声に出したくなる。それって歌だから。―古今集
言葉の響き、言葉の並び方に惹かれる時ってある。創作者を目指すなら、「やられた!」と降参して両手をあげちゃう様な、センスのいい表現には敏感だ。
憧れて、自分も練りだして、ようやく、「どや?」てな言葉を発信して、一人満足に浸ることだってある。狙っているんでしょう? と指摘されて、だからってどうってこともないですけど? なんて言われたってやめられないのである。
小学生だった頃。意味も分からず百人一首を覚えて、懸命に札を取り合った頃。必死に上の句と下の句を覚えて、私などはテープを繰り返し聞いて覚えていたけど、女子の友だちなんかは、好きな男の子の名前が下の句に入っている! と騒いで、それを暗記の手立てにしていた。「名こそ流れてなほ聞こえけれ」の句に「なおきくん」が隠れているらしい。そうとあれば、なおきくんが好きな女子たちで取り合いになる。そんなふうな覚え方をしてる子は結構多く、自分の名前を探したり、楽しみながら覚えていたのだった。
「このたびは幣もとりあえず手向山紅葉の錦神のまにまに」
「まにまに」って響きがいい。子どもの頃、「神のまにまに」っていう意味ってなんだろうとすら思わなかった。多分、神様の思うままにってことなんだろうとぼんやり思うけれど、思うままに、というのを「まにまに」というのがいい感じ、と思っていた。なんだかまにまにの様な、むにむにの様な、柔らかそうな感じがする、と。
これが百人一首の言葉なのだ! と感動してた。私の、「やられた!」体験の始まりといっていい。ちょっと日本語に聞こえないような、外国語の様なかっこよさ。それが昔の言葉にはある! という発見。
自分も発信したいと思うようになった小さなきっかけは、今でも魅力的で、音として楽しませてくれる。百人一首にはそんな音がそこかしこにある。声に出したくなる。それって歌だから。




