見ているだけで飽きなくて、おもちゃとか公園なんかよりもずっと面白いもの。―トロッコ
私の実家は自営で、小さな町工場を営んでいました。家の敷地にある工場には、車の部品を製造する機械があって、私は小さな時は、工場に入って、母の動かす機械を飽かず眺めていました。
母の隣に、小さな子どもが突っ立っているわけですから、従業員の男の人に、危ないっ、とよく怒鳴られていました。
母の仕事に興味があるというより、母の隣に居たい一心で、工場に入り、母の仕事を眺めていた私。時折、母が仕事の内容を細かく説明してくれて、その声の柔らかさに、甘えるように傍にじっとしてるだけで幸せでした。
じっと眺めていると、機械が機械のように見えなくて、なにか生き物のように感じられます。大きな音。振動。並ぶ部品たち。見ているだけで飽きなくて、私の持っているおもちゃとか公園なんかよりもずっと面白いものだと感じていました。
大人の使うものって面白い。お母さん、大好き、と。
芥川龍之介の『トロッコ』の良平のわくわくする気持ちの様な。私は機械に触れたいとは思わなかったけれど。見ているだけで、とても手に負えないような気がしていた。それは、大人のものだから。
良平が、一人で帰ることになって、懸命に走る姿が⋯ほら大人の世界から帰っておいでよ! と叫びたくなっちゃう気持ちでした。
あの頃の、夢を恐れるような感情は、いまも胸中にのぼって、私をしめつけるようです。それは我が子の身の上を案じる時だったり、工場を畳むことになった、両親の健康を思う時だったり。
二十六歳になった良平が見つめる、薄暗いやぶや坂道が、自分の目の前にも確かにあること。夢を手中に感じるからこそ続く坂道に、それでも『トロッコ』という作品に出会えたことの喜びを感じるのでした。




