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【25】 対峙

 絢女は風呂場から部屋へ戻ろうと廊下を歩いていた。

ふと足を止めると、きれいな月が目に入った。

 そしてため息をついた。

 

絢女は後悔していた。弟が帰ってきたら、笑顔で迎えてあげたいと思っていた。

せっかく稽古先に迎えに来てくれた彼に『ありがとう』とでも掛けてやればよかったのに、変なことを言って傷つけた。

 そのせいか、弟は自ら自分を避け、『姉上』とは言ってくれなかった。

 

 再び溜息を大きくついたあと、気を取り直し歩きはじめた。

しかし、聞きなれない声音に凍りついた。


「…見つけた。」 


 恐る恐る庭を見ると、暗がりに男が立っていた。

 

「やっと見つけた…。」


 不気味な男を見た絢女は、すぐさま叫んだ。


「誰か! 曲者!」


 叫ぶ声に男はニヤリとして刀に手をかけた。


「今度こそ…。」


「誰か!!!」


 絢女は形振り構わず走り出した。



 


 その頃小太郎は薪割を終え、下男の姿を探した。

働き者の彼のこと、なかなか休まないに違いない。もう一度声をかけてから自分も部屋に戻ろうと思っていた。

 門の近くを通ると、妙な違和感を感じた。

目をやると、潜り戸は半開きのまま。そして、その近くに何者かが倒れてた。

急いで近づくと、それは探していた下男の吉右衛門だった。

 頭から血を流し、うめく彼を助け起こした。


「爺!? どうした!? 何があった!?」


 少しすると彼は眼を開け苦しそうに言った。


「…お嬢様が、絢女さまが…危な」


 それだけ言うと再び吉右衛門は気を失った。

驚いた小太郎だったが、息をしていることを確認し、大声で家の者を呼んだ。

 すると下男下女達が現れた。彼らは吉右衛門の異変に気づき騒ぎ始めた。

小太郎は彼らを静めて言った。


「大丈夫だから! 騒がずに言うことを聞いてくれるか!?」


「はい。」


 小太郎はてきぱきと指示を下した。


「女達は母上を匿った後、皆で安全な場所に隠れて。一人は医者を至急手配。怪我人が増える可能性がある。」


「はい。」


「男達は姉上の安全確保が第一優先。それから曲者を探して捕まえる。」


「…曲者?」


「間違いなく通り魔だ! 吉右衛門はそれにやられた。」


「えっ!?」


 再びざわざわしだした者たちに小太郎は怒鳴りつけた。


「驚いてる暇はない! 全力で探すんだ!」


「はい!」





 男たちが捜す絢女は、通り魔の刀から死に物狂いで逃げていた。

ただ、武家の娘らしく泣き言は一切言わず、精一杯抗っていた。


「曲者! 人殺し!」


「叫べ、喚け!」


「寄るな!」


 絢女の叫び声に気付いた下男三人が、走ってきて彼女を庇った。


「お嬢様、お逃げ下さい、早く!」


 一人が絢女を連れて逃げる間、時間稼ぎの為に二人が手に持っていた棒で男を押さえつけた。

しかし、半狂乱の男は絢女を手に掛けることしか頭になく、喚いた。


「退け! 邪魔だ! 男は刀の錆だ。その女を斬らせろ!」


 必死に男を押さえつけてはいたが、限界が近づいた。


「早くお逃げください! うわっ。」


 一人がとうとう弾き飛ばされた。


「そうはさせるか! ぐぇ。」


 残る一人が反撃をしたが、彼もあっけなく飛ばされた。

残る下男が果敢に立ち向かい、絢女に逃げるよう促した。


「お嬢様、お逃げください。ここで私が抑えますので!」


 しかしその下男は、すぐに男に刀で斬りつけられ倒れた。

 血飛沫を目の当たりにして、とうとう絢女は動けなくなった。

そんな彼女の顔を見た通り魔はニヤッと笑い言った。


「死にはしない。かすり傷だ。男は斬ってもつまらんからな。」


「おい! 俺を殺せ! お嬢様には…ぐぇ。」


 下男は通り魔に踏みつけられ、言葉を繋げられなかった。


「…うるさいなぁ。黙ってろ。」


 下男を踏みにじった後、通り魔の不気味な笑みは、絢女に再び向けられた。


「あぁ…。堪らないなぁ、その怖がる眼。」


「お前など、怖くはない! 下郎! 下がれ!」


 しかし、男は怯まなかった。

余計にうれしそうに笑みを浮かべ、絢女に近づいた。


「そんな怖いこと言わずにさぁ、泣けよ…。まぁ、痛くないようにスパッと一発で斬ってあげる。」


 そう言った後、男は刀を構えた。

絢女はもはやこれまでと、眼をつぶった。


「お嬢様!!!」


 絢女の耳に下男の悲痛の叫びが聞こえた。

 と同時に、鈍い金属音も聞こえた。肉を断つ気味の悪い音ではなかった。


 恐る恐る目を開けると、通り魔の刀を刀で受け止める男の姿があった。

それは弟だった。

 絢女は思わず叫んだ。


「小太郎!?」


 その弟は、鍔迫り合いの状態のまま、絢女に向かって大声を上げた。


「姉上、逃げて!」


 絢女は久しぶりに聞く『姉上』という言葉に狼狽えた。

座り込んだまま、何もせずボーっとしていたが、弟の怒鳴り声で我に返った。


「何してる、早く逃げろ!」


 絢女はすぐさま走り去り、近くに捜索しに来ていた下男たちに保護された。

それを見届け、小太郎は通り魔を押し返し反撃を待った。

 しかし、常軌を逸している男は攻撃しなかった。代わりにふらふらと絢女が消えた方向へ歩きだした。

 そんな男に小太郎は刀を向け、言った。


「…待て俺が相手だ。」


 通り魔は小太郎など気にも留めず、ぼそっと言った。


「男は要らん。女が斬りたい。」


「そうはさせない!」


 再び刀を構えた小太郎の顔にようやく男は視線をやった。

そして歩みをとめた。


「…おや? よくみれば何時かのガキか。お前のおかげで快適な牢獄暮らしが出来たよ。恩に切る。」


 妙な言葉に、小太郎は警戒した。

しっかり切っ先を男に向け、男の一挙一動を凝視していた。


「…なにを言っている?」


「俺、今度捕まったら打ち首なんだ。その前に斬らせろよ、お前の姉貴。」


 この理不尽な言葉を聞いた小太郎は怒りに震え、怒鳴った。


「願い下げだ!」


 やさしい働き者の下男たちを傷つけた通り魔を許せなかった。

 別れた主、政信がこの通り魔の刃から自分と姉を助けてくれた恩にも報いたかった。


「ぎゃんぎゃんうるさい。ガキが!」


 通り魔もとうとう怒鳴った。

しかし、小太郎は怯まなかった。

 大嫌いな『ガキ』という言葉も許せなかった。


「俺はガキじゃない! やれるならやってみろ! 受けて立つ。もう負けない!」


「なら、やってやろうか。お嬢様は終わってからのお楽しみだな。」



 小太郎と通り魔との一騎打ちが始まった。

廊下、部屋で斬りあい、何度も刀と刀がぶつかりあった。

 障子は破れ、襖には穴があき、鴨居には刀傷がついた。

建物だけでなく、幾度も身体を刀の先が掠った。

 家の損傷が増える一方で、互いの身体も負傷し始めた。


 長い間戦っていたが、狭い室内ではやはり不利と思った小太郎は庭まで逃げた。

そこで最終決戦に持ちこもうと考えた。


 そこまで若くない男は、息が上がりふらふらし始めていた。


「…このクソガキ。早く降参しろよ。…俺は忙しいんだ。」


 一方の小太郎は、体力が有り余る十八の身体。

身体に少々の痛みは感じていたが、ほとんど息は上がっていなかった。


「するもんか! お前を倒すまでは止めない!」


 そう言った小太郎は男の一瞬の隙を見つけ、思い切って刀を振り下ろした。

しかし、妙な音がしたと思い、確認すると刀の刃が折れていた。

 長時間にわたる乱闘の末、刀の刃はボロボロになっていた。

 使い物にならなくなった武器を手に立ちつくしていると、男はニヤリとして言った。


「刀が折れたな。さぁ諦めようか?」


 そんな男に、小太郎もニヤッとして油断させた。

すぐに刀を捨て、身構えた。


「…いいや。素手がある!」


「なに!?」


 苦手な柔術だったが、政信と喜一朗との生活で鍛えに鍛えた。

刀しか興味がないと見える男は、突然掴みかかってきた小太郎に驚き、うろたえた。

 そんな男の胸倉をつかみ、残った力で背負い投げした。

通り魔は宙を飛び、屋敷の塀にぶち当たった。

 反撃を待ったが、男は戦意をそがれた様子でそのまま動かなかった。


「俺の、勝ちだな…。」


 気が抜けた小太郎はその場で座り込んだ。

とたん、屋敷の中から下男が数人走り出てきた。


「良鷹様! 御無事か!?」


「若、仕留めましたか!?」


 彼らに精一杯の笑顔でこう返した。


「…まだ生きてる。縛って役人に突き出してくれないか?」


「はい。早速。」


 下男たちは力を合わせ、通り魔をぐるぐる巻きにし猿轡を咬ませ、脅しながら引っ立てて行った。


 すべてが終わり、瀬川家に静寂が戻った。


 そこへ下女に守られ、母と姉が出てきた。

小太郎はすぐに母の安否を確かめた。


「…母上、大丈夫でしたか?」


「小太郎、よくやったわね。」


「いえ…。」


 その後ろに、絢女が立っているのが小太郎には分った。

良い機会だと感じた初音は、娘を急かした。


「ほら、絢女何してるの?」


 小太郎は少しばかり期待を持って目線をやったが、彼女は逸らした。

それを見るや否や、小太郎はうなだれ、すぐさま逃げるように部屋へと戻った。

 絢女は、はっとして声をかけた。


「…待って。」


 そのまま彼を追いかけようとしたが、彼女はある物に気が付いた。

廊下にポツポツと落ちている物…。

 絢女はすぐに母を呼んだ。


「母上! 大変です。これを!」


「なに? あっ。」


 それは血だった。


「絢女、応急手当てしなさい。今すぐお医者様をそっちに向かわせるわ。」


「はい。」


 急いで年配の下女とともに血の跡をたどると、小太郎の部屋で途切れていた。

中にいるに違いない。


「小太郎! 大丈夫!?」


 襖に手をかけたとたん、怒鳴り声が聞こえた。


「入るな!!!」

 

 その声に驚いた絢女は、手を離した。

そんな彼女をよそに、肝が据わっている年配の下女は部屋の中に突入した。


「若? どこです? 傷の手当てをします。こちらに…」


「なら、姉…いや、絢女さんには出ていってもらって。でないと…」


 下女が説得しようとしたのを制し、絢女自ら小太郎に命じた。


「何言ってるの! 隠れてないで早く出て来なさい!」


「イヤです!」


 その小太郎は、身を隠し、箪笥の陰に隠れていた。

そっぽを向く弟に絢女は言った。


「…早く、傷を見せなさい。」


「イヤです。」


「血が出てるのに何言ってるの!? 早く脱ぎなさい!」


「…では、あっち向いていて下さい。」


「何言ってるの!?」


 すると、小太郎も声を荒げた。


「私の裸見るのは嫌でしょう!? 絶対に脱ぎません!」


「黙りなさい! 力づくでもやるわ。手伝って。」


「はい。」


 絢女は下女とともに弟の衣を剥ぎとったが、驚いて手を止めた。

身体のあちこちが傷付き、血が滲み出ていた。

中でも左の二の腕からの出血は多く、そこから流れる血で畳に小さな血だまりができていた。

 

 しかし、そんな傷よりも驚いたのは、弟の肉体だった。

以前見た時より鍛えられ、男そのものだった。

 記憶の中の幼い弟とは似ても似つかない若い男。

 怖くなり、そのまま動きを止めていたところを下女に気付かれた。

 

「…お嬢さま、障りがあるなら後はわたしがやりますので。お部屋でお休みください。」

 

 しかし、彼女の進言を受け入れはしなかった。


「いいえ。やります。…小太郎、直ぐにお医者さま来るからね。」

 

 

 すぐに医者が到着し、小太郎の傷を診察した。

二の腕の傷はそこまでひどくはなかったが、傷口を縫うことになった。

 歯を食いしばる弟に、絢女は見入った。以前の小太郎ならば、『痛い!』と泣き叫んだに違いない。

しかし、今目の前にいる弟は弱音を一切吐かず、耐えていた。

 しばらく見ない間に、本当に大人になてしまったのかと少々不安に駆られた。

そんな事をしているうちに、治療は無事終わった。


 姉弟二人だけになった部屋で、絢女は以前のように小太郎に話しかけた。


「…畳汚れちゃったわね。ここで今晩寝れないでしょう? どうする?」


 しかし、小太郎は彼女の顔を見なかった。


「ありがとうございました…。」


 そう言うと、部屋の外へと歩き出した。

驚いた絢女は、追いかけようと同じように立ち上がった。


「ちょっと、どこ行くの?」


 小太郎は襖を姉の眼と鼻の先でピシャリと締め、小さく言った。


「絢女さんの眼に入らない所へ…。失礼します。」


 

 一人残された絢女は、茫然と暗い部屋で立ち尽くした。

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