3.王の一番の宝
怪盗騒ぎにより、太陽の石の展示は中止となった。
怪盗による犯行予告が出された夜、ロブスタスは気が気ではなかった。
国立美術館に展示されている、太陽の石が置かれた台周辺を囲む空壁の解法を唯一知っている自分が、万が一にも精神支配を受けてしまわないよう、美術館に赴くことはせず、ただ石の無事を祈るより他なかった。
一度は怪盗の手に渡った太陽の石を、無事に取り戻したと報告を受けたとき、どれほど安堵したことか。
スラジ王の希望でもあったイグドラムへの来訪の日程が決まり、石はそれまで王宮の金庫に厳重に保管されることとなった。
王宮がスラジ・ラードーン王の来訪に備え、その準備に追われる中、ロブスタスの元に信じ難い報告が届いた。
それは、太陽の石が金庫から消えたというものだった。
金庫を開けるには、王族の生態と魔法認証が必要であり、さらにその金庫がある場所に立ち入ることは、王族以外は不可能に近い。
それにもかかわらずロブスタスは今、太陽の石が持ち去られたという報告を受けたのだ。
「どういう事だ」
「金庫のある王宮の一角が、部屋ごと空間を切り取られたように持ち去れていたのでございます。切断面に付着する邪気から、魔族に因るものと推測されます」
ロブスタスの付き人である、アマナが答える。
「王宮の深部である、王族の金庫がある建物内部まで魔族が侵入したというのなら、もはや、この国に安心な場所など存在しないではないか!!」
「殿下の仰ることは、ごもっともでございます。この王城には、かねてより目に見えない魔族の存在が疑われておりました。お預かりしていた先々代の大司書様のお子様が誘拐されたのも、この王宮内でございましたので、王は、内部に何か入り込んでいることを長年懸念なされておいででした」
「今回のことで、魔族の侵入がはっきりしたな。大々的に、王宮に出入りする全ての者を調べ、精神支配を受けていないか、身元に不審な点がないかを洗い出すと共に、これからの行動は全てを記録させ、管理、監視する班を編成する。他にも、城内の重要区域での単独行動の制限を設け、汚染されたものを所有していないか持ち物検査を行う」
「かしこまりました。王宮内の各団長、隊長、また王宮職員の管理職を集めて、緊急会議を手配いたします」
「石の行方は、誰が調査している?」
「宮廷内調査部が調査を始めております」
「兄さんが手配したのか」
「いえ、ゼフィランサス王です」
「父さんが」
「はい、そのゼフィランサス王がお呼びでございます」
「分かった」
ロブスタスは応接の間に呼び出され、すぐさまそこへと向かった。
来訪を告げ室内に入るとそこには、何故かイグドラシルの第一司書がいた。
第一司書は、目礼だけをして、王に向き直る。
「ロブスタス、太陽の石のことは聞いているな」
「はい、私も直ぐに石の捜索にあたります」
「いや、石は見つからぬであろう。既に魔界へ持ち去れたと考えた方がいい。我々が今考えなくてはならないのは、スラジ・ラードーン王に対する誠意の見せ方についてだが、ロブスタスよ、そなた、確か石を失くしたり壊したりした場合について、スラジ王より何か条件を言われたであろう?」
「はい、スラジ王は、エルフ側の宝を一つもらうと仰られ、それは、王が保有する宝で、三番目くらいのものでいいとのことでした」
第一司書がこちらを一瞥する。その眼差しは、驚くほどに冷たい。
「今回の件は、最初から、王の三番目の宝が目的だったのではないでしょうか」
第一司書が王へと告げる。
「余にとって、恐らくそれは一番の宝だ」
王は長い溜息を吐き、震える指先を握り込んだ。
「ロブスタス、太陽の石がどのような物であったか知っておるか?」
「こちらの次元には存在しない、貴重な石であるとしか」
「太陽の石は、次元に穴を開ける爆弾の材料となるのだ。そなたが預かって来たあの量ならば、百年、魔界と繋がる穴を開け続けることが出来る規模の爆発を引き起こすものだ。それが、魔族に奪われた。爆弾が、この大陸のどこで使用されたとしても、この責任から逃れられるものではない。まずは、この一点を肝に銘じよ。そして、もう一点、そなたがスラジ王と交わした約束は、そなたが考えているほど甘いものではない。いずれ、スラジ王来訪の際、その真意に気付き、取り返しのつかない事が起きたと、そなたは知るであろう」
ロブスタスは王の言葉に、血の気が失せる思いがした。
「石を何としてでも取り返さねば、スラジ王が来訪されるまで、まだ間があります」
王は首を振る。
「王よ、あまり脅しては気の毒です。ですが、私からは何も申し上げることが出来ません。選択は、あくまで王家の中で行ってください」
第一司書の言葉に、王が唸る。
ロブスタスには、第一司書が何を言っているのか理解できなかったが、王には通じているようだった。この二人は、自分たちより一つ向こうの次元で話しているところがあり、彼らの見えている景色が自分には見えていないのだと思い知ることがある。
第二王子には伝えていないが、ソゴゥは王に、太陽の石は自分が持っていると伝えてあった。魔族に盗まれたのは、ソゴゥがあらかじめすり替えていた魔獣だったため、魔族が爆弾を作ることはないと。
ただ、太陽の石をこのままスラジ王に返却すべきか、太陽の石を返さずに、スラジ王が要求する王の宝を渡すかの選択に、ゼフィランサス王は悩んでいた。
ゼフィランサス王には、竜神スラジ王の要求がどのようなものであるか、おおよその予測がついていたのだ。
そして実は、ソゴゥにはもう一つの選択肢を用意することができたが、それはあえて黙っておくことにしていた。この局面は、王家が一丸となって対処しなくてはならない。
ソゴゥにはそう感じられたからだ。
「ロブスタスよ、今はスラジ王の来訪のもてなしと、その後の石の喪失についてのスラジ王へ報告する段取りなど、他の二人の兄妹と相談して決めておくがよい。その際に、要求される宝の受け渡し方法などについても、必ず他の二人と相談して決めるように」
「かしこまりました、しかし、太陽の石が魔族の手に渡ったままというのは」
「奪われた太陽の石については、魔族に悪用される心配はないとだけ言っておく」
ソゴゥが王の言葉を肯定するように頷き、第二王子に声を掛ける。
「太陽の石については、王の仰るとおりです。ところで殿下は、今この場に『王家の書』をお持ちでしょうか?」
「いえ、普段は私の部屋に置いてあります」
「でしたら、一言だけ、今後『王家の書』は肌身離さず携帯なさってください。何処へ行くのにも、必ずです」
「分かりました、そのようにいたします」
話は終わったと王が告げ、ソゴゥは退出し、第二王子が後に続く。
ソゴゥは一度だけ振り返り、王の様子を確認した。
もし自分が王の立場だったら、どうするだろう。
国家という重責を担い、その手には多くの命が委ねられている。その彼をして、手が震えるほどの葛藤を、大事な物を失うかもしれない状況に苦悩する一人のエルフの姿を垣間見て、直ぐにでも助け舟を出したい気持ちに襲われる。だが、それではダメなのだ。
同じ過ちを繰り返さないために、これは彼らが乗り越えて行かなくてはならない試練なのだから。
ロブスタスは先を歩く第一司書の背を見ていた。
大きくはないが、真っ直ぐに伸びた背筋と、やや瘦せ型ではあるが、均整の取れた体躯。
最近では珍しくない短い髪型をしているが、その色はエルフにはない色だ。それに、王宮内に立ち入る者はやはり伝統的な長い髪であることが多いため、そういった面でも彼は目立っている。
黒い髪に黒い瞳、そして丸い耳と、その特徴は人間の様だが、彼の父はイグドラムでも古くからある名家、ノディマー家の者で、母親もまた純粋なエルフだ。
ノディマー家は、その家に連なる全ての者の功績からナンバー貴族となり、おそらく来年あたりには爵位が他の十三貴族と同様に侯爵となるだろう。
十三貴族には、王家と縁戚関係の家はない。ナンバー貴族は全て、その能力と実績により認められた家であり、血や家柄が重んじられた結果の地位ではない。
階級制度を設けた国家において、イグドラム国は他国と様相を異にする独自の文化を持っている。エルフの労働を厭わない性質と、奉仕の精神の高さが国家を支え、その能力が突出したエリートをもって貴族と定めているのである。
そのエリート一家においても、彼は特別な存在だ。
今はまだ、第一司書という身分だが、やがて大司書となり、イグドラム国において王と同等の地位となる。
その地位は、血ではなく、生まれでもない、彼の能力とイグドラシルに選ばれた彼自身の価値によるものである。
彼を見ると、王家に生まれたというだけで今の地位にいる自分に、どれほどの価値があるというのだろう、そういう気にさせられる。
深い緑色の司書服は、多くのエルフが崇拝する信仰の対象でもある。
その司書服を着た、眼差しのきつめの印象のある青年が振り返る。
「殿下」
「えっ、ああ、なんでしょう」
まさか話しかけられるとは思わず、変な声が出てしまった。
「王は何も仰らなかったが、この先、殿下の真価が問われる時が訪れます。これはご兄弟で乗り越えていかなくてはならない試練なのだと私は思います。一つ、生意気なことを言わせていただくなら、誰かに助けてもらう事を躊躇わないでください。そして諦めなければ、きっと好機が訪れます」
その言葉は、これまでの失態とこの先の不安感で押しつぶされそうになっていた心に、希望を灯すに十分な温度を持っていた。
ああ、これがイグドラシルの使者なのだ。
思わず跪きたくなる衝動を、なんとか抑える。
応接室へと続く廊下を歩いていると、向こうから防衛庁情報部長が部下を伴ってやって来た。陸将ではなかったことに安心すべきか、ロブスタスには判断しかねた。このタイミングで陸将が呼ばれた場合、それは王が戦争準備を始めたと推測出来るからだ。
情報部長である陸将補とその部下が立ち止まり、第一司書とこちらに敬礼をおくる。
イグドラム国に空軍はなく、海軍と、陸軍がそれぞれの空域の防衛も担っている。
だが、空域の調査作戦には主に陸軍が主体となることが多く、ヘスペリデス調査に陸将補が呼ばれたのだろう。
ロブスタスが胃の上を擦っていると、第一司書が一枚の葉を渡して来た。
「樹精獣から貰った葉です、一枚どうぞ」
「これは」
「そのまま口に含むと、胃のムカつきがとれますよ」
第一司書の言う通りに口に入れて咀嚼した途端、爽やかな芳香と共に、胃が洗われたようにスッキリした。
「それでは、私はここで」
城外に続く通路へと曲がったところで彼の護衛の悪魔が出迎え、ともに去っていくのを、暫くその場で見送っていた。
そういえば、葉のお礼を言うのを忘れたと思いながら。
別行動をとり、王宮内に魔族の気配がないかヨルに探ってもらっていたが、やはり、ヨルの今の体は探知や索敵には向いていないようだった。ソゴゥも、視点をマーキング用に切り替え周囲に脅威となるものがないか探るが、それらしいものは見つからない。
すり替えた魔獣が、魔族に盗まれたと聞かされた時は少し泣きそうになった。
あの苦労は何だったのだと。
しかし盗まれたのが、太陽の石の偽物で良かったのだと思いなおし、第二王子に噛みつくのはやめておいた。今にも死にそうな顔をしている第二王子が、気の毒になったのだ。
王宮は広く、ここを行き交うエルフの数も一万人以上いる。王族の住まう御所の他に、騎士や王宮魔導士の官舎、王宮職員の寮などの他にも様々な施設がある。
ここに潜む何かは、ゼフィランサス王をもってしても発見に至っていないのだから、相当な潜入スキルを持っているのだろう。
ソゴゥは王宮の庭から、空に浮かぶ浮島群を見上げた。
この次元に姿を見せているのは、神殿のあるヘスペリデスの最高位の者が居る島と、その周辺の神域の島々で、一般的な竜人族が住む浮島群は、次元の向こうにあり、ヘスペリデスの全島が見えているわけではない。
ヘスペリデスについて書かれたものを、レベル5の司書達とイグドラシルの蔵書から探し出して、いくつかの文献から、その内容を合わせて検証した結果、ヘスペリデスの全島を繋ぎ合わせると、この大陸の半分近い大きさとなることが推測されたのだ。
魔物との百年戦争は何としてでも避けたいが、単純に面積だけで考えると、国としての規模はヘスペリデスが上であるため、こちらとも戦う事は何とか回避したいところだ。
竜神王の来訪に備え、首都セイヴを守護する王宮騎士二千、魔導士百、その他、陸海合わせて十五万、警察官十万が厳戒態勢に入る。
西域の海洋国家ニルヤカナヤ国や、隣国のヴィドラ連邦国のような友好国からではない、まるで情報のない、天空国家元首の来訪にイグドラム全体の緊張が高まっている。
ゼフィランサス王は国民の不安や混乱を避けるため、竜神王来訪に際し、歓迎の機運を高めるように十三貴族に通達し、またその裏で各主要都市の防衛を固めさせていた。首都をはじめとする各地では色とりどりの旗や、花が街中に飾られる一方で、各領地間の移動制限、当日の飛行竜の使用制限などについて国民に協力を呼び掛けていた。
国の重要施設である国立図書館本館、通称イグドラシルでもまた、司書、職員合わせて三千が当日に起こりうる最悪を想定したシミュレーションを繰り返し、建物全体と各セクションのセキュリティ強化実施に追われていた。
満天星は空に浮かぶ白い積乱雲を見上げていた。
首都の西の海域上空に現れたという天空の国家、その浮島群を、この十三領から見ることは出来ないが、その噂は各棟に広まっていた。
首都セイヴには少し前に、ここの皆で訪れたことがある。
天空の国家とはどのようなものなのだろう、見てみたい気もするが、恐ろしくもある。
ここのエルフ達は、自分たちを過保護なまでに守護し、いつも病気や怪我がないかと心配するだけでなく、辛いことはないか、楽しく過ごせているかと気にかけてくれる。
満天星はこの西棟、白虎館を馬酔木と共に管理を任されている。施設環境を馬酔木の班が、人的な問題を満天星の班が当たり、たまに訪れるソゴゥ様と共に、新しい取り組みを模索したりもする。主に、困りごとや問題は、全棟の管理責任者であるジキタリス様や、領主であるヨドゥバシー様に相談することとなっているが、ふらりとやって来るソゴゥ様は、その容姿も我々に近い事から、ついなんでも話してしまい、畏れ多いと分かっておりながらも友人の様な感覚を覚えるのだ。ソゴゥ様もそれを望んでおられるようで、畏まった話し方を嫌厭される。
遠くからそのソゴゥ様の声が聞こえ、そちらに目を向けて驚いた。
「満天星!」
ソゴゥ様が手を振っておられる場所が、巨大な狼の背中だったからだ。
付近にいた獲物の鹿たちが一斉に逃げ出し、ソゴゥ様が慌てて「ごめん、ごめん」と狼から降りて、こちらへとやって来られる。
「この狼は、ディーンって言うんだ、鹿からリシチの花を守ってくれているんだよ、向こうの少し小さい方が、奥さんのデルーカ、ヨド達が乗っている」
ヨドゥバシー様がデルーカという、やはり巨大な狼から降りて、こちらにやって来られる。ソゴゥ様にそっくりなルキ様もご一緒だった。
「ところで、ちょっと聞きたいんだけど、誰か野菜を育てるのが得意な人はいないかな?植物の扱いが上手い人がいいんだけど」
「はい、おります。庭石菖という者が野菜や花の世話が得意です。エルフの先生からの知識をよく吸収しておりますし、本人も世話が好きなようで熱心に取り組んでおり、彼の担当の畑は育ちが良いと評判です」
「それはいい、その庭石菖さんを呼んできてくれないかな?」
ソゴゥ様に言われ、庭石菖を呼んで来ると、庭石菖と共に狼の背に乗るように言われ、西棟から東の方へ数キロほど進んだ、開けた場所に連れてこられた。
ルキ様が周辺を確認し、地面の一か所を指さされる。
「この場所ニョス」
「ここか、ヨド、この付近に水場はある?」
ヨドゥバシー様が辺りを見回し、東の森の先にある山の位置を見て、現在地を確認される。
「ここなら、あの山道の直ぐ側に湧水が出ている場所がある」
「そんなに離れてないな、水はそこから汲んでくればいいか。ルキ、庭石菖はどうだ?」
ルキ様が庭石菖をじっと見つめられる。
庭石菖は、極東から来た人間のほとんどがそうであるように、彼もまた容姿にコンプレックスを抱えている一人で、その口元を布で覆い隠している。
髪は頭部の右半分からしか生えず、もう半分の表皮が鰐の鱗の様であり、腰を超える長い黒い髪を一つに束ねている。背は、このエルフの国へ来てから急成長を遂げて、ヨドゥバシー様と並ぶほどに高く、手足も長い。
ヨドゥバシー様やヒャッカ様が、人と違う事で気に病む必要が無いとどれだけ言っても、やはりそう簡単にはいかないのが現状で、彼は尖った歯を隠すために、口元を布で覆っていた。
だが、ソゴゥ様は庭石菖を見た時から目を輝かせておられた。
「カッコいい」と呟いて、皆がソゴゥ様に向けるような憧れの目を、ソゴゥ様が庭石菖に向けているのだった。
「樹精霊が問題ないと言っているニョン」
「なら、庭石菖に任せよう、満天星、庭石菖、樹精霊から預かった種を渡すから、これをこの場に植えて育てて欲しい。この種は、聖魔どちらの性質にも偏らない人間の手が必要らしい。だから、聖の気が強いエルフや、ヨルやルキのように魔の気が強い者が関わらずに育てたいんだ」
「お役に立てるよう、最善を尽くしますが、この種はいったいどんなものなのでしょうか?」
庭石菖が尋ねる。
「イグドラシルと同じくらい大切な木らしい、そう樹精霊が言っているそうだ。そして、直ぐにでも芽吹かせ、育てる必要があるとも言っている」
「イグドラシル、世界樹と同じとは・・・・・・そんな大役、私で務まるでしょうか。万が一芽吹かず、或いは、芽吹いても枯れてしまったら、私はどう責任をとったらいいか」
「気にすることないニャン、そんな軟な子ならそれまでノス。ルキ達はその子に生きるチャンスをあげようとしているのデフ、途中で枯れるようなら、それまでのことなのデフ」
「根付く大地と、陽の光、それと適度な水と温度、それらがあれば、この大陸の雪原や砂漠を除くどの環境に適応する強い種子なのだそうだ。ただ、聖なる気や邪悪なる気に触れ続けるよりも、人間が育てた方が強い心が育つようだ」
「心ですか」
「この子には心があるノス、庭石菖達はきっと大丈夫と樹精霊が言っているニャー」
「ヨド、庭石菖や満天星のサポートを頼むよ、彼らだけでなく、何人かこの世話に回して欲しい、水やりと、害獣を近付けないようにすること、まあ、この位置なら、狼たちの巣の半径五キロメートル内だから、草食動物はもともと来ない場所だろうけれど」
「分かった、庭石菖だけに負荷がかからないように、当番は考えておく。エルフは世話が出来ないとなると、俺も、ここへは近づかない方がいいのかな?」
「完全に魔力を外に漏らさない事が出来るなら、ヨドゥも様子を見に来てもいいノス」
「自信がないからやめておくよ、その代わりディーン達に見回りをお願いしよう。二人もディーン達を覚えておいて、俺の契約獣だ」
「分かりました」
「早速、種を渡すニャン、手を出さすニャ」
ルキが庭石菖に言い、庭石菖が鱗状の皮膚をもつ両手を前に出す。
手のひらは白く滑らかで、丈夫そうだ。
ルキから手渡された、丸い琥珀の球を受け取る。
「兄、ヨドゥと兄の周りに魔力を遮断する壁を作るノス、兄も協力するノシ」
「分かった、ヨド、防御壁を多重に張って外界への魔力の放出を遮断するから、しばらく動くなよ」
「わかった、じっとしておく」
「いや、息は止めなくていいって」
ルキ様の目が赤く、ソゴゥ様の目が黄緑に光り、彼らの存在感が驚くほどに希薄になった。
ルキ様が、庭石菖の手にしている琥珀に手を翳して、琥珀に赤い光が奔ると、砂のように光りながら、サラサラとこぼれ落ちていき、中に閉じ込められていた小さな種子だけが、庭石菖の手のひらに残った。
「これを、そこの土に拳一つ分の土を掘った中へ埋めて、土を掛けるナフ」
庭石菖が言われた通り、種を土に埋めると、驚くことにたった今、土を掛けて平らにならした場所から、金色の芽がひょっこりと土を押しのけて顔を出した。
見る間に、双葉から本葉へと成長を遂げ、三十センチほどの生まれたてのエバーグリーンの様な黄金の若木へとなって落ち着いた。
「うぬう、この木は本来、林檎の様な木になるはずニャー、でも今は合歓の木みたいニャー」
「記憶を失っているんじゃないのか?」
「そうかも知れないニャス、そのうち自分のことを思い出すと思うのでィ、それまでは自由に育てばいいニャス」
「この木は一体、何の木なのでしょうか?」
ソゴゥ様とルキ様が顔を見合わせて、首を傾げる。
まるで双子の様な動作だ。
「神代の植物ニャ、名は無いのニャ、神の庭に、神のための実を付ける片割れニャス」
「二つで一つの木らしいんだが、最近その一つが枯れたと、樹精霊が言っているんだ。世界中の樹精霊、それこそ他次元の樹精霊までもが探しに探していた種子が、とある邪神の宝物庫に無造作に置かれていたのが発見されてね、片方が生きているなら、この種は間違いなく、枯れた方の魂を宿すから、育てて、二つに戻してやらないといけないんだそうだ」
「なあ、邪神の宝物庫って、ルキの・・・・・・」
ヨドゥバシー様が何かを言い掛けるのを、ソゴゥ様が睨みつけて止める。
「とにかく、この木が丈夫に育つことが、樹精霊の願いだそうだ。頼める?」
「分かりました、この木を枯らすことのないよう、私が責任を持ってお世話をさせていただきます」
庭石菖の言葉に、ソゴゥ様がほっとした表情を浮かべられる。
「ありがとう、そう言ってもらえると助かるよ」
ソゴゥ様たちが屋敷へ戻られる際、庭石菖はもう少し木の様子を見ていくと言ってその場に残った。その後この金色の木は、庭石菖の宝物の様な存在となったのだった。
竜神王の来訪当日となった。
王宮で歓迎式典が執り行われる一方で、セイヴの街は外出制限と、市外からの入場規制がかけられ、首都以外での待機が推奨されていた。
ロブスタス第二王子は、胃の上を擦りながら第一王子のアンダーソニーと共に、竜神王を迎えるため、王宮の中庭で空を見上げ待機していた。
やがて黄金色のオーロラが、見渡す限りの天空を埋め尽くして広がり、ヘスペリデスから、白い蓮の花のような巨大な飛行物体が、波間を揺蕩う海月のようにゆっくりと優雅に降下してきた。竜神王だけを乗せた神の乗り物の周辺を、数百の竜人族がこれに追従して飛来する様は、神の降臨のようだった。
広大なイグドラム王宮の中庭が手狭に感じるほどのスケールで、その乗り物が大地へと到着すると、眩しい程のオーロラの光が引いて空が青空に戻って行く。
褐色の肌に、赤い衣を翻しやって来る竜神王を、アンダーソニーとロブスタスが出迎える。
竜人族を、他の王宮の案内役が、宮廷内へと案内しようとするが、彼らは人形のように佇立したままその場に留まっていた。
「彼らのことはよい」と手を挙げる王に、二人の王子は歓迎の意を述べると、早速竜神王ことスラジ・ラードーン王を、父ゼフィランサス王のいる謁見の間へと案内する。
ゼフィランサスは玉座にはつかず、立ったままでスラジ王を出迎えて歓迎し、自ら歓迎式典が行われる迎賓館へと案内に立つ。
海洋人を招く際のセイヴ港に面した迎賓館とは別に、王宮内にあるこちらの建物は、白と青を基調とした複雑な構造を持つ建物で、その壁はクリスタルが多く嵌め込まれ、豪華すぎる植物園のような佇まいだ。白い石が境が分からないほど精密に組まれた壁に、石と木が一体と化したような柱、クリスタルのドーム状の天井をもつ広間には、人の顔ほどもある大きくて鮮やかなイグドラム固有の花が咲き、天井部分を覆う蔓からは、黄色や白、紫の藤の花に覆い尽くされている。一年を通し、絶え間なく花が咲くように計算され、またそれらの芳香が訪れた者を刺激しないように、ほとんど無臭に近い状態の品種改良が成されている。
横長のテーブルに隣り合う形で用意された椅子にスラジ王を案内し、その隣にゼフィランサス王が腰を掛ける。
目の前の白いテーブルには、スラジ王をもてなすために用意された果物や食事が並び、それらは絵画のように美しく配置されて彩られている。
上座の大きなテーブルの他に、左右に王妃と第一子のテーブル、第二子と第三子のテーブルと分かれ、竜人族の使者の同伴を見込んでの席は空席となっている。
「此度のご来訪、心より歓迎いたします。次元を隔てた貴国との交流はこれが初となる認識でおりますため、至らぬところがございましたら忌憚なく仰っていただきたい。まずは、スラジ王とお呼びしてよろしいか?」
「ああ、それで構わない、こちらもゼフィランサス王と呼ばせていただく。貴殿の申す通り、我が国は、地上の民との交友は、余の代では初めてである。今日は手土産を持って参ったので、受け取ってもらえるか?」
スラジ王が、視線を向けた先で、迎賓館の扉から中庭にいたはずの竜人族たちがうやうやしく手にした物を、ゼフィランサス王の前に積み重ねていった。
大量の土産は、浮島群の貴重な織物や宝石類などだった。
竜人族たちは終始無言で、土産を置くと退出していった。
ロブスタスは彼らの行動を見て、竜神王が思念伝達で指示しているのだと、彼らのコミュニケーション方法に確信をもった。
ゼフィランサス王は驚きながらも、これらの贈り物を喜んで受け取ると、次はこちらの番とばかりに十三貴族や大臣らがの代表が竜神王へ挨拶に訪れ、イグドラム国の特産品を紹介して、これらを土産として献上していった。
宮廷音楽家による演奏が絶えず響き、食事や会話が弾みロブスタスは強い酒をスラジ王へ振舞うよう、それとなく給仕に伝える。
ロブスタスは取り澄ましているが、まるで食事が喉を通らず、隣にいる妹のリンドレイアナからそっと胃薬を渡された。
同じ兄妹でもアンダーソニーとリンドレイアナは生まれながらの王族だが、自分は違う。
自分だけが、生来の王家の気質を持たず、努力によってのみ取り繕った王家の者であるとロブスタスは思っていた。
現に、スラジ王の竜神の神気に、自分以外の者はあてられた様子もない。ロブスタスは毛細血管がチリチリするような、気を抜けば体の自由を奪われそうな威圧感と戦っていた。
「スラジ王は、我が国へどれだけご滞在いただけるのですか」
「今回は、顔見せであるため、明日には戻る予定である」
「それはまた、随分と短い。地上の空気は慣れませんか」
「いや、そうではない。案ずるな」
スラジ王は若く、金色の髪と瞳、褐色の肌、神話の神のような肉体美を持ち、野性味と知性と品を兼ね備えた、端正な顔立ちをしている。
エルフと同様に、髭を蓄える習慣がないようで、イグドラム国でもかなり好まれる容姿だ。おそらく、その妻の数が百を超えているだろうことが想像できる。
エルフは長い寿命を持つが、特に法で定められていないにもかかわらず、ほとんどが一夫一婦の結婚観を持っており、伴侶に先立たれた後でも、別の者と結婚するという者が少ない特殊な民族性を持っている。
ロブスタスは妹のリンドレイアナと、母オルレアの様子を伺うが、この二人の表情は一向に読めない。幼年期にあるリンドレイアナは、スラジ王を見て頬を赤らめるなどの反応もなく、また、興味もなさそうだが、王族としての愛想を持って席に臨んでいる。ただ時折、視線を左斜め上に向けるのは、何かを思い出す際に、記憶を探るときのリンドレイアナの癖だ。
そういえば、リンドレイアナは昔、金色の竜を見たことがあると言っていたが、スラジ王の竜の目を見て思い出したのかも知れない。
そうこうしているうちに、あっという間に時間が進み、そろそろスラジ王が滞在されるお部屋への案内をという運びとなった。
太陽の石のことを告げるのは、今日、この場であることを決めていたため、ロブスタスに緊張が走る。
「スラジ王、私から報告がございます」
ロブスタスは意を決して、告げる。
「お預かりしていた、太陽の石でございますが、展示を終えて王宮内の金庫に保管していた物が、金庫ごと魔族に持ち去られる事態となりました。本来なら、直ぐにご報告に参らねばならない事は承知しておりましたが、これを取り戻すため今日この日まで、出来るだけ手を尽くした結果、慚愧に堪えないご報告となりました。貴重な品を、お返しすることが出来ないこと、深くお詫び申し上げます」
スラジ王の目がスーッと細められ、その顔から表情が消える。
その途端、広間の気温が確実に下がり、天上の藤が花を散らした。
この場の緊迫した雰囲気と事の重大さから、ロブスタスは自分の命を差し出さなくてはならないのではと想像し、天を仰ぎたい気持ちを抑えスラジ王から目をそらさずにいた。
「なに、あの石が魔族の手に渡ったというのか、この国にまさか魔族が介入してくるとは、余も予想していなかった。許せ、アレは魔族の手に渡れば、災いの種となろう。その時は余も、何か手を貸せることがあれば手を貸してやろう。だが、約束は約束である、王の三番目の宝を代わりにもらい受けるが、よいな?」
スラジ王はゼフィランサス王へ向けて言った。
「国の代表として赴いた第二王子との約束を、この私が反故にすることはできませんな。而して、スラジ王が所望される物とは、一体どのようなものですかな」
スラジ王は、満足げにゼフィランサス王の言葉に頷き、そして広間に目を向け指をさした。
指の先にいるリンドレイアナが小首を傾げる。
ゼフィランサス王は、予期していたように諦観の表情を浮かべる。
「ご息女を頂戴したい」
ロブスタスは息を飲み、アンダーソニーはその場で立ち上がった。
オルレアとリンドレイアナの二人は動じた様子もなく、リンドレイアナがするりとロブスタスの脇を通り、スラジ王の前へ進み出る。
「私のことでお間違いないでしょうか?」
「ああ、其方のことだ」
「私に太陽の石ほどの価値があると言うのであれば、喜んでお受けいたしましょう」
リンドレイアナは、竜神王を前に堂々とそう告げる。
「スラジ王よ、リンドレイアナは、私の一番の宝である。だが、先に約束を果たせなかったこちらが、異を唱えることは控えよう。しかし、石が貸し出された経緯と同様に、リンドレイアナをまず一週間、貴殿に貸し出すという形をとらせていただく」
「それは、意味のある約束とは思えないが」
リンドレイアナを譲り受ける気でいるスラジ王が、そう応える。
「一週間後、リンドレイアナをここへ連れてきていただきたい。その際に、身体や精神に傷ひとつないことが確認できたなら、リンドレイアナを貴殿に譲り渡すことを約束する。しかし、一週間後、ここへ連れてこられなかったり、またリンドレイアナが病んだり、心や体に傷を負っていた場合、リンドレイアナはお戻し頂く」
スラジ王は面白そうな表情を浮かべ「いいだろう」と請け合った。
「明日、ご息女には一緒にヘスペリデスへ来ていただく」
その場にいた王族以外の護衛の王宮騎士や、給仕や音楽家を兼務する警備員からの声なき動揺が広間に伝わる。
とりわけリンドレイアナの二人の兄は、動揺を隠せていない様子で、むしろ一番落ち着いているのが当事者のリンドレイアナであった。
自分を責める兄を気遣うように、柔らかな視線を向け、ロブスタスを安心させようとさえしていた。
王族や貴族といえどもエルフの結婚は当人達の意思が最も尊重されるべきものであり、さらに言えば、愛人という概念もない。
竜神王の愛人の一人に加えられるのか、魔力の強いエルフを食料と考えているのか、どう考えても、イグドラム国民が晒されなければならない危機であっていいはずがなかった。
横を見れば、あの冷静なアンダーソニーの目には怒りと屈辱がありありと浮かんでおり、リンドレイアナを取り戻すために戦争を仕掛けてもおかしくない様子だ。
その目を隠すように、オルレア王妃がスラジ王と第一子の間にさりげなく体を割り込ませる。男性エルフが履いて立つことも難しい、瀟洒なデザインの高いヒールと髪形で何とか、衝立の役割を果たすことが出来ていた。
ゼフィランサス王は嘆息し、王女に目を向ける。
「リンドレイアナ、本当によいのだな?」
「もちろんですわ。私、浮島群へ行ってみたいと思っておりましたの」
オルレア妃がリンドレイアナの横へ進み出て、スラジ王へ訪ねる。
「姫はとても衣装持ちですわ、持って行ける荷物はどれくらい可能ですの?」
「ふふ、案ずるな、好きなだけ持って来るがよい」
「では、付き人はどれだけ連れて行ってよいのかしら?」
スラジ王は竜の目を眇めて答える。
「三人に留めおくがよい、双方のために」と含みのある言い方をした。
「一国の王女の付き人が三人とは、普段の十分の一ほどで、姫を守れるというのでしょうか?」
オルレア妃が食い下がる。
「守るのはこちらに任せてもらおう、身の廻の世話も竜人族が行う、気心の知れた者のみ帯同を許可しよう」
まだ何か言い掛けるオルレア妃を、リンドレイアナが「大丈夫ですわ、お母様」と、その指先を軽く握る。
母として溢れ出しそうになる言葉を、オルレアは王妃として飲み込み、再び冷たい笑顔の下へ思いを隠した。
ハラハラと舞う藤の花の下、王族の一家揃っての晩餐はこれが最後となった。
その夜、ゼフィランサス王は子と言う一番の宝を竜神王へと差し出したのだった。