行き交うひとの中で、ドラマが起こる。詩になる。物語が始まる。―後撰集
学校ですれ違う、知ってる人や知らない人、仲のいい人や、ちょっと遠巻きにして遠慮したくなる人、体育館に集合する人混み、流れる人混み。
百人一首の十番、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」に出てくる逢坂の関とは、通行を取り締まる関所のこと。ひとが集まり、荷物が集まり、見知らぬひと同士、知っている人同士、行き交った。
知らない人、知っている人、行き交う顔顔。通り過ぎるくらいの関係性の中で、でもそこにいる、という偶然性があって顔を合わせてる。それって不思議。もうそれ以降、会わないひとかもしれない。でも挨拶くらいはするかもしれない。会話は飛び交って、笑い声は流れ、同じ空の下、今日行き交った、その人も顔も忘れ、自分も忘れられる。今、間近だった顔も遠ざかり、自分の用事のために通り過ぎていく。一生のうち、どれくらい、「知らないひと」と行き交うのだろうか。そこには隔たりと、同情もなくて、距離が近づいた瞬間、一瞥する。もう二度と会わないひとだろう。世間は狭いと言うけれど、これだけ知らないひとが存在するんだ、という事実に、自分のちっぽけさを感じてしまうだろう。
学校で、病院で、スーパーで、公園で。交差点で。駅で。バスの中で。今日も知らないひとに出会う。初めて出会うひとが、今日、知り合いになることだってある。友人になったり、恋人になったり、結婚したり。行き交うひとの中で、ドラマが起こる。詩になる。物語が始まる。




