前世があまり役にたってくれない。
伯爵家に来て5日。離れへ移った。
商人が来た時以外はほぼ客間に引きこもっており、第一夫人にも第一夫人の子どもにも会っていない。
食事や本は客間に持ってきてくれるし、3日目には家庭教師も通いでやってくるようになった。どこまでできるか試してあるようで、算術をどこまで解いていいかで悩みながら解く。
この世界も十進法だったので、数字と記号を覚えたら算術はかなりできる。大学入試に比べたら6歳児が入学する教養学校の試験なんて簡単だ。
やっと前世が役にたっているが、数学脳はないので計算能力が今後伸びることはほぼない。変に天才扱いされたら伸び代がないので困った事になりそう。
解くのは足し算と引き算で2ケタ以内くらいしておく。家庭教師の顔を見ながら、ダメなら適当に間違うことにしよう。
文字は使って覚えるしかないし、暗記物は大した量ではない。問題はマナー関連だ。
食事の仕方はお家柄試験とは関係なく覚えるしかない。試験で見られるのは部屋の出入りやあいさつの仕方、イスの座り方だと予想されていた。
こんなもの身体に馴染ませて習慣化させるしかない。意外と肉体を酷使させられる。歩き方もなおされてしまったが、こういうのは若いうち方がいいらしいし、大人しくお人形さんになっておく。
そうして練習しているうちに離れが整い、お引越しになった。離れに移るとダンスの授業が増え、座学がちょこっとだけで、あとはひたすら肉体を使う授業ばかりになる。
おかげで、気絶する様に眠れている。ときどき悪夢で目が覚めるけれど、母の側にいた時よりは長い時間寝られるようになった。
半月くらい離れて過ごし、マナーの授業が少し減ると魔術の家庭教師がやってくる。ついに異世界らしいお勉強がきた。
まず1番簡単な属性魔術を使ってみましょうと庭に出る。シャーリーの使っていい範囲は庭の植木で区切られているところだけだ。
伯爵本邸からしたら大した広さではないが、それでも大型トラック2台分くらいの駐車スペースがある。
庭のテーブルに蝋燭を置き、魔力をのせて呪文を唱えれば適正のある人はそれだけで使えるらしい。
「では、やってみましょう」
蝋燭に手をかざし、唱える。
「火よ」
蝋燭に火がついた。
「風よ」
蝋燭の火が吹き消える。
「水よ」
コップに水が溜まった。
「土よ」
手の平の上に土が出る。
「4属性全てに適性があるようですね。では、先ほどの感覚を思い台して詠唱なしでやってみましょう」
身体から何かが抜けていく感覚は覚えている。それはきっと魔力と呼ばれるもので、再現すればすぐ出来た。
「では、次は光と闇で試してみましょう」
右の手の平を上向けて唱える。
「光よ」
球体の光の球が出た。
「闇よ」
上向けていた左の手の平の上に黒い球が出る。手の平のを合わせるようにして二つの玉をくっつけると相殺された。
続けて無詠唱で試し、6種類の基本属性は本題なく使えることが判明する。苦手なの属性があると杖や指輪といった補助具が必要になるが、道具が有れば皆使えるらしい。
ただ魔道具は高額だ。シャーリーは必要なくて良かったと胸を撫で下ろす。
「魔力を使いすぎると頭痛や吐き気、目眩といった症状が出ることがあります。何かいつもと違う事はないですか?」
「ないです」
「では、次は生得魔術を試してみましょう」
無詠唱で魔術が使えるなら魔力の流れも理解できると、右手の人差し指に魔力を集めるように言われる。
「もっと、もっと集めて密度を高めるのです」
魔力を集めていると、指先を熱く感じた。見ていると白く発光している。
「糸を思い浮かべて指の先で形を整えなさい」
凧糸みたいな白くて太い糸が伸びていく。なんか、魔力を使う割にしょぼい。
「次はすべての指から糸を出してみましょう」
そのくらいならどうにかなる。魔力を集めるのに少し時間がかかったが、5本の糸が出た。
「もう少しスムーズにできるようになるといいですね。それはお宿題にいたしましょう。次は左手でやってみてください」
左手も問題なく出来た。両手からスムーズに糸を出すという宿題を出して家庭教師は帰る。宿題を出したのにこの先生はもう離れに来てくれなくて、3日後に新しい魔術の家庭教師がやってきた。
どうやら魔術というのは人によって使い方に癖がある。そのせいか、毎回家庭教師がかわり、基本属性の魔術しか教えてくれない先生や生得魔術についてしか教えてくれない先生もいた。
魔力があって、魔術を使えても生まれ持った魔術がなければ使えないのか生得魔術だ。生得魔術が基本属性の人もいるが、それ以外の人もたくさいる。
糸操魔術は基本属性以外の魔術で、一門の歴史は長く、その分だけ術の使い方を研鑽されてきた。
おかげで何がやれるか知れているし、教えをこえる先人も多い。これが1人だけしか持っていない生得魔術や前例がない生得魔術だと、使いどころがわからないままになってしまう。
糸の太さを変える。指先から複数の糸を出す。指先以外からから糸を出してみたり、出した糸を操作したりと毎回練習課題を魔術の家庭教師たちは置いていく。
どうにもしょぼい魔術ばかりだが、安全を優先しているなら仕方がない。攻撃性の魔術を訓練するにはそれなりの設備がいる。
伯爵家にはその設備があるので基本属性魔術の初級魔術は試し撃ちしたが、それだけ。あとはひたすら魔力操作の訓練も兼ねて生得魔術の糸をうねうねさせている。
異世界の魔術を楽しみにしていた前世が、あまりに地味な魔術にがっかりだとうったえてきた。そのくせ、地味な基本は大事と経験則も教えてくる。
そうして20何番目かの魔術の家庭教師を迎えた。
その家庭教師は自らの経歴を語っていた人たちとは異なり、あっさりと冒険者だとだけ自己紹介をして木剣を渡してきた。
短髪の女性でよく日焼けしており快活に笑うと白い歯が目立つ。小柄ながら筋肉に覆われた身体はどこにもたるみがなく、野生の獣を思わせた。
猫科の肉食獣で、毛皮が綺麗だからと乱獲され、絶滅危惧種なった系と前世の記憶が主張してくる。テレビ画面の映像が浮かんで消えた。
「刃のついた剣は金属の塊だからね。重いんだよ」
持ってみるかと渡された腰の剣は重く、取り落としそうになったところを取り上げられる。
「その木剣は魔力を通すからね。自衛には使えるよ」
まず基本の型を教えてもらう。次に身体に魔力をまとわせて身体強化しながら型を練習する。それができたら木剣と身体の両方に魔力をまとわせて型の練習をした。
「うん。聞いていた通り魔力の扱いは上手いね。筋肉はぜんぜんないけど」
カラカラと笑い、次の段階へ進む。
まず木剣に魔力をまとわせ次にその魔力に属性をつける。今回は土属性で試す。火だと燃える可能性があるさし、身体に魔力をまとったままだと制御を間違うと火だるまになったり、土に閉じ込められたりするので、木剣に属性をつけるのに慣れるまでは身体強化とは併用しない事を約束させられた。
魔術は安全第一。危険だと言われたことをシャーリーはわざわざやらない。
1人で練習するときは身体強化と木剣に魔力をまとわせる物体強化だけにするように言いおいて、家庭教師はかえっていった。
この家庭教師は3日後また来て、その後も数日おきにやってくる。どうやらしばらくは固定らしい。
「リリー先生」
シャーリーは魔術の家庭教師の先生の名前を覚えた。