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【38】 良鷹

「そこまで!」


 突然道場に声が響いた。

道場の真ん中で男二人が試合をしている最中だった。

 声の主は溜息をついた後、一方の男に言った。


「勝五郎、負けを認めろ。実践ならば首はもうないぞ。」


「しかし…。」


 不満げな表情を浮かべ、勝五郎は師に言い訳をしようとした、しかしすぐさま遮られた。


「小太郎はお前を怪我させないように手を抜いている。わからないか?」


「くっ…。」


「小太郎の為にならん。仕舞だ。」


 悔しがる勝五郎の相手は小太郎だった。

彼は会釈をしてその場を下がると、道場の隅で汗を拭いた。

 そんな彼の背後には大勢の若い女が。


「…また勝ったわ。さすがね。」


「あぁ、素敵…。」


「…絢女さまにお願いして、お逢いできる機会作ってもらわない?」


「…それ良い。茶会にお誘いしましょ。」


 そう口ぐちに言い、ずっと道場の中を見続けていた。

すると、先生がキッと彼女らを睨んだ。


「お嬢さん方、ここは騒ぐ場所ではないのですがな?」


 女たちはぱっと隠れた。

しかし、立ち去ることは無かった。


 

 厳しい先生が道場を去った後、その日の稽古は終わった。

小太郎に負けた勝五郎は友達の総治郎を引きつれて文句を言っていた。


「小太郎、情けで手加減するな。女の子たちの前でカッコ悪いだろ?」


 すると総治郎も少しからかい口調で言った。


「お前いつも無視してるが、たまには手でも振ってやれよ。」


「イヤだ。誰が手なんか振るか。」


 小太郎はそう言うと、木刀を手にその場を後にした。

惜しがる女の声に、男二人は顔を見合わせた。

 そして小太郎を追いかけた。


総治郎は不思議そうに言った。


「どうしてそんなに嫌うんだ? お前女嫌いか?」


 小太郎は苦々しく彼に返した。


「…俺をからかった。威張りちらした。いじめた。」


 その言葉を聞いた二人は腹を抱えて笑った。


「まだそんなこと言ってるのか? おかしな奴だな。」


 しかし、小太郎は真剣だった。


「だって、そんなことしてたくせに、なんで近頃すり寄ってくる? 意味がわからん。」


 すると総治郎はニヤッとして言った。


「お前が良い男だからだ。だよな?」


 しかし、勝五郎は笑わなかった。


「…そうだな。」


 彼等の言葉に小太郎は溜息をついた。


「俺の中身を全く知りもしないで。…そんな女はやっぱり嫌いだ。」


「お子様みたいなこと言うなよ。」


 そう総治郎が茶化すと、小太郎は怒った。


「俺はガキじゃない!」


 そのおなじみの展開に、友達二人はこそこそ相談した後、小太郎を羽交い絞めした。

小太郎はもがいた。


「何する気だ!?」


 総治郎は彼に耳打ちした。


「…お前が大人だっていう証拠見せろ。」


「は? どうやって?」


「…いい芸者がいるんだ。琵琶の名手でな。」


 その言葉を聞いたとたん、小太郎は力を込めて二人から逃れた。

そして身なりを正すと、静かに一言言った。


「暇じゃない。」


 しかし、男二人はそこで引っ込まなかった。


「付き合えよ。たまには良いだろ?」


「イヤだ。そう言って前みたいに俺を陥れるつもりだろ?」

 

 この少し前、小太郎は友達二人と先輩に騙されて遊郭に連れ込まれた。

すんでのところで逃げ帰り、文句を言ったが大笑いされただけだった。

 その日のことを二人は思い出して大笑いし始めた。


「せっかく男にしてやろうと思ったのに。あれは残念だった。」


「そうだそうだ。ははは!」


 二人の言動に呆れた小太郎は彼らに背を向けた。


「今後誘うなら酒までだ! いいな!?」


 すると、勝五郎が軽口を叩いた。


「小太郎ちゃんはお姉ちゃんとお飯事でもしてるんだな!」


 さすがに総治郎はこの発言を注意した。


「おい、ちょっとそれは言いすぎだ。」


 しかし、小太郎は真に受けた。

勝五郎に向き直り、彼を睨みつけた。


「なんだと!?」


 しかし、勝五郎は尚も小太郎をからかった。


「おお怖。図体ばっかり大きなお子様が怒ってらぁ。」


「俺は子どもじゃない!」


 小太郎はカッとなり、勝五郎の胸ぐらをつかんでいた。

 すると彼は小太郎を蔑むような眼で見た後、低く言った。


「男じゃない。大人でもない。」


「…なんだと?」


「お前はまだガキだ。」


 今にも殴り合いの喧嘩が始まるのではという険悪な雰囲気が、二人の間に漂っていた。

しかし、それを防ごうと第三者の総治郎が止めに入った。


「おい、そこまでにしとけ。勝五郎も大人げないぞ。小太郎も落ちつけ。」


 そんな彼を勝五郎は怒鳴りつけた。


「お前には関係ない! 小太郎、お前若様に気に入られてるか何か知らんが、調子乗ってんじゃないぞ!」


 突然そう言われた小太郎は驚いたが、反論した。


「そんなことない!」


 しかし、勝五郎の怒りは収まっていなかった。


「ウソつけ。男前で背が高くて頭いいからって、図に乗るな! さっき手加減したのだって、俺の剣術舐めてるからだろ!? 俺をバカにしてるんだろ!?」


 そうまくし立てられ、小太郎は動揺した。

しかし、親友の誤解を解くため反論した。


「違う! さっきのはお前がぜんぜん集中してなかったからだ! 

そんな奴に本気だしたら大怪我させるだろ!?」


 勝五郎は彼に言う言葉を無くした。

そして掴んでいた手を乱暴に離すと歩き始めた。


「もう良い! お前なんか知らん!」


「勝五郎! 待て!」


「二度とお前と口なんか聞かん!」


「そんな…。」


 荒れた友の後ろ姿をおろおろ眺めていると、総治郎が言った。

 

「小太郎、悪く思うな。あいつさ、昨日お前の取り巻きの中の一人にふられたんだ。」


 少し気まずそうに言う彼を見た小太郎は驚いた。


「本当?」


「あぁ。だいぶ前から好きでさ、昨日勇気出して言ったらしいんだ。」


「それで、ダメだったの?」


「あぁ。その子酷くてさ『友達なら、わたしを小太郎さまに逢わせて』とかバカなこと言ったらしいんだ。あいつの気持ちも考えないでさ。」


「そうか…。ぜんぜん知らなかった。」


 友達の変化に気付けなかった小太郎は、自分を恥じた。

近頃周りが見えなくなっていたことに、その時気付いた。


「お前は何も悪くない。あいつがどうかしてるんだ。まぁ、明日には宿題写させてくれって言うだろうから気にするな。」


「そうか?」


 大事な親友を失いたくない小太郎はその言葉に、少し救われた気がしていた。


「大丈夫だ。さぁ、早く家に帰れ。可愛い姪っ子が待ってるんだろ?」


「そうだった。じゃあ、また明日。」


「おう!」


 彼と別れ家路についた小太郎は空を見上げた。

それはどんよりと曇った冬の空だった。


「あと少しか…。」


 約束の八年まで半年を切っていた。

しかし、小太郎は悩んでいた。


「…俺は大人なのか? 殿の求める、『良鷹』なのか?」


 その悩みは十七になった頃から頭をもたげ始めていた。

 彼は周囲から『変わった』とよく言われるようになっていた。

見た目は勿論だったが、そこはあまり気にしてはいなった。

 代わりに、内面の変化を言われるたび、焦りを感じるようになっていた。

『堅い』『つまらん』『おもしろくない』

 その言葉が、怖かった。

 皆に言われるその事が本当に当てはまるのなら、自分は主には不必要な人間になる。

政信が好きだったのは八年前の『良鷹』。今の『良鷹』ではない。

 主を失望させたくないと、小太郎は余計に学問と武術に打ち込むようになっていた。

 そのせいで、遊びをほとんどしなくなっていた。そして心のゆとりを無くしていた。

上に上に、もっと強く、もっとしっかり、と必死になるあまりに、本来の彼から遠ざりつつあった。

 それに気付かない小太郎は、日に日にど壺にはまりつつあった。


 

「…ただいま戻りました。」


 出迎えは母の初音だった。

彼女は小太郎の腰の物を受け取り、部屋へ運んだ。

 そしてそれを部屋の隅に安置すると、懐から文を取りだした。


「江戸から文が来てますよ。」


 この言葉に、暗くどんよりとしていた彼の心が明るくなった。


「殿かな? それとも義兄上か? おっ。彰子ちゃんだ。」


 それは彰子へ一月前に送った文の返事だった。

 嬉しそうに宛名を見詰める小太郎を眺め初音は笑った。


「その子と文通、長いわね。何年になるかしら?」


「もうじき八年です。」


「そういえばもうそんなに経つわね。そういえば今の貴方、あの時にそっくり。」


 クスッと笑い、初音は息子の着替えを手伝いはじめた。

そんな母に、小太郎は言った。


「当たり前ですよ。本人ですから。」


 初音は彼から袴を受け取ると、面白そうに言った。


「中身はぜんぜん違いますけどね。」


 その言葉に、小太郎はぎくりとした。


「…どういうことです?」


「あの時は中身が子供だったでしょう? 姉上が恋しくてわんわん泣いてたじゃない。」


 小太郎は顔が赤くなった。


「恋しくて泣いてはいません!」


「冗談ですよ。落ちつきが出て来たって言いたいの。大人になってきたって言うこと。」


「はぁ…。そうですか…。」


 微妙な母の言葉に、小太郎は再び少し落ち込んだ。

彼女にとって小太郎はいつまでたっても子どもだった。


「あ、いけない。絢女に白湯を頼まれてたわ。」


 袴をたたみ終えた初音は突然声を上げた。

そんな母を見た小太郎はすぐさま言った。


「私が行きます。」


「そう? ではお願いね。」


 小太郎は台所で下女から白湯と小さなお菓子の入った皿を受け取ると、姉の部屋へ向かった。

静かな部屋で、絢女は眠っていた。


「…姉上?」


 そっと声をかけると、彼女の眼が開いた。


「…良鷹さん?」


「はい。ただいま戻りました。…おかげんは?」


 少し心配そうに小太郎が聞くと、絢女は笑って身体を起こした。


「眠ってたみたいね。なんともないわ。」


「そうですか…。白湯を持ってきましたが、召し上がりますか?」


「えぇ。ありがとう。」


 絢女は小太郎から茶碗を受け取り、白湯を口に含んだ。

ホッと一息つくと、小太郎に言った。


「今日も早いわね。お友達と遊ばないの?」


「…まあ。その気分ではなかったので。」


 小太郎は先ほどの喧嘩を思い出し、胸が痛くなった。

そんな少し暗い顔を見た絢女は明るく彼に言った。


「じゃあ、あの子たちと遊んでくれるかしら?」


「わかりました。どこに居ます?」


 絢女は廊下に座っていた下女に声をかけた。


「あなた、呼んできてくれる?」


「はい、ただいま。」


 しばらくすると、下女に手を引かれて女の子が二人やってきた。

五歳になる双子の姉妹、小太郎の姪だった。

 彼女たちは部屋に入るなり小太郎の姿を見つけ、喜んだ。


「あ、おじちゃん!」


「おじちゃんおかえりなさい!」


 小太郎はこの二人が好きだったがどうしても一つ不満があった。

それは、呼び方だった。

 二人にお菓子を与え、仲良く食べる様子を眺めながら言った。


「前から言ってますがやっぱり『おじちゃん』は止めてください…。」


「だったらなんて呼ばせればいいの?」


「お兄ちゃん…。」


 しかし、すぐに却下された。


「ダメよ。そのうち叔父上に変えるからいいでしょ?」


「そっちもイヤなんだけど…。まだ十七なのに。はぁ…。」

 

 うなだれていると、姉の美緒が小太郎の膝の上に座って言った。

 

「おじちゃん、今日ね、わたし赤ちゃん抱っこしたの。」


「へぇ。どうだった?」


 すると、もう片方の膝に座って小太郎の指を握っていた妹の美波が答えた。


「ちっちゃかった。でも、かわいかった。」


「へぇ。おに…おじちゃんも抱っこしたいな。」


 絢女は出産のために実家に戻っていた。

そして二日前に長男を生んだばかりだった。


「母上、おじちゃんに抱っこさせてあげて。いいでしょ?」


「いいでしょ?」


 姉妹の懇願に乗じて小太郎も頼んだ。

いまだ、甥っ子の姿を見てはいなかった。


「姉上。おねがいします。」


「良いわよ。おじちゃんに抱っこしてもらいましょう。」


「またおじちゃんか…。」


 下女に抱かれて、生まれて間もない甥が小太郎の元にやってきた。

彼女から赤ん坊を受け取ると、小太郎はじっと彼の顔を覗き込んだ。


「義兄上に鼻のあたりがよく似てる。眼は、姉上かな? 名前はどうするんです?」


 そう聞くと、絢女はとんでもないことを口走った。


「小太郎が良いの。だから、貴方早く改名して。」


「は!? いきなりなんですか!?」


 小太郎の素っ頓狂な声に腕の中の彼の甥っ子は泣き始めてしまった。


「大きな声出さないの。泣いちゃったじゃない。」


「すみません…。」


 どうにか泣き止ませようと試行錯誤していると小太郎は姪っ子二人に囲まれた。


「おじちゃん、泣いちゃたよ。どうするの?」


「こちょこちょってやれば泣き止むんじゃない? おじちゃん上手いでしょ?」


「どうしよう…。うぅん…。」


 弟の戸惑う姿を笑った絢女は娘二人に優しく言った。


「美緒、美波、それでは泣き止みませんよ。」


「どうするのですか? 母上。」


「そうね、母上にかしなさい。良鷹さん。」


 小太郎は大泣きする甥っ子を母親に返した。

するとすぐに彼は泣き止んで眠りについた。

 

「あ、泣きやんだ!」


「すごい! 母上。」」


 姉妹は母の腕に驚いていた。

絢女は満足げに息子の寝顔を見た後、娘たちに言った。


「さぁ、二人とも母上は叔父上とお話があります。あっちの部屋で待ってなさい。」


 姉妹は素直にその言葉に従った。


「はい。美波、行こう。」


「はい、姉上。おじちゃん、また後でね。」


 手を振る美波に小太郎も手を振った。


「またね。」



 姉妹を見送ると、小太郎は絢女に言った。


「姉上、本当に小太郎にするつもりですか?」


「冗談よ。でもね、貴方その形で小太郎はちょっと…。」


 心外な言葉に、小太郎は不満を漏らした。

十七年間共にしてきた名に、文句をつけられることなど快いものではなかった。


「…その形ってなんですか?」


「もうずいぶん大きいもの。あの時からもうずぐ八年経つのね…。あんなにちっちゃかったのに。」


「ちっちゃいって言わないでください。」


 嫌いな言葉に、小太郎は文句を言った。


「ごめんなさい。でも、今は大きいからいいじゃない。そういう風になりたかったんでしょ?」


「まぁ…。」


 細く小さく、身体が強くなかった小太郎は大きく、強くなりたいと思っていた。

十七歳の今、以前変身させられた十八歳の姿とほぼ同じだった。

 背は同年の友人たちの中でも大きい方。身体も武芸で鍛えたおかげで風邪などひかなくなっていた。


 絢女は弟の見た目の変化よりも、内面の変化に敏感だった。

近頃浮かない顔の弟に助言した。


「でもね、もうちょっと心にゆとりを持ちなさい。あなた、今年に入ってからどんどん堅くなってるわ。」


「…そうですか?」


「えぇ。お友達も心配してるんじゃない?」


 しばらく絢女と話し、すこし不安が和らいだ小太郎に、嬉しい知らせが入ってきた。


「そういえば、旦那さまが明日帰ってくるの。あの子に名前付けてくれるそうよ。」


「それは良かった。」


「貴方にお話もあるそうよ。時間を作っておきなさい。」



 次の日、喜一朗は国に戻ってきた。

旅装のまま、瀬川家に立ち寄り、絢女に会った。

 彼女の労をねぎらい、息子を抱っこし、長男らしい名前を彼に付けた。

そしてその晩、小太郎と二人きりで話した。


「年が明けたら、約束の八年になる。」


「はい。」


「殿の元に行くよな?」


 当然の口ぶりで喜一朗は言うと、小太郎の返事を求めた。

しかし、小太郎は渋った。


「…そのことですが。」


「どうした?」


 尊敬する義兄に、小太郎は打ち明けた。


「…その、悩んでるんです。私は、本当に殿の求める『良鷹』なのか。」



 すべて話し終わると、彼からこう返ってきた。


「確かにお前は変わった。だがな、悪い意味じゃない。いい意味でだ。」


「それは?」


「学問も武芸もしっかり身に付いている。話し方も態度も立派になった。堂々としてきた。」


「しかし…。」


 小太郎はまだ悶々とした。

それに喜一朗は感付いた。


「…堅苦しくなった。って言いたいのか?」


「…はい。」


 喜一朗は思うところを正直に言った。


「たしかに、そうかもしれん。だが、それは本当のお前じゃない。」


「そうですか?」


「今の自分以上を求めようとするから、おかしくなるんだ。もっと気を抜け。柔らかくなれ。できるはずだ。」


「そう言われましても…。」


 出来そうもない。

そう言いたくなったが、口をつぐんでいた。

 すると、喜一朗は小太郎の顔を見て笑って言った。


「これは俺が殿に言われたことだ。後から聞いたが、それはお前が殿に言ったそうじゃないか。覚えてないか?」


 小太郎は意外な話に驚いた。


「俺が小姓になりたてで首にされそうになった時、お前が殿にそう言ったらしい。それで殿は俺に助言してくれた。だから俺はいま殿の側にいる。だから、お前が出来ないわけがない。」


 小太郎はうっすらとそのことを思い出していた。

そして自分は眼の前の義兄十八歳のときと同じような状態に陥っていることに気が付いた。

 自分をよく見せよう、期待にこたえよう。そうやって自分を偽ろうとしていた。 

 友と遊ぶことを止め、クソ真面目になりすぎていた。

 しかし、いったんやってしまったこの『偽装』をやめ、本来の自分を取り戻せるのかという不安に駆られた。

 そんな彼を、喜一朗は元気づけた。


「心配するな。殿は素のお前を必ず受け入れてくれる。」


 優しい彼の言葉に少し安心した小太郎は、喜一朗に言った。


「…義兄上、少し時間をください。本当の自分を取り戻したら、返事をします。」


「わかった。いい返事を待ってるからな。」



 数日後、一日暇だった小太郎は一人釣りに出かけた。

 これは姉の助言だった。


『たまには本と武具以外を持ちなさい。』


 そう言われ考えた末、『釣り道具』を引っ張りだした。

 そしてかつてよく遊んだ川に向かった。

 そこでは今でも子どもたちが元気よく遊んでいた。

 彼等を遠目に眺め、川辺に腰を下ろし、釣り糸を垂らした。


 ボーっとああでもない、こうでもない、といろいろ考えていると、人の気配がした。

その者は一言聞いた。


「どうです? 釣れますか?」


「いえ、まだですね。」


 適当に返すと、突然肩をたたかれた。

そしてからかい口調で言われた。


「へたっぴになったな。小太郎。」


「え?」


 振り向くと、それは総治郎だった。

彼の後ろには気まずそうに、ちぎった草を弄ぶ勝五郎が居た。


「どうしたんだ? 二人して。」


 すると、総治郎は勝五郎を引っ張り、小太郎の前に押しやった。

彼は眼を逸らしながら、ぼそぼそ言った。


「…お前に謝りに行ったら、母上様にここだって聞いてさ。」


「え?」


 次の瞬間、勝五郎は頭を下げていた。


「この前は悪かった。言いすぎた。許してくれ!」


 そんな彼に驚いた小太郎だったが、すぐにほほ笑んだ。


「もう良いよ。気にするな。」


「悪いな…。」


「それより、釣りしないか? …あ、道具ないか?」


 友達二人は笑顔で言った。


「いいや、持ってきた!」



 その日は三人とも子どもに戻り、川で釣りに興じた。

 しかし、知らないうちに、道具はお払い箱に。

彼らは冷たい川に入って素手で魚を掴む遊びに変更していた。

 三人があまりに騒ぐので、近くの子どもたちも面白がって寄ってきて一緒になって遊んでいた。

 武家も百姓も関係なくワイワイやっていた。


「小太郎! そっちにでかいの行ったぞ!」


 勝五郎が指差した。


「どこ!?」


 小太郎は探したが見つからなかった。


「兄ちゃん、そこ!」


 男の子が目ざとく見つけ小太郎に教えた。


「そう、そこだ! 足の下!」


 総治郎も眼で魚を追っていた。

そして小太郎はやっと皆のいう『でかい魚』を捕まえた。


「これか!?」


 掴んだ魚を引き上げると歓声が上がった。

しかし、一人だけ不満を漏らした。

 総治郎だった。


「げっ。ウナギかよ…。」


「え? 嫌なの? 焼くと旨いのに。」

 

 小太郎は不思議がってウナギを持ったまま言った。

すると、それを突いて勝五郎も言った。


「肝吸いもいけるよな。」

 

 傍で見ていた女の子はこんなことを言った。


「肝の串焼きおいしいよ!」


「おじょうちゃん、なかなか通だな。」


「そう?」


 ヌルヌルするウナギと格闘しながら、小太郎は良いことを思いついた。

みんなで取ったウナギ、一人占めはイヤだった。


「これ、みんなで分けようか?」


 歓声が上がったが、一人だけ文句を言った。


「俺は要らん!」


 その後、数匹魚を素手で取り、ウナギも二匹捕まった。

皆で仲良く分配し、それぞれ別れた。

 男三人はその後も一緒に行動していたが、突然勝五郎は小太郎と肩を組んだ。

そして嬉しそうに言った。


「小太郎、楽しかったな!」


「あぁ。またやりたいな。」


 すると、勝五郎は少し涙声になった。


「…やっと昔の小太郎に戻った。」


「え?」


 驚いた小太郎が見ると、勝五郎は眼を乱暴に拭い、笑って言った。


「…やっぱりそのお前が好きだ。最近おかしかったからな。」


「…そう?」


「あぁ。…そうだ! 快気祝いに、ウナギで一杯やろう!」


「いいね。乗った!」


 二人で騒いでいると、総治郎が怒り始めた。


「俺を除けものにする気か!?」


「あ、お前がいた。仕方ない、お前はドジョウだ。」


「それなら許す。」


 小太郎はそんな彼に疑問を感じた。


「総治郎、なんでウナギ嫌いなの?」


「そのヌルヌルで長ぼそいのがイヤなんだ。ヘビみたいだから。」


「でも、捌いたら普通の魚だろ? 食べられると思うけど…。」


「絶対食わん! そう決めた。」 


 そういう彼を見て勝五郎は小太郎に耳打ちした。

そして魚が入っている籠から大きなウナギを引っ張り出した。

 くすくす笑いだした小太郎を彼は眼で制し、いたずらを決行した。

先を歩く総治郎の肩にウナギの頭をそっと乗せ、妙な声音でこう言った。


「総治郎さん。おいらを食べてよう…。」

 

 気付いた総治郎は飛び上がって逃げてしまった。


「ぎゃあ! ウナギの化けもんだ!」

  

 結局、二人のいたずらのせいで、総治郎はウナギを克服することはできなかった。



 三人で楽しく過ごした後、小太郎は家路に着いた。

 大分余ったウナギを手に、姉と姪っ子の土産に良いと思いながら上機嫌で歩いていた。

するとその途中、かつて見かけた祠が目に入ってきた。

 小太郎は迷わずその前に膝間付き、ウナギを一切れ供え、祈った。

 

「今日、本当の私を見つけた気がしました。しかし、殿はこれをどう思うのでしょう? 

殿に受け入れられるでしょうか? お教えください…。」




 その晩、小太郎は夢を見た。

それは子供のころ政信と喜一朗と過ごした日々の夢だった。

 皆楽しそうに笑っていた。


 その夢が終わると、ある人物が目の前にやってきた。

小太郎の前にかつて現れた神だった。


『小太郎。久しぶりだな。』


「お久しぶりでございます。」


 神様はすぐさま本題に入った。


『お前は何を悩んでいる?』


「…私は、殿の期待に添えるのか、殿に受け入れられるのか、不安です。」


『そんなことか。』


 少し呆れたようすで言った神様に小太郎は不満を感じた。


「そんなことと言われましても…。」


 神様は少し溜息をついた後、手に持った杖で暗闇を指示した。


『そんなに気になるのなら、これを見よ。』


 

 小太郎の眼に、いつか見た屋敷の部屋が映った。

そこには主政信がぼんやりと映っていた。

 政信の膝の上には男の子と女の子が。

 彰子や政信本人からの手紙で彼らが産まれたこと、名前などはすべて把握済みだった。 

しかし、子ども好きの主の幸せそうな姿に思わず笑みがこぼれた。

 そんな彼の耳に、声が聞こえてきた。


『…お前たちも絶対好きになるぞ。』


 政信は何者かについて熱く語っていたようだった。

賢そうな男の子が、彼を見上げて言った。


『父上、その方は剣術もお強いんですよね?』


『そうだ。国で一二を争う。稽古付けてもらえ。』


『はい。』


 小太郎は話の男は誰か気になった。

すると、今度は女の子が話し始めた。


『ちちうえ、あきこもよしたかさまにあいたいって。わたしもあいたい。』


 あきこ、という言葉に小太郎は嬉しくなった。

一方で、主が子供たちに話しているのは『良鷹』、自分の事だとわかり恥ずかしくもなったが。


『そうかそうか。一緒にあわせてやろう。』


 嬉しそうに尚も語ろうとする彼を、笑う女が居た。

彼女は蛍子だった。

 彼女は腕に赤ん坊を抱いていた。


『藤次郎、一体いつまであの男の話をするつもりじゃ?』


『いいだろ?』


 少しムッとなった夫を、蛍子は笑った。

そしてからかった。


『良鷹が女子でなくてよかった。妾は負けてしまう。』


『そんなことは無い。』


 その言葉に、笑みを浮かべた蛍子は彼に聞いた。


『そんなに好きなら、喜一朗のように手元に置けば良いのではないのか?』


 すると、政信は息子の頭を撫でながら言った。


『その時が来るまで、待ってるんだ。』


『その時?』

 

 不思議そうに蛍子が聞いた。

政信は遠くを見て言った。


『俺と会った日の姿に、良鷹に小太郎がなる時だ。あと少しなんだ。

あとほんの少し…。』



 そこで彼等の様子が消えた。

そして再び小太郎の目の前には神様が立っていた。


『わかるか? あの者はお前を一人の人間として欲しがっている。

何も考えるな。今日見つけた本当のお前であの者の前に立て。』


 小太郎はこの言葉に、答えを見出した気持ちになった。

そして、深々と頭を下げた。


「はっ。お導き、ありがとうございます。」



 その夢が前触れだった。

その日の夕刻、仕事から戻った父良武から話があった。


「年明け早々、若君がお国入りなされる。」


「え?」


「…殿がな、早く隠居して田舎暮らしがしたいとわがままをおっしゃってな。若君に藩主の座を明渡す前準備ということらしい。」


「それで…?」


「喜一朗から返事の催促が来た。若君に、会うか会わないか決めろ。」

 

 小太郎は一応政信の小姓だったが、公には部屋住みの身分だった。

それ故、堂々と若君に会うことなど叶わない。

 家老職の父良武の力をもってすれば、そんなことはなんとでもなった。

小太郎は以前悩んだが、この日は悩まなかった。

 すぐに父に言った。


「お会いしたいと、御返事を。」




 それからあっという間に年が明け、政信のお国入りの前日になった。

その晩、小太郎は自室で真新しい裃を前に殿との再会に思いを馳せていた。

 すると、母が部屋に何かを持ってやってきた。


「良鷹、これ貴方のだったわね。はい。」


「え? どうも…。」


 彼はよくわからなかったが、それを受け取り何なのかを確かめた。


「『瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の』これって…。殿が送ってきた和歌だ。」


 送られてきたときは意味がわからなかったが、今は違った。

書かれていない下の句もわかるし、そのすべての意味も分かった。

 すこし色あせた短冊を手に、小太郎はある事を思いついた。




 ついにその日がやってきた。

御国入り早々、先祖の墓参りを澄ませた政信は城の自室で着替えていた。

 しかし、部屋の中であっちこっちうろうろしていた。


「良鷹はまだか?」


「殿、少し落ち着いてください。袴の帯が結べないではないですか。」


 手伝う喜一朗が少しいらついて言った。

すると政信は深呼吸し、その場で静止した。

 

「そうだな。落ち着こう。茶会に招待したんだ。来るって返事も来たんだ。来るはずだ。だがいつ来る!?」


 再びそわそわし始めた主に、喜一朗は頭を抱えた。


「殿、そのようになるのでしたら日時をもっと明確に決めておけばよかったのでは?」


「そうだった。しくじったな。やっぱり俺は文を書くのが下手だ。昔っから下手だ。」


「そのような…。」


 そこへ音もなく一人の男が入ってきた、影だった。

彼はそっと懐から紙の包みを取り出し、主に差し出した。


「…言伝を預かりました。」


「短冊?」

 

「それを声に出して、お読みくださいとの伝言でございます。」


 影の言葉に政信は従った。


「これをか? 『瀬をはやみ岩にせかるる滝川の』…」


 政信が読み終わると、男の声が下の句を継いだ。


「『われても末に逢わんとぞおもう』」


 聞き覚えのある懐かしい声が、政信の耳に入ってきた。

彼は、はやる気持ちを抑え、聞いた。


「誰だ?」


 返事は返ってこなかった。

そこで政信は、廊下に出た。

 すると、すぐ横に手をついて頭を下げる男が居た。


「…お前は?」


 声を掛けられた男は顔を上げて言った。


「殿、その和歌の真意、やっとわかりました。」


 その顔を見た政信は震える声で呟いた。


「…良鷹か?」


「はっ。殿との約束を果たすため戻って参りました。」


 小太郎は笑顔で主の顔を見た。

すると政信はその場に跪き、小太郎を思いっきり抱きしめた。


「…会いたかった。…やっと会えた。良鷹だ!」


 その抱擁は、別れた時のように力強かった。

互いに嬉しい再会だったが、政信の力が強すぎた。


「殿、かなり、苦しいのですが…。」


  


 部屋に戻り、小姓二人と若様二人だけで談笑し始めた。

三人とも上機嫌だった。


「良鷹、良い男になったな!」


「ありがとうございます。やっと本当の十八になりました。」


「俺らも十八に戻りたい。な? 喜一朗。」


「はい。」


「おっと、もっとしゃべりたいところだが、どうやら茶会の刻限らしい。ばあさんが睨んでる。」


 小姓二人が振り向くと、相変わらず怖い侍女の浮船が本当に彼らを睨んでいた。

二人は首をすくめたあと、退出の準備をし始めた。


 しかし、小太郎には言い残したことがあった。

何よりも大事なことだった。


「殿、申しておきたいことがございます。よろしいですか?」


「なんだ?」


 小太郎はすぐに身形をただし、深々と頭を下げた。

そしてよく通る声ではっきりと言った。


「本日よりこの瀬川小太郎良鷹、殿に身命を賭してお仕えする事を誓います。」


 政信は笑みを浮かべた、そして喜一朗を見た。

彼もうれしそうに笑った。

 政信は小太郎に返した。


「…その言葉、信じて良いな?」


 嬉しそうな声に、小太郎も笑顔になった。

迷いは一切なかった。

 顔をあげて、大きな声で言った。


「はっ! 命有る限り、殿のお側を決して離れませぬ!」


 この言葉に、政信が一番喜んだ。

そして突拍子もないことを言った。

  

「よく言った! 祝いに酒盛りだ! 今すぐ酒を持て!」


 しかし、それをすぐさま止めるものが居た。

 喜一朗だった。


「いけません! 今から茶会です! 重臣、御親戚一同が集まる大事な席です! 酒などもってのほか!」


 水を差された政信は舌打ちした。


「ちっ。クソ真面目が。良鷹、この石頭を説得しろ。茶会なんかクソくらえだ!」


 しかし、小太郎は完全に主に従いはしなかった。

 

「喜一朗殿、茶会が終わってからならば良いでしょう?」


「まぁ、それならな…。」


 喜一朗の説得をした後、彼は主に釘をさした。


「殿、茶会の主人は仕事ですのでしっかりお願いします。」


「わかったよ…。」


「とにかく、仕事が終わったら、三人で朝まで飲みましょう!」


 そう言った小太郎に、政信はニヤリとして言った。


「おっ。酒飲めるようになったか?」


「はい。結構いけますよ。」


 すると、隣で聞いていた喜一朗に彼は脅された。


「そんなこと言うと殿は容赦なさらないぞ。俺が何回つぶされたか…。何度記憶を無くしたか…。」


 小太郎は義兄の恐ろしい話に驚いた。


「え!? 殿、やはり飲み会はまたにしましょう。まだ私は十八の若造ですので…。」


「いいや、ダメだ! 今夜は朝まで飲む!」



 主従三人は約束どおり再び集まった。

『瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ』

小倉百人一首 七十七番 

崇徳院作


 落語にこの詩を題材にした『崇徳院』があります。

男女の恋物語。某国民的ドラマでも取り上げられていました。

 一方、この小説では男三人の友情、主従関係を主に書いてみました。

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