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6.神の庭と王家の書

手紙鳥には、音速で移動する早便が存在する。

早便用の手紙を所有できるのは、王族や、官公庁のトップ、一部諜報員と、命に係わる仕事をしているエルフに限られている。

ソゴゥも申請すれば、早便を使用できる立場にあったが、今まで特に必要を感じていなかったため、音速の手紙鳥を使ったことがない。

ソゴゥはロブスタスにこの早便で、リンドレイアナ姫に手紙を出してもらうよう頼んだ。

「姫殿下がこちらの次元に来られていたら、手紙鳥は姫の魔力を追って姫の元に届くでしょう。こちらの次元に姫がいない場合、鳥は飛び立たず、手紙に戻るはずです。私は、手紙鳥を追って、姫の様子を確認してきます」

「そんなことができるのか?」

「瞬間移動で追いかけます」

「分かった、私も妹のことは心配であった。手紙には、こちらが無事である事と、困ったことがないかを尋ねる内容とするが、どうだろう」

「はい、いいと思います、それと小さな黒い魔獣が訪れることを加筆ください」

ロブスタスが早便の手紙を綴る間、ソゴゥはガイドから装丁部分に填め込まれたカギを外して、これを本来の槍のような大きさに戻した。

イグドラシルの階層権限の象徴であり、イグドラシルからの魔力供給を得る媒介となるカギは黄緑色に光り、ソゴゥの方へ魔力を帯びた光が移動してくる。

「次元を超えても、イグドラシルから魔力供給を得ることが出来るようだ。これなら思う存分魔法を使える」

「瞬間移動に、そんなに魔力が必要なのか?」

イセトゥアンが不安そうに、ソゴゥに尋ねる。

「神殿まで移動するのは大した事ないけど、万が一竜神王が敵意を持って襲ってきた場合に備えておこうと思って」

「そうならない事を願うよ」

「ソゴゥ、では、鳥を放つが準備はいいか?」

「はい、お願いします」

バルコニーに出て、鳥を手に包むロブスタスの横に、小さな黒い魔獣をリュックに入れたソゴゥが立つ。赤い目の鼬のような魔獣はヨルである。

日が暮れ紺色となった夜空にロブスタスが鳥を放つと、ソゴゥがそれを瞬間移動で追った。

鳥は真っ直ぐ神殿の方に向かっていたため、この時点でリンドレイアナ姫がこの空中国家へ来ていることが確定した。

音速の鳥を追いながら、ソゴゥはヨルやルキの方が早いことに気が付いた。明らかに早便の鳥以上の速さをソゴゥは以前体感していたからだ。

鳥が神殿の上層部の、自分たちが滞在していた部屋に入っていくのを見届ける。

「これなら瞬間移動じゃなくて、ヨルに乗って追ってもよかったな」

ソゴゥは神殿全体の様子を俯瞰しながら、何か変わったところがないか確認する。竜神王の大きすぎる気配で、他が霞んでしまっているが、見た目はとくに不審なところは見受けられなかった。部屋の前に移動すると、魔獣姿のヨルをリュックから出して床にそっと置き、部屋をノックし自分はその場から離れた。


リンドレイアナは部屋のドアをノックする音を聞き、ドアの前に立った。

訪問者の自分に対する害意がないかを確認し、大丈夫そうだとドアを開けると、小さな黒い獣がヌルリと部屋に入って来た。

丁度今、兄からの手紙を受け取り、その中にイセトゥアン隊長と第一司書とその護衛の悪魔が一緒であり兄が無事であることと、もし困っていることがあるなら、手紙と共に訪れる黒い魔獣に告げる様にと書かれていた内容を読み終えたところだった。

リンドレイアナは、鼬のような黒い光沢を放つ毛並み良い魔獣に触れようと屈むが、魔獣はスルリとその手を躱し、ちょっと距離を置いたところに前脚を揃えて座った。

懲りずに触れようと再チャレンジするが、近付くとその分魔獣が離れていく。そこへ、竜神王が慌てて駆け込んできて「姫、無事か!」と姫の様子を確認し、姫を庇うように、そばにいる魔獣と姫の間に割り込む。

「スラジ王、この魔獣は私の兄が寄こしたものですので、大丈夫ですわ」

「そうだったのか、急に大きな魔力を感じて慌てて来たのだ」

「恐らく、イグドラシルの護衛の悪魔殿ですわね」

魔獣は肯定するように、コクリと首を振る。

「そうであったか、姫のことは余が責任を持って守る。そして五日後には必ず、イグドラム国へ送り届けると約束しよう」

「どうゆう理由で、姫を連れて来たのか、そろそろ教えてくれませんか?」

魔獣が悪魔の姿に戻る。その顔は、エルフに擬態していたとはいえ、王宮騎士の一人だと分かった。だが、その横に突如現れたのは、スラジが初めて見る顔で、黒目黒髪の人間に似た青年は上位精霊を上回る力を持っており、スラジは他者に初めて緊張を覚えた。

「第一司書殿、お久しぶりですわ、引き上げ船でお会いして以来でしたかしら?」

「姫殿下、お久しぶりです。スラジ王とは、やはり面識がおありだったのですね。ずいぶん親しいようにお見受けいたします。我々は余計な事をしてしまったようだ」

「いや、あのような形で王女を連れ出そうとした余にも問題があった。余は、其方の言うように姫と面識があった。ただ好意があるために、こちらに来て欲しいというのが、どうにも言い難くてな、あのような手段をとったのだ。姫は、きちんと四日後に、イグドラム国へお返しする」

「え、嫌ですわ」

え?嫌ですわ?とソゴゥが姫の言葉を心中でオウム返す。

ソゴゥはこめかみに指を当てたのちに、ヨルを振り返る。

ヨルは肩をすくめ、ソゴゥから距離をとった。八つ当たり対策だ。

「なるほど、姫の気持ちはよく分かりました。我々は本当に余計な事をしたようです。スラジ王、姫が許可したからと言って、姫の手指以外に触れることは許しませんよ。我らが姫と正しく婚姻を望むのであれば、節度を持った交流の後に、先ずはゼフィランサス王とオルレア妃に報告をなさってください」

スラジは、ソゴゥを凝視し「まさか、其方はあの侍女か」と問いかけてきた。

白銀の長い髪に黄緑色の瞳をしていた侍女は、よく見れば目の前の青年とよく似ていた。

「いかにも。あれは私ですね。できれば、忘れてください。お願いします」

ソゴゥは言い、ヨルに目で帰ろうと合図をする。

「私達も、姫が帰省するその時まで、この浮島群に居りますので。姫、何かあったら、早便を飛ばしてください。十分で到着できます」

「ええ、分かりましたわ」

「我々は、それまでは邪魔にならないよう、ここには近づきませんので」

「え、あの、ええ、邪魔というわけではないのですけれど」

姫が赤らんだ顔で、スラジ王の顔を覗き見る。

知ってる、恋する乙女の顔だ。イセトゥアンを見る女性エルフたちは、だいたいこういう反応をする。

それに、スラジ王の姫を見る目には、もっと深い愛情が見て取れる。

こういう感じのカップルなら、俺だって応援できますよ。次元や、種族をどう越えていくのか、正直あまり興味はないが。

だいたい、愛があればなんとかなるとか思ってそうだし。

てか、すでに俺たち空気になっているし。

見つめ合う若いエルフと若い竜を置いて、ソゴゥは神殿を後にした。


「良かったではないか、樹精獣たちが大盛り上がりである」

「え、ジェームス達が?どうして分かるの?」

「意思が飛んで来るのだ。もっと右を見ろとか、ソゴゥの様子を映せだとか、樹精獣たちがそれぞれに言ってくるので、混乱することもあったが、今はジェームスが取り仕切っているため、明瞭になっておる。だが、先ほどはよほど興奮したのか、お祝いだ、お祝いだと樹精獣たちが口々に言っておったのだ」

「可愛い!でも、ヨルはいつ樹精獣たちの言葉が分かるようになったの?」

「この体になってからである」

「そうなんだ、良かったね」

「ああ」とヨルは素直にうなずく。

ソゴゥ達がアジュール温泉郷のホテルに戻り、部屋のドア捲って中に入ると、見知らぬ狐耳の翼のない竜人女性が二人、ロブスタスとイセトゥアンの前のテーブル越しに座っていた。

「おい、俺のいない間に女性を部屋に連れ込むとはいい度胸だな?お前たちを山羊島に放置して、脱出できないよう防護壁を張ってやってもいいんだぞ?」

これまでロブスタスには敬語を使ってきたソゴゥが、敬語を取っ払って凄む。

ソゴゥの魔力の上昇で、部屋が昼間の様に明るくなるのに狼狽えて、二人は首を光速で振りながら「誤解だ」を繰り返す。

「こちらの女性は潜入調査中の陸軍情報部の二人だ、それに親父もこっちに来ているって」

「もっとましな嘘をつけや」とソゴゥがイセトゥアンの前髪を掴んで上向かせる。

「お前、ミトゥコッシーに憑依されているの?違うって、本当なんだって!」

「第一司書様、私は陸軍情報部第四班所属のサンスベリア陸曹であります」

「同じく、陸軍情報部特務第四のパキラ陸曹です」

二人は狐耳を消し、魔法で見えなくしていたエルフ耳を露にした。

「エルフでは目立つため、イセトゥアン殿ほどではありませんが、潜入用に変身魔術を使って狐型竜人に扮しておりました。太陽の石について探っておりましたところ、次元の繋がりが閉じられてしまい、帰る方法を模索する中、皆さまをこちらでお見かけしてお伺いした次第であります」

「どうやって、ここまで来たんですか?」

「スラジ王のイグドラム国訪問の日程を調整するため、使者としてヘスペリデスに向かった一団に紛れて、神殿には向かわずに離脱し別の浮島を目指して潜入しておりました。ノディマー伯爵父は、国王の勅命で我々と行動を共にされております」

「それで、父はいま何処にいるんですか?」

「ノディマー伯爵父は、他の隊員と屋上のスカイラウンジにいらっしゃいます」

「親父も、ここに泊まっているのか?お金はどうしているんだ」とイセトゥアンが尋ねる。

「冒険者登録をして、いくつかの高難度ミッションの成功報酬で賄っております」

ソゴゥは目を輝かせて「高難度ミッション」と呟いている。

「俺たちもラウンジに行こう、父さんの話を聞きたいし、こちらの状況も伝えておいた方がいいだろうから」

「そうだな」

「二人も、私たちのことは呼びつけにするように」とロブスタスが女性隊員に告げる。

「心得ました」と二人は耳を狐耳に戻す。

スカイラウンジに行くと、空と屋上が一体化した眺望に、濃く嗅ぎ慣れない木々の匂いが湿度の高い夜風に混ざって、異国を感じさせる。

銀色の蔓で編まれたラタンソファーが点在するラウンジに、ひと際大きなコの字型のソファーの中央に、これ以上ないほどふんぞり返った凶悪な人相の男が座ってグラスを傾けており、サイドにもう一人、狐型竜人が端に座っている。他に座るところがなく居合わせた他人同士に見えるが、彼も軍部のエルフのようだ。

「親父、どうしたそれ、ソゴゥの真似か?」

「なんだ、イセトゥアンか、お前何でここに居るんだ?」

「いや、こっちのセリフなんだけど。俺たちは一応、殿下の護衛的なあれだ、なあ、ソゴゥ」

「なんで俺にふるんだよ、父さんも人間に変装できるんだね」

「おうソゴゥ、お前たちもおったんか」とソゴゥとヨルを見る。

「変身魔法は使えないが、この姿にだけはなれる。お前と同じ理由だろうな」

カデンはソゴゥにのみ伝える。カデンは、ソゴゥと同じ黒目黒髪、丸い耳で人間に見える姿をしていた。

カデンはゆっくりと立ち上がり、ロブスタスに手を差し出す。

ロブスタスはそれを受け取って握り、頷く。

「まあ、立ち話もなんですから、お座りください」

「ああ、カデン。ここでは、役職呼びはなしだ。呼びつけで構わない」

「承知しました」

「私は、そちらの二人と同様の者で、ガジュマルと申します」

端に座っていた狐型竜人の男が、ロブスタス達と一緒に来たサンスベリアやパキラを指して言い、ロブスタスは頷く。

それぞれが注文した飲み物が揃うと、周囲に音が漏れないようにして話し始める。

「それで、お前たちはどうしてこの浮島にいるんだ?まさか観光じゃないよな」

「いや、今はむしろ観光と言ってもいいかもしれない、父さん達が、浮島に来たのはスラジ王が、イグドラム国に来る前だったよね?その後いろいろあったんだよ」

ソゴゥは、スラジ王が盗まれた太陽の石の代わりにリンドレイアナ姫を要求し、ゼフィランサス王が姫を一週間後に、必ずイグドラム国に連れて戻らなければ、要求を棄却すると告げ、ロブスタス王子が、イセトゥアンの魔法で姫に扮して神殿に行き、折を見て逃げ出そうとしていた計画をまず話した。その後、二日目であっさり偽物とばれて、逃げ出そうとしたところ、竜神王が次元を超えてイグドラムに向かった直後に次元が閉じられ、イグドラム王宮や姫がどうなったのか懸念していたのが、今日の出来事だと話す。

「それで、さっき俺とヨルで神殿に様子を見に行ったところ、姫とスラジ王と話が出来た。二人は顔見知りだったようで、スラジ王が姫に危害を加える心配ないと思う。それと、彼らが正式に結婚を決めるかどうかは、本人たちに聞くといいよ」

「え?アナが結婚?え?」

「なくもない雰囲気であった」とヨルがロブスタスに追い打ちをかける。

「じゃあ、俺たちのしたことって・・・・・・」

「イセ兄、俺たちは馬に蹴られて死ぬかも知れない」

「マジか」

「まあいいじゃないか、リンドレイアナ姫のそのご様子なら、王宮は深刻な事にはなっていないだろう、ソゴゥ」

「たぶんね、竜神王は穏やかだったし。それより、気掛かりなのは神殿の浮島の森が、黒く変色していることだよ、あれは世界樹伐りの斧が使用された痕跡と一緒だった。魔族が入り込んで、神域の森を穢したんじゃないかと思う」

「魔族か」

カデンは深刻そうに、空中を睨む。

「親父たちも、太陽の石のことを調べていたのか?」

イセトゥアンがテーブルに置かれた、オリーブに似た実を口にして「美味しいなこれ」と呟くと、ロブスタスがその横で躊躇っていた食指を伸ばして、実を口にした。

「ああ、太陽の石が最重要課題だったが、この神竜浮島群で石は既に流通していない上に、魔族に渡らないよう鉱山は閉鎖され、その場所も秘匿されている状況が分かった。それよりも、気掛かりな現象が各島で起きていることを調査しているところだ。ソゴゥが言っていた、神殿の森が魔族に荒らされたことと無関係ではないかもしれん」

カデンがソゴゥに目を向けると、ソゴゥは何故か顔を腕で隠し、小刻みに震えていた。ソゴゥの視線の先では、ロブスタスが口元を押さえ、天を仰いでいた。

その様子に気付いたカジュアルが「もしかして、辛いものに当たってしまいましたか?先ほど、これを持って来てくれた竜人が、数万個に一つ極端に辛いものが混じっていることもあるけれど、ここ数年当たった者はいないから大丈夫だろうと言っていたのですが、先にお伝えしておくべきでした」と申し訳なさそうに言う。

ヨルが水を貰ってきて、ロブスタスに渡すと、ロブスタスは礼を言って一気に飲み干した。

「数万個に一つを当てるとは、やるな」とイセトゥアンが笑いを堪える。

「さすが・・・・・・クフッ、ロイヤルファミリー・・・・・・」とソゴゥは呟いて、笑いを我慢し続けた挙句、疲れ果ててテーブルに伏している。

「すまない、話の腰を折ったようだ。それで、神殿の森と、各島の事情についてだったか」

顔から首まで真っ赤になり、涙を拭いながらロブスタスは振り絞ったカスカスの声で、カデンに続きを促す。

「それで、そちらは、何を調査しているんだ?」

カデンは眼下に広がる、森林地帯を指した。

崖に囲まれたクレーターは、鬱蒼とした木々で覆われている。そこは露天風呂から見えていた森で、部屋から見えている湖や山々とは逆の場所にあたる。

「精霊の状態です」

カデンがガジュマルに目を向けると、ガジュマルが後を継ぐ。

「この神竜浮島群の浮島は、どの島も精霊によって守られております。その精霊の力は、神の庭に存在するという、神樹からもたらされ、漂着する邪気を無毒化して浄化する役割を担っていたようです。しかし、我々がこちらに来て様々な浮島を調査した結果、魔獣の凶暴化や植物の変質による被害がここ数か月で増えており、その理由が精霊の弱体化に因るものではないかと推測しております」

「なるほど」

ロブスタスは神殿にいたニンフたちの事を思い出した。清涼な場所でしか存在できない彼女たちは神樹に守られ、また神樹を守っていたのだろう。

「この森には精霊が数多く棲み、稀に精霊が人前に姿を現すそうですので、精霊の調査に丁度良いと言うわけなのです。ですが、こちらの森林地帯でも、それまで人を襲う事のなかった魔獣の凶暴化が確認されております。そのため、ジャングルトレッキングなどのツアーがあるようですが、現在は中止されており、森林のほとんどの区画が立ち入り禁止となっているようです」

サンスベリアがガジュマルの報告に追加し、更にパキラが発言する。

「それと、各浮島にはそれぞれ管理責任者がおり、島の安全を守っているのですが、彼らの手にも余るようなこういった事態には、呼ばずとも神殿の神官たちが現れ、問題解決に手を貸してくれていたそうなのです。しかしこのところ、その神官たちがまったく姿を見せなくなったそうです」

「神殿の竜人達が、この浮島群全体の治安を守っていたのか」

「私達は明日、森林地帯に調査に行きます。そちらはどうされますか」

カデンは流石に、ロブスタスを呼びつけにし難く「そちら」と言う。

ソゴゥが「神殿には、姫殿下の要請がない限り、イグドラム国へ戻る五日後まで近づかないと言ってあるから、それまでは浮島群の様子を地図に起こそうと思っていたんだけど」

「それならば、我々が既に大方調べておりますので、後で共有いたします」

「それなら、地図作りに奔走しなくてすむから、俺も精霊の調査に加わろうか?」

「なら我もだ」とヨルが言う。

「人手は多い方がいい、助かるよ、ヨル、ソゴゥ」

「では、私も参加しよう」

「そういう事なら、こっちは全員だな」

イセトゥアンがロブスタスの言葉を受けて言う。

翌日の調査に向け、ソゴゥ達四人と、カデン達四人はそれぞれの部屋に戻ることにした。

「父さんは、ガジュマルさんと同室?どんな部屋?」

「こんな強面のおっさんエルフと同室じゃ、ガジュマルさんも寛げないだろうな」

「ガジュマルの方が俺より年上だぞ」

「マジか、エルフあるあるだな」とイセトゥアンが言う。

ソゴゥは一人、カデンたちの客室が気になってついて行き部屋を確認すると、四人の部屋に戻って来きた。

「親父たちの客室どうだった?」

「竜人仕様強めの部屋だった。ここと同じように天井が高いのは一緒で、ソファーが壁の上の方に造り付けられていて、飛んで行かないと座れない位置にあったり、ハンモックがいくつも吊り下げられていた。親父たちは、ハンモックを荷物置きにしていた」

「へえ、俺も明日見に行こう」

巨大なドーナツ状の白いフワフワを、四人は各々好きな場所を見つけて倒れ込む。

ロブスタスはこのところ、不安や緊張であまり眠れていなかったのが、ほんの少しの光明からか、限界が来ていたのか、真っ先に気を失うように眠っていた。

ソゴゥはフワフワの窓側に一番突き出しているところを自分の場所と決め、皆が寝静まった後も暫く窓の外の薄っすらと光る湖面を眺めていた。

明け方、ロブスタスを起すのは躊躇われ、イセトゥアンに朝風呂に行ってくると告げて、ソゴゥとヨルは、昨日の大浴場に向かった。

露天風呂に行くと、眼下の窪んだ大地が雲海に覆われ真っ白になっていた。

日が高くなれば、雲海も消えていくだろう。

風呂から上がって、部屋に戻ると、漸く起き出した二人を伴ってビュッフェ会場となっているレストランでカデン達と合流して朝食をとる。

「森林を見たけど、雲海が凄かった」

「探索は、霧がおさまってからにしよう」とカデンが言う。

昼まで待ったが、雲海は留まったままだった。ホテルの従業員に聞いても、こんなことは今までなかったと言う。

結局、雲海が晴れないまま、出発することにした。ほとんどの宿泊客がホテル内の施設や湖で過ごしている中、森林地帯へ向かうのを見とがめられないように、ソゴゥの瞬間移動でカルデラの底へと降り立つ。

「中に降りると、真っ白だね」

森林地帯の中に入り、ソゴゥは辺りを見回して言う。

「これは、普通の霧だろうか」

「ヴィントがいれば、霧の性質が直ぐに分かるんだが」

「ヴィントさんなら、そもそも霧を何とかしてくれるかもしれないしね」

イセトゥアンとソゴゥが、ここにはいないトーラス家の王宮騎士の能力があればと、話しているのを聞いて、サンスベリアが「ご安心ください」と胸を叩いて「我々は、あらゆる毒に耐性があります。通常のエルフが即死の毒でも耐えられますので、我々が皆さまを先導いたします」と告げる。

毒霧を懸念しての提案だろう。狐耳がピンと伸びて、可愛らしい。

軍部の三人が先頭を歩き、カデンとソゴゥが並び、その後ろをロブスタスとイセトゥアン、最後尾に少し遅れてヨルがついてくる。

「父さん特殊魔法って、今まで使ったことある?」

「母さんと出会う前は結構あったな、だが、今はほとんどない。死地に赴くことがなくなったからもあるが、母さんといると必要ないからな」

父カデンの能力は、限定不死。致命傷を負っても瞬時に戻るが、一日一回限りのため、脅威が去らない限り、命が危険であることには変わりない。

ただ、不意打ちなどの一撃を受けた際、瞬間回復し即離脱することで命を拾うことが出来る能力だった。

子供の頃、やたら魔獣に噛まれたカデンの防衛本能が開花させた能力のようだ。

トレッキングツアーのツアーマップを手に、先頭の三人が道を選んで進む。人が通る道なら安全が確保されているだろうことと、広大な森林で更に霧というコンディションで迷わないためでもある。

霧は深く、ソゴゥの位置からすぐ後ろのロブスタスとイセトゥアンは見えるが、その奥のヨルの姿は見えず、霧に映る影と足音で存在が分かる程度だ。

前方で「アッ」と声が上がる。

赤い炎のような巨大な茸が、通路の両脇にあるのが分かる。霧のせいで全貌は分からないが、大樹のような高さで、歩けど歩けど壁の様に続いている。

ソゴゥが茸を突こうと指を伸ばそうとしたところで、パキラが大きな声で「火炎大茸です、触れたら悶絶しながら死に至るそうですので、触れないでください」と呼びかける。

「ひえッ」

ソゴゥは手を引っ込め、以後何かを触らないよう手を後ろに組む。

「あ、無毒化されているようでした。失礼いたしました」

ですよね、とソゴゥは独り言ちる。死亡率トップクラスのデンジャラスツアーなんて、誰も参加しないだろう。

火炎大茸地帯を抜けると、水の匂いが濃くなる。

「左手にある滝は、時間帯により色が変わるそうです」と真っ白で何も見えない左側に目を向けて、滝の音だけを聞く。

色々な名所を巡り、途中で休憩してお弁当を食べ、粘菌集合吊り橋なる不気味な橋を涙目で渡り、ツアーの最終目的地である千年木の大洞トンネルを目指す。

「精霊は見つからんな」

「この霧で、ここまでコースを外れずに来られただけでも、俺はすごいと思うけど」

急に辺りが暗くなったことで、すでに千年木の洞の中に足を踏み入れていたと気づいた。

「あれ?」

ソゴゥは辺りを見回し、皆と少し距離をあけてついてくるヨルを確認した。

『この木の中には、霧が追ってこないようである』

『霧は、自然現象じゃないのか』

『何かが、意図的に生み出している可能性がある』

光魔法で辺りが見えるようになると、樹の洞の大きさに、一同から感嘆の声を上がる。

「この洞を抜けると、出発地点に戻る帰路となります」

木の洞を抜けると、また目を塞ぐような濃い霧である。

「父さん、トリヨシを呼んで、ここら辺の魔法を無効化してくれない?」

「ああ、いいが、この霧か?」

ソゴゥは頷く。

「分かった、試してみよう」

カデンは、空中に魔法円を描いて紫色の円から紫色の宝石のような角を額に持つ、真っ白な怪鳥が姿を現す。

次元が異なっても、召喚は問題なく行えるようだ。

カデンがトリヨシに、この霧をかき消せと言うと、トリヨシは角を光らせて飛翔する。

トリヨシが舞い飛ぶ先々で霧が晴れていく。

やがて、ジャングルの空が青々とした色を取り戻していく中で、最も濃い霧がこのクレーターの円の中心あたりに蟠り、トリヨシがその上空を旋回している。

「あそこに何かあるのかもね」

トリヨシがクワーッツと高い声で鳴くと、紫色の円が空中に出現し、その中からトリヨシの番のトリタケが出現した。

夫婦の鳥が、螺旋に滑空して霧を溶かしていく。

「親父、見間違いじゃなければ、今、召喚獣が召喚獣を召喚したぞ」

イセトゥアンがカデンの肩を掴んで、揺さぶる。

「ややこしいな」とカデン。

「すごいね!」とソゴゥ。

「これだから、ノディマー家は」とロブスタスが呟く。

霧を払った怪鳥たちがカデンの元に戻って来て、何事かをカデンに告げてから魔法円の中に姿を消していく。

「トリヨシ達、何て言ってたの?」

「ああ、息子のトリセイが一人で密猟者と戦っているから、直ぐにそっちに戻るそうだ」

「は?密猟者?」

「宝石獣は、額の魔石を密猟者に狙われるらしい」

「俺とヨルで、密猟者を戦闘不能にしてこようか?」

ソゴゥが、言葉に怒りを滲ませて言う。

「捕まえてニトゥリーに突き出した方が、より苦痛を与えられるぞ」

イセトゥアンが加わる。

「いやお前たち、トリヨシ達の心配をしてくれているのは分かるが落ち着け、トリヨシ達は親とはぐれた幼い宝石獣達を、他の宝石獣の成獣達と交代で守っているようだ。元々幼獣以外の宝石獣は、竜を相手取るより厄介な生き物だからな、密猟者は悉く地獄を見せられていることだろうよ」

「本当に大丈夫なの?」

「何かあったら、直ぐに呼ぶようにいってある」

「あの、カデン様は、召喚獣に逆召喚されることがあるのでしょうか?」パキラが尋ねる。

「いや流石にそれはないが、呼ばずとも現れて、連れて行かれることはある。召喚獣の子供が生まれるところに、立ち会わされたり、とかな」

「え、いいな、父さんトリセイが生まれたとき、立ち会ったんだ」とソゴゥ。

「おう、あの時は何事かと思ったわ」

ほっこりしていいのか、魔獣にそこまで信頼されている関係性に驚いていいのか、ノディマー家以外のエルフは皆、一様に微妙な顔をしていた。

「そうだ、霧の中心地に行こう。マーキングしておいたから、瞬間移動するよ」

ソゴゥが言うなり、全員がたった今いた場所から、まったく異なる景色を目の当たりにしていた。

枯れた植物の中心に、銀色の人の形をしたものが蠢いている。

エルフ達は、一斉にそれと距離を取り、自分たちとそれの間に幾重にも防護壁を張り、鑑定眼を持つに至ったロブスタスが「大きな力を持った魔族の感覚器だ」と告げる。

「まだ、目や耳はないようだが、このまま放っておくと成長する」

枯れた植物は、世界樹伐りの斧で変質したのではなく、濃い邪気に当てられて枯死していた。

この世界の大気に大きな影響を与える植物を枯らそうとしてくるのは、魔族の特徴の一つだった。

カデンの横にいたガジュマルが、立ち眩みの様に頭を揺らしたのちに、膝を付く間もなく倒れ込んだのを、サンスベリアが彼の下に体を滑り込ませて、何とか頭を打ち付けるのをぎりぎりで防いだ。

「班長!」

サンスベリアが意識を失ったガジュマルを呼ぶ。

おなじ陸曹の三人だが、ガジュマルは陸曹長で、作業班のリーダーだった。

ガジュマルの両腕が持ち上がり、全ての指に綿毛のような小さな光が集まって来ると、ガジュマルはその瞼を持ち上げて、光る眼玉が左右へ移動したかと思うと、数度の瞬きの後に中央に留め、体を起こした。

関節を無視した、幽鬼のような立て直しの後、何か、色々な声が口から溢れてきて、漸く聞き取れる音になったかと思うと、くるりと顔をソゴゥの方に向けた。

ソゴゥはガジュマルの足元から伸びる影を見て、悲鳴を上げそうになるのを何とか堪えた。

『〇×$&』

ガジュマルの中の何かが言う。

『▽△%&%!』

「ヨル、何て言っているか分かる?」

「いや、我にはわからぬ」

「え?前にあんな感じの言葉話していたよね?」

「いや、まったく違うのである」

その間も、何かを訴えるようにガジュマルの中の何かの言葉が続く。

やがて、ガジュマルは頭を振ると、自身の頭を撫でるような仕草をして「精霊殿、それではエルフには伝わらないですよ」とガジュマルの元の声が聞こえた。

「班長!」

「大丈夫だ」とサンスベリアに告げる。

「彼らは、強い魔力がこの浮島に飛来したのを感じて、聖域の窮地を誰かに知らせようとしていたようですが、目の前の魔物が霧で森林を覆ってしまったと言っています」

「ガジュマルさんの中の光は、この森林の精霊だったのか」

「聖域からの力が断たれ、浮島群の精霊が弱っているせいで、本来なら多くの精霊が協力して浄化してきた邪気が、浄化できず育ってしまったようです」

「なら、これは始末しておいた方がいいってことだな」

イセトゥアンが人魚の剣を抜いて、銀の塊に斬り掛かる。攻撃を察知したように、銀色の物体は形を変化させて、剣戟を避けるように動く。その速さは、ゆっくりと揺らめいていた先ほどからは想像できないほど速く、人が追い切れるものではないように見えた。イセトゥアンの剣は掠りもしないのではと思った次の瞬間には、銀色の物体から大きな破裂音がして、泡のように弾けて霧散した。一瞬だった。

「いい剣だな」

カデンが、人魚の剣を見て言う。

「破邪の剣だね、どうしたの、それ?」

「ああ、曰くつきの剣だ。使うたびに、ミトゥコッシーに呪われるという」

ノディマー家親子の関心は剣にばかり向いているが、軍部の三人はイセトゥアンの剣技に驚いて言葉もなかった。

魔力量や特殊魔法において、ノディマー家は化け物揃いと有名であり、王宮騎士の中で実力者と謳われるイセトゥアンもまた、魔力量や魔法に対する評価だと思っていた三人の予想を、超えていたのだ。

ノディマー親子は、イセトゥアンの剣技に驚いている様子もなく、また同じ王宮騎士の訓練を受けているロブスタスも、イセトゥアンの実力を知っているため「よくやった」という反応ではなく「当然だ」といった風情で見ている。

イグドラム国において、最強の戦力は王宮騎士団ではなく、陸軍特殊部隊であるという、同じ陸軍としての自負が揺らぐ光景だった。

魔物が消えると、ガジュマルの影から小さな木々の精霊がポンポンと弾けるように飛び出してくる。ハリネズミの針の部分が針葉樹の葉のような、小さな精霊たちだ。

ソゴゥが地面に膝を付いて、両手を差し出すと、精霊達が代わる代わる、ソゴゥの手をちょんと触って、ガジュマルの背中に隠れる。

『ミュ、ミョウ、ミョッ、ミョッ』と精霊たちが、鳥の鳴き声にも似た高い声で、しきりにガジュマルの後ろから話しかけてくる。

「聖域の神樹を守って欲しい、もし、聖域が邪気に満ちて汚染されているのなら、神樹を汚染されていない浮島に連れ出して欲しいと言っています」

ガジュマルには、精霊を宿す才があったようで、彼らの言葉が理解できるようになり、訳して伝える。彼らの可愛らしい鳴き声が、そんなに深刻な事を伝えてきているのか俄かに信じがたくはあるものの、必死な訴えであることは理解できた。

「とりあえず、聖域に行って、竜神王に精霊の言葉を伝えよう」

「そうだな、あの黒い森の中に神樹があるなら、別の場所に移した方がよさそうだ」

「竜神王の意向と一致すればいいが」とロブスタスは不安を口にする。

「父さんたちは、どうする?」

「俺たちも行った方がいいだろう、何か手伝えることがあるかもしれない」

「そうですね、私たちも行きましょう」

ガジュマルが言い、そして彼の言葉は精霊にも伝わったようで、彼らが嬉しそうに飛び跳ねているのを見て、ソゴゥは「お腹の毛が柔らかそうだ」と一人皆とは違う事を考えていた。


ヴィマナ島に神殿を構える、西域の天空帝国ラサの皇帝グルナディエの使者がやって来たのは、半年ほど前だ。

帝国の植民地からの逃亡者を保護し、追っ手を追い返した事が気に食わないと苦言を呈してくるものとばかり思っていたが、グルナディエの言葉はこちらの予想を遥かに超えていた。

浮島群は、惑星の対流圏と成層圏の間に数キロの幅で層状に覆っている浮層域に存在し、地表の生物に干渉されることを嫌った竜族が、大地を切り取ってこの浮層域まで持って来て浮かべ、自らの棲み処としたのが成り立ちと言われている。

だが西域の天空帝国ラサの島々は、超古代に惑星外から飛来した宇宙船を素地とした、要塞の様な形状をしていると言われている。

ラサは、竜や精霊の加護なく、独自の技術で空中に国家を構えた人間の国々なのだ。

この浮層域には神竜浮島群の他にも、竜の棲む浮島が多く点在し、竜の活動期には惑星を一周するほどの大移動が行われる。

いくつかの国を束ねていても、この浮層域で竜を統べる竜神に、まさか対等かそれ以上の言葉を使者に預けてくるとは、スラジは夢にも思わなかった。

国交なく、数千年と隣人であり続けたラサ帝国の新しい皇帝、彼女の言い分は「この世で最も美しい皇帝グルナディエが、竜神王との婚姻を承認している」というものだった。

会ったこともない女帝のこの言い分を理解するのに、非常に苦労した。

まず、言語伝達方法に両国間に何らかの齟齬があり、女帝の言葉が正しく伝わっていないのかと思ったのだ。

そもそも、婚姻を承認とは、こちら側から申し入れたと取れるがそんな事実はない。

また、自称の美貌を語られても、竜と人間では価値観が異なっているため何の意味もない。

そして、このグルナディエの言葉の最も不可解な点は「番うために心臓を寄こせ」という点だった。つまり、竜の心臓が目的であると、分かりやすく伝えてきている。これを承諾すると、本気で思っているのだろうか。

この言葉を持って来た使者百名ほどは、全身を金属と繊維を組み合わせた装甲を持つ鎧を纏い、武器をその装甲内に隠し持って現れた。

可能であれば、竜神の首を持って帰って来るよう皇帝に言われていたのであろう。使者という名の武装兵団であることは察しがついていた。

装甲には、魔法防御が施されていたようだが、神気を開放しただけで彼らの装甲は機能不全を起こし、彼らの気を大きくしていた要因である身体強化の機能が失われ、文字通り丸裸にされた途端、使者達は震えあがり、跪いて頭を床に付けて、その思い上がりを後悔して泣きだす始末だった。

これが使者なのだから、ラサの国力もたかが知れたものだ。

使者達には二度と来るなと伝え、神官たちに神竜浮島群の外へと彼らを捨ててこさせた。

だが、ラサの皇帝は狡猾で、既にこの時、災いの種は蒔かれていたのだ。

ヘスペリデスの心臓と言うべき、対をなす神樹のひと柱が倒されるその時まで、神殺しの武器がこの聖域に持ち込まれたことに、気が付けなかった。

この神域に魔族が入り込むことは出来ないと、高を括っていた。この清涼な空間に、魔族は耐えがたい苦痛を覚えるからだ。だが、中庸である人間には警戒を怠っていた。魔力量も少ない脆弱な生物故に、それを危険視してはいなかったのだ。

異変に気付き、神の庭に在る神樹の元へ辿り着いた時、斧の様な武器を振り上げていたのは、ただの人間だった。ひと柱は既に汚染され黒く朽ちて、周囲の木々が呼応するように変容していった。残っていたもうひと柱に、邪気が転移しないよう、すぐさま引き抜いて神殿内部に移し替えた。何よりも優先すべきは、神樹だったため、斧を振るう人間を二の次として、神官たちに任せたのだが、神の庭に戻った時、神官たちは体に黒い棘の様な物を受けて苦しみだし、その間に人間は斧を持って忽然と消えていた。

微かに魔族の気配が残されていたが、おそらく人間に憑き、その内部の奥に潜んでいたのだろう。

神殿の中心に大魔法陣を形成し、変容の毒に侵される神の庭と神官たちの時間を止めて進行を遅らせ、何とか元に戻す方法はないかを探した。

ふと、思い出したのは、かつて海洋の船団にあり、家臣を想うエルフの姫のことだった。

最期に会いたい。そう思ってしまった。

この心臓を神樹に与えれば、神樹はその力で、種を生成し片割れを育て、また一対の強力な聖なる力を取り戻すことが出来る。そうなれば、この神域が元に戻るかもしれない。

これは一か八か、確証のない方法だが、これしか思いつかなかった。

だが、竜の心臓は本来、番う相手に捧げ、相手が心を返してくれることで一対となり、心ある神獣と成すことが出来る。ただ、心臓だけ抜き取ってしまえば、竜神は心無いただの邪竜となって、あらゆる神を殺すために生まれた性に戻ってしまうだろう。

そのために、彼女が必要だった。彼女の持つ、エルフの王家の書で、邪竜を殺すものを召喚してくれればこの神域は守られる。

愛する者の手によって死を与えられたいというのは、とても傲慢な事だろう。

彼女をきっと傷つける。それでも、その目に見届けて欲しいと願うのだ。

目の前には片割れを失い、弱っていくばかりの神樹が黄金の葉を揺らしている。

その樹を包むように竜の姿で眠る。

この神殿には、エルフの姫、リンドレイアナがいる。

それだけで、嬉しく、そして悲しい。この高揚する気持ちも、あとわずかで無に還るのだ。


リンドレイアナは、自分の指先を見つめていた。

スラジ王は、昨日と同様に夕食を摂ると神殿の中央に籠ってしまった。

恐らく神の庭より移し替えた神樹を守っているのだろう。日が落ちると、邪気は力を強める。

日中は手出しできなくとも、夜闇に乗じて魔族が襲ってこないとも限らない。

竜神王を死なせるわけにはいかない。

何か方法はないかと、リンドレイアナは冷たくなる指先に息を掛ける。

イグドラム国では、困ったことは何でも父であるゼフィランサス王が解決してきた。

その父が持て余すことは、代々イグドラシルの司書が相談役となっていた。

その司書の最高位が、今同じ次元にいる。竜神王であるスラジは、既に覚悟を決めているようだが、方法がそればかりではきっとないはずだ。

スラジ王の心臓を肥料に神樹の力を復活させ、心失くしたスラジ王は討たれる存在となる。それではあんまりだ。

リンドレイアナは王家の書を取り出し、膝の上に置く。

王家の書を持つ者は、王と王妃、そして自分たち三兄妹の五人。王と王妃の書はその力が秘匿されているが、その子供たちは皆等しく最悪な状況を覆す「起死回生の一手」である。

深い紺色の厚い本に、自分の名を表す花の金色の装飾、表紙に填め込まれた金色のインペリアルトパーズをそっと撫でる。

長子のアンダーソニーはキングスピネル、次兄のロブスタスはロイヤルブルートパーズの石が填め込まれた王家の書を持っている。

自分が持つ王家の書の装丁の石の様に輝く、金色の竜が現れたのをずっと不思議な縁だと思っていた。

この聖域の状況と竜神王の覚悟について、第一司書に相談してみよう。

リンドレイアナは文机に座り、昨日第一司書に渡された早便の手紙を取り出した。これを出せば、直ぐにでも駆け付けてくれるだろう。

文字を綴ろうとしたまさにその時、リンドレイアナは部屋の前にある害意を察知した。それは、生半な害意ではなく、確実な殺意だった。

リンドレイアナは慌てて、窓の外に身を乗り出した。

窓の外に身を投じるのが一瞬でも遅ければ、自分の身体は爆発で四散していただろう。

滞在していた部屋が吹き飛び、飛行魔法で暗い森林の方へと身を隠すために飛ぶ。

隠形魔法を掛け、森林と聖域の建造物との境の塀の裏に身を隠す。

自分を追って、頭上を通過していくのは、部屋のドアの前に気配を感じていた竜人達だった。

白かった翼や尻尾は、黒くなり、服だけが白く際立っている。

ここから抜け出して身の安全を確保した後、第一司書や兄に連絡を付けよう。

リンドレイアナは森林の方に飛んで行った竜人が戻って来ないうちにと、神殿の裏に回り込むため塀を再び超えようと、飛行魔法で飛び上がった。

塀の上に到達したところで、目の前には、竜人達がずらりと並び、壁のように塞いでいることに気が付いた。

彼らの目は濁り、体は黒色に侵食されていた。

防御魔法が一呼吸遅れた。

隠形魔法で、こちらが見えていないと油断していたからかもしれない。

正面の竜人が持つ槍は、リンドレイアナの左胸を貫いていた。それは、エルフの心臓の位置だった。


身の毛がよだつ様な悪寒に、スラジは神樹を残して神殿の外へと踊り出た。

それは、神樹のひと柱を失った時と同じ、取り返しのつかない事が起きたのだと知らせていた。時間を止めていたはずの庭のニンフたちの苦しみ藻掻くような叫びと、嘆き悲しむ悲鳴が、あの時の悪夢をよみがえらせる。

この聖域にまるで異質な邪気の塊が、銀色の細長い蛇となって、森林と神殿の境の塀に取り付いている。黒い竜人の群れの中心で、その鎌首擡げた水銀の様な蛇があざ笑うように、こちらを見た。

蛇はその半身を女の姿に変え、呪詛の様な言葉を吐いているが、それよりも、その塀の上にリンドレイアナの姿を見つけて、横たわるその姿に震えがはしる。

壁に乗り上げ、蛇を掴んで地面へと投げつけて炎を吐いて焼く。手加減できず、地面ごと深く焼き融かしてしまったが、それどころではない。

羽虫の様に攻撃してくる、神官たちだった竜人達に眠りの息を吹きかけて落とし、リンドレイアナの元に、人の姿になって近寄るとその体を抱きかかえた。

虚空に向けられた瞳は、光を失う寸前で、その目の焦点がこちらに合った一瞬の後、命が尽き、その魂が身体から離れんとしていることを知らせた。

彼女の心臓に刺さっていた槍を引き抜いて、自らの心臓を取り出した。臓器の形状は、金色の果物の形へと変容させ、自らの手で握り潰して、そこから零れる雫をリンドレイアナの少し開いた唇に落とす。

金色の雫が口腔から全身に取り込まれていく。

俄かに、彼女の体が光り、その目が光りを取り戻し、穿たれた左胸の傷が塞がっていく。

リンドレイアナは瞬きの後、その細い指をこちらへと伸ばして来た。

そこで、始めて息を吐き、そしてゆっくりと視界が黒く濁っていくのを感じた。

「逃げよ、そして余を殺せ、余は心臓を失った。直ぐに邪竜となるだろう」

その一言で、リンドレイアナは竜神が自分の蘇生のために心臓を使ったのだと理解した。

「どうして!大事な心臓を私に・・・・・・」

大きな感情が一息に押し寄せ、声がどうしようもなく震える。

「気がついたら、そうしていたのだ。余は王としては失格だ。この神域を、神竜浮島群の島々を邪気から守り切ることが出来なかった。だが、其方を失わずに済んだことだけは誇らしい」

スラジの手がリンドレイアナの頬に触れ、そして大きく退くと空中へと舞い上がった。

金色の巨大な竜は、その艶やかな鱗をトゲのように逆立てて、神竜浮島群の端まで達するような咆哮を放った。


四頭の飛行竜に別れて神域に向かっていたソゴゥたちは、大気を震わす大咆哮を聞いた。その直後に、大きな空気の波が押し寄せ、ヨルが進行方向である神域の方へ大きな黒い魔法円を出現させこれを防いだ。

「しまった、またか」

ソゴゥは、急に推進力を失って下降を始めた飛行竜達が気を失っていることに気付き、瞬間移動で、無人の浮島に全員を避難させた。

神域はもう目と鼻の先である。

ヨルが衝撃波を防いたが、それでも竜たちは気を失い、軍部の三人は地面に両手をついて、何とか意識を保っている。イセトゥアンとロブスタスは竜神の咆哮を一度喰らっているため、今回はダメージを受け流すことが出来たようだ。

「俺とヨルで行く」

ソゴゥは、それだけ告げてヨルと瞬間移動で、神域へと消える。

「後を追いたいが、飛行魔法で移動中に気を失ったらお終いだな」

ロブスタスが空を睨む。

「親父、トリヨシ達は竜種じゃないから、格上の威圧に屈しないんじゃないか?」

「あいつらは、密猟者と戦っとる」

「そうだった、仕方ない、気力全開で行くしかないか」

「まあ待て」

カデンは、飛び立とうとするイセトゥアンを止めて、宙に手を翳した。


ソゴゥは、真っ赤な眼をして、鱗を逆立てた竜を見た。

鱗も翼も焼けた鉄の様な、赤い色をしていた。

「触れるだけで、焼け死にそうだ」

竜は神の庭である森林へと降り、目の前に現れたソゴゥとヨルをじろりと見た。

とりわけ、ソゴゥを意識している様子から、ソゴゥはガイドからカギを外し、槍の様な大きさに戻したそれを手にして構える。

「そうだ、俺を見ろ、お前の相手は俺だ!」

ソゴゥは槍状のイグドラシルのカギより魔力を得ながら、白銀の髪にペリドットの瞳と尖った耳、エルフとして生まれた今生の生来の姿に戻り、夜を昼に変えるような膨大な魔力を、わざと放出して見せる。

その間、ソゴゥはヨルに、神殿の高い壁の上にいるリンドレイアナ姫を見つけ、保護するように意識を飛ばして伝えていた。

ヨルがリンドレイアナ姫の周囲に幾重にも防御魔法を展開するのを見届け、ソゴゥはまるで理性を持たない獣となり果てた、真っ赤な竜となったスラジ王と向き合う。

竜が吼えると、地面から火柱がいくつも上がり、ソゴゥは火柱をかいくぐって避ける。ソゴゥが、ちょうど竜の正面に来たところで、竜の口から劫火が吐き出される。

ソゴゥはこれを瞬間移動で避けつつ、竜の弱点をガイドで調べておくんだったと、後悔し始めていた。

水撃、毒霧、雷電、竜巻と驚くことに、これらを同時に竜は出現させて、ソゴゥにぶつけてくる。スラジ・ラードーンは、百の竜の能力を持ち、それらを自在に操ることが出来る。

ソゴゥはこれに対し、防戦一方だった。

仮に反撃しても、竜の再生能力は恐ろしく高い。致命傷を負わせるくらいでないと、その動きを止めることは出来ないだろう。

殺さないで。

塀の上から、リンドレイアナが声の限りに叫ぶ。

理性無き自分と戦っていたガルダ王の苦労に、今更ながら頭が下がる。

今は逆の立場だ。殺してはいけないが、殺さないと止まらない強大な相手と対峙するとは、これほどまでに厄介なのだ。

しかも、竜は恐ろしくタフで、飲まず食わす十日間は火を吐き暴れ続けることが可能だと、何かしらの本で読んだ記憶がある。

この竜の気が鎮まるまで、十日も相手をするのは流石に無理だな。

空気を凍らせてきた竜の背後に回り、ソゴゥはシッポで叩き落とされそうになって、あわててまた正面に移動した。

『我が燃やそうか?』

『駄目だって、姫に一生恨まれるよ』

ソゴゥは竜の体から立ち昇る湯気の様な物から、無数の黒い蛇の様な物がシャーっと喉を鳴らしながら向かってくるのを、カギを横にして身構えた。数千の蛇の「シャー」の大合唱に、背筋が凍るような恐怖を覚える。個々の蛇が音により「恐怖」を放っているためだ。

ソゴゥは自分の手に、過剰な魔力が集まっているのを感じた。恐怖により制御を誤って、集め過ぎていたのだった。

このまま、カギを振って魔力を放てば、竜神王を殺してしまいかねない。かと言って、地面に放てば、この神域の浮島を破壊してしまう。そうこうしているうちに、蛇の大群が押し寄せて来る。

マズイ!

ソゴゥは怪我を負う覚悟で蛇を受け止めて、集め過ぎてしまった魔力は大気圏外へ瞬間移動で、放出しようとしたまさにその時、向かってきた無数の蛇が水泡のように消失した。

見上げると、上空の白い龍からイセトゥアンが飛び降りながらソゴゥの周囲の蛇を斬り伏せていたのだ。

「イセ兄!金剛!」

金剛は追いやろうとする竜神の咆哮を受け流し、悠々と飛んでいる。

「あいつも竜種なのに、竜神王の威圧に屈しないんだな」

「うちの守り神だからな金剛は、神格も持っているし」

ソゴゥは魔力を何とかおさめ、一息ついた。

「危ない所だった、竜神王を殺してしまうところだった」

「うん、兄ちゃん、お前を助けに来たつもりだったんだけどな、竜神王を助けていたのか」

「リンドレイアナ姫が、殺すなって」

「おう、それは難題だな」

イセトゥアンが、真っ赤なトゲトゲしい竜を見て言った。

「あんな神々しい綺麗な竜だったのに、何があったんだろう」

「さあ、魔族が何かしたんじゃない、ところでロブスタス王子は来てる?」

「金剛に乗っている、あ、いまリンドレイアナ姫の所に移動したようだぞ」

『ヨル、ちょっとの間、竜神王の相手を頼む』

『了解した』

ソゴゥはヨルと場所を交代し、イセトゥアンを伴って塀の上に移動した。

金剛が降りてきて、塀に止まるとカデンやガジュマルとパキラとサンスベリアが塀の上に降り立つ。

ソゴゥはロブスタス王子とリンドレイアナ姫の元へ行き、血に濡れたリンドレイアナ姫の胸元を一瞥して尋ねる。

「リンドレイアナ姫、竜神王は何故あんな状態になったのですか?」

「何かに操られた竜人族の方に槍で心臓を貫かれた私を、竜神王は彼の心臓を使って私を蘇生してくださったのです。心を失った竜神は、竜の生来の性に戻ると言っておられました。私のせいなのです。どうか・・・・・・」

ソゴゥは頷き、塀の下に転がって眠っている竜人族を見て、カデンに視線で知らせる。

カデンはガジュマル達と塀の下に降り立ち、竜人族が眠っている間に拘束にかかる。

「それで、姫殿下は何故王家の書をお使いにならないのですか?」

「彼を、殺してしまいたくないからです」

ソゴゥは嘆息しロブスタス王子を見る。

「では、ロブスタス殿下、王家の書を使ってください」

「だめです!」

「聞いてください、姫殿下、王家の書は起死回生の一手、それは竜神王を殺すものなのでしょうか?」

リンドレイアナ姫は、震える自らの体を抱くようにして、落ち着こうと努力しているようだ。

感情が昂り過ぎて、思考がまとまらないリンドレイアナの横で、ロブスタスは王家の書を取り出して、その本を掲げ持つ。

「殿下?」

「私が行う。私は信じている」

そう言うと、本を開き王族だけが唱えることのできる、エルフの古代語を詠唱してその魔力を装丁の石に注ぎ込んだ。

ロイヤルブルーの宝石が光りを放ち、王家の書から真っ直ぐ上空に伸びた光が空に青い魔法円を描き出し、そこから「起死回生の一手」である何かが召喚された。

それを見上げて、リンドレイアナ姫はロブスタスに飛びついた。

「兄さんのバカ!」

「ああ、あれは、竜を殺す獣か・・・・・・」

ロブスタスも呆然と、その城ほどもある巨大な獣を見上げていた。

魔法円からゆっくりと地上へ降りてきたのは、巨大な竜神王よりも更に大きく真っ黒な体躯に無数の赤く輝く目を持つ、禍々しい魔獣であった。

背には十数枚の翼を持ち、顔はネコ科の大型獣のようで、尻尾は苛々と水平に揺れている。

「うわぁ、めっちゃカッコいい!」

ソゴゥはロイヤル兄妹に猛烈な批判の目で見られていたが、本人は魔獣に釘付けである。

「お前、ちょっと空気を読め」とイセトゥアンがソゴゥの首に腕を回して、後ろに引く。

ヨルが、魔獣の出現とともにソゴゥの元に戻る。

「何とかなりそうであるな」

「ああ、樹精獣たちと、世界樹伐りの斧で変質した植物を元に戻すことに成功したって言っていたし、あの大きさだからな」

ソゴゥは、イセトゥアンの腕に噛みつきながら喋る。

「あの魔獣は、新たな脅威にならないのか?あんな巨大な魔獣見たことないぞ?」

「え?この間も会っているじゃん」

「そうである、一緒に怪盗をした仲ではなか」

イセトゥアンはソゴゥとヨルの言葉から、顔を青ざめさせる。

「いや、おい、まさかアレって・・・・・・」

黒く赤い目を輝かせる魔獣は、竜神王と組みあうと横綱が子供を軽く転がすようにあしらって横倒しにした。

ヨルがすかさずその場に飛んで行き、無数の魔法円から鎖を出して竜神王を地面に縫い留めた。

「強すぎねえ?」とイセトゥアン。

「数十万年前からいるらしいからね、彼女。百歳かそこらの竜は、ヒヨコくらいの感覚なんじゃない?」

黒い魔獣は、竜を追いやるとその像を崩し、黒い砂となって神の庭を覆い尽くした。

森林は、赤い光が煌めく黒い砂に覆われてしばらくもすると、砂が引いていき、やがて一人の少女の姿へと砂が集約された。

「マジか、本当にルキだったのか」

ルキは、ソゴゥに気付くとこちらへと飛んで来た。

「兄!ここの世界樹伐りの斧のウイルスは、全部吸いつくしたノス!」

「おお!見ていたよ、すごいじゃないか!」

「あの、その女性は」

ロブスタスが恐る恐る尋ねる。

「ルキです。イグドラシルに籍がある邪神で、精霊の森の樹精霊代理も務めています」

「確かに、ルキ殿の話は聞いたことがありましたが、こんなに可憐な方とは」とロブスタスが顔を赤らめ、イセトゥアンとソゴゥが震えあがった。

「よく見てください殿下、ソゴゥと同じ顔ですよ!」

「え?ああ、そう言えば、確かに。侍女のソウにも似てる」

俺の顔は、女だとモテるのかもしれないと、ソゴゥは密かに思った。

ソゴゥは塀の下に倒れている竜人族たちを見下ろし、リンドレイアナ姫に向き合った。

「私を信じて、王家の書を使ってください」

「第一司書様」

「神の庭のウイルスは、ルキが取り除きましたが、竜人族たちの聖性はまだ取り戻せていないようだ。もう一度、王家の書を使えば、きっと、あなたの願いも叶う」

リンドレイアナはソゴゥを見て頷いた。

リンドレイアナは本を開き、先ほどのロブスタスと同様にエルフの古代語を詠唱して、その魔力を装丁の石に注ぎ込んだ。

黄金の宝石が光りを放ち、王家の書から真っ直ぐ上空に伸びた光が空に金色の魔法円を描き出し、そこから「起死回生の一手」が召喚される。

金色の子供の姿をした精霊と、その精霊に手を掴まれた庭石菖だ。

「あ、庭石菖まで召喚されたんだね」とソゴゥは言う。

上空を旋回していた金剛が降りてきて、庭石菖に頭を擦りつける。

彼を守るべき民と認識しての行動のようだ。

「あの、私は何故ここに」

庭石菖は辺りを見渡す。

「その子を、片割れの元に返す時が来たニョロ」

ソゴゥは「俺が、片割れを神殿から連れて来るよ」と瞬間移動で、神殿内に消えた。

しばらくすると、ソゴゥの腕には金色の少女が抱っこされていた。

少女は、庭石菖の手を握っている子供に気付くと、弱弱しかった光が喜色を漲らせて照度を増し、全身で喜びを表現するような踊らんばかりの足取りで駆け寄っていく。

子供も少女に気付いて、少女に片手を伸ばした。

庭石菖はそっと、優しく子供の手を離す。

子供は、庭石菖の体に顔を埋めてギュッと抱き着いた後、少女の手をとった。

その途端、二人の姿は大人の男女の姿となり、手をとり合った側から絡みついて一つの大きな金色の樹となった。

樹は瞬く間に金色の実を幾つもつけて、実を落とし、黒色変容から元の色彩を取り戻したとはいえ、弱り果てていた森林の木々や草花に、再び命を与えるように、森林中を輝くような生命力に満ちた神の庭と謳われる鮮やかな木々と花の園へと変えていった。

ソゴゥは庭石菖の背を擦り「あの子を育ててくれてありがとう」と声を掛ける。

「ありがたいお言葉です。このような光景に立ち会えたこと、生涯の宝となりました」

「ここへまた、会いに来るといいよ、俺が竜神王に話を付けるからさ。まあ、竜神王が正気に戻ったらの話だけどね」とソゴゥはリンドレイアナを振り返る。

「姫殿下、竜は番う相手に、自らの心臓を差し出して、相手から心を受け取り、一対となるのです。貴方は、竜神王に心を捧げることが出来ますか?」

ソゴゥはガイドで竜の弱点は調べ忘れていたが、竜の結婚については昨日、二人の様子を見て調べていたのだ。

リンドレイアナはソゴゥの言葉を聞くなり、地面に縫い留められた竜神王の元に駆けよる。

ルキがリンドレイアナに従うことで、竜神王は格上のルキを見て低く唸っているが、むやみに暴れることを止めていた。

大人しくしている竜神王に、リンドレイアナはその目に自分が映る位置に移動して、その鼻先に両手で抱き縋る。

「私の心を、スラジ王、貴方に差し上げます」

スラジ王の目が瞬く。

ソゴゥは離れた場所から、竜にも瞼があるんだなと、関係無い事を考えていた。

「ここは、キスをする流れだと思うニョス」

ルキが言うと、竜がリンドレイアナをじっと見ている。

リンドレイアナは一旦竜から離れて、竜の顔を見て顎に手を当てて小首をかしげ、彼女なりに検討した結果、鼻先にキスを落とした。

「いや、ちょっと待て」とリンドレイアナに突撃していきそうなロブスタスをイセトゥアンが後ろから羽交い絞めにし、ソゴゥは今にも地面に唾を吐かんような顔をしている。

「まあ、薄々こうなるだろうなとは思っていたけどね」

竜は決めた番と、生涯ともにあるのだと言う。

スラジ王には結婚歴もなければ、愛人や恋人がいたことすらないという事だ。

何故なら、今番となって選ばれたのはリンドレイアナ姫だったのだと、姫の姿が竜神王より一回り小さな竜となったことで証明された。

竜神王より一回り小さな竜が、竜神王にすり寄ると、竜神王は燃えるような赤から、黄金へとその瞳と体の色を変化させた。

やがて、竜神王が人の姿へと変わると、同じようにリンドレイアナもエルフの姿へと変わるが、その深く青い瞳の瞳孔は龍眼となり金色に輝いていた。

「妹が、竜に・・・・・・」

ロブスタスが項垂れ、イセトゥアンが慰めるように肩を叩く。

ソゴゥは人の姿となったスラジ王の元へと、庭石菖をともなって瞬間移動で降り立つ。

スラジ王は目の前にやって来た、銀髪に黄緑色の瞳のエルフを見ると、感謝と謝罪を述べた。

「其方がいてくれてよかった、其方はイグドラシルの司書であったな」

「はい、私はイグドラシル第一司書のソゴゥ・ノディマーです。次からは、何か問題が起きたなら、素直に誰かに相談なさってください。イグドラシルの知識は、平和を望むすべての者に与えられるのですから」

「ああ、汚染された神の庭が復活し、神樹が一対の完全体に戻っている、本当に何と礼を述べたらいいのか、感謝が尽きぬ」

「庭の汚染を取り除いたのはそこの邪神のルキで、神樹の片方を育てていたのはこちらの庭石菖です」

竜神王は二人の手をとって、改めて感謝を述べた。

竜神王は邪神と紹介されたルキを見て、ソゴゥに「其方は、邪神とエルフの混血であったのだな」と言った。

「いえ、私は普通にただのエルフです」

「え?」

「え?ああ、ルキと私の顔が似ているのは、ルキが私の容姿を模して顕現しているからですよ?」

「いや、似ているのもあるが、其方の魔力量がエルフというより邪神寄りというか」

ソゴゥは曖昧に笑い、リンドレイアナに視線を向けた。

「姫殿下、良かったですね」

「ええ、本当にありがとうソゴゥ様。私、嬉しくて、とても幸せですわ」

「ええ、そうでしょう。竜に選ばれ、竜を選んだのですから、これからは竜神王が一人で抱え込まないように、姫殿下が見ていてあげてくださいね」

正気を失った竜と戦うのは懲り懲りとばかりに、ソゴゥが言う。

「ええ!もちろんですわ」

ソゴゥは髪や目の色を黒に戻し、イセトゥアンとカデンの元に行くと、カデンに尋ねる。

「父さん、俺、父さんと母さんの子だよね?」

「当たり前だろう」

「兄は、邪神とエルフの子説が出て、本気にしたニャス」

「でも俺さあ、父さんに似てないよね?将来、そんな凶悪な顔になりそうもないよね?イセ兄とニッチとミッツとヨドは、その道をたどると思う、絶対」

「おいよせ、俺だって親父のように、オーグルでさえ逃げ出すような凶悪な顔になる予定はないからな!」

「おい、お前たち、何気に俺の顔を批判しまくるんじゃない」

フフッとソゴゥは噴き出す。

「とりあえず、あと四日はアジュール温泉郷でのんびり過ごすから、俺。竜神王と戦って節々が痛いし、休養が必要だし」

「まあ、竜神王が次元に穴を開けないと、向こうへは戻れないし、それまでのんびりしていてバチは当たらなんじゃないか?」

「父さん!気が合う!」

「いや、竜神王に言えば、直ぐに向こうの次元に、ムガッツ」

カデンがイセトゥアンの首に腕を掛けて締める。

「あの二人を、そっとしておいてあげなさいよお前、四日くらいさぁ」

「イセ兄、馬に蹴られるよ?」

「ルキと庭石菖も、温泉郷に行こう。庭石菖のことは向こうでヨドたちが心配しているかもしれないから、手紙鳥だけ向こうの次元に送ってもらえるよう竜神王に頼んで来る!」

「いや、だったら姫と王子が無事な事を王に伝えるのが先だろ?」

「それは、イセ兄さんに任せる。って、俺もイグドラシルの皆に手紙書こう」

「俺は、母さんに出すとするわ」

こうして、ゼフィランサス王との約束の日まで、ソゴゥ達は浮島群の滞在を満喫したのだった。


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