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【33】 贈物

 政信は子猫と遊んだ後、そのまま床につこうとしたが、蛍子に贈物とともに文を持っていくと約束したことを思い出した。

 そして約束を守るために文を書くことにした。

小太郎も眠るのをやめて彼に倣った。

一生懸命硯で墨を摺る小太郎に、政信は聞いた。


「彰子さまにお手紙か?」


「はい。もう二度と逢えないかもしれないので…。」


 少し寂しそうに返す小太郎に、政信は疑問に思った。


「なんで?」


「だって、喜一朗殿が…。」


 そういう小太郎の視線の先には、今にも寝ようとしている喜一朗が居た。

彼の就寝を阻止すべく、小太郎と二人で彼の掛け布団を奪った。

 そして政信は掛け布団を尻に敷いて喜一朗に問い詰めた。


「何を教えたんだ?」


 疲れて眠い喜一朗は、大人しく本当のことを言った。


「…彰子さまは侍女なので結婚は難しいと。それと、小太郎が大人になれば、あのようなところには出入りできなくなると…。」


 この言葉に天を仰いで、政信は呆れた。


「夢も希望もないこと言うなよ。これだからクソ真面目は…。まぁいい、小太郎、彰子さま好きか?」


 寂しそうな小太郎にそう聞くと、笑顔で返事が返ってきた。


「はい。」


 幼い恋愛感情を垣間見た政信はほほ笑み、とんでもないことを宣言した。


「そうか。だったら、将来お前の嫁にしてやろう。」


「はい! お願いします!」


 結婚もお嫁さんも細かいことはよくわかってない小太郎は、元気よく返事をした。


「殿! そのような冗談は…」

 

 焦る喜一朗の肩を寄せ、耳元で政信は言った。


「まだ二人ともガキだ。それにな、可哀想だが、本当に小太郎は二度とあの奥には入れない。

俺しか入れない。だが、子どもの夢を壊すことだけはいかん。いいな?」


「はい…。」


 密談が終わると、政信は小太郎と机に向かった。


「さぁ、小太郎文を書こう。」


「はい。」




 小太郎は、さらさらと言いたいことを書きあげた。

しかし、その隣では政信が頭をひねっていた。

彼は女に文などは書いたことがない。なにをどう書くべきかわからず、とうとう子どもの小太郎に聞いた。


「なんて書いた?」


「いままでありがとうございましたって事と、文通しませんかって書きました。」


「…文通?」


「はい。お互いやりとり出来れば楽しいでしょう? 国と江戸で離れててもこれなら大丈夫!」


「…そうか。」


 意外な道を見つけた小太郎に、政信は驚いた。

文通を続け、今の子どもの恋愛感情が大人の物になれば、先ほどの約束が本当になるかもしれない。

 それはそれで面白いと、前向きに政信は考えた。


 政信に、小太郎は聞いた。


「殿は姫さまと文通なさらないのですか?」


「…姫さん、俺のことどう思ってるかわからない。止めておく。」


「そうですか…。では、何書くんです?」


 そう言って小太郎はちらりと主の手元を見た。

紙は真っ白のままだった。

 

「あ、真っ白だ。」


 思ったことをそのまま言うと、主は怒るどころか泣きついてきた。


「何をどう書いていいかわからん! 小太郎、教えてくれ。お前文書くの上手みたいだし。」


 しかし、人生経験が浅い小太郎に助言が出来るわけがない。

少し考えたのち、良い答えを思いついた。


「そうだ! 喜一朗殿の方がいいですよ。」


 小太郎は姉の絢女が文を手に、赤くなったり、はしゃいでいたりするのを見たことがあった。

後で彼女にそれは『恋文』だと教えてもらっていた。

 相手は間違いなく、喜一朗。

 

 この助言に政信は早速行動を起こすことにした。


「先輩! 御教授願います! …って寝てるぞ。」


 時すでに遅し。喜一朗は寝ていた。

 昼間の人質で気を張りすぎて疲れていた。

しかし、そんな事とは知らない政信は起こそうと決心した。


「小太郎。手伝ってくれ。先輩を起こすぞ。」


「はい。」


 小太郎は言われるまま、喜一朗の傍に行った。

しかし、彼の寝顔を見たとたん、突然悪戯心がうずいた。


「殿。筆ありますか?」


「ん? あるぞ。何するんだ?」


 小太郎はニヤニヤしながら、主に耳打ちした。


「…どうです?」


「やりたい。」


 二人は喜一朗を起こす前に、悪戯を決行した。


 

 悪戯が一通り終わり、小太郎は本来の目的である、彼を起こすことに取りかかった。

笑いを一生懸命堪え、彼を起こすと、少し不機嫌そうに言われた。


「殿、そろそろお休みになっては? 小太郎、お前寝ないと背が伸びないぞ。」


「はい。ぷっ…」


「何を笑っている? 殿も、なんですか? 何か用事ですか?」


「あのさ、女にさ、どうやって…。ダメだ! 笑えてくる!」


 二人して腹を抱えながらも、どうにか笑いをこらえている姿に、何が何だかわからない喜一朗は、

不機嫌そうに言った。


「何がです?」


 すると小太郎が指を指して笑い転げた。


「変な顔! ハッハッハッハ!」


「だよな? ヒッヒッヒ…」


 馬鹿笑いする二人に、余計喜一朗は腹を立てた。


「はい? 用事なら早くしてください。私は眠いんです。」


 そう言って喜一朗はおおあくびをした。

手を口に添え、頬を手で撫でた。

 とたんに小太郎と政信の二人は騒ぎ始めた。

馬鹿笑いは激しくなり、眼に涙を溜めて笑い続けた。


「拭うんじゃない! ハハハハ! もう駄目だ!」


「お髭の大将だ! はっはっはっは!」


 ここでようやく喜一朗は何をされたか把握した。

手水桶に走り、中をのぞくと、本当に髭があった。

 そればかりか顔中、落書きだらけでとんでもない顔になっていた。


「殿! 小太郎!」


 顔を洗うのも忘れ、二人に向かって怒ったが、彼らは全く反省せず笑い転げるだけだった。


 呆れて物が言えない喜一朗だったが、早く眠りたくて仕方がなかった。そこで、主からの頼みである恋文の書き方を素早く伝授した。

 政信はそれに倣い、そこそこ上手い文を仕上げた。

 

 江戸の隠れ家での最後の夜はそうして更けて行った。




 次の朝、喜一朗は風呂で必死に顔に付いた墨を洗い落とそうとしていた。

しかし、一向に落ちる気配がない。

 焦っている彼の様子を小太郎と政信はニヤニヤしながら見ていた。


「その顔で許婚に逢ったらどうだ?」


「絶対いやです! 」

 

 必死に顔を洗う喜一朗に、小太郎も言った。


「面白いから、姉上喜ぶと思いますよ。」


「ダサいみっともない恰好だけは見られたくない! 殿はわかるでしょう!? 小太郎! お前もそのうちわかる! どうしよう…全然落ちない…。」


 半泣きになりつつあった喜一朗だが、再び顔を擦り始めた。

小太郎はそれを見ながら、主に聞いた。


「そうなんですか?」


「あぁ。どうせなら良い姿を見て欲しい。…だが。」


 口ごもる主に、小太郎は聞いた。


「なんですか?」


「…本当の姿を受け入れて欲しい。…お前の彰子さまはいいな。」


「この姿でも良いって言ってくれました。」


 彰子を思い、小太郎は言った。

すると政信は遠くを見るような眼つきで呟いた。


「姫さんはどうだろな…」


「なぜ、本当のこと言わないんですか?」


 正体をなぜか隠し続ける主に、今まで思っていたことを小太郎は言った。

政信から返ってきたのは、不安そうな言葉だった。


「…姫さんは俺が怖いんだ。『磐城政信』の家来『藤次郎』なら、面と向かって話してくれる。」


「だったら、余計打ち明けた方が…。」


「…止めておく。正式に結婚が決まってからにする。…まぁ、姫さんの反応も見たいしな。」


 そうやってニヤリとする彼はいつもの政信に戻っていた。

安心した小太郎は、彼に向かって言った。


「姫様驚きますよ。双子だって思うかもしれませんね!」


「それ面白いな!」



 そんな話をしているうちに、喜一朗の顔の落書きはほとんど落ちた。

残りは日が解決してくれるということで、彼を風呂から上げた。

 そして三人揃って最後の逢瀬に出かけた。



 いつもの通り、庭で彰子と遊んだ小太郎は、言い辛かったが彼女に告げた。


「今日で俺たち、国に帰るんです…。」


「そうですか…。仕方ありません。お仕事ですもの…。」


 寂しそうに言う彰子に、小太郎はもう一つ告げることにした。


「それで、彰子ちゃんにお願いがあるんだけど…。」


「なんですか?」


「あの、もしよかったら、文通、できないかなって…。」


 ドキドキしながら、そういうと彰子は確認するように小太郎に窺った。


「文のやり取り、ですか?」


「そう。」


 すると彰子の顔はぱっと明るくなった。

返ってきた返事は良いものだった。


「お願いします。わたくしも、良鷹さまにお手紙書きます。」


「良いの?」


 うれしくて堪らない小太郎は彰子の手を取り彼女の眼を覗き込んだ。


「はい。」


 彰子は頬を染め、少し恥ずかしそうに返事をした。

そんな彼女に小太郎は懐から文を取りだし、手渡した。


「じゃあ、これが始め。返事は国の『瀬川』に届けろって言えば着くから。」


 彰子はそれを大事そうに受け取り、懐にしまった。


「必ず、書きます。」


「約束だね。」


「はい。」



 子ども二人の、最後になるかもしれない逢瀬が過ぎて行った。




 一方、政信は緊張しながら、蛍子の前に贈物を置いた。


「これが若様からの贈り物だ。開けてみてくれ。気にいるかどうか…。」


 蛍子は布をそっと取り、中を見た。

そして驚いた様子で言った。


「猫?」


「若様のところにこの猫の姉が居る。姫さんのところに妹の猫だ。」


 じっと猫を見詰める蛍子を政信は見ていた。

『嫌い』だの『要らぬ』などという言葉が返ってくるのを恐れ、気が気ではなかった。

 しかし、蛍子が発した言葉は違った。

 

「…可愛いの。」


 その優しい声に、政信の緊張は収まった。


「…猫、好きか?」


「好きじゃ。雪のように白い。良き猫じゃ。」


 そう言って蛍子は猫をじっと見つめていた。

その様子を見て、政信は提案した。


「…抱いてみたらどうだ?」


 しかし、穏やかな声で蛍子はその提案を退けた。


「昼寝を邪魔するのは無粋と申すもの。起きてからにする。」


 その言葉通り、子猫は籠の中で丸くなり眠っていた。


 二人の間を、静かな時間が流れて行った。


 

「姫様。」

 

 猫を見詰めていた蛍子は、突然言葉と居住まいを改めた政信に、はっとした。


「…なんじゃ?」


「某、本日にて仕事が終わりました。それ故、国へ帰ります。」


「…帰るのか?」

 

 あまりに短い逢瀬に、蛍子は愕然とした。


「はい。殿に、戻って来いと。」


 『行くな』とは口が裂けても言えない蛍子は、感情を押し殺し、何の感情も込めずに言った。


「…そうか。ご苦労だったの。」


 すると、政信から聞かれた。

 

「…なにか、殿に言付けはございますか?」


「そうじゃな…」



 一言、礼でも言おうとした矢先、喜一朗の声がした。


「藤次郎! 誰か来ました!」


 その声に、蛍子も政信も驚いた。


「なんでだ!? 人払いしたはずだぞ!」


「真菜。どこじゃ?」


 蛍子が呼ぶと、焦った様子の真菜がやってきた。


「申し訳ございません。まもなく殿さまがお越しになるそうで、女中頭に押し切られました…。」

 

 その報告を耳にした政信はすぐさま退散を余儀なくされた。


「小太郎、喜一朗、行くぞ!」


 しかし、天井裏に戻る時間は無かった。

仕方なく、庭から抜け出すことになった。

 政信は小太郎を喜一朗に任せ、殿しんがりを進んで申し出た。

それは一時でも長く、蛍子の傍に居たいがためだった。


 家来二人の脱出を見届けた後、庭に飛び出た政信に蛍子は言った。


「…行くのか?」


「はい。捕まっては差支えがあるので。」


「そうか…。」


「姫様、いつか必ず逢いましょう。ではその時まで…。」


 そういうと政信はひらりと塀を乗り越え、姿を消した。

茫然と立ち尽くす蛍子に、真菜は声をかけようとした、しかしそこへ女中頭がやってきた。


「…姫君、殿さまが参られました。お話があるそうです。」


 言われるまま部屋の上座に戻り、着座すると、藩主磐城信行が現れた。


「姫、今日はそなたにとって重大な話がある。」


「はい…。」



 藩主の話は、傷心の蛍子を余計に追い詰めた。



 蛍子はその晩、贈り物の猫を初めて抱いた。

そして、猫の布団の下に文を見つけた。

 差出人は『磐城政信』


 それを見て、蛍子は溜息をついた。


「藤次郎では、ないのか…。」


 しかし、将来の夫となる男からの手紙を捨てることなく読むことにした。

筆跡、文面から、彼の人となりが解るかもしれないと期待しながら。


『…そなたの身の上話、藤次郎から良く聞いた。寂しいのではと思い、猫を贈る。

可愛がって頂きたい。

其れがしの猫とそなたの猫、いつか逢い見えることができることを願う…』


 真面目な文面、達筆に蛍子は少し安心した。


「…政信、か。」

 

 膝の上で大人しく丸くなっている子猫を撫でた後、蛍子は文を読み進めた。


『…そなたの顔を見ることがかなわず、残念に思う。

いつか逢う日に、ぜひともそなたの笑顔が見たい…。』


 その文句に、蛍子は溜息をついた。


「笑顔などと…」


 蛍子は笑うことが無かった。

京ではよく笑っていた。しかし、江戸に居る今では侍女相手にほほ笑みは浮かべても、心の底から声を出して笑ったり、笑みを浮かべたりはしていなかった。

 不安と悲しみが巣くったままで笑えるわけがなかった。

 

 しかし、その不安と悲しみは、いつの間にか和らいでいた。

 『藤次郎』のおかげだった。

 彼に逢うことが楽しみになり、彼の訪れを待った。

  

 しかし、その日の『藤次郎』との別れで、蛍子は現実に引き戻された。

しかも、その直後に『政信』との結婚が、舅になる藩主、磐城信行から正式に告げられた。

 また、身形の改めをも言い渡された。公家風を捨て、武家に倣うようにとの女中頭からの冷たい言葉が、蛍子に突き刺さった。

 

 もはや逃げる道は本当に無くなった。

蛍子は、なにも考えたくない心境だった。

 それ故、侍女を誰も寄せ付けず、一人部屋で猫を膝に乗せて文を読んでいた。


 白い子猫を撫でながら、彼女は呟いた。


「…そうじゃ、そなたの名は、『お藤』にしよう。」


「ニャア…。」


 猫は機嫌よさそうに鳴いた。

あたかも、『お藤』という名を気に入ったような鳴き方だった。


 仔猫を撫でながら、蛍子は贈り主の男の顔を思い浮かべた。


「藤次郎…。『いつか必ず』は、本当に来るのか?」


 別れた際の彼の不思議な言葉に、蛍子は賭けた。

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