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【06】 若者

次の日、小太郎は母親を説得して外出許可をもらった。

人目につかない様に裏口から家の外に出て、約束の場所に向かい、少し待つと昨日会った若者がやってきた。


「よぅ、おはよう!」


「おはよう!」


明るくあいさつを済ませ、その日何をするか考えた。


「川で待ち合わせしたのはいいが…。」


「釣竿一応持ってきた。魚でも釣らない?」


小太郎は二人分の釣り道具をあらかじめ用意してきていた。


「お、準備が良いな。」




早速釣りに興じたが、魚はこの前釣りすぎたのか大漁とはいかなかった。

暇な時間が多くなっていたので、小太郎は若者と話し込んでいた。

彼は思いついたようにつぶやいた。


「…そう言えば、お前の名前聞いてなかったな。」


「そうだね。」


互いに自己紹介を忘れて二日もつるんでいたことにおかしさが込み上げて二人して笑ったが、

若者が先に名乗った。


「俺は、政信まさのぶだ。まつりごとの『政』に信長の『信』。」


「政信か。俺は良鷹。良い悪いの『良』に鳥の『鷹』。」


「良い名だな。」


「ありがとう、俺も気に入ってる。」


互いの自己紹介が済んだころ、小太郎の竿が変化を見せた。


「おっ。引いてるぞ!釣れたんじゃないか?」


「あっ。ほんとだ!」




結局一人一匹ずつ釣ったところで、日が高くなり腹が減ったことに気がついた。

その場でさばくことはできなかったので、手頃な枝を拾い、串刺しにして魚の丸焼きにした。

塩がなかったせいで少し物足りなかったが…。


「どう?おいしい?」


「美味い!熱い魚もイケるな。」


初めて食べると言ったそぶりでうれしそうに魚にかぶりつく姿が不思議に思えた。


「普通じゃないの?冷たいのは、燻製か刺身だから。」


「そうか、熱いのが普通なんだな…。」


やはりどこか不思議な若者だった。




それから何日か小太郎は、その政信と会って遊んだ。

ほとんど、どこどこで待ち合わせと約束して、夕方になるまで遊んだり、武術の稽古をしていたが、ある時いきなり家の裏口の前に立っていた。


「よぅ!元気か?」


彼はいつもと変わらない様子でにこやかに立っていた。

しかし、


「え!?なんで来たの!?」


「お前の家に来てみたかったからさ。」


「なんで知ってるの?」


小太郎の後でもつけたのだろうか。それとも、他の方法で調べたのだろうか?

しかも、政信は近所の人でさえあまり知らない裏口の前にいた。

疑問は増すばかりだった。


「ん?ちょっとした経路で調べた。お邪魔していいか?」


家に上がりたい様子の彼に困惑した小太郎はひとまず大人の助けを求めることに決めた。


「ちょっとここで待ってて!…吉右衛門!居る?」


「若、なんでございますか?」


「この人お客さまだから、お茶でも出しておいてくれない?その間に母上に知らせてくる。」


「はい、お任せを。さぁ、おあがりください。」




小太郎は初音を探した。

彼女は自室で、花を活けるためにはさみで花を切っていた。

集中していた様子で、足音をうるさく立てた小太郎は一瞬睨まれた。

それにひるまず、伺いを立てた。


「母上、政信が来たんだけど…。家に上げても大丈夫?」


「誰?政信って。」


「この前、町で助けてくれた人。」


「あぁ、あの人?何しにいらっしゃったの?」


「遊びたいんだって。俺と。」


「そう、良いんじゃない?…ほら、きれいでしょ?どう?」


半分花に気を取られていた様子の母の言葉を受け、

小太郎は政信を家に上げることに決めた。


「花はわからないや。とにかく、いいんだね?」


「えぇ。…さぁ、どこに飾ろうかしら。」





茶を飲みながら下男の吉右衛門と話していた政信に庭に行こうと誘い、相手をしてくれていた吉右衛門に礼を言った。


「ありがとう。どうだった?」


「あのお方、真面目で品がよろしい。若はいいお友達を見つけなさった。」


「そう?」


「…ただ、誰かに似ているような気がしてならないのですが。思い出せませんで…。」


「へぇ。じゃあ、ゆっくり考えてて。わかったら教えてね。」




その日は、庭で武術の稽古になった。

父の木刀をこっそりと借りて二人で立ち会いを何度も重ねた。

政信は強く、やっと今の身体になれつつあった小太郎には手ごわかった。

道場では、先輩たちはある程度手加減してくれたので、ここまで真剣に向かって行ったことはなかった。

必死に何度も打ち合っているうち、自然に取っ組み合いに変わっていた。

普段から苦手な柔術は、やはりうまくいかなかった。

力はついたにも関わらず、相手の動きを見れず、隙を突かれては倒された。


「お前、体格良いのにもったいない。前よりマシになったが、もっと鍛錬しないとな。」


「やっぱりそうだよね?」


「がんばろう、俺らはまだ若い!」


「ははは。そのとおり!」




疲れて一休みしていると母がやってきた。

どうやらお昼の時間らしかった。


「良鷹、政信殿、お昼をどうぞ。」


「行こう、お腹減ったよね?」


「あぁ、有り難く頂戴する。」




母が見守る中で、小太郎は政信と昼餉をとった。

そこでも政信の不思議な発言が母と小太郎の気を引いた。


「美味い!温かい汁物に熱い飯。いいなぁ、毎日食べられて。」


「…ねぇ、普段なに食べてるの?」


そう前々から気になっていたことを聞くと、政信の顔は少し曇った。


「…誰が作ったかわからない冷えた飯。それを一人で部屋で食べる。

…だからこうして、皆で食べるのはうらやましい。」



初音はまだ完全に大人になっていない子どもがそんな食生活では不憫だと思ったのだろうか、


「…そうなんですか?お可哀そうに。良かったら晩も食べていきますか?」

と誘った。


その言葉を受け、政信は嬉しそうにほほ笑んだが、丁重に断った。


「…かたじけない。お言葉ありがたく頂戴いたす。夕餉もご一緒したいのは山々ですが、家の者が激怒するので、夕方には失礼いたします。」


「そう、厳しいのですねぇ。」



午後からは学問を一応やった。

どうやら母の差し金だったようだが、小太郎は政信にいろいろ教えてもらえ、いつもよりおもしろい勉強時間を楽しんだ。

楽しい時間も過ぎ去り、夕方政信は帰宅することになった。


「じゃあ、またな。」


「うん。また。」


普通に見送ろうとした矢先、政信は真剣な表情になっていた。


「…良鷹、ちょっとだけ良いか?」


「なに?」


「…あのさ、俺がどんな奴でも今までみたいに付き合ってくれるか?」


「いいよ。」


「信じていいか?」


「もちろん。」


少し安心した様子の政信はいつものように約束をして去って行った。


「…じゃあ、明後日、いつもの場所で。」







約束した日、小太郎は少し不安げな政信が気になったが、いつもどおり接した。

突然政信が『付いてきてほしい。』と言ったので、黙ってついて行った。

あまりに彼が黙っているので少し不安になって聞いてみた。


「どこ行くの?」


「俺んち。」


「へぇ。政信んちか。」



しかし、政信は建ち並ぶ武家屋敷のどこの家にも入らなかった。

おかしいなと思いつつもおとなしく後について行くと、知らぬ間に城の目の前にいた。

そこで止まるのかと思いきや、御堀の上に掛けられている橋を渡り、城の人目につかない木がうっそうと茂っているところへ入って行った。


「まだ?」


「あと少しだ。」


突然、前の政信が歩みを止めた。

前を見ると、屋敷の中にたくさんの女中やもっと身分が高そうな女の人達が見えた。

それらが忙しそうに歩きまわり、騒がしくしている様子が良くわかった。


「政信殿!どこにおられます!」


「あっ、浮船様、若様はどこにもおられません。」


「どこへ行ったのやら…。それにしてもあの小姓は何をしておるのじゃ!はよう探すように申せ!」


「はい。」




小太郎ははっきりと聞いた。

『浮船』と呼ばれたお局様のような女が、『政信殿』と呼ぶのを。

しかも、下女が『若様』と呼ぶのもしっかりと耳に入ってきた。

恐る恐る目の前の男の背中に向って尋ねた。


「…政信って、若様だったの?」


彼は振り向かずに、ぼそっと呟いた。


「…キライになったか?」


「…なんで?」


悲しそうに彼は話し始めた。


「…畏れ多いとかなんとか言って、顔も見てくれない奴らばっかりだ。みんな俺のご機嫌伺いばかり、腹の中で俺のことが嫌いでも、表はニコニコ笑っている。我慢できない…。」


「……。」


何も返す言葉を見つけられなかった小太郎は黙りこくっていた。

そんな様子に気付いたのか、政信は一言言った。


「…いったん、出よう。」



小太郎を前にして、政信は申し訳なさそうに言った。


「…黙ってて悪かったと思う。」


「別に、怒ってなんかいませんよ。驚いたけど。」


小太郎は思った通りのことを告げた。

しかし、眼の前の政信はひどく悲しそうな顔をしていた。


「…やっぱりお前も話し方変えるのか?」


「だって、政信の方が八つも年上でしょ?やっぱり年下が生意気じゃ…」


何も考えずつい口を滑らせた。

驚いてしゃべるのをやめたが、気付かれてた。


「は?お前十八じゃないのか?」


「あっ、何でもないです。…ちゃんと喋らないと、周りの人に怒られるでしょう?

俺、それでいつも怒られるから。」


必死に弁解を図った。


「それも、そうだな。…ガキみたいなしゃべり方は特にな。」


小太郎は『ガキ』とわれ腹が立った。

やっと、ここ数日で子どもと言われなくなって喜んでいた矢先だったので怒りは大きかった。


「俺はガキじゃない!…あ、ないです!」


身分がずいぶん上の若様に向って、怒鳴ってしまった無礼にもかかわらず、政信は喜んでいた。


「やっぱりお前の態度は変わってない。良かった…。」


「あの…。呼び捨てもダメだと思うから…。なんて呼べば良いですか?」


「なんでもいいぞ。『若様』以外なら。」


「じゃあ、『殿』はどうです?」


「うん、気に入った。それでいこう。」



うるさい女中がイヤだと政信が言ったので、屋敷には入らず、外に二人で座り込んでたわいもない話に没頭していた。



「お前、仕官してるか?」


「いいえ。家にいます。」


「…そうだよな。俺と遊んでたもんな。家の跡継ぎか?」


「はい。一応、長男なんで。」


しばらく考え込んでいた政信は、小太郎に一つ話を持ちかけた。


「…お前、俺の小姓になる気はないか?」


「小姓ってなにするんですか?」


「俺の遊び相手みたいなもんだ。」


「…ふぅん。別にかまいませんよ。少しの間なら。」


この時、小太郎は深く考えていなかった。

小姓には家や政の問題が関わってくるとは一切頭になかった。

言葉通り、『遊び相手』だと認識していた。


「良いのか?」


「うん、じゃなかったはい。」


「やった!ありがとうな!実を言うと、一人来たんだが、堅物でつまらないんだ。

お前が来てくれるなら楽しい!」


「そうですか?良かった。」


「近いうちに手筈は整えておくから、よろしくな!」


「わかりました。」


母を説得する必要があるなと思いながら、小太郎は家に帰ることにした。

しかし、歩きだすとすぐ彼は政信に呼び止められた。


「そうだ、良鷹、苗字はなんだったっけ?」


「瀬川です。」


「瀬川?…もしかしたら、瀬川良武の縁者か?」


「…え、はい、そうです。」


この時、なぜ政信が自分の父の名を知っていたのか小太郎は気がつかなかった。


「わかった。ありがとな!じゃあ!」

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