……?」
新公爵には弟と妹が一人ずついる。
カルロが支えている以上、新公爵に何かがあっても弟が次に控えている。妹もいる以上、女公爵が台頭するだけだ。
けれども新公爵に何事もなければ、それぞれ嫁に行くか婿に行くかだ。
もしこの先また弟か妹ができた、という話が出てくるのであればアデラの存在はまだ確認できるけれど。
そうでないのなら。
「もしかしたらもうお役御免となって処分されてるのかもしれないわね」
スヴェンはまだ生きていると言われているが、それでももう次の子供を望むのは難しいだろう。では、彼が死んだあとアデラの立ち位置は?
新公爵の母ではあれど、彼女に公爵夫人としての役割が果たせるかはわからない。
伯爵家にいた時だって厳しい学習に早々に白旗をあげたのだから。
今まで一度も外に出てくる事がなかったアデラの存在が、今更社交界に出るとも考えにくい。
そうであるのなら。
もうそろそろいらないものとして処分されていたとしても。
何も。
何もおかしくはなかった。
せめて貴族と関わるために最低限の知識や教養を身につけていたのなら。
関わらない方がいい相手についてだって知る事もできただろう。
そういった相手と関わる事になったとしても、知識があればすくなくともその場を切り抜ける事ができたかもしれない。
平民は貴族と関わらないように、と教わると言われているが、アデラの両親は父が貴族で母が平民であるが故に。
貴族本来の恐ろしさをアデラは理解できていなかったのかもしれない。
己の外見に自信を持っていたからこそ、困った事があっても周囲に助けを求めればどうにかなると甘く考えていたのかもしれない。
父は、自分が貴族だったからこそ、自分より上の身分の相手への恐ろしさを娘に説くべきだった。
親馬鹿からかうちの娘はそういうところはきちんとできている、とでも思い込んでいたとしても。
それでも、妻共々改めて教えておくべきだった。貴族である自分が二人にとって優しい存在であったとしても、それ以外が必ずしもそうではないという事を。
それは例えるのなら、幼子に困った事があったら周囲の大人に助けを求めろ、というようなものではあるけれど。
しかし助けを求めた大人が必ずしも助けてくれるとは限らないという事も、言い含めておくべきだったのだ。
「……仮に、生きていたとしても。
屋敷の外には出してもらえないでしょうし、室内を移動するにしても間違いなく監視の目はある。
……果たして生きているのが良いのか、死んでいた方がマシなのか……どっちなのかしらね……?」
そこにいないアデラに向かって問いかける。
いないのだから答えなんて返ってくるはずもない。
貴族になるという事に憧れを抱いていたかつての少女に、当時貴族には貴族なりの苦労があると言えていれば少しは何か変わっただろうか。
身分が上になればそれだけ色々な重圧がのしかかるという事さえ理解できていなかった彼女は、その上の者たちの思惑によって利用された。理解できていなかった存在に、自分の理解の及ばない状況で。
あの時のアデラは別邸に追いやられた事で己の不遇を嘆いていたようではあったけれど。
それでも平民としてみるのなら相当自由な方だった。
ただその自由が鳥籠の中だけのもので、既に風切羽がなくなっているなんて気付いていなかっただけだ。
そして彼女はそのまま更なる自由を求めた結果、翼そのものを失う形になってしまった。
公爵家にアデラという存在がいたかどうかさえ、世間は知らないままなのだ。
窓際に立って庭を見下ろしていたナタリアに気付いたらしき二人の子供たちが、母様! と叫んで手を振ってくる。
それを見て目元を和らげたナタリアは、そっと子供たちへと手を振り返して。
アデラという娘の存在をそのまま記憶の淵へ沈める事にした。
ナタリアとアデラの年齢を正確に記してはいませんが、この世界の成人年齢が十八だと仮定すると、一話時点でナタリアは成人する前に家を継いでいるので、十七か十六、下手すると十五。
アデラはその一つ下なので、十四~十六くらい。
成人年齢が十五とかもっと昔基準だとアデラ下手したら十歳くらいのちょっとませてる子とかになってたのか……って考えるととても胸糞エンド。




