兼好さん的ミニマリズム
物でとっちらかった居間を見てうんざりする、というのは、これから先、何度訪れる感情というものか。寝っ転がる家族の周りを囲むように散らかる物、物、物。この家で片付けることのできるのは私しかいない! とヒーローの登場さながら、猛烈な勢いで、ゴミ箱片手に捨てまくる、捨てまくる。
断捨離された、シンプルでスタイリッシュなミニマリストの部屋が紹介されたブログや動画をうっとり眺めながら、我が家もこれくらいスッキリさせたい、とばかり部屋を見渡し、またうんざりするというこの感情。現代の断捨離のスペシャリストというより、『徒然草』の筆者、吉田兼好のミニマリズムを参考にしたい私は、断捨離もそこそこに徒然草を開く。第七十二段の「賤しげなるもの」では「居たるあたりに調度の多き」とあり、自分の周りに見苦しい物をなんでも置いたりするのを良しとしない、物の執着を持たない人であるよう。物の多くを持たない、だけでなく、妻や子どもさえも持たない方がよろしい、と語る兼好さんのミニマリズムは、現代的と言おうか、随分思い切っていると言おうか。
慎ましい暮らしが理想的、物も家族も少ないのがいい、多いのは格好の良くないことだ! とあれば、家族は捨てられませんが、何でもかんでも捨てて、煽られたまでのことよ、と怒る家族に言い訳して庭木まで切り出す私。散々捨てたところで一向にスッキリした爽やかな感情は訪れず、あれがないこれが足りないと買いに走る始末。なんというか、兼好さんは格好よすぎるのではないか。贅沢も名声もいりません、とは欲にまみれた私には格好よすぎる。いやいや、兼好さんのその慎ましさ、逆に言って贅沢ではないだろうか。キメすぎて、そうとうモテたであろうと思われてならない。
生活感あふれ、所帯染みた私でなにが悪い、と物で溢れかえる居間の真ん中で叫ぶ。我が家にやってきた物は大切に使おう、そう決めて、今日も徒然草を開く。