Scene81:『"最後"のエモツェ』
私は静かに身体をずらし、彼女の頭をクッションへと預けた。
毛布をかけると、ゆるやかに胸が上下する呼吸が、規則正しく続いていた。
そのまま立ち上がると、部屋の隅にいたオルローグと視線が合う。
「……オルローグくん」
私は、椅子を一脚引き寄せる。
木脚が床を擦る音が、夜気にほんのわずか触れた。
「キミと話したい。
この街で、あの少女の近くにもっとも居る守人として。
……そして、“エモツェ”としてのキミと」
沈黙が、一瞬だけ詰所を覆ったのち、
静かに、オルローグが頷いた。
「……なぜ、私が“エモツェ”だと?」
私は白衣のポケットに手を入れ、小さく肩をすくめた。
「いくつか理由があるよ。
たとえば、初めて私が『抗生物質はあるか?』と尋ねたとき。
キミは『それは何か?』とは聞かず、『この街にはない』と即答した」
「…………」
「……外の知識を持っていなければ、出てこない返答だ。
他にも、さりげないやりとりで、何度か垣間見せていたな。
"外の世界を知るもの”、それがあの子の他にいるなら、それは彼女の"外の世界への憧れを司る者"。つまり、6人目のエモツェだよ」
「……お気づきに、でしたか」
「隠す気も、さほどなかったのだろう?」
私が問うと、オルローグは、わずかに下を向いた。
額の奥、白い頭蓋に埋まる“角”が、灯りに反射して鈍くきらめく。
「それに、キミの額のそれは、角ではなく矢状稜。
バクの頭骨の特徴だ」
ここで、私はすこし口角を上げる。
「この街の住人は、それぞれ“役割”を象徴した姿をしている。
“外へ出る意思”、つまり夢を終わらせる役目。
キミのその姿は、あまりにもそれに合っている」
沈黙。秒針が一回、音を刻む。
「……哺乳類の“バク”と、夢を食う幻獣“漠”は、本来は別ものだがね」
しばらく、秒針だけが空気を刻んだ。
……私は、静かに尋ねる。
「……あの子が“外の世界”へ出たとして……。
それでも街が消えない方法は、ないのか?」
私の問いに、彼はほんの一拍だけ呼吸を止めるような“間”を作った。
そして、静かに首を振る。
「……ありません」
「……そうか」
私は、背もたれに深く寄りかかる。
肩にのしかかるその答えは、わかっていたはずなのに、やけに重くのしかかった。
「この街は、彼女の意識そのもの。
……夢を見ながらにして、起きていられる者はいない」
「はい。夢の中に住み続けることは、誰にもできません」
オルローグは、椅子に座ったまま、
静かに秒針の目を持つ頭を横に振る。
「夢が終われば、器は崩れる。
ここにあるものすべては、彼女の心の延長にすぎません」
私は、目を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、さきほどの少女の寝顔。
まだ名を持たぬ彼女の——柔らかな、命の気配だった。
「……キミは、今の状況をある程度把握してるのだろう?」
「はい、私には、エモツェたちの思考の輪郭が……届くのです」
私は、すこしだけ口を開いて笑う。
「ルースカは、私が死にかけたことをキミには伝えていない。それなのに、キミは見舞いに来てくれたからな」
「……あの時、彼女の思考に焦燥がありました。
“貴方が欠けた”という感覚が、私にも伝わってきた」
エモツェたちは、感情の器官。
その神経の根に、オルローグは最も近い位置にいるのかもしれない。
「……聞かせてくれ、キミはどうしたい?」
私の問いに、彼はほんのわずか目を伏せ、
それから静かに答えた。
「……彼女に、“真実を伝えて選んでほしい”と思っています」
「…………」
「私の役割は、それに従うことです。
ただし……真実を告げるのは、私の役目ではありません」
私は、口の中でひとつ息を吐いた。
「……そうか」
詰所の灯りが、二人の沈黙をそっと包む。
少女の寝息は変わらず穏やかで、秒針だけが静かに、夜の音を刻んでいた。
——to be the next scene.




