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【19】 姫君

 次の日の昼前、男三人は再び姫のいる館の庭にいた。

政信は彰子を呼び出し、首尾を聞いた。


「どうでしたか?」


「…誰とも会いたくないと、引き籠ったままです。」


 残念そうに姫の居るらしい部屋の方を見やった。


「そうですか…。」


「しかし、このままではお体が弱ってしまいます。食欲もあまりありませんし…。」


 深刻そうに言う彰子に、政信は少し無理やりだとは思ったがこう申し出た。


「ならば、私自らお近くでお話だけでもさせてはいただけませんか?」


「…怒られます。」


「侵入して、偶然見つけたということでどうでしょう?」


「侵入ですか?」


 少し考えた彰子だったが、意を決した。

姫が欝病に陥る前に、何かをしたかった。

 京にいたころに見た、彼女の笑顔を見たかった。


「姫さまのお気を少しでも晴らしていただけるのなら。」


 侍女の許可を得た政信は、さっそく家来にも仕事を与えた。


「ありがとうございます。喜一朗、見張りを頼む。良鷹、お前は彰子さまのお相手しろ。」

 

 真面目な喜一朗は、すんなりと仕事を受け入れた。


「はい。」

 

 小太郎は意外な仕事に驚いた。


「えぇ!?」

 

 なぜか女の子の相手をすることになった小太郎は戸惑い、経験豊かな先輩に助けを求めた。

今まで同年代の女の子とはケンカしかしたことないお子様にとって、大人っぽい女の子の相手は難しい。


「喜一朗殿…。女の子とどうやってなにをしゃべればいいんですか?」


「なんだ? おまえ、経験ないのか?」


「はい…。」


「…まぁ、なんでもいいんだ。天気の話、自分の話、相手の話。ダメなのはな、男しか分からない話だ。」


「わかりました。参考にします。」


「がんばれよ。」



 深呼吸をした後、小太郎は恐る恐る彼女に近づき挨拶をした。


「はじめまして、瀬川良鷹と申します。」


「彰子です。よしなに。」


 ひとまず自己紹介は難なくこなせた小太郎は、互いのことをもっと知るのがいいと思い、気になっていたことを伺った。

 

「…あの、彰子さまはおいくつですか?」


「今年で八つです。」


「え!? 八つ!?」


 心底驚いた小太郎だったが、彰子は頬を膨らませた。


「なんですか? 子供だと舐めないでください。」


「いいえ、舐めるなんてとんでもない!」


「えっ?」


「そのお歳で、姫さまにお仕えするなんて、真似できないなって。」


「そうでしょうか?」


「はい。私など、あなたの歳の時は遊んでばっかりだったので。」


 現に、十になって初めて今の姿に変えられてから初めて、仕事ということをした。

今までは学問、武芸、遊びに興じていた。

 

 彰子からも、質問が返ってきた。


「良鷹さまはおいくつですか?」


「十…八です。」


 危うく十と言いそうになったが、どうにかやり過ごした。


「まぁ、十も上?」

 

 彰子に驚かれてしまった小太郎はちょっと気まずくなった。

ほぼ同年の女の子に、自分がおじさんに見られるのはちょっとイヤだった。


「はぁ、そんなとこです。…本当は二つ違いなんだけどな。」




 どうにか彰子とおしゃべりができそうになった小太郎を、喜一朗は遠巻きに眺めていた。

いつか彼が見た小太郎が絢女を追う姿は、誤解だったとこの時気づき心が晴れた。

 幼い女の子にでさえ免疫がない。そんな男が、女を口説いたり、言い寄る度胸や技量などあるはずがない。

 全く女慣れしていない、少し前の自分を見ているような気持ちになった喜一朗は、暖かく小太郎を見守りながら、見張りの仕事に徹した。

 自分の妻になる女の顔を思い浮かべながら…。




 その頃政信は、部屋の奥、御簾が下されている部屋に来ていた。

そこには人の気配がし、上品な香の匂いが立ちこめていた。


「失礼しますが、姫さまはこちらに?」


 返事は帰ってこなかったが、中で衣擦れの音がした。

一か八か、政信は声を再びかけた。


「あの、お名前は?」


 またも返事は返ってこなかった。

しばらく沈黙が続いた。


「なぜ黙っておられるのです?」


 政信が再び声をかけたが、相手は黙ったままだった。

少し、不快になった彼は思い切ってこう切り出した。


「武士は低俗。それゆえ、しゃべりたくないとお考えでしょうか?」


 やはり返事は帰ってこなかった。

そこで、少し下品だと思ったが、話し方を変えることにした。


「…だったら、低俗なりにこっちも行かせてもらおう。姫さん名無しか? それとも口が聞けないのか?」


 またも声は聞こえなかった。

少し軽めの挑発をすることに決めた。


「だったら俺がつけてやろうか? 喋らないから、しずかでどうだ? 誰かさんの妾と一緒だな。」


 さすがにこれには我慢がならなくなった姫はとうとう声を出した。


「趣味が悪い。」

 

 はじめて聞く、公家の姫の声に政信は驚いた。

澄んだ、少し低めの落ち着いた声、京訛りが少しある声だった。

 

「…悪いか?」


「さすが野蛮な武士。下衆げすで敵いません。」

 

 鼻で笑うという下品なことはしなかったが、武士に対する偏見、蔑みの感情がありありとその言葉には見受けられた。

 ちょっとムッとした政信は、下衆なりに仕返しを試みた。


「じゃあ、京から来たから京子。」


 あまりに安直過ぎたが、これが功を奏した。

しびれを切らした姫が自分で名乗った。


「もうやめ。妾はしっかり、けいこと名がある。」


 やっと大事な情報を手に入れた政信は機を逃がしてはならぬと、すぐさま話をつないだ。


「けいこ? けいの漢字は?」


「蛍。闇に光り儚く消える蛍。」

 

 ふっと寂しそうにつぶやく声だったが、政信は姫の名前を知ることができて嬉しくなった。


「そうか。蛍子さん。」


 呼んではみたが、姫に怒られるはめになった。


「たやすく呼ぶでない。」


 すぐさま謝り、危険を回避した。


「はっ。姫さま申し訳ありません。」


 どうやら一度口を聞いてしまった手前、引けなくなったらしい姫は、自分から政信に質問した。


「何者や。ここは男子禁制のはず。」


「藤次郎と言う。ここには俺の友達と侵入した。」


「友達?」


「二人いる。一人は今、あの女の子と遊んでる。もう一人は見張りだ。」


「なぜそこまでして侵入した?」


「姫さんを見て見たかった。」


「妾を?」


「あぁ。残念だが、今日は無理かな?」



 そこへ喜一朗の焦る声が聞こえた。


「藤次郎、来ました!」


「おっと、じゃあ、また来るな。」


 そう言い残し、政信は屋敷の外へ飛び出した。




 ちょうどその頃小太郎は彰子と池を覗き、汚いと文句を言っていた。

お互い根がお子さまなので話が合い、いろいろおしゃべりして楽しんでいた。

 鯉でもいればいいのにと言っていた矢先、走ってきた政信と喜一朗に腕を掴まれ、逃亡が始まった。

 奥の取り締まりらしい格の高い女中の影を見た喜一朗が危険を察したからだった。


「良鷹行くぞ! 彰子さま、ありがとうございました。また来ます。」


「じゃあね。彰子さま。」


「さようなら。良鷹さま。」






 その晩、反省会をねぐらの小屋で三人で夕餉を取りながら行った。

名前が聞き出せたことが大きな一歩ということで、たがいに喜び、次は姿を見ることが目標という結論で反省会は終わった。

 食事を楽しみながら、政信は小太郎をからかった。


「彰子さまと仲良かったじゃないか。」


「今までの女の子と違うんで、話しやすかったです。」


 この言葉に政信は吹いた。


「…お前、どれだけ女の子と会ってないんだ? 俺より酷いんじゃないか?」


 ほとんど屋敷で女中に囲まれる位しか女と接触していない政信だったが、小太郎の免疫の無さには驚いた。


「皆、私をいじめてからかってばかりのイヤな子ばかりでしたから。」



 この言葉に、本物の十八歳二人組は額を寄せあってこそこそやり始めた。


「…こいつ一体何なんだろうな? 女にいじめられるって。」


「ですよね? 女中の人気も最近は良鷹に集中してますし。男から見ても十分男前ですし。」


「だよな? 体格も良いし。謎だ。」


「はい。謎ですね。」


 除け者にされたと感じた小太郎は、二人に言い寄った。


「なんですか? 私の悪口ですか?」


「いいや。違う。お前の謎が気になっただけだ。」


「…謎?」


 一瞬、どきっとした小太郎だった。子供だと今ばれたくはない。

この江戸にいるはずの父が国に帰るまでは、主と先輩と今の暮らしを続けたい。

 ばれたが最後、二人とのこの楽しい関係が崩れ去るのではとも近頃感じ、少し怖くなっていた。

『ガキ』と言われ、無視されいじめられるかもしれない。身分を偽った咎で、処分されるかもしれない。子供ながらに、恐怖を背後に感じるようになっていた。

 いざとなれば、父に助けを求める。母がそう言ったことを思い出した小太郎は、その父に逢いたくてたまらなくなった。


 どうやら、落ち込んだ気分が顔に現われていたようだった。

暗い表情を気にした喜一朗が助けてくれた。


「まぁ、人間謎だらけだから面白いんだ。気にするな。」


「はい…。」




 


 その頃、藩邸の奥では彰子が主、蛍子に夕餉の支度をしていた。

その日の騒動のせいか、蛍子は少し顔色が良くなっていた。

 毎日徐々に減っていった食事の量がその日、前日と変わらなかった。

嬉しくなった彰子は、ニコニコして主を眺めていた。


「彰子、どうかしたのか?」


「姫さまがお元気そうで嬉しいのです。」


「そんなことで?」


「はい。」


「…彰子。あの男はなんだったのかの?」


「…さて?」

 

 彰子はしらばっくれた。

明日も来てくれれば、もっと主が良くなると思っていた。

 一方、蛍子は遠い眼をしていた。


「また来ると言っていた…。」

 

「楽しみですか?」


「…わからぬ。」


「…そうでございますか。」

 

 ひとまず、毎日でなくても何回も会えば、心が休まるのではと子供心に考えた彰子だった。

また、彼女自身も姫以外の新しい話し相手ができて嬉しく思っていた。



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