Scene31:『罪とパパ』
静かだった。
さっきまでの氷の唸りも、魔導砲の光も、狼の咆哮すらも——すべて、消えていた。
ただ、風が吹いていた。
涼しいような、冷たいような。
けれどどこか、胸の奥に刺さる風だった。
「……ならば写し出そう。そなたの罪の姿!!」
セドナが、右手をそっと掲げる。
空が裂ける。
それは、これまでのどのゲートとも違った。
そこに写し出されたのは、私の罪の姿。
……それは………真っ黒だった。
ただただ、黒かった。
そして、なにかが、ゆっくりと溢れ出してきた。
それは、ドロドロしていた。
真っ黒で、ねっとりしていて、粘ついていて、
しかも、なんかちょっと、臭かった。
どこか、なつかしいような。
……でも、決して思い出したくないような匂いだった。
セドナが、眉をひそめて言った。
「……え? なにあれ? こわっ」
さっきの荘厳なトーンではなく、完全に素の声だった。
神の器とか審判者とか、そういった立場を一切忘れている。
「ちょ、あんた本気でこれ出したの? ……え、無理なんだけど……」
顔は笑っていない。
かなり、ガチめに引いていた。
「やべーよあれ……」
「女神がドン引きするってあるんだね……」
ギャラリーの亡者たちからポツポツと声が漏れる。
どうやら、私は神格を越えてしまったようである。
セドナが咳払いをひとつして続ける。
「これが、そなたの罪。——父よ。
そなたが、娘たちに与えてしまった、すべての負債」
私は、じっと見ていた。
黒いそれは、巨大な塊だった。
もはや“形”ではない。
何かの姿を成しているようでいて、なにも成していない。
ただただ——
重く、汚く、そして、ちょっと臭かった。
私は、ふっと笑った。
そして、静かに歩き出した。
「なるほど。これが私の罪か」
「こう、なんていうか……その…。
思ってたより……多いな…」
その黒い泥が、ぐずりと動いた。
形もなく、輪郭もなく、
ただ私に反応するように、ぐずぐずと動いた。
私は、足を止めなかった。
それは、父の覚悟である。
……いや、違う。
これは、私がパパであることの証明なのだ。
「さあ、来い」
「私ごと飲み込むがいい。これが、娘を持つ者の——」
ぺろっ
靴の先を舐められた。
そこから先は、早かった。
私は、一瞬でズボッと黒い泥の中に引きずり込まれた。
「ぐぼっ……!? ちょっ……おまっ、耳はやめっ……ぎゃああああああ!!」
泥がぐるぐると渦を巻く。
泡立ち、ねっとりと絡みつく。
私のロングコートも、インジェクターも、
“私のこれまで積み重ねた所業”という名のタールのような罪に飲み込まれていく。
私は、なんとか手を伸ばした。
娘たちの姿を探す。
だが——
娘たちは、もう、背を向けていた。
誰も振り返らなかった。
誰も言葉を発さなかった。
……いや、違う。
後ろのほうで、小さな相談が始まっていた。
「オイ、どうする?」
「………」
「ノーニャも助けたし……帰り道も空いてるし……」
「……見なかったことに…しましょうかぁ…」
「うん……ボクも、もう……いいと思う……」
「……………………」
「……帰るか」
しっぽ、翼、翅、糸。
それぞれの方向で、軽く頷きが交わされる。
——帰宅決定である。
私は、それを見て、うっすらと涙を滲ませた。
なんと尊い、団結の力であろうか。
そう。これはきっと、“ツンデレ的な距離感”なのだ。
私は、泥の中でゆっくりと沈みながら、こう呟いた。
「……なんと尊い光景であろうか……」
娘たちが歩き去る後ろ姿。
その小さな背中に、未来が宿っているようだった。
私は、ひとり、ぬるぬるとした泥の底へ消えていく。
娘の罪を背負い、己の罪に呑まれ、
それでも、誇らしげに、声を出す。
「これは……私が、パパとして成長するための——」
「試練だっ!!」
そして。
——ぼこっ。ぬちょっ。
最後に、なにか不快な音を立てて、私は完全に消えた。
──to be the epilogue.