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【41】 逢引

「うぅ…。」


 小太郎は二日酔いだった。

男友達二人にあれやこれや質問攻めに会い、酒を飲まされ、色々吹き込まれた。

 『会いに行け』『一緒にどこかに遊びに行け』はまだ可愛いもの。

 酒がまわった彼等は、『攫ってしまえ』ととんでもないことを言っていた。


「攫うなんてできないよ…。お仕事が…。」


 彰子の大事な仕事。彼女は幼いころから好きでやっている。

それを奪うことは出来ない。

 単純に小太郎はそう思った。


「頭痛いな…。気持ち悪いし…。」


 その日は道場で試合がある日だった。

それ故休むことは出来ない。

 掛け布団を頭からかぶり、気分が落ち着くのを待とうと試みた。

 うとうとし始めた頃、突然部屋の障子が開け放たれ、彼の二度寝は妨げられた。

 


「小太郎、遅刻ですよ!」


 そう大きな声を上げた母親初音の足もとで、小太郎はのた打ち回っていた。

二日酔いの頭に、大声は禁物だった。

 初音は少し驚いた様子を見せたものの、息子を叩き起そうとした。


「早く起きなさい! 今日は休みではないはずよ。」


 小太郎は苦し紛れに声を出して訴えた。


「母上…。お願いです。怒鳴らないでください。頭が割れる…。」


 酷い状態の息子に気付いた初音は、声を小さくして小太郎の傍に腰を下ろした。


「あら…。もしかして二日酔い?」


「…はい。…死ぬ。」


「どうしましょう…。辛い?」


「…はい。」


 そこへ一人の老人がやってきた。

引退したものの、まだまだ元気な吉右衛門だった。

 『立派な姿を見られないかもしれない』と泣いた彼だったが、今では『若の子を見るまでは』と頑張っていた。

 そんな彼は二人の様子に気付いた後、どこへやら姿を消した。

次に現われた時、彼は手に湯呑を持っていた。


「奥様。これを若に。」


 初音は絶大な信頼を置いている下男からなんの躊躇もなくそれを受け取った。

そしてうずくまっている小太郎に、手渡した。


「さあ、飲みなさい。」


 どうにか苦痛から逃れたい小太郎は深く考えず、湯呑の中の物を飲みほした。

しかし、苦痛は酷くなった。

 

「げぇ! クソ不味い! 吐きそう…」


 しかし、効果はあった。

小太郎はどうにか床から出ることができた。


 

 数刻の後、小太郎は道場に居た。

試合の為の身支度をする彼の所へ、ニヤニヤしながら男がやってきた。


「やあ、恋煩い殿。元気かね?」

 

 昨晩飲んだにもかかわらず、けろっとしてそう言う勝五郎に小太郎はむかっとした。


「うるさい。二日酔いだ。」


 睨みつけた小太郎に、総治郎が言った。


「まぁ、頑張れ。二日酔いごときで負けるお前じゃないさ。」


 その言葉通り、小太郎は根性で勝ち進んだ。

しかし、道場一強い先輩に負け優勝は逃した。

 

「ふぅ…。やっと終わった。」

 

 いつもならば、どこがどう悪かったのかと反省をする小太郎だったが、この日はしなかった。

あまり良くない体調が持った事に、安心していた。

 そんな彼をよそに、道場の隅ではいつものように女の子たちが騒いでいた。

もちろん大半の娘の目当ては小太郎。

 『うるさい』とでも言おうかと彼はそちらを一瞥した。

 しかし、彼の口から出たのは違う言葉だった。


「彰子…殿?」


 うるさい女の子の後ろに、彼女は立っていた。

一際目立つ彼女の美貌に、小太郎はポーっとなってしまった。

 毎晩自分を悩ませた女がその場に居た。


 女の子たちの眼が皆小太郎に行くことで、男たちは不満だった。

小太郎をからかって遊ぼうとしたが、彼の様子がおかしいことに気付いた。

 

「お、小太郎が珍しく女の子見てる。」


「どれどれ? あ、あれが『あきこさま』じゃないか!?」


「え。小太郎の恋煩いの相手って人か?」


「そうだ。絶対そうだ! めちゃくちゃ綺麗だ。煩うのもうなずける。」


 小太郎の眼に、彰子しか映っていなかった。

寄ってたかる女の子たちを完全に無視して、彼は彰子へ近寄った。

 鼓動は早かったが、心を落ち着かせ、眼の前の彼女に話しかけた。


「どうしてここへ?」


「…お宅に参りましたが、ここに居らっしゃるとお聞きしましたので。」


 他の娘と違い。しっかりとした理由を持って道場に来たに違いない彼女に、小太郎は聞いた。

小さな望みを持って。


「…私に、なにか御用でしたか?」


「殿から、文でございます。」


 彰子らしい、侍女らしい用件だった。


「確かに、受け取りました。」


 彼女から主の文を受け取り、小太郎は懐奥深くにそれをしまった。

二人の間を沈黙が漂った。

 小太郎は、昨晩の男友達の言葉を思い出した。

 『一緒にどこかに遊びに行け』

 この時が、いい機会だと直感した。


「…あの、お忙しいですか?」


「いえ。夕刻までは大丈夫でございます。」


「では…その…。」


 なににどう誘っていいのか考えていなかった小太郎は、口ごもってしまった。

その時、妙な声が彼の耳に聞こえてきた。


「…誘え。いいから、誘え。」


「…頑張れ! 男になれ!」


 ふと横を見ると、勝五郎と総治郎が物陰に隠れながらそう小太郎に向かって言っていた。

彼らの励ましで心に余裕ができた小太郎は、いいことを思いついた。

 そして、笑顔で自信を持って彰子に言った。


「良かったら、遠乗りに行きませんか?」


「遠乗りでございますか?」


「はい。この国を少しですが、御案内したいなと…。」


「…良鷹さまが?」


「はい。どうでしょう?」


 小太郎は期待したが、彰子は即答だった。


「お願い致します。」


 彰子を見詰める小太郎の傍で、彼の親友二人は喜んだ。


「やったな! 小太郎! でも手は出すな!」


 いささか真面目な総治郎はそう言った。


「…いいや。いい雰囲気になったら茶屋に連れ込め!」


 不真面目な勝五郎はニヤリとそう言った。



 小太郎は早々に身支度を済ますと、彰子と連れだって歩いた。

少々言葉を交わし、家へ着くと彼女を客間に通した。


「こちらへどうぞ。支度してきますので、少々お待ちを。

…あ、丁度いい。お茶頼める?」


 小太郎は傍に居た吉右衛門に、茶を頼みその場を後にした。

 吉右衛門は、小太郎が女子を連れてきたことに大層驚いた。

子どものころから女の子があまり好きではなかった彼を良く知っていたので、尚更だった。

 しかし、茶を淹れることは忘れなかった。

 彰子の前に茶と茶菓子を置いた。


「どうぞ…。」


「頂戴いたします。」


 ほほ笑みながらそう返した彰子にあっけにとられていた。

さらに、優雅な手つきで茶を飲む彼女に、下男は見とれていた。

 ハッと我に帰った彼は、早々にその場を後にし、急いで初音の部屋に向かった。



「女の子連れて来たですって!?」


 初音は花を生けている途中だったが、驚きのあまり、切ってはいけない所で花を切ってしまっていた。

 一瞬天を仰いだものの、花よりも息子の方が重大だった。

適当に花を片付けると、吉右衛門に膝を寄せて興味津々に聞き始めた。


「どんな子だった?」


「この辺りでは見かけませんな…。大層上品な方でした。」


「…どこの家の娘さんかしら。今からお逢いできるかしら?」


「今客間に行けば、もしや…」


 しかし、時すでに遅し。

馬のいななきと、走り去る音が聞こえた。


「どうやら、若とお出かけになったようですな…。」






 小太郎と彰子は、馬を走らせある場所に来ていた。

そこは、丘の上。

 眼下に城下町が一望できる穏やかな場所だった。


 騎乗で、小太郎は前に座っている彰子に言った。


「どうです? 綺麗でしょう?」


 そこは小太郎が一番好きな場所だった。

大切な人を連れてくるのなら、ここだと考えた末のことだった。

 しかし、ハッと気付いた。


「あ…。京から江戸に来るとき、これよりずっと綺麗な景色いっぱい有りましたよね?」


「あまり覚えてはおりません。ずっと暗くて狭い駕籠の中でしたから。」


 少しイヤそうに言った彰子を笑い、小太郎は少し安心した。


「そうですか…。そうだ! ずっと馬では辛いでしょう? 降りましょう。」


 小太郎は先にひらりと馬から降りると、彰子に手を差し伸べた。


「さぁ。どうぞ。」


 彰子は少し顔を赤らめたが、すぐ小太郎に手を任せた。


「ありがとうございます。」


 馬を下りた後、二人は草の上に腰かけ、景色を眺めながらおしゃべりに興じた。

 江戸の藩邸で仲良く遊んだ、子どもの時と同じような楽しい時が流れて行った。 

 しかし、全く同じということもなかった。


 日が暮れ始めた頃、知らないうちに二人は見詰め合っていた。

なにも言わず、互いの眼を見ていた。互いの右手と左手がそっと重なっていた。

 しばらくそのままだったが、カラスが遠くで一声鳴いた。

 はっと我に返った二人の顔は赤くなっていたが、夕陽で照らされはっきりとはわからなかった。


 小太郎は完全に日が落ちる前に、彰子を城まで送って行った。

真っ赤に焼けた夕焼けの中、城の門の前に立つ彰子に馬の背から言った。


「彰子殿。またお会いできる日を楽しみにして居ります…。」


「はい。良鷹さま。わたくしも。」


「では…。」


「さようなら…。」



 彰子は小太郎の姿が小さくなると、城の奥へ戻りすぐに自室に駆け込んだ。

胸は高鳴り、思い出し笑いで顔がニヤケた。


「良鷹さまが、わたくしを…。」


 彰子は心底驚いていた。

深く優しい声で『彰子殿』と呼ぶ。『彰子ちゃん』ではなくなった。

 自分に対する話し方が、大人に対する物に変わっていた。


 大人として見てくれている。

 

 そのことが嬉しかった。さらに、彼にじっと見詰められたことが堪らなかった。


「良鷹さま…。」


 自分を女として見てくれているのではと思い、幸せいっぱいの彰子は浮かれていた。

自分を呼ぶ声が聞こえていなかった。


「…彰子? 彰子!」


「はい? なんですか良鷹さま?」


 発した言葉がそれだった。

眼の前に立つ人物を見た彼女は、恥ずかしさで真っ赤になっていた。


「…彰子。わたしは貴女の好い人ではありません。」


 少しあきれた様子で、真菜がそう言った。


「申し訳ございません!」


 お叱りの言葉が待っていると思った彰子だったが、返ってきたのは優しい言葉だった。


「本当に楽しかったようね。」


「いえ…。」


 しかし、彼女は仕事に関してはしっかりと締めていた。


「それより、今日は貴女が宿直のお役目です。」


「…宿直ですか?」


 彰子は宿直が苦手になっていた。

十二になるまでは免除されていたが、真菜の一存で仕事が復活した。

 男女の事を彼女から教わって臨んだ彰子だったが、仲が良い二人の主。

彰子には刺激が強かった。


 落ち着かない様子の彼女だったが、真菜は甘やかしはしなかった。


「心して臨むように。奥方さまからの名指しですよ。」


「…はい。」




 覚悟を決めて寝所に行った彰子だったが、部屋には蛍子一人だけ。

 彼女は御簾を上げ、彰子を呼んだ。


「ここへ来なさい。」


「あの…。殿は?」

 

 妙な雰囲気に不安になった彰子はそう聞いた。

すると蛍子は少し意地悪そうな笑みを浮かべた。


「妾は今晩、そなたと過ごす。藤次郎は拗ねておったが、放っておけばよい。」


 事実、政信は若干拗ねていた。

『彰子と良鷹のため』ということで了解してはいた。

しかし一人寝はイヤだと城を脱出し、喜一朗の家に飲みに行っていた。



「わたくしに、なに用ですか?」


「一緒に寝たいのじゃ。昔のように。」


 蛍子にそう言われ、彰子は昔を思い出し嬉しくなった。


「よろしいのですか?」


「もちろん。それ故、打ち掛けは要らぬ。」


 彰子は主に従い、寝間着姿で出なおした。

蛍子の隣の布団へ入り、しばらく昔話に花を咲かせた。

 夜も更けた頃、蛍子はかねてから話そうと思っていたことを切り出した。


「彰子。良鷹の妻になるか?」


 突如こう言われた彰子は、驚き言葉が出なかった。

すると、蛍子が続けた。


「…隠す必要は無い。そなたがあの男を好きなのはとうの昔にわかっておる。」


「しかし…。」


「しかし、なんじゃ?」

 

 蛍子は侍女に問い詰めた。


「わたくしは、奥方さまに仕える身。色恋沙汰は…」


 口ごもった彰子をじっと見て、蛍子は低く言った。

好きな気持ちを抑えているのが眼に見えていた。

 

「生涯を屋敷の奥で、妾に捧げる気か?」


「…はい。」


 その日の彼女の行動を蛍子はすべて把握していた。

藤次郎から借りた『影』を使い、二人を見守らせ、一部始終を報告させていた。

 恋を諦めようとする侍女を蛍子は止めた。


「それは許さぬ。」


「どうしてでございます? わたしは…」


「そなたが一生を捧げるのは良鷹じゃ。妾には真菜が居る。」


 長年苦楽を共にしてきた侍女に幸せになってもらいたい彼女は、どうにかして頑固な彰子を動かそうと語気を強めてそう言った。

 真菜は生涯を蛍子に捧げると誓い、もうなにをやっても動きはしなかった。


「しかし…。」


 頑固な彰子は再びその言葉を口にした。


「彰子。『しかし』が多い。」


「申し訳ございません。」


 縮こまってしまった彰子を丸めこみにかかった。


「彰子。藤次郎も妾も真菜もそなたが良鷹の妻になることに賛成じゃ。誰も止めはしない。」


「しか…。そうでございますか?」

 

 止められた言葉が出かかった彰子はそれを飲み込み、言葉を変えた。

嬉しい言葉だったが、問題が残っていた。

 蛍子はそれを良くわかっていた。


「良鷹は今日の段階ではどうにかなりそうなのであろ? 問題は瀬川家じゃ。」

 

「え? 奥方さま?」


 彰子は主の言葉に引っかかり、彼女に声をかけた。

しかし、蛍子は全く悪びれず美しい顔に笑みを浮かべてこう言った。


「…さて。今日の良鷹との逢引を詳しく聞かせてくれぬか?」


 彰子は激しくうろたえた。

興奮冷めやらぬ彼女は、赤くなり、布団の中に隠れてしまった。


「ご容赦を…」


「ダメじゃ。寝てはならぬ。」


 その晩、彰子は『宿直』本来の仕事同然、一睡もできなかった。

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