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【14】 母上

その夜、小太郎は政信と庭の離れに居た。

政信は、仇という言葉を口にした後、まったく口を聞かなかった。

小太郎はその『仇』という言葉が気になってはいたが、深くは追求せずに大人しく主の傍にいた。


二人で夕餉を取った後、暗がりの中しんみりしていた。

政信は、徐にたちあがり、縁側まで歩いて行った。

月明りで照らされた庭を見ながら、小太郎に言った。


「…お前の母上は生きているのか?」


「はい。元気です。」


そう言った途端、小太郎は母に猛烈に会いたくなったが、ぐっとこらえた。

寂しそうな顔になった主を見てしまい、気不味くなった。


しかし、政信は話題を母親から兄に変えていた。


「…今日来た俺の兄、見たよな?」


「はい、浮船様が物凄い顔して怒ってましたね。」


「あれは、異母兄弟の中の、三つ歳上の兄だ。」


初めて主の家族構成を聞き、小太郎は興味が湧いた。


「あの、殿にはどれくらい兄弟がいらっしゃるので?」


「あれのほかは弟が二人、妹が二人だな。」


「いいですね、たくさん兄弟姉妹がいて。」


その言葉に政信は苦笑していた。


「そうでもない。それで、お前は?」


聞かれた小太郎は、さっき母親を思い出したとき以上に苦しくなった。

しかし、聞かれたことは返さなければならない。


「…姉が一人。」


苦し紛れに言うと、政信から質問が再び返ってきた。


「仲は良いのか?」


聞かれたくはないことだった。

以前は仲が良かった。しかし、今は違う。


「…縁を切られました。私は弟ではないと言われて。」


再び、あの日の姉の恐ろしい顔を思い出した。

優しさのかけらもない顔。それを思い出すたびに、かつての優しい姉を代わりに思い出から引き出そうとした。

しかし、それをやると必ず涙が出てくる。困った小太郎は、姉を忘れることにした。

忘れれば涙は出ない、考える必要はない。

しかし、この時また思い出してしまった。

涙が出てくると思ったが、政信の言葉で止まった。


「辛いな。本当の姉弟なのに…。仲良くできるはずなのに…。」


うらやましそうな口調でそういう主が、小太郎は気になった。


「あの、失礼ですが、殿は御兄弟とは?」


「…弟二人とは仲がいい。そいつらの母は俺の母上の従弟だからな。」


「殿の母上はどこにいらっしゃるのですか?」


返事は返って来なかった。

まずいことを聞いたのではと不安になった小太郎はすぐさま謝りその話を打ち切ろうとした。


「申し訳ありません。忘れてください。」


「…いい。喜一朗にも話したから、お前にも言う。」


「はい…。」



しばらく沈黙が続いたのち、政信は口を開いた。


「俺の母上は、あの世だ。」


「…あの世?」


「あぁ、兄上の母親に殺された。」


生まれて初めて、罪人だの殺すだのという物騒な話を身近に聞いた小太郎は、どうしていいか分からなくなった。

幸せな家で暮らしていて、友達とふざけ合って遊んで居た日々では考えもしなかった、

どす黒い世界に自分は片足を突っ込んでいるのだと強く感じた。

何を言うべきか分からず、黙っていると、政信はぼそっと言った。


「兄上は、仇の息子だ。仲良くできるわけがない…。浮船が兄上を処断しろというのもわかる。」


「あの…。浮船さまは一体…。」


いまいち小太郎は浮船がどのような人物なのか分からなかった。

奥で強い権力を持ち、統制している。

それには何か理由があるはずだった。


「あれは、母上の乳母だった。それで侍女としてずっとそばにいたんだ。

だから今でも俺の面倒を見ている。ガミガミうるさいけどな。」


そう言ってニヤリとする悪戯っぽい顔は、いつもの政信だった。

少し安心した小太郎は、殿の話を本筋に戻すことにした。


「殿、それで、仇は討ったのですか?」


「あぁ、とうの昔にな。その時の話を今からしてやろう。ちと重いから、イヤになったら言うんだぞ。やめるからな。」


「そんなにすごい話なのですか?」


驚いて聞くと、笑いながら政信は言った。


「喜一朗は青くなっていたぞ。」


「そうですか。怖いのはイヤだな…。」


「まぁ、やわらかく話してやるから心配するな。」


「はい。お願いいたします。」


政信は、小太郎の前に座り話し始めた。


「兄の母は俺の母上と同じく側室だった。女は嫉妬深くて、しつこくて、父上は好きではなかったらしい。」


「へぇ。」


「おまけに、女は周りが勝手に決めて城に上げた女だったそうだからな。兄上が腹に出来たら、ほとんど通わなくなった。それで父上は俺の母上の所にずっと通っていた。どうやら、結婚する前から目を付けていたらしくてな、藩主になって落ち着いたらすぐに城に上げたんだ。だから、国にいるときは絶対に母上の所へ行った。そして、仕舞には女の所へは一切通わなくなった。」


「あ、それで逢えなくなって怒ったんですか?」


「そうだ。俺の母上ばかり相手して可愛がって嫉妬した。」」


「そうですか。」


「それで、俺が生まれて、三つの時に母上に子がまたできたんだ。」


「弟か妹ですか?」


「あぁ。めでたいと皆は祝ったが、女はそれを聞いて激怒したらしい。そして怒りのあまり、実父に頼んで忍を雇った。」


「忍を?」


「あぁ、くの一を雇って、母上の下女にして潜入させた。その女はいろいろ手を尽くして、母上のお気に入りになって傍に近づいたんだ。」


「しかし、殿、浮船さまが傍にいるのでは?」


「そうだ、浮船は怪しんでそのくの一を遠ざけようと躍起になった。だがな、隙を突かれて、一服盛られたらしい。」


「眠り薬ですか?」


「あぁ。浮船が寝ている間に、くの一は母上を庭に連れ出し、人目のない所で背後から押し倒した。」


「…それで?」


「母上は流産して、死んだ。」


「……。」


「悪い、刺激が強かったか?」


「いえ、大丈夫です。それで、仇は?」


「そうだ、一部始終を見てた女中が居たんだ。それがすぐさま浮船に知らせてくの一は捕らえられた。」


「それで?」


「忍びは捕まったらお仕舞いだ。自害して果てた。証拠隠滅の為にな。だが、すぐに忍びの背後にいた女とその父親が判明した。」


「それで、殿のお父上が?」


「あぁ。女を打ち首獄門にした上、父親を始め背後の一族も流罪か死罪。だが、兄だけ生き残った。で、兄上は俺を恨んでいる。そういうことだ。」


「はぁ…。」


「これで話は仕舞いだ。どうだ?ドロドロだろ?」


「はい…。怖いですね。そんな怖いところなんだお城って…。」



小姓に自分の母親の話をし終えた政信は、少し気が晴れた様子だった。


「まぁな。でもいかんのは父上だ。女の怖さを侮っていた。嫉妬で人まで殺せるからな。お前も覚えとけ。」


「はい。」


「結婚するとき、嫉妬深い女を選ばない。男も絶対に浮気をしない。それでどうにかなるはずだ。たぶん。」


「はい。」


小太郎は生返事を返すので精いっぱいだった。

結婚、ましてや恋愛など全くわからない。

女の子を好きになったこともまだない。

これから経験するようになるかもしれないが、実感が全く湧かない。


子どもの小太郎には、未知の世界だった。


そんな新たな世界を見つけた以外に、小太郎は殿の弱点というよりも心の闇を見つけていた。

身内に母親を殺められ、兄弟といがみ合い、周囲からは立場を利用される。

これらのせいで、政信は心から人を中々信じず、相手の本心を常に気にする。

しかし、自分と喜一朗を小姓として、配下として信頼してくれているのは、とてもありがたいと改めて感じた。

殿の心の闇を少しでも明るくする、と小太郎は決意した。






その晩、


『太郎…。小太郎…。』


と自分の名を呼ぶ声がぼんやりと小太郎の耳に聞こえてきた。


『うぅん。まだ眠い…。』


『起きろ、小太郎。』

 

声の主は、ぽかりと小太郎の頭を叩いた。

痛みを覚え、起き上がってみるといつかの老人が立っていた。


『あ、神様。お久しぶりです。』


居ずまいを正し、きちんと挨拶をすると神様は満足そうな笑顔を浮かべた。


『がんばっておるな。…ちと悩んでおるようだが。』


どうやら神様には筒抜けだったようだ。


『…姉上はもういいです。諦めます。』


『…そのうちどうにかなる。心配するな。』


その言葉に一縷の望みを抱いた小太郎だったが、すぐに頭を切り替え、神様に問いかけた。


『…はい。それで、神様今日は何用ですか?』


『近いうち、政信から驚くことを聞くかも知れんが、あれの指示に従え、喜一朗も丸めこむのだぞ。いいか?』


『はい。』


『それと、明日馬術の特訓をするのだ。』


『馬?なぜです?』

 

『しっかり守れよ。よいな?』


『はい、わかりました。』


そう言うと神様は消えていた。

同時に小太郎も目が覚めたので、身支度をした後主の元へと急いだ。

その日は喜一朗が母親の見舞いを切り上げ、仕事に復帰する日だった。




次の日、神様の言葉通り、政信の提案で三人で馬で遠乗りに出かけることになった。


「どこへ行きますか?」


「国はずれの村まで行こう。視察だ。」


「さすが殿。そう言えば浮船さまは怒らない。」


「わかってるじゃないか。」


颯爽と馬にまたがり、計画を立てている二人の横で、小太郎は馬にしがみついていた。

この日、初めて小太郎は一人で馬に乗ったのだった。

父親に乗せてもらったことしかない。

そんなお子様が、身体が大きくなっただけで馬を自在に操れるわけがない。


あまりにもみじめな姿に喜一朗は呆れた。


「…おい、良鷹。お前乗れないのか?」


「一人で乗ったことがないので。どうにもこうにも…。」


政信まで、良鷹をからかい始めた。


「お前。山にでも住んでたのか?熊にまたがりお馬の稽古ってか?」


その言葉に真面目な顔で喜一朗は変な事を言い出した。


「良鷹、熊なら乗れるのか?そっちの方がすごいぞ。」


おかしな喜一朗に政信は吹いたあと、念のために注意した。


「おい、真面目に受け取るな。そんなことできるのは金太郎だけだ。」


「そうでございますか?」


無駄な話はそこで打ち切り、哀れな小太郎をどうするかという話になった。


「それよりどうする?遠乗りどころじゃないぞ。」


「殿、特訓させましょう。これではいけません。」


「そうだな。やるか。」


これで完璧、神様の予言どおりになった。

一日馬術訓練で終わるに違いない。


「お願いいたします。」


「一人前に乗れるようにちゃんと教えてやるから。しごくぞ。」


「はい…。」


しかし、怖がる小太郎の気持ちが馬に伝わったのか、馬は一人で歩きだし始めた。


「怖い!落ちる!」


小太郎は、大人のふりをするのも忘れ、必死になっていた。


「騒ぐな!馬が怖がって余計暴れるぞ。」


殿と先輩が馬をなだめてくれてはいたが、小太郎は怖くてたまらなかった。

完全に十歳の小太郎に戻ってしまっていた。


「助けて!殿、喜一朗殿。怖い!下ろして!」


「お前ガキか?落ち着け!」


「ガキじゃない!俺はお子様じゃない!」


「いいから、大声出すな!」



大変な馬術特訓が始まった。

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