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【39】 再会

 小太郎は喜一朗と共に政信の傍に控えていた。

茶会の主人は政信。客は親戚、重臣。

 小姓はもっぱら見張りの仕事。

 

 それにもかかわらず、小太郎の元に見事な打ち掛けを纏った若い侍女がやってきた。

主のお手前をじっくり眺めていた小太郎は、彼女が口を開くまでそのことに気付かなかった。


「…どうぞ、良鷹さま。瀧川さまも。」


「え?」


 突然名前を呼ばれ驚いた。

見れば、女が彼に向かって微笑んでいた。

 彼女は手にした皿を置き、一礼するとその場を後にした。

そこには小さな茶菓子が二つ。

 喜一朗に促され、それを口に含み先ほどの女が誰だったかと考えた。

すると、その女は茶を運んできた。

 優雅な所作で茶碗を小太郎の前に置くと、彼女はそっと言った。


「…お口に合いましたか?」


「は、はい…。」


「では、ごゆるりと…。」


「はぁ…。」


 近頃彼は女の子によく囲まれてはいたが、振りほどいてばかり。

 うるさい、イヤだと邪険にしていたその子たちとは雰囲気が大きく違った。

 そんな彼女を小太郎はボーっと眺めていた。



 茶会がお開きになり、一息ついた小姓二人だったが、喜一朗がおかしな小太郎に気付いた。


「おい、小太郎?」


「…なんですか、義兄上?」


 何も考えず返事をした彼を喜一朗は窘めた。


「まだ仕事中だ。名で呼べ。いいな。」


 はっと我に返った小太郎は気を引き締めた。


「申し訳ございません。喜一朗殿。」


 しかし、喜一朗は笑みを浮かべてこそっと言った。


「…さては、見惚れたか?」


「そのような事は…。」


「綺麗になったと思わんか?」


「はい? どなたがですか?」


「彰子殿だ。」


「彰子ちゃんか…。え!? あのさっきの?」


 小太郎の驚きようを笑った喜一朗は話し始めた。


「あれはまぎれもなく奥方様の侍女の彰子殿だ。」



 その後、二人は控室で身支度をしていた。

その日の仕事が終わり、後はお楽しみの男同士の飲み会の筈だった。

 しかし、そこへ突然男がやってきた。

 その男は何も断りを入れず、ずかずかと部屋に入り込んだ。


「おう。二人ともお疲れさん。」


 政信だった。


「…殿、その身なりは何ですか?」


 喜一朗が眉をひそめた。

政信は着流しに、大刀一本の簡単な姿。

 若様とは程遠かった。

 

「抜け出してきたにきまってるだろ? 城代やお前らの親父がうるさくてうんざりだ。」


 呆れ顔の喜一朗をよそに、小太郎は質問した。


「大丈夫なのですか? 抜け出して…。」


「あぁ。堅苦しい酒宴なんかクソくらえだからな。代理を影に頼んで来た。」


 本物そっくりに化けられる政信配下の『影』

しかし、不安は少々残った。


「…バレませんか?」


「大丈夫。蛍子とばあさん以外にはわからないから。」


 ニヤリとする主に、小太郎も倣った。


「…では、殿。今晩はお手柔らかにお願いします。」


「わかったわかった。では、瀧川、瀬川、出陣じゃ!」


「はっ!」


 すばしっこく部屋から消えた二人に喜一朗が怒鳴った。

 

「一体どこに行く気ですか!?」




 小太郎は無事に城を抜け出すと無計画の主に言った。

 

「殿、抜け出したのは良いですが、どこに行くのです?」


「どうしたものか。おまえの親父も喜一朗の親父も城で心配は要らん。どっちの家でもいいんだが…。」


 考え始めた彼に小太郎は進言した。


「では、私の家でどうです? 義兄上の所では騒ぐと…。」


 喜一朗の家には絢女と子どもたちが居た。

そんなところでばか騒ぎは出来ない。


「そうだな。ということで瀬川家で決定。」


 小太郎はすぐに主と先輩に言った。


「手配してまいります。お二人はごゆっくりお越しください。では…。」



 一礼し、早足で去っていく彼を見つめ、政信は感慨深げに言った。


「本当に大人になったな。顔つきが違う。」


「そうですね。」


「良い男になったもんだ。これからがもっと楽しみだな。」


「はい。」


 小太郎の姿が見えなくなるや否や、喜一朗は政信に提案した。


「…殿、今のうちにあれを。」


「お、そうだったな。」


 二人はこそこそと相談し始めた。





「さぁ。飲みましょう!」


 酒や肴を有るだけ集めた小太郎は、酒宴の開始を促した。

しかし、喜一朗はすかさず注意した。


「飲みすぎだけはダメだからな。」


「はい。お言葉肝に銘じておきます。」


「真面目な話だからな。いいな?」


「はい…。」



 三人で飲み、昔話に花を咲かせた。

そして別れていた八年間の話、これからの夢を語り合った。

 酒が程よく回ったころ、おもむろに政信が切り出した。

 

「さて、良鷹。今からはお前の女遍歴を聞く時間だ。」


「何ですかいきなり!?」


 小太郎は持っていた徳利を取り落としそうになった。

ふっと、その日見た彰子の姿が脳裏に浮かんだ。


「悪い。もっと清い方向で行こう。嫁はどうする?」


「…まだ、そんな話は。」


 照れくさそうにそう言った小太郎だったが、政信は続けた。


「いいや。早くなんかない。俺はお前の歳に結婚した。喜一朗もそうだ。…仲間だろ?」


 肩を寄せ、耳元で囁く主に小太郎は閉口した。


「仲間とはそういう時に使う言葉ではないと思いますが…。」


「まぁ。いい。それより、彰子さまとはどうなった?」


 酒を小太郎の手の中の杯に注いだ。

喜一朗の報告から状況を把握していた政信だったが、小姓を弄って遊ぼうと決めた。


「え? 彰子ちゃんですか? えっと…」

 

 話を振られ、どう答えていいかわからなくなった小太郎だった。

はぐらかす為、酒をグイッと飲み干し、杯を空けた。

 するとおもむろに、主とつるんでいた喜一朗が口を開いた。


「殿、今日小太郎は彰子殿と会いました。」


「ほぅ。それで?」


「本当に彰子殿かこの者は解らないそうです。な?」


 そう言って喜一朗は自ら飲みすぎを注意したにもかかわらず、義弟の杯に酒を注いだ。


「はぁ。まぁ。八年ぶりなので…」


 酒を口に運びながら曖昧に答える彼を見た二人はニンマリとし、先ほど練った計画を実行に移すことにした。


「…と、言うことで、彰子さま! 顔を拝ませてやれ。」


「はい…。」


 『彰子』という単語と女の声に驚いた小太郎は飲んでいた酒にむせた。

 気管に酒が入りこみ、盛大に咳をしていたが、フッと優しい上品な香りが漂った。

そして耳元で先ほどと同じ女の声が聞こえた。


「大丈夫ですか? 良鷹さま?」


 気付くと、女が小太郎の背をさすっていた。

小太郎は激しく動揺した。


「あ、あ、あの、あなたは…」


 しどろもどろしていると、突然彼は何者かからパシッと頭を叩かれた。


「お前、前と一緒じゃないか。全然成長してないな。」


「お、大きなお世話です!」


 そのやり取りを見て女はクスッと笑った。

彼女の顔を小太郎はその時初めて正面に捕えた。


 女は、彰子だった。

 幼い時の面影がほんの少し残っていた。

しかし、驚くほど美しくなっていた。


 国で一番二番を争う美女を、小太郎は男友達に引っ張られて見に行ったことがあった。

さすがの小太郎も、その女を綺麗だとは思ったが、彼の心は動かされなかった。


 しかし、眼の前の彰子は小太郎の心を動かした。

自信と誇り、知性が垣間見える眼。奢らず、歩をわきまえた落ち着いた仕草。

 そんな彰子に不思議な感覚を覚えながらも、小太郎はなにも言わずにじっと眺めていた。

 すると、彰子は恥ずかしそうに眼を伏せた。

 

 小太郎はそこで自分の変化に気付いた。

 彰子から目が離せなくなっていた。

酔いはじめて熱くなった顔は急激に熱くなり、鼓動は激しくなっていた。

 


 そんな彼を政信は喜一朗と傍観していた。

政信は炙ったするめをかじりながら言った。


「顔、真っ赤だな。…まぁ、飲め。」


 酒を喜一朗に注ごうとした。


「…もう飲みません。そうとう驚いてるんでしょうね。」


 喜一朗は笑顔で主からの酒を拒んだ。


「…まだ全然飲んでないだろうが。さて、喜一朗、小太郎は男になれると思うか?」


 政信は怯まずに小姓に酒を注いだ。

喜一朗は溜息をついた。


「さぁ、どうでしょう? …殿、もうそろそろ飲みすぎな気がするのですが。」


「先輩が指南してやれ。…まだ飲むぞ。」


 


 なにも言わない小太郎の代わりに、彰子が言った。


「お久しぶりです。良鷹さま…。」


 その声は既に女の物。

高く可愛い子どもの声ではなかった。

 雛人形のような身形はどこへやら。今の彰子は打ち掛けを纏い、黒髪を結い上げ、上品な化粧を施していた。彼女が動くと、フッとよい香りが小太郎の鼻に届いた。


「ひ、久しぶ、り。」


 恥ずかしさやら、戸惑いやら、酔いやらで小太郎は上手く会話ができなかった。

しかし、彰子は一向に気にしてはいなかった。

 

「お手紙、ありがとうございます。毎回楽しみにしております。」


「そ、そう?」


「毎回入れてくださる綺麗な紅葉も、押し花も、お菓子も本当に素敵で…。」


「ど、どういたしまして…。」


 

 二人の様子を見た政信はくすくす笑い始めた。


「…あいつ、まだあんなガキっぽい贈り物してるのか?」


「そうみたいですね。男は遅いですから…。女に気付くのが。」


 喜一朗はフッと笑い、肴に手を伸ばした。


「彰子なんか、八つのころすでにあいつを意識してたぞ。」


 すかさず、政信は喜一朗の空いた杯に酒を注いだ。


「女は早いんですよ。殿の姫様もわかりませんよ…。」


 酒をどうにか飲ませようとする主にムッとなった喜一朗は少し意地悪く言った。

すると、政信は不機嫌そうに言った。


「俺の認めた男にしか嫁がせん!」


 男二人の会話は、父親の物になりつつあった。




「あの、彰子ちゃんは、ずっとここに?」


 少し会話がまともにできるようになった小太郎は彰子にそう聞いた。


「いいえ。奥方さまが来月江戸へ戻ります。その時わたくしも。」


「そう…。」


「しかし、それまでは、わたくし、ここに居ます…。」


 小さな声で恥ずかしそうに言った彰子に、小太郎はこう言った。


「…お仕事の合間に、良い景色でも見ていくと良いよ。結構、綺麗なところあるから。」



 先輩二人は小太郎の失敗に気付いた。

酒を飲むのはやめ、額を寄せて相談し始めた。


「…あのバカ! 彰子がどんな気持ちで言ったかわかってないぞ。」


「…少しは意識したと思ったのに。殿、どうしますか?」


「…仕方ない。俺らで小太郎ちゃんを良鷹さまにするしなかいな。どうだ?」


「…わかりました。早速手はずを。」



 しかし、小太郎は全く彰子を意識しなかったわけではなかった。

衝撃の再会のせいで、動転し、どう彼女に対して振舞って良いかわからなかっただけだった。


 飲み会を終え、一人小太郎は寝転がってその日の出来事を思い返していた。

主との再会、緊張した茶会。そして彰子。

 小太郎の中の彼女はずっと八つの出会った時の彰子のままだった。

それ故、彰子の変身に驚き、動揺し、未だにあの美女が彰子だと信じられなかった。


「彰子ちゃん…。」


 そう口にしても、浮かぶのは八つの彰子だった。

しかし、小太郎はあることをふっと思った。

 

「二度と会えない…のかな?」

 

 それは以前喜一朗に聞いたことだった。

 この時、小太郎はやっと本当の意味を理解していた。

 

 彰子は近いうちに、江戸の藩邸の奥深いあの場所に帰る。

 殿様以外入れはしない男子禁制の場所。


「俺は、もう子どもじゃない。あの場所には、行けない…。」


 そしてある不安に駆られた。

 文のやり取りを禁止されるかもしれない。


「どうなるんだろ…。」

 

 不安と、妙なモヤモヤとした気分とで、彼はその晩なかなか寝付けなかった。





 そんな彼の心配とは裏腹に、次の日彰子から小太郎宛に文が来た。

早速開けて読むと、中には、『会えてうれしかった、またいつか会いたい、これからも文のやり取りをしたい』と書き連ねてあった。

 そしてその文は良い匂いがした。

それは彼女が着物に焚き締めていたものと同じ、上品な優しい香り。


「彰子、殿…。」


 その日、小太郎の頭から今までの子どもの彰子の姿は消えた。

彼女は八つの人形のような姿ではなく、武家姿でほほ笑む美しい女の姿だった。




 その晩、城の一角で喜一朗は男と話していた。

そして傍には、若い女の姿が。


「…どうだった?」


「はっ。喜一朗様が躍起になる必要は無いと存じます。」


 喜一朗は影を使い、小太郎の動向を探っていたのだった。


「…どういうことだ?」


「良鷹様は以前から彰子様を好いていらっしゃいました。それ故、急がず、慌てず、少し待てば、必ずや彰子様に色よい結果が返ってくることかと…。では。」


 そう言うと影は音もなく消えた。

残されたのは喜一朗と女、彰子だった。


「…ということですが。待てますか?」


「待つも何も、わたくしは…」



 喜一朗は政信と結託し、小太郎と彰子をくっつけようとしていた。

大本の提案者は政信。

 『出会ったときからずっと小太郎への想いを変えてない一途な彰子に感心した。』

と言うのが大義名分だったが、他にもいろいろと理由があった。

 

 ・一番初めにできた友達、小太郎への礼。

 ・妻、蛍子と引き合わせてくれた彰子への礼。

 ・子どものなかよしこよしから、男女の恋愛へどう変化するかの観察。

 ・難しい条件下での愛の成就。



 しかし、政信は直接的に両者に働きかけろとは一切命じてはなかった。

彼がやったのは、茶会の席で小太郎に茶を運ぶのを提案した事と、その晩の飲み会に誘ったぐらい。

 この晩の行動は、クソ真面目の喜一朗が考えたもの。

 本当にクソ真面目な彼は、余計な心遣いのしすぎだった。


「彰子殿、私も陰ながら応援致します。なにもなければ愚弟をけし掛けますので。ご心配なく。」

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