かけがえないんだろう、と騙されてあげる
家族が、コーヒーミルとコーヒー豆を買ってきた。豆の袋を開け、ミルに入れると、早速ハンドルを回しごりごり言わせる。家族は、特別なコーヒーが出来上がる期待を膨らませて、なんと十分間もごりごり言わせ続けた。なかなか粉にならない。
彼の表情は終始真面目だが、彼は幸せに感じているんだろう。手間だとか、時間を惜しんで、砕かれる豆の感触を感じ続けている。少し私も回させてもらったが、ミルを持っている方の手が痛くなる。さほどの幸せだろうかと思う。
果たしてごりごりの作業が終わり、粉をコーヒーメーカーにセットする。コーヒーが落ちるまでの時間、彼は神妙な面持ちでコーヒーメーカーを見つめる。やがて蒸気とともに美味そうなコーヒーの香りが立ち上ってくると、いよいよその特別なコーヒーは現実味を帯びてきて、幸せの形としてこちら側にやって来ようとしている。
いざ実食というとき。
彼はお気に入りのカップで、私はいつも使っているマグカップとを差し出し、コーヒーを注いでもらう。恭しく並べられたカップに暗色のブラックコーヒーが、飲んで飲んで、とばかりに湯気をたたせる。
カップを傾け、一口啜り、また啜り、口に含んだものが喉を潤していくとき、彼は一言、ね? 違うでしょう? と私を見つめる。
確かに美味いことは美味いけど、店で一気にばーっと挽いてもらったらどうだろう? と提案する私は、芥川龍之介の『芋粥』を思い出している。彼がコーヒーミルでごりごり言わせている間、私は幾つの山を越えてきただろう。美味いコーヒーを求めて、どれくらいの期待を持って待たされた事か。
果たして一杯のみならず、二杯くらい頂こうよと、私のマグカップに注いでくる彼に、胸焼けする思いでちびちび啜る私。私もコーヒーは好きですよ。そりゃあもちろん。でも、違うでしょう? と求められて、はっきりと違いが分からない上、コーヒーを飲みたかった機会を完全に失って、なんていうかもう、出てくるのが遅すぎる。いつか腹いっぱいの芋粥が食いたいと、『芋粥』の主人公の五位は思っていたはずだった。しかし、旅路の途中で、その気持ちも陰り、食欲が失せてしまう彼に、どうしても共感してしまうのだ。
お手軽にいれられたインスタントコーヒーを頂いていた時のほうが、余程、ドリップコーヒーを飲めた時の価値が大きい。賞味二十分かけて出来上がったコーヒーを頂いた訳だが、『芋粥』の五位はどれだけ期待させられたことだろうと思う。
特別なコーヒーと幸せを手にする家族に白ける気持ちと、でも彼とコーヒーが飲めるこの日常がかけがえないんだろう、と騙されてあげることにする。それがいい。
さあ、今日もおはようのコーヒーを。