2.太陽の石
その日、セイヴ港の西の海域上空に突如として現れた浮島群に、王宮は騒然とした。
百年周期でその姿が時空の向こうに見える、空中国家ヘスペリデス。
次元の異なる空間を浮遊するその島々は、蜃気楼のように実態のないその姿を映す。
だが、この日現れた浮島群は、こちらの次元に現れたものだったのだ。
王宮にいた第一子のアンダーソニーと、第二子のロブスタス、第三子のリンドレイアナの三兄妹はその事実に愕然とした。
よりによって彼らの両親である、ゼフィランサス王とオルレア王妃が外遊中で、国内を留守にしており、イグドラム国内については、三兄妹に任されていたのだ。
予見の能力のあるゼフィランサス王だが、能力の範囲が高次元や他次元には及ばず、そのため、この出来事を予知できなかったのか、それとも予知していて、あえて子供たちに試練を与えているのか、兄妹たちには判断がつかなかった。
ともかく、アンダーソニー王子は、早急に使者を見繕い、彼らを刺激せずに用向きを窺い知るため手配を行った。
第一王子自らも、使者と共にヘスペリデスへ赴くと弟と妹に告げたが、王の代理である第一王子が国を離れるわけにはいかないと、次男のロブスタスが代わりに自分が行くと宣言し、使者を伴って飛行竜に乗り、西の海域上空を目指した。
向かうのはロブスタスを含む使者と、護衛の十数名のみ。
万が一拘束され、盾にとって交渉してくるようなら、自分の事は切り捨てるようにとロブスタスは兄に伝えた。
空に浮かぶ島々、その一番手前に到達する頃、白い角と翼と尾をもつ竜人族がエルフの使者が乗った飛行竜を取り囲み、ひと際大きな島へと先導した。
白い衣を纏い、体表は鱗と皮膚が半々といった人に近い姿をし、言葉を発さず、ロブスタス達使者をヘスペリデスの神殿の門へと案内する。
ロブスタスは、兄のアンダーソニーの手前、自分が使者に加わると言ったが、兄の様に如才ない振舞いが出来る自信はなかった。
臆病さを悟られぬよう、真逆の横柄な人物であるように見せているが、それは、王族は決して下に見られてはならない使命と責任を背負っているが故、本当の自分をさらけ出すことは、国民への裏切りにもなると考えての事だった。
竜人族は、そのまま楽園の庭のようなニンフが飛び交う花園を突っ切って、白い神殿のような高層建築物へと誘う。
竜人族もニンフも、ここに咲く花も建造物も何もかもが、日に晒され過ぎて色を失ったかと思わせるように、白で統一されている。不浄を嫌う神の国、或いは、時に忘れ去られ、色褪せた最果ての場所。
エルフ側の使者達もまた、畏れから一言も声を発する者はいなかった。
やがて、巨大な龍の肋骨の様な白い柱の回廊を抜け、玉座へ座る竜人族の王と思しき人物の前に通された。
その人物は、ここまで案内をして来た竜人族とは異なり、あふれ出るほどの神気を纏っており、神格を持った個体、竜神だった。
何もかもが白い中で、その者だけは輝くような金色の髪と瞳を有しており、角や翼などはなく、肌は褐色で赤い布の下の肉体美を露にしていた。
また、顔や腕には白い刺青のような文様が浮き上がっており、体格はエルフとそれほど変わらないが、筋骨隆々であり戦士の様相だ。
竜人族がありのままの姿に対し、彼のその姿は人への擬態であり、本当の姿は、巨大な竜なのだろうと、ロブスタスはこの王の間の天井の高さを見て思った。
案内をしてきた竜人族たちは王の視界の端へ避けるように身を引き、竜神の金色の瞳がロブスタスを捉える。
「こちらから出向く予定であった、王族が使者として来られたことを嬉しく思う」
耳孔を介した音声だけでなく、電気が体表を撫でていくように、言葉を、聞く者の全身に刻み付けてくるような声だ。
ロブスタスをはじめ、使者たちは金縛りにあったように、息をするのも忘れ、ただ目を見開いていた。
ロブスタスはエルフのトラディショナルな髪形で、金色の長い髪と、鮮やかなブルーの瞳、王族のみが着る青いローブを纏っている。
交流のある国や知識のある者なら、エルフの王族と分かる出で立ちだ。
「余はスラジ・ラードーン、このヘスペリデスの王だ。久方振りに他種族との交流がしたいと考え、エルフの国ならば理性的な対応が望めると思い、この場にやって来たのだ」
ロブスタスは何とか息を吐き出し、十メートルほど離れたスラジ王へ向け声を上げる。
「私は、イグドラム国第二王子ロブスタスと申します。国家、民族間の友好を願い参上いたしました」
「もちろん、余とてそのつもりだ。相互理解のために、先ずは文化的な交流はどうであろう?余は地上の国を見てみたい。余をイグドラムに招待してもらえぬか?」
「それは、是非とも」
スラジは満足そうに頷くと、控えていた竜人族の一人を呼んだ。
「ワーム、後の段取りは任せた。使者殿をもてなすように」
ワームと呼ばれた、老齢の竜人族が頭を下げたのち、ロブスタスに近寄って来て王の間からの退出を促すように先導した。
まったく話さない彼らだったが、案内された楕円形の巨大な白いテーブルの置かれた広間まで来ると、漸くエルフの使者団に話しかけてきた。
余計な事は話さず、最低限の事だけを言葉にしている様子から、ロブスタスは竜人族が通常は、咽喉からの発声による言語のやり取りを行わない種族なのだろうと思った。
彼ら同士は、思念伝達のような方法での情報交換を行っており、発声は自分たちエルフのような、音声にて会話を行う方法をとる種族に合わせての事だろうと。
男女の竜人族が飲み物や果物を並べ、エルフ側の使者が三日三晩掛かっても食べきれない量の食事が振舞われる。
だが、竜人族側がほとんど口を聞かないため、まるで歓迎されている気がしない。
表情が変わらず、感情が読み難いのもあるが、彼らに感情があるのかすら分からないほど、機械的な行動に思えた。先ほど見た庭で遊ぶニンフ達も、蝶が飛び交う様を見て、こちら側が勝手に楽し気な雰囲気の印象を持っただけで、実際にそうなのかわからない。
スラジ王だけが、ここで生きて意思を持つ生物の様だった。
エルフと竜人族が集うこの場にあるのは、森閑とした静寂だった。
ロブスタスはワームに、スラジ王をイグドラムへ迎える準備ができたら知らせるための連絡手段を話し合う。
竜人族の目は、エルフのような白目と瞳の境がなく、全体が真っ白で、その中に縦長の青灰色の瞳孔があり、その瞳孔は常に細く絞られている。
ロブスタスは王族として振舞う際、人の目を見たら決して逸らさずに会話を行うため、その瞳孔を真っ直ぐに見つめる。
そして、彼の目を見ていて、ロブスタスには気づいたことがある。
ワームの目が代表している、このヘスペリデスに満ちているもの。
それは、空虚だ。
もてなしという名の、沈黙の会を終え、ロブスタスと使者がヘスペリデスを後にしようと、庭に繋いだ飛行竜の元へ向かった際、スラジ・ラードーンがロブスタスを呼び止めた。
エルフの使者一同に緊張がはしる。
「珍しい石が採れたのだ、地上に住む者が決して目にすることはない物である。これを貸し出すから、エルフの民に公開して見せてやるがよい。第二王子よ、其方の目で見てどうであるか?」
スラジから控えの使者へ渡された、両手で抱え持つほどの大きな箱には、透明な黄色の巨大な石が格納されていた。石に当たる光が、石内部で屈折や反射して起こるディスパージョンが異様に強く、石そのものだけでなく、その周囲までもが七色に輝いて見える。
失くしたり、傷つけようものなら、これ一つで、国が傾くほど貴重なものだと、ロブスタスは瞬時に理解した。
もらい受けるならまだしも、貸し出すというのが、どうにも曲者だ。
まさに、今回の交流の試金石となるだろう。
「大変美しい石ですね、確かに私は見たことがございません。何という石なのでしょうか?」
「これは、太陽の石と呼んでいる。エルフの国なら、これを管理できるであろう」
「この石は、どのような管理が必要なのでしょうか」
「エルフが生きる環境下での気温や気圧下であれば、特に問題ない」
「硬度はいかほどのものでしょうか?」
「それほど硬くはないが、叩きつけたりせねば割れることもあるまい」
「他に、注意すべきことはございますか?」
「特にない、流石にエルフよ、知りたいという事は良い事よ」
「この様な貴重なものをお預かりするにあたり、何かあってはいけませんから、できる限り注意すべきことを伺っておこうと存じます」
「なに、これと国を天秤に掛けよと言うわけがなかろう。そんなに怯えずともよい、そうだな、もし原状回復が不可能な状態となった場合、エルフ側の宝を一つもらおう、それでどうだ?」
「それは、どの程度の価値のものだったらよいのでしょうか?」
スラジは考えるような仕草の後、ロブスタスに笑いかけた。
「王が保有する宝で、三番目くらいのもので良い」
「父はそれほど、高価な宝を持ってはおりませんが」
「よいよい、仮定の話だ。そもそも、この石を乱暴に扱わずに、触れないよう展示すればいいだけのこと、珍しき石を自慢したいだけなのだ。それに、エルフの民にも、このヘスペリデスの良い宣伝となろう?」
「ええ、それは確かに。では、ご厚意を受け取らせていただきます。必ずお返しすると、お約束いたします」
スラジは満足そうに頷き、竜人族に途中まで護衛するよう伝えて、神殿へと戻って行った。
赤に近いオレンジ色のあちこち跳ねた長い髪が特徴的な、王宮魔導士のサルビア・スコーピオは、目元を隠す前髪の隙間から、こちらへ歩いて来る第一騎士団の団長グロリオサに気付いて、隠れる場所がないか周囲を見回した。できれば気付かなかったことにして、やり過ごしたい人物の一人だったからだ。
生憎と、開けた真っ直ぐな回廊には、身を隠す場所が見当たらない。それならば、と国内第四位の実力を持つ魔法の力で、存在を希薄にする。
俯き歩くサルビアの元に、踵を打ち鳴らす自身に満ちた靴音が近づいて来る。
グロリオサは身長二メートルを超えた女性エルフで、騎士団の中でも上位の強さを誇る猛者だ。その真っ赤な髪は、男性騎士と同じく編みこまれて顔周りをスッキリさせ、戦士のような精悍さの中にも華やかさと品がある。
サルビアはすれ違いざまにグロリオサに軽く会釈をして、そのまま通り過ぎる。だが、通り抜けたと思った瞬間、手をとられ、くるりと体の向きを変えられた。
「やあサルビア殿、またそんな髪をして、王宮魔導士の品が損なわれると何度も忠告したはずだよ、貴女は王宮勤めを軽んじているのかい?」
気付かれた!
グロリオサは既に、こちらが気づく前に自分を認識していたのだろう。
サルビアは、手指を忙しなく動かし、この場をやり過ごすための言葉を探した。
グロリオサは悪いエルフではないのだが、とにかく押しが強く、サルビアの苦手なタイプだ。
「先程まで、徹夜で魔術の研究を行っておりました。これから私室に身を清めるために戻るところです」
「なるほど、であれば次ぎ会うときに期待しよう。ゆっくり休みたまえ」と、手袋越しに掴まれた手を、そっと放される。
グロリオサのその後ろに、こちらに向かって来ようとしていた、特務隊隊長のイセトゥアンがグロリオサに気付いて回れ右をしているのが見えた。彼もまた自分と同じく、グロリオサを苦手とする一人だ。
彼の場合、グロリオサの人目を憚らない求愛行動に辟易してのことだろう。
自分の視線が知らせてしまったのか、グロリオサの野生の勘なのか、突然ぐるりと振り返った彼女は、イセトゥアンを見つけてカツカツと大股で戻って行く。
イセトゥアンは既に本気の全力疾走で、回廊の奥へと逃げて行ってしまったが。
つい先日、王と王妃の外遊の護衛任務から戻ってきた二人だが、流石にグロリオサも王の前では自重しているのだろう。
臂力だけなら王宮騎士一と言われるグロリオサ、その彼女に追われるイセトゥアンが無事逃げ切れることを祈った。
回廊を平和に通り過ぎ、王宮の奥の御所へと向かう。
サルビアは目当ての部屋の前へ行き、特殊な手順で扉を開錠して部屋の中へと入る。
「おまたせ、アナちょっと聞いてよ!今そこでグロリオサさんと、イセトゥアン様にあったんだよ!イセトゥアン様、チョー逃げてた!」
「詳しく、聞かせて!」
部屋着を着て、前髪だけ結んだリンドレイアナ王女が、サルビアを迎え入れる。
サルビアは周囲に防音魔法を掛け、二人の会話が漏れないようにした。
一人は王位継承権第三位の王女、一人は第八貴族スコーピオ家の姫であり、互いに王侯貴族としての外の顔を持ちつつも、本来の性格は内向的で、出来れば部屋から出たくないタイプのエルフだった。
サルビアは人見知りで、対人スキルの低さは既に周囲に知られているが、リンドレイアナにおいては、その内向的な性格を知る者は親友のサルビアぐらいだ。
二人の親が気付いているかは、微妙なラインだ。
二人は、こうしてたまに集まって、宮廷内の他人の色恋沙汰を観察しては、色々予想しあったりして楽しんでいた。
イセトゥアンのことを好きな女性エルフは、グロリオサだけではない。イセトゥアンを観察していると、この手に話題に事欠かないので、つい視線で追ってしまい、リンドレイアナ姫が、イセトゥアンを想っているなどという不本意な噂が立ってしまっていた。
イセトゥアンのように競争率が激高な派手なエルフは、リンドレイアナやサルビアにとっては苦手とするところだった。
「アナのタイプってどんな人?」
サルビアがこんなに砕けて、まさに女子トークといったことを話せる相手はリンドレイアナだけである。
二人は年が近く、幼い頃からよく顔を合わせており、サルビアの類稀なる魔術の才能が早い段階で認められて王宮魔導士のもとで就学するにあたり、第八領の実家の城から、イグドラム王宮へ移り住んでからは、二人はしょっちゅう遊んでいた。
床に置いたクッションの上に寝そべりながら、菓子を摘まんで、おすすめの本や、宮廷内の事を面白おかしく話して、普段の公務の緊張をひと時の間忘れ去るのだ。
「タイプっていうのはとくにないんだけれど、私が結婚する人って、こんな感じかなって思うイメージはあるんだよね」
「どんなイメージ?」
「言葉にするのが難しいな、昔見た曙光のような感じの」
「うん?」
「イメージをひとに伝えるのって難しいね」
「うん、そうだね、光に例えられてもね。ちょっと、感想が湧かないな。まあ、私達まだ幼年期だしね、そんなに慌てなくてもいいから気が楽だよね。エルフは恋愛の個体差が大きいし、幼年期でも、相手を見つけるエルフもいるけれど、だいたいは青年期に入ってからが多いしね」
「そうだよねえ、私たちが人間だったら、もう結婚の話が出てもおかしくないもんね」
「エルフで良かったよね~」
「サルビアはいないの?好きな人」
「私は、ノディマー家の兄弟を傍目から見ているだけで楽しいよ」
「サルビアは、図書館にもよく行っているもんね」
「うん、でも第一司書様は滅多に公の場所には現れないけどね。たまに見かけても聖職者扱いされていて、不純な動機では近寄りがたい感じだから、女子は遠巻きにしている。それでなくても、他の司書達からのガードが凄いんだよ。まあ、それを見るのも面白いんだけれど」
「あの第一司書の彼ね、ものすごい異性に奥手らしいよ、七歳くらいの感性だってノディマー家の現当主が言っていた」
「えー、そうなんだ、大人びて見えるのにね」
「ね、公務の時は気を張っているんだと思う」
「わかる~」
「わたしも~」
二人はゴロリと転がり、仰向けになって高い天井を見上げた。
リンドレイアナはこの広い部屋の隅っこにクッションを積み重ねて、お菓子や水差し、本などを配置し、頭からブランケットを被って、本を読んで過ごしている。
「あー、部屋出たくないよ、ドレス着たくないよ、王族に向いているのってアンダーソニー兄さんぐらいだよ~」
「ロブスタス様は、いかにもな王子様じゃない?」
「ロブ兄さんも、こっち寄りだよ~、王子を演じていると思う。私にはわかる」
「そうなんだ、いつもイセトゥアン様に突っかかっているじゃない?あれはどうして?」
「あれも半分はワザとだと思う。才能ある年の近いエルフに嫉妬した、無能で、傲慢な振りを演じているんだと思う、あと本当の嫉妬も半分あるとは思うけど」
「なにそれ、複雑」
「ロブ兄さんにも私達のような、本心をさらせる友達がいればいいんだけれど」
「そうだね」
「ロブ兄さんは、ヘスペリデスから貴重なものを預かって来ちゃって、それを無事に返すまで、気が休まらないんじゃないかと思う」
「国立美術館に展示されている、太陽の石だよね。私も見に行きたいと思っているんだ、外交としては、友好の証みたいで良かったんじゃないの?」
「もし壊したり、盗まれたりしたら大惨事ですって。それに、外遊から帰って来た父さんにロブ兄さんが、ヘスペリデスの事を石の事を含めて報告したら、かなり素っ気なかったんだよね、褒めるでも、怒るでもない、何か諦めの境地の様な顔をしていたんだよ。たぶん、父さんの望まない結果だったんだと思う。それは、ロブ兄さんも感じたみたいで、悄然としてた。可哀そう」
「でもさ、難しいよね。そんな貴重な物は預かれません、なんて言って、その場で揉めでもしたら、もともこもないし」
「それを上手く断るのが、王族の勤めなのですよ。王族に失敗は許されないから、絶対」
「それで、アナはその重責に耐えかねて、隅っこ暮らしに」
「部屋の中でまで王女っぽいことはしたくないの、真逆に生きたい」
「可哀そう、ほ~ら、よしよし」
サルビアが仰向けのまま、手だけ伸ばしてリンドレイアナの頭を探り当てて撫でる。
「雑ッ、なんか雑!」
「動きたくないんだよ~、眠いし、昨日からほとんど寝てないし、でも寝たくない」
サルビアのように王宮魔導士の肩書を持つ者は魔法省に所属し、王宮を含めた各省庁から持ち込まれる案件の対応に駆り出され、日々激務に追われている。
「わかる、休日って、眠いけど、何かしたいっていう葛藤のうちに終わるよね~」
「それな~」
王女と王宮魔導士の幼馴染コンビは、結局休みの半分を昼寝で潰してしまうのだった。
イセトゥアンは非番のため街へ繰り出そうとしているとこへ第一騎士団団長のグロリオサに出くわし、特殊魔法で、別人に変身してやり過ごした。
直ぐに元に戻ると、恐ろしく鼻の利くグロリオサに見つかってしまう可能性があり、別人の姿のまま街へやって来ると、目立つ三人組をおしゃれなカフェのテラス席に発見した。
三人とも黒髪で、そのうち二人は男女の双子のように見えるが、全くの赤の他人どころか種族が違うソゴゥとルキであり、あと一人はヨルだった。
三人は顔を突き合わせて、深刻そうな話し合いをしている。
そのうち、通りを挟んだ場所で立ち止まっているこちらに気付いたソゴゥと目があった。
ソゴゥは思いっきり、眉間に皴を寄せたあと、視線を外して再び会話に集中し出した。
この距離で、変身している自分の正体に気付いたわけではないだろう。
変身の精度の高さは、大陸一だと自負している。自分の正体を隠す際の変身には、視覚的なものだけでなく、魔力量や存在感をもコントロールしているし、特定の対象者に変身する際は、声や仕草、それに匂いまで写し取っているのだ。
通りを渡り、ソゴゥ達の元へ行く。
「すみません、第一司書様ですよね、お目に掛かれて光栄です」
「ああ、はい、そうですか」とソゴゥが素っ気なく言う。
「あの、出来れば私の頭に、手を翳していただけませんか」
「えー、面倒くさい、自分でやったら?俺に変身して」
「嘘だろ、何でだよ、バレてる?」
「往来でイチャついてはないが、別人に変身していることで、女子から逃げてきたことが伺えるので、五分五分です」
「五分五分?」
「刈るか、刈らないかの五分五分」
「えっ、命を?」
「毛髪を」
イセトゥアンは後退り、頭を両手で覆った。
「いやあ、違うんだよ、こうしてたまに変身して、能力の向上を図っているんだ」
「優しい嘘ニャー」
「違うよルキ、これは保身の嘘だ、こういう嘘をついては駄目だよ?」
「なるほどニョス」
イセトゥアンは元の姿に戻り、彼らのテーブルに着いて、エルフコーヒーを注文した。
「ところで、お前たちは何をあんなに深刻そうに話し合っていたんだ?」
あからさまに話題を変えてきたなと思ったが、ソゴゥはテーブルの上を指した。
皿の上に、宝石の様なチョコレートの粒がいくつか乗っている。
「これは?」
「コールドチョコだ」
「はあ」
「食べると、口の中がひんやりと冷たくなって、溶けたチョコの中からラズベリーの甘酸っぱい爽やかな味が広がって、やみつきになる」
「アイスとは違うのか?」
「アイスではない。特殊な製法によって、口に含んだ瞬間一気に冷気が口腔を駆け抜けていく夏にぴったりのチョコである」
何故かヨルが詳しく説明してくる。
「おう、いやまて、違うだろ?お前たちの話していたのはこのチョコの話じゃないよな?」
ソゴゥが舌打ちをする。
「王宮勤めに聞かせるような話じゃないんでね、イセ兄には聞かせない方がいいと思ったんだよ」
「なんだよ、除け者にするなよ、家族だろ?何かあったのか?俺には相談できない事なのか?」
イセトゥアンのコーヒーが運ばれてくると、ソゴゥはチョコレートの皿をイセトゥアンの方に寄せた。
「まずは糖分をとった方がいいよ、恐らく、想像以上にきつい話だろうから」
イセトゥアンがチョコを口にするのを見て、ソゴゥは周囲に防音魔法と、傍聴阻害、また周囲から自分たちの存在を希薄にする幻覚魔法を掛けた。
「なんだ、厳重だな」
「ああ、さっきから防音魔法は掛けていたんだが、重ね掛けした」
「それで、何があった?」
「今日三人で、国立美術館に、例の太陽の石を見に行ってきたんだ」
「ああ、どうだった?綺麗だったか?」
「俺は、常設展示のエメラルド鋼で出来た短剣や装飾品の方が好きだけどね。あのメロンゼリーみたいな、プルンとした石はいつ見ても触りたくなる。太陽の石は、宝石というより光を見に行ったような感じだったよ、黄色い光が強すぎて、石そのものを見ようとすると目がやられる感じだった」
「そんなに輝いているのか」
「この次元の鉱石ではまず見られない、異常な輝きだったよ。それに、あれは、ウランやプルトニウムのようなものらしい。ルキがその危険性に気付いて、どうすべきか話し合っていたところだよ」
「ウランとかプルトニウムってなんだ?」
「危険な爆弾の材料になるってこと。あの太陽の石は、精製すれば、次元に穴をあける爆弾になるらしいんだ。石そのものからは、放射性物質は出ていないから、その点では触れても人体に影響はないらしいが」
ソゴゥはルキを見る。
「あの石の齎す災害の一つが『魔物だまりの渦』ニョロ。こちらと魔界の次元の境に穴をあけてしまう現象の切欠が、あの石の爆発によるものニョス。魔物が、開いた穴からこちらに噴出して、生物を食い荒らす災害となるノシ」
「ミトゥコッシーが過去に一度だけ、海洋で見たと言っていたな、回避可能な遠方での発生だったから、なんとか無事帰港できたと言っていたが」
「ミッツ、そんな危険な目に遭ってたのか。でも、逃げたのは賢明な判断だった、理性なき魔物が数千数万と襲ってくるんだ、応戦していたら、命はなかったかもしれない」
「それでも時空に開いた穴は、数分から数時間ほどで塞がっているはずニョ、さっきルキ達が見てきたあの石の大きさなら、数十年、数百年と空間に穴をあけてしまうか、穴の大きさが一定を超えた場合、開いた状態で定着してしまう恐れがあるニャ」
「え?」
ソゴゥは皿の上のチョコを、口に放り込んだ。
「な、衝撃的過ぎて、糖分が必要だろ?」
「いや、お前、何でこのタイミングで最後の一個を食べた?」
ソゴゥは背凭れに体を倒して、伸びをする。
「これまでさあ、大陸で『魔物だまりの渦』が観測されていないのは、爆弾が魔界側から使用されたからで、偶々海と空間が繋がったのかもね。もし、こちら側から使用すれば、街中に魔界への風穴を開けることもできるのかもしれないよ」
「魔族側に爆弾製作の技術と、太陽の石を手に入れる方法があるという事か」
「さあ、憶測だけどね。でも、小さな結晶でも十分厄介なのに、あの大きさの太陽の石をこちら側に見せてきたという、ヘスペリデスの意図は、決して友好の証ではないだろうね」
「どういう事だ?」
「あの石を渡された時から、イグドラムはヘスペリデスに宣戦布告を受けたも同然。属国となるか、さもなければ石を爆発させて向こう百年の平和を損なうかと、問われているようなものだ」
「だが、単に美術品として価値が高いものを、見せたかっただけかもしれないだろ?」
「イグドラムにはイグドラシルがある。あの石の本質をエルフ側が理解することを承知で渡して来たんだ、端から、危険物であると理解させた上で、こちらがあの石を素直に返すのか試しているんだよ」
「ああ、つまり、石を返却しなければ当然、ヘスペリデスと揉めて最悪戦争となる。だが、その場合、魔界に通じる風穴を開けずに済むというわけか」
「そう、石を素直に返した場合、それはイグドラムがヘスペリデスに下ることを暗に意味している。もう後には引けないところに、この国は来てしまっているんだ」
ソゴゥは言い、深いため息を吐いて、すっかり冷めた紅茶を飲み干した。
イセトゥアンは項垂れ「俺にもっとチョコ」をと呟いている。
「さあどうする王宮騎士さん、この誇り高きエルフの国イグドラムが、竜人族と下級精霊の住むヘスペリデスの属国となるか、それとも百年の魔物との大戦争に挑むか」
「なあ、何かいい方法はないのか?」
「いくつか、案を出し合っていたが、どれも時間がかかりすぎて後手に回る。正直詰んだ」
「マジかよ」
「けれど、俺は諦めていない」
「そうか、お前が諦めていないなら、何とかなりそうだな」
「レベル7が出現するという事は、つまり、レベル7でしか対応できない出来事が起こるとイグドラシルが予想しているからだそうだ。逆を言えば、レベル7なら何とかなるかもしれない、俺はそう思う事にしている。それに、イグドラシルにもイグドラムにも優秀なエルフが沢山いるし、ヨルやルキもいる、最悪母さんに泣きつくかもしれないけど、俺の方で何とか策を考えてみるつもりだ」
「俺は王宮の様子を見ておくよ、何か力になれることがあったら声を掛けてくれ」
「分かった、イセ兄の所在を常に知っておきたい、後で数日分のスケジュールを俺宛てに送っておいて」
「おう、分かった」
入道雲が浮かぶイグドラムの濃く青い空の先に、この国を狙う者達がいる。
この国難からソゴゥが目をそらさないなら、俺はそれを全力で支えるだけだ。
第七区画に戻ると、ジェームスが一冊の本をもってやって来た。
「ん、これ、国立美術館の見取り図だね」
キュキュッっとジェームスが鳴く。
「太陽の石を盗んで来るニャ?」
「ジェームス、太陽の石のことをどこで?」
「樹精獣達は我と視覚が繋がっておる、そこのルキも精霊の森の樹精獣と視覚を共有しておるであろう?」
「ヨル氏の言う通りニョス、ルキが見たものを樹精獣達が知りたいときに見せてあげているのデフ」
「我も、皆に頼まれて先ほど美術館に行ったときに視覚を繋いで、太陽の石を見せていた」
「なるほど、それで石を盗って来るようにと。うん、それは俺の能力なら、十分で取って帰って来られるけど、あまり鮮やかに盗むと、犯人が俺だって逆にバレると思う」
「兄の瞬間移動は、人と物体どちらも遮蔽物を無視して移動させることが出来るデフ?」
「出来るよ、視界にある物なら何でも任意の場所に移動させられるし、一度マーキングしておけば、見えてない場所からでも動かせる」
「おお、天性の怪盗なのデフ」
「王は俺の能力をご存知だから、忽然と石が無くなったら俺を疑うと思う。うーん、どうしたものか」
「だったら、そっくりな物とすり替えればいいニョス!ルキにはそういった魔物に心当たりがあるノス、鉱物に擬態する習性のある魔物で、ルキの宝物庫によくいるニャス」
「宝に擬態する魔物?」
ソゴゥはガイドを取り出して、その特徴で検索を掛ける。
「いた!こいつか、ウゲッ、原形は虫みたいな奴なんだね、魔界の太古のダンジョンに棲息する超激レアモンスターのように書かれているけど、石の展示が終わるまでに、こいつを捕まえてこないといけないのか」
「ルキの宝物庫には直ぐに着くノシ、一時間で行って帰って来られるノシ」
「え、そうなの?宝物庫は魔界にあるんだよね?」
「精霊の家の地下から、ルキの宝物庫に転移できるようにしているニャ。転移の発動には、ルキの魔力が必要なので、ルキ以外に利用されることはないニャス」
「じゃあ早速、その魔物を取りに行こう!」
「キュエ!」と集まって来た樹精獣達が、頑張って、と鳴く。
第九領管轄の精霊の森までルキは自力で、ソゴゥはヨルの背に乗って飛んで行く。
空壁に引っ掛からない高高度で首都セイヴを抜け、上空一万メートルから、猛禽類が狙った得物に向かってトップスピードで降下するように、目的地である精霊の森にあっという間にたどり着いた。
ソゴゥは、自分の周囲の気圧や温度を一定に保つ魔法を掛けていたにも拘らず、前髪に霜が降り、精霊の家のモフモフの絨毯に四肢を付いて、気持ち悪さと戦っている最中である。
改めて邪神や悪魔は、人ではないんだとソゴゥは思った。
ヨルがジェット機ばりのスピードで、気流や雲を避けて上昇や下降を繰り返すため、Gと三半規管への負荷にソゴゥはすっかり参っていた。
ニャッ、ニャウ!
樹精獣が、酔いを取り去るハーブを持って来て渡してくれる。
それを受け取り、葉を口に含む。
爽やかな芳香が鼻腔を抜け、一気に気分が晴れやかになる。
「ああ、助かったよ、どうもありがとう!」
樹精獣の両前脚を握り、お礼を言うと、その樹精獣のうしろに他の三頭も並び、ソゴゥの握手を待っている。
「兄は、樹精獣たちにモテモテなのデフ。さあ、この地下へ行くノシ!」
床の木がグニャリと動いて穴を開け、その中へと三人は進む。
かつて、ルキが日の光を浴びないために、一切の日差しを遮断した地下は広く、ルキの寝室だった場所だ。今は、地上階の部屋を使っている。
木の根が張り巡らされた室内で、土面が剥き出しの壁が一か所ある。
ルキはその前に立ち、広げた手の平から放出された黒い砂と赤く輝く光の粒が、壁の表面へと到達する。壁に赤い文様が浮かび上がり、五センチ四方のブロックごとに回転しながら空間を穿つ。
人が通れるほどの穴がそこに出現すると、ルキはソゴゥを振り返った。
「兄、この先は大変危険なのデフ。魔界はエルフを穢してしまうのデフス。けど、兄の魂はエルフのそれと違いますし、魔力量も膨大なので、兄が魔界に穢れることはないのデフが、一つ問題があるニョロ」
「問題って?」
「兄は、魔界の魔物にとって、ご馳走なのデフ」
「じゃあお留守番ってわけにもいかないな、何故なら俺は宝物庫を単純に見たい。そのためなら、危険も顧みぬ覚悟だ」
「褒められた覚悟ではないのであるが、ソゴゥは我が守る故心配無用である」
「そこで一つ、兄がエルフとばれない方法があるのニャ」
「どうするの?」
「兄が、ルキの魔力をちょっと飲んでおけばいいニャス。ルキは性質が陽に変わってしまっているけど、存在は邪神、魔の物と判別されるニャウ」
ルキは手のひらに、砂と光の魔力を集めて、所々赤くキラキラ光っている黒く丸い飴の様な物を作った。
「これを飲むと、兄は魔物からルキと似た存在で認識されるノス」
「飲み込むには、ちょっと大きくない?」
「これ以上小さいと、直ぐに効果が切れる恐れがあるニョン。この大きさで半日は持つはずなのデフが、兄は色々規格外なので、これでも直ぐに消化してしまうかもなのニャン」
ソゴゥはルキの魔力を受け取り「せめて水」と、樹精獣にお願いして水をもらって黒い球体を飲み込んだ。
ソゴゥの瞳が片方だけ赤く、爪が黒くなった。
ソゴゥは自分の手の爪を見て、感動に打ち震えている。
「おおおおッツ!カッコいい!他も邪神っぽくなってる、俺?」
「目が片方、赤になったノス。兄は、ちょっと変わっているノフ」
そう言いつつ、ルキは少し嬉し気だ。
ソゴゥの言葉には他意はないが、ルキにとっては自分を肯定している言葉に聞こえたのだった。
「それが戻る前に、早く例の魔物を取りにいくのである」
「よし、行こう!」
壁の向こうは暗く物音一つしないが、真っ暗闇ではない。深夜、雨上がりに月がほんの少し雲間からのぞいたような、濃淡のある闇だ。
ソゴゥは今生で、生まれて初めて魔界へと踏み入れた。
足の先に白い波が押し寄せ、ソゴゥは慌てて後退する。
「うわっ、波が」
「それは空気の層ニョロ、魔界の空気は成分によって色が異なって可視化されるニョロ、今は、干潮時ニョロ、ラッキーノス」
「満潮時だと、どうなるの?」
「白い霧に覆われたようになって、視界が悪くなるのデフ。闇雲に進むと、魔物に食べられてしまうのデフ」
「うわッ、そういう映画あったな、霧に覆われて街が怪物に襲われて壊滅するっていう」
ソゴゥは辺りを見回す。
足元を波のように寄せては返す白い空気の層の他に、周囲の空気には境のような襞があり、カーテンのように揺らめいている。そのカーテンに映像を投影したスクリーンが、風に揺れて像を歪めるように、ペラペラのゾウに似た魔物が、すぐそばをゆっくりと歩いている。その目が、こちらを探るように、ぐるりと動いた。
ソゴゥはリスが木の幹を移動するように、ヨルにしがみ付いて背中に収まった。
「何かいる」と、ソゴゥが薄ぼんやりと白く発光する魔物を指さす。
「こちらから刺激しなければ、餌だと思われない限り何もしてこないニョン」
ソゴゥはヨルにおぶさったまま、周囲を眺める。
大きなゾウの魔物の他に、首の長いダチョウのような鳥や、トラの様な獣もいる。どれも、見た目が怖いわけではないが、独特の存在感があって、動物とは違い、何か大きな指示のもとに動くシステムの一部の様に、決まった速度で空間を移動している。
「いきなり襲ってくるタイプの魔物の生息域でなくて、ラッキーなのデフ」
「とにかく、ラッキーなことは分かったよ。こいつらって、生きてるの?まるで生気がないけど」
「魔物は、だいたいこんな感じノス。何かを捕食するとき以外、風のように漂っているだけなのデフ」
「深海の生き物みたいだ。ああ、でももしかしたら、深海の生き物も俺たちの見ていないところでは、食べる以外に、ふざけ合ったり遊んでいたりするのかな。今度、ニルヤカナヤの海洋人に聞いてみよう」
「ルキは、太陽は大丈夫になったのデフが、海はたぶん無理ニョロ」
「試したの?」
「海の上を飛ぼうとしたら、力が抜けたのデフ。ニトリンの日に焼けた方が、慌てて助けに来たので助かったニャ」
「もしかして、ミッツの事?ニトリンは二人いないからね、ミトゥコッシーだからそれ。でも、ミッツの見ている目の前で良かったね」
「光輿でしたデフか、光輿は基地から双眼鏡で周囲を監視してたのニャ、セイヴ港からの飛翔物体が落下するのを見て、飛んできてくれたニャウ」
「ギリギリじゃん、たまたまミッツが見ていたからラッキーだったものの、今度そういうの試すときは、俺かヨル、または兄弟たちの立会いのもとでやるように、いいね?」
「わかったニョス」
「よし」と、ソゴゥはヨルにおぶさったまま、ルキに言い聞かす。
「この先に、宝物庫内に転移するための、杭があるノス。そこまでいけば・・・・・・何かいるニャン」
魔物たちの合間を抜け、小高い丘にルキが打ったという杭が見えた。
二メートルほどの、黒に赤い文様の石碑の周囲を、幽鬼のような透けた発光体が三体旋回している。
それは精霊や女神のような美しい女性たちで、長い髪と衣を靡かせて微笑み、囀り、舞うようにして、見る者を惹きつける。
「なんだあれ?」
「残念なのデフが、この宝物庫は、あの女にバレてしまったニョロ、ここはもう使えないニョロ。引き返して、他の宝物庫に行くしかないニョロ」
「あの女って?」
「ルキを海に落とした女、序列最下位の邪神ナヘマーなのデフ。弱いくせに、人を陥れたり、堕落させるのが得意ニョロ。物欲や、美貌に固執する悪徳を名に持つ存在ノシ。ルキが海から出られたと知ったら、またちょっかいを掛けて来るので、バレたくないニャス」
「なるほど、飛んでる幽霊みたいなのは、ナヘマーの手下なのか」
「ナヘマーの知覚器官の一部ノシ、あれに見つかれば、瞬時にナヘマーに伝わるノシ」
「あれは、旧サジタリアス城で我らに世界樹伐りの斧をけしかけてきた魔族と同じ存在であるか?」
「そうニャ、城に出た魔族の特徴を聞いて、それはナヘマーだと確信しているニョロ」
ヨルが目を細める。
ソゴゥはヨルから飛び降りて、その前に立つ。
「駄目だぞ、やり合うにしてもそれは今じゃない。今はそれどころじゃないからな。それに、相手が狡猾な奴なら、情報と準備が必要だ。今回のように、油断して、国を人質にとられでもしたら厄介だからな」
「今回の事も、裏でナヘマーが糸を引いていないとも限らないニャス」
「マジか、だとしたら、いや、もうとっくに敵だ、ルキを海に落とした事だって謝らせてやらないとな」
「感動ニャ、でもここは気づかれないように引き返すニャ」
三人は踵を返し、来た道を戻ることにした。
再び出発地点に戻ると、ルキが精霊の家の地下の壁に文様を浮かび上がられ、再び穴を穿った。
先程の何もない丘と違い、地下遺跡の内部のような場所で、薄暗い事には変わりないが、壁一面には電子回路のような模様があり、それが青白く光っている。
こちらも、床には踝まで波が押し寄せてくる。
巨大な通路の先の開けた空間の中央に、ルキの打った杭が鎮座している。
「ここは大丈夫そうニョロ」
「ルキの宝物庫は、いくつあるの?」
「規模がそれぞれ異なるのデフが、千はありマフ」
「世界樹伐りの斧が保管されていた宝物庫に、他に危険な武器はなかったであるか?」
「神と戦った武器は、それだけが収められているニョロ、世界樹伐りの斧を収めていた宝物庫には、それしかなかったニャン。それと、他の宝物庫の鍵が破られていないか確認したけど、他は無事だったニャン」
「おっかない武器が、他に盗まれてなくてよかった」
「ルキの管理責任ニャ、特に神代の武器は、もっとセキュリティを厳重にする予定ニャス」
円形の装置の中央に出っ張った黒い石碑の前に立ち、ルキがソゴゥの手を繋ぐ。
「兄は、ヨル氏を掴んでおくノシ」
ソゴゥが頷くと、ルキが片手を上げて、石碑に翳した。
石碑の赤い文様が光り、床に黒い穴が開いた。
ソゴゥが身構える間もなく、地面に吸い込まれるようにストンと落っこちた。
落ちた先で、ワンバウンドして、モフリとした場所に落ち着いた。
「もう手を離して大丈夫ニャ」
ソゴゥは床を両手でわしゃわしゃとかき混ぜる。
地面が揺れ、ソゴゥはこちらに首を巡らせてきた巨大な目と目が合った。
両手を上げて、すみませんという意思表示を見せる。ソゴゥがかき混ぜていた毛は、巨大な黒い犬の背中の毛だった。
シューッという、何やら不吉な音に振り向くと、犬の尻尾の位置から生えた大きな二匹の蛇が鎌首擡げて、顔を寄せて来る。
一飲みだ、一飲みされてしまう。
ソゴゥが死んだふりは有効か考えている間に、蛇がルキを見て頤を開く。
ソゴゥが視界を切り替えて、瞬間移動の準備をしていると蛇が「ルルル」と人の発音に近い音を発した。
「ルキ様!ルキ様!」
蛇がルキにすり寄る。
『お前だけずるい』
犬が水を払うように、胴体をぶるぶるさせてソゴゥ達を振り落とし、落ちたルキを犬がベロりと舐めた。
ソゴゥは巻き込まれないよう、後方にピョンと避ける。
犬は好きだが、舐められたくないのである。
「この魔獣は知り合いであるか?」
「この宝物庫の番をしているニャ、特に頼んでないニャ、ボランティアの蛇しっぽ犬さんニャス」
「ボランティアの方なんだ、どうもこんにちは、って、オルトロスだよね?」
「特徴がちょっと違うのであるが、おおむねオルトロスであろう?」
犬が首を振る。
『蛇しっぽ犬だ、ルキ様はシッポちゃんと呼んでくださる』
「シッポちゃんとは、我々のことですけどね」
蛇が犬を挑発し、犬が唸る。
「喧嘩したら、お前たちを食べるニャン」
ルキの一言で犬が項垂れ、二匹の蛇がうねうねと後方に引き下がる。
「そこを通るので、ちょっと避けるニャス」
ルキが言うと、蛇しっぽ犬は転送杭から離れ、体をずらした。
「いってらっしゃませ、ルキ様」
『ルキ様、何一つ欠けていない事をご確認ください』
大きな魔獣の後ろに見えていた壁は、柱が少しづつずれて立っており、その隙間から奥へ進むことが出来るようになっていた。
完全に柱群から抜けて、奥の空間へ辿り着くと、そこは、今朝見た国立美術館の宝石館をも超える数の宝石で溢れていた。
ソゴゥの背丈を超える巨大な結晶が、珊瑚の林のように様々な形で乱立している。
「これは見事であるな、樹精獣たちにも見せてよいか?」
「もちろんニョス」
炎をそのまま固めたような形の赤く透き通る結晶や、異なる石が共生して不思議な形を作り出す鉱石、或いは混ざり合い宇宙に星が瞬くように青に金が散りばめられたもの。
ソゴゥは雲間から覗く青空の様な、スモーキークォーツの中にネオンブルーが差す透明な結晶に暫し見惚れた。
「すごい、どれも綺麗だね、時間があればゆっくり見ていたいけれど、魔獣を探さないと」
「似た宝石が並んでいたら、片方が怪しいノス」
「そういわれても、双子結晶が結構あるからな」
「水をかければ、元に戻るのであったな」
「イェスニャ」
ソゴゥは東京〇ームほどの空間を見渡し、今日中に帰れないかもしれないと覚悟した。
手前、奥、中央に別れて、一時間ほど怪しい物に水を掛けて回り、探索を続けていたが、中央にいたソゴゥが見つからない事に苛立って「ワー」っと叫び出した。
「ねー、ルキ!手っ取り早く霧魔法で、全体を湿らせてみちゃダメかな?」
「天才ニャ!早速やるニャ!」
ソゴゥは霧魔法を発動し、見渡す限り宝石で埋め尽くされた空間を霧で満たした。
やがて天上から、いくつかの結晶がポトリと落ちてきた。そのアクアマリンの様な美しい水色の円柱の結晶をルキが拾い上げ、さらに水魔法でしっかりと濡らす。
ピギェッと、ひと鳴きして結晶が白いモフモフの蛾の魔獣に変化した。
「見つけたニャ!」
「おお、やった!いてよかった!」
「この魔獣は、特に宝石に擬態しがちなので、宝石を多く保管している宝物庫にはいると思ったニャス」
「よし、帰ろう」
結晶の間を縫って歩いていると、ルキの体がぼんやりと光った。
「光っておるぞ?」
ルキの体から、光の粒が花粉のように空気に舞って、一本の柱のように集まると成長し女性の形になった。
「う、美しい」
「樹精霊ニャ、何か用ニャ?」
樹精霊の像は、儚げ空中に漂いながら少し離れた場所にある、一つの宝石を指さした。
ルキはそこを目指して、樹精霊の示した石を手に取る。
「これニャ?」
樹精霊は微かに微笑んで、光の粒はルキの中に戻った。
「何だろう、それ?」
ソゴゥとヨルが、ルキの手元を覗き込む。
「琥珀の様であるな」
リンゴほどの大きさの琥珀色の球体の中に、植物の種の様な物が取り込まれている。
「とりあえず、帰ってから調べよう。早く魔界を出ないと、俺、なんか元に戻りそう」とソゴゥは赤い方の瞳を頻りに瞬きして言う。
ヨルがルキから魔獣を受け取り、三人は宝物庫を後にした。
蛇しっぽ犬の前を通るとき『あれ、何かいい匂いがする』と犬が言いだし、ソゴゥは慌ててヨルの背にしがみ付く。
「お前たち、宝物庫の番はいいから、どこかで青春を謳歌してくるノデフ、ここの石は盗まれても害のない物ばかりデスシ、お前たちが欲しいものがあれば持って行ってもいいニャス、ルキにとって宝石よりも、外の世界が宝なのニャ」
「ルキ様、我々はルキ様にお会いしたい一心で、ここに居りました。その願いが叶ったので、もう悔いはありません」
「なら、ルキが呼んだら、来るノシ、契約するのデフ」
『本当ですか!何という僥倖!』
「ルキ様、ありがとうございます!」
犬が喜んでルキを舐める際、側にいたヨルが避けなかったせいで、背中にいたソゴゥもとばっちりを受けた。
『あれ?なんか美味し味がしました』
「きっと幸せの味ニャ、ともかく、魔界屈指の強者となって、ルキがピンチの時は馳せ参じるニャス!」
「かしこまりました」
『ルキ様のお役に立てるよう、精進いたします』
転送杭から精霊の家に繋がる杭まで移動すると、そこから走って精霊の家に戻り、穴を急いで塞いだ。
帰りを待っていた樹精獣にただいまを言い、ルキは再び王都に向かうと告げた。
「お願いがあります。帰りはスピードを緩めてください。あと高度は一定にしてください。空壁は俺の能力で超えるから、ジェット気流が発生しているような上空を飛ばないで、マジで頼む、切実に」
「ソゴゥがそう言うなら」
「兄がエルフであることを、すっかり忘れてしまっていたニャ」
「今後は覚えておいてくれ」
帰りの安全運転を確約させ、ソゴゥ達はイグドラシルへと戻った。
ソゴゥ達と街で別れてから、例の太陽の石を見に行くことにした。
高い塀に囲まれた国立美術館の敷地内に入る際、身分証明証の提示が求められた。身分確認が済むと手の甲に魔法で印がつけられ、ゲート脇の受付に数字がカウントされる。退出の時に、手の印が消され、カウント表示がマイナスされる仕組みの様だ。
平らな庭の奥にある一際大きな建物が主展示品を扱う今回の会場で、建物に入る際にも手の甲の印が確認され、入口広場からの右手に常設展示室、左手に太陽の石が展示されている案内板が立っている。
順路は、常設展示室をぐるりと回って、最終的に太陽の石に辿り着くようになっていたが、常設展示の省略も可能なため、直ぐに太陽の石の部屋へ向かことにした。
展示室は完全入替制で、入口付近の列に並び、少し待ってから部屋へと入る。
照明が絞られた部屋の中央の台に、音がしそうなほど眩しい輝きを放つ太陽の石がその存在を派手に主張している。
一見、太陽の石を乗せた台座の周囲は何もないが、魔力を確認するための視点に切り替えれば、その四方に空壁が張り巡らされていることが分かる。
また通常の展示物ではありえないほどの数の警備員が、等間隔に立ち、美術館職員だけでなく、そこには、ロブスタス殿下の命を受けたと思われる王宮騎士の姿も見られた。彼らがこちらに気付いて、敬礼を送ってくる。
ソゴゥに話を聞く前なら、この素晴らしい輝きに目を奪われ、感動していただろう。だが今は、その輝きさえも禍々しく不吉に思える。
展示室内の外側のラインをぐるりと一周し、二周目は石の直ぐそばの内側のラインを周って、そのまま退出口へと流れていく一方通行となっている。
エルフの成人男性の頭より大きな、黄色く透明な結晶。どれだけの年月でここまで石が育つのか分からないが、こんなものは二つと在ってほしくない。
暗い展示室から出て暫くは、石を凝視しすぎたせいで網膜を刺激した光が、瞼の裏に張り付くような感覚が抜けなかった。
美術館を後にして、日用品の買い周りをして官舎の自室へと戻った。
ソゴゥに頼まれていた今週のスケジュールを送り、各所からの手紙などを確認して、夕食は少し凝った物を作って食べ、風呂に入り、酒を飲みながら考え事をしているうちに眠ってしまっていた。
人の気配がして目を開けると、目の前にソゴゥが居た。
しかもよく見ると、自分が横たわっている場所は官舎ではなく、別の場所だった。
「イセ兄、急で悪いんだけどさあ、ちょっと太陽の石を盗むのを手伝って」
「はあ」
欠伸のような気の抜けた声を上げ、イセトゥアンは起き上がって「ここはどこだ?」とソゴゥに尋ねる。
「セイヴのノディマー家の屋敷だよ」
「瞬間移動で連れてきたのか」
「うん、寝ていたところ悪いけど、協力してもらおうと思って」
イセトゥアンは、ソゴゥの他にヨルとルキがいるのを確認した。
「それで、石を盗むというのは本気なのか?」
「ああ、本気だよ。けれど、怪盗役には失敗してもらう」
「どういうことだ?」
「大々的に盗みますよって宣言して美術館に侵入し、この魔獣と本物をすり替えて、石は盗めなかったことにして引き返してくる。つまり、石を偽物とすり替える作戦だ」
ソゴゥは向かいのソファーの上にいる、白いモフモフの蚕に似た巨大な蛾を指して言う。
「何だあれ?」
「擬態が得意な魔獣。鉱物に触れされただけで、それとそっくりに擬態出来るんだ」
ソゴゥはガイドを壁に投影して、魔獣の特性を映し出した。
「一度擬態すると、百年でも二百年でも水を浴びせるまでそのままの姿で動かなくなり、真空でも、宇宙の寒さでも死なないらしい」
「擬態の程度はどうなんだ?あの太陽の石の輝きを再現できるのか?」
「発光する鉱石に擬態していた事例があるから、おそらく大丈夫だと思う」
「そうか、しかしよく考えたな。これなら穏便に当面の脅威を取り除けるじゃないか」
「あとは、あの浮島群に太陽の石の結晶が他にないか探る必要があるね、秘密裏に廃棄して回ることができたら安心なんだけどな」
「そういえば、話は変わるが、よく俺の部屋が分かったな?」
「イセ兄宛てに手紙鳥を放って、鳥について行っただけだよ。俺は道が分かんないときに、よくやる」
手紙鳥は記録された魔力の持ち主へ向かって飛んで行くため、ソゴゥの手紙鳥は家族や、やり取りの多い王室、司書や樹精獣などの魔力が宛先として記録されている。
「それで、イセ兄にもこの服を着てもらって、怪盗に変身してほしいんだ」
ソゴゥがルキを指して言う。
「うん、さっきから視界にチラついていて、一体何事かとは思っていたが、それは三姉妹の女神怪盗ノルニルの格好だよな?」
ルキは仮面をつけ、藤色に統一された短めのスカートのドレスに、ヒールの高い編み上げブーツ、長いマントにグローブを付けている。
「そう、お子達に大人気の絵本、ルキは末っ子のスクルドの衣装を着ている。イセ兄とヨルは、そのままだと衣装が入らないから、絵本の怪盗に似た女子に変身して。イセ兄の能力なら、触れた人物も任意の姿に変身させられるよね。だから、ルキも髪や瞳や爪の色も変えて、絵本のスクルドに似せて、長女のウルズの衣装をイセ兄、次女のベルの衣装をヨルが着られるように、仮面も装備するけど、地顔は変えておいて」
「この衣装って、誰が作ったんだ?まさかマグノリアに頼んだのか?」
「ナタリーが用意してくれたのだ」とヨルが答える。
「ナタリー?」
「樹精獣である」
「え?樹精獣が?」
「そう、今日イセ兄と別れた後、魔界に行ってこの魔獣をとってイグドラシルに帰ったら、この衣装が用意されていたんだ。三人で派手に登場して、警備の目を引いて欲しい、俺はその隙に石と魔獣をすり替える」
「魔界に行って捕ってきた?」
「うん、適度におっかない場所だった。やっぱり人界は住み良いと改めて思ったよ」
「怪我がないようだからいいけれど、これからは次元を超えるような時は、さすがに事前に家族の誰かに報告しろよ?」
声は平静を装っているが、目は怒る寸前の熱を持っているのを見て取り、ソゴゥは素直に頷いて「約束する」と請け合った。
「よし、それじゃあ、最善を尽くそう。石のすり替えは上手くできるのか?石は二重の空壁の中だぞ、一つは美術館の敷地を囲む地下と上空を含めた全方位、もう一つは石を乗せた台を囲む場所にある」
「俺に空壁は意味がない、だが、あえて空壁は破壊することにした。じゃないと、王に俺が犯人だってバレるからね。今から段取りを説明するから、皆よく聞いて」
ソゴゥは美術館の図面を投影し、ルキとヨル、それとイセトゥアンに、太陽の石すり替え作戦について説明した。
「それにしても」とイセトゥアンが、女神怪盗の衣装を手にとって眺める。
「絵本の怪盗の衣装を作るなんて、樹精獣は面白いな」
「司書服も作ってくれるんだよ」
「え?」
「他の司書の制服は分からないけれど、俺とヨルとルキの司書服は、ナタリーが持って来てくれたんだよ」
「俺の中の、樹精獣のイメージが・・・・・・」
「樹精獣はとても優秀ニャー」
「ルキ、怪盗の時はその語尾だめだよ、キャラ変して」
「分かりましたわ」
「よし、ヨルとイセ兄も、間違っても『俺』やら『我』やら言うなよ」
「分かっているが、女に変身してからでいいだろ」
「うん、それじゃあ、そろそろ第一段階として、予告状を出してくるから、そっちは全員衣装着て準備しておいて」
「おう」
ソゴゥはルキだけを伴って、先ずはセイヴの街中にある情報広告機関の施設である塔へ向かった。ルキの精神支配を利用して、施設員の意識を乗っ取り、投影機器を借りてセイヴの街の上空に大々的に犯行声明を上げるためだ。
セイヴの夜空に浮かび上がる怪文書に、街は騒然となった。
情報広告機関の空壁を媒体に文字や映像を投影する装置が、何者かによって不正に利用されるのは前代未聞だった。
イグドラム警察機関国家安全局、犯罪未然対策課班長のニトゥリーは、警備局からの要請で、助っ人として部下のイソトマと共に、国立美術館の警備要員として招集されていた。
「何や、あれは?」
ニトゥリーはそのふざけた予告状を見上げて、不機嫌さを隠すこともなく、部下であるイソトマに尋ねる。
セイヴの上空には、黒いスクリーンに白い字で「我らは告げる、今夜日付が変わるその時、太陽の石は、我ら女神の手の中へと納まるだろう」という言葉が映し出されていた。
「絵本の女神怪盗ノルニルの予言書を真似ているみたいですね、ご存じないですか?」
「知らん、絵本なんぞ読まん」
「子供の頃、読みませんでした?外国人作家の小説を絵本にしたもので、原作は大人にも人気がありますよ、三姉妹の女神が、様々な曰くつきの宝を盗みだす内容です。その際に必ず予言書という、犯行予告を色々な方法で対象となる家屋敷や、警察へと送りつけてくるんですけど、その言い回しがお決まりで『我らは告げる』から始まるんですよ」
「怪盗を真似して、挑発してきとるんかい」
「犯行予告を出す怪盗なんて、百年ぶりらしいですね」
「こんなアホなことしよるんが、百年前にもおったんが驚きよ」
「金持ちから盗んで、貧乏人に分け与える怪盗だったらしいですね。結局つかまらず、国籍も不明、正体不明のままとか」
「まあええわ、俺が見つけたら、俺の勝ちよ。相手が俺より格上でないかぎり、俺の能力の拘束術からは逃れられんからのう」
「確かに、班長の能力なら確実に捕らえられるでしょうが、我々警察官は美術館どころか、美術館の敷地の中にも入れませんけどね」
「警備側の懸念もわかるがのう」
ニトゥリーとイソトマは、警備局の警備警察官達と共に、国立美術館の外壁周辺警護に配置されていた。美術館に立ち入れるのは、美術館警備員とロブスタス王子が展示期間、警備の増強に加えた王宮騎士達のみである。
人員の増員に乗じて、不審者を紛れ込ませない処置であり、既に国立美術館の敷地内にいる美術館警備員と王宮騎士は、全員身元のはっきりした者達で構成されている。
美術館の展示品は魔法印が施され、美術館建物から持ち出されると、周囲の空壁にアラートが表示され警備員へと知らされる。
だが、太陽の石は借り物のため、魔法で印を付ける処置はされていない。その代わり、石の置かれた台周辺に張られた空壁の解除方法はロブスタス王子のみが知り、その他の者にはこれを解くことが出来ないようになっている。
広大な美術館の敷地を囲む壁の外、正面の門が見える位置でニトゥリーは、予告の時間を目前に薄笑いを浮かべていた。
「さて、どんな間抜けがやってくるか楽しみよ」
爆音が響き、あたりが騒然となった。
美術館正面の壁が粉々に破壊され、その瓦礫を踏みつけながら施設へと侵入を果たしたのは、巨大な黒い犬型の魔獣だ。
美術館外壁から伸びる空壁を展開する装置が、装置を保護する強化金属ごと破壊され、空壁が解除されている。
魔獣の尻からうねる二匹の蛇は、取り囲む警備員を威嚇音で行動不能にし、悠々と美術館建物へと向かって歩いていく。
その巨大な魔獣の背には、三人の女性の姿がある。それはまさに、イグドラム国で有名な絵本の登場人物、女神怪盗ノルニルの三姉妹そのものだった。
王宮騎士たちが進行を食い止めようと魔法攻撃を放つが、魔獣に当たる前に無効化されたり、弾かれたりして、ダメージを与えるどころか、その進行の速度を緩める事すらできないでいた。
強化金属を砕いたのは、魔獣の咆哮に合わせて、金属や鉱物を変形させることのできる能力を持つルキが行ったもので、王宮騎士の魔法攻撃を防いでいるのは、不可視化されたヨルの防御魔法に因るものだった。
邪神と悪魔の能力により、魔獣の背に乗って威風堂々と国立美術館へ突入したイセトゥアンは、応戦する王宮騎士達を見下ろしながら、一人胸を痛めていた。
庭を突っ切り美術館建物の前に到達すると、三人は魔獣の背から飛び降りる。魔獣は三人が降りた途端、小さな子犬ほどのサイズになって、ルキの肩に飛び乗った。
向かってくる騎士や警備員を迎え撃ちながら、建物の内部へ三人は進んでいく。狭い通路を壁のように道を塞ぐ者達、また、積極的に攻撃を仕掛け三人に掴みかからんとする者達。彼らは怪盗に触れたと思った瞬間には、遠くへと弾き飛ばされていた。
真っ直ぐに太陽の石の展示室へ向かう三人を、これまでの者達が食い止めることが出来なかったように、展示室に犇めく手練れの騎士たちもまた、彼らが悠然と石の置かれた台の前の空壁に到達する様を、まるで地面に足が縫い留められたように、動けずに見守るしかなかった。ルキの精神支配の元、ヨルが空壁に穴を開ける装置のようなものを、空壁の手前に置いて、赤い光が空壁に照射された部分に穴を穿った。これは、ただの赤い光を投影する魔法石が仕込んであるだけの、何でもない箱なのだが、ヨルが空壁を溶かして開けた穴を、装置に因るものと周囲に思わせるための小道具だった。
イセトゥアンが、空壁に開いた穴から手を入れて、太陽の石を掴み、用意していた箱の中へとしまう。
『石を箱に格納した』
『了解、石を俺の元に移動させる』
ソゴゥは美術館を見下ろす別の場所から、ヨルの意思伝達により昼間マーキングしておいた太陽の石を自分の手元に移動させ、抱えていたモフモフの白い蛾のような魔獣を、この石の上にそっと乗せた。
「さあ、石に変身してくれよ~」
ソゴゥが見守る中、モフモフ蛾の口吻から白い糸が吐き出され、石に吹きかけている。
ソゴゥは怖くて、ちょっと下がってその様子を見ている。
まるで、蚕が繭を作るように、見た目は成虫となった蛾の姿だが、幼虫が成虫になるためにするように石を糸で完全に包むと、今度は、自らの体も糸で覆い出して、あっという間に白い繭玉が二つできた。
暫くすると魔獣を包んでいた方の繭玉が割れて、そこから太陽の石が転がり落ちた。
ソゴゥはそれを手に取るとすぐに、マーキングしていたイセトゥアンが持つ箱の中に移動させた。
『いま魔獣を箱の中に移動させた、完璧に太陽の石にしか見えない、すり替えは成功だ』
『了解した、こっちも撤収する』
ヨルは、ルキとイセトゥアンに「完了した」と告げる。
イセトゥアンは気が乗らないが、女神であるウルズを真似て、思いっきり高笑いをしながら「太陽の石は、頂戴いたしましたわ」と叫んで、美術館建物を抜ける。
ルキは肩に乗せていた魔獣を元の大きさに戻し、三人はそれに飛び乗って来た道を戻って行く。このまま正面の門を抜け、待機している警察官達と揉み合って、箱をわざと落として暗闇に乗じて逃げるという計画だ。
だが、門を抜けたところで異変が起きた。
三人を乗せた魔獣が、ピクリとも動かなくなったのだ。
ルキが進むように言うも、まるで金縛りにあったように、この巨大な魔獣は動かない。
イセトゥアンは、眼下にこちらを見ているニトゥリーを見つけ、両手で顔を覆った。
「どうしたの、ウルズ姉さま」とルキがイセトゥアンに声を掛ける。
「スクルド、魔獣は魔界へ直ぐに戻して、それから、私の体が動かなくなったら、抱えて行って欲しいのだけれど」
「どういう事かしら?」
「あそこを」とイセトゥアンは視線だけで、二人にニトゥリーの存在を知らせる。
ヨルが気づき「あの方の特殊能力は確か」と言い掛けるのを、イセトゥアンが制する。
「口唇を読まれるわ、とにかくこの魔獣はもう動けないのよ、私も微妙なラインなの」
「わかったわ、姉さま」と、ヨルがニトゥリーの威嚇に抵抗し続けているイセトゥアンを抱えて魔獣の背から飛び降り、ルキも続いた。
魔獣の周りに青白い魔法円が出現し、魔獣の姿が消える。
ニトゥリーは「ほう、動けるんか」と嬉しそうに、凶悪な笑顔で三人を出迎える。
「警察をバカにしおって、己ら、まとめてブタ箱の中で反省させたるけえのう」
イセトゥアンは、ミトゥコッシーのようにニトゥリーに意思を飛ばせないかと、心の中で『俺だ気づけ、手加減しろ、ハゲ!』と繰り返すが、ニトゥリーにはまるで通じていないようだ。それどころか「何や、お前からムカつく気配を感じるのう」とニトゥリーがイセトゥアンを見て言う。
ニトゥリーを含む警察官達は、吸血鬼を取り逃がした件の名誉挽回のチャンスとばかりに騎士や警備員たちを上回る気迫で、三人は苦戦を強いられていた。
ソゴゥはそれを見るや、直ぐに海軍基地へ瞬間移動して、寝ているミトゥコッシーを揺り起こし、事情を説明した。
『ニッチ、聞け!』
『なんや、今いい所なんや邪魔すな』
『落ち着け、そこにいるのはイセ兄さんや』
『は?』
『その可愛らしい三人組は身内や、手加減してほどほどのところで開放せい』
ソゴゥの横で幽体で状況を見下ろしているミトゥコッシーが、ニトゥリーに説明する。
『ウルズに扮しているのがイセ兄さんや』
『ウルズってどれや?』
『マントが一番長い奴や、それと一番動きが鈍い、お前の能力に抵抗しとるんやろ』
『ってことは、後の二人はヨルとルキか、どうりで俺の威嚇が効かんと思ったわ』
『イセ兄さんが、箱をわざと落とすから、お前がそれを拾って、その場で中を検めろ、中に太陽の石が入っておるから、周りの目を太陽の石に引きつけるんや、その隙に三人には逃げてもらう』
ミトゥコッシーの横で、ソゴゥもヨルに指示を出して、イセトゥアンに伝える。
大太刀周りを繰り広げながら、イセトゥアンは派手にバランスを崩して、手にしていた箱をとり落とす。それを、ニトゥリーがすかさず拾い上げ、後方に飛び退いてから、箱を開けると、持ち前の大声で「太陽の石や!」と叫ぶ。
「石を奪還した!」と周囲に知らせ、周囲に歓声が上がる一方で、「それは私たちの物だわ!寄こしなさい!」と叫ぶウルズ。
「姉さま、ここまでです」
スクルドが首を振り、ベルがその場に留まろうとするウルズを抱えて、ベルが発した黒い煙幕の中へと飛び込み三人は消えていく。
『三人は回収した、ご苦労さん』
『下手な芝居しおって、笑いそうになったやろが』
『それは、あとでイセ兄さんに言いや』
『まあええ、石は取り戻した、とりあえず俺らはおとがめなしや、偽物とばれるまではのう』
『おっ、バレたか』
『どうせソゴゥの指示やろう、それなら何か理由があるはずよ』
『俺も詳しくは知らん。後日、ゆっくりと聞かせてもらおうや』
『そやな、まあ、今日は撤収や』
ミトゥコッシーは、ソゴゥと、その横にいる三人を見る。
「ニトゥリーが、また今度事情を聞かせてくれって言っとったわ」
「ありがとうミッツ。石を安全な場所に隠したら、二人にもちゃんと説明するよ」
「ああ、それじゃあ俺は、体に戻るわ、またな」
ミトゥコッシーの可視化されていた幽体が、スーッと消えていく。
「さてと、俺たちも戻ろう」
ソゴゥは太陽の石の入った繭玉を抱え、三人の女神怪盗と共にノディマー家の屋敷へと戻った。