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【09】 主従

次の日、小太郎は喜一朗と二人で朝餉を取った後、政信へ挨拶をしに行った。

しかし、彼はさっそくどこかへ出かけようと準備をしていた。


「殿。どこへお出かけですか?」


「別に。」


政信は喜一朗の質問にそっけなく答えた。


「殿、ついて行きましょうか?」


小太郎は深く考えず、そう言った。


「あぁ。喜一朗は留守番だ。」


「……。」


新入りの小太郎の話はしっかり聞き、自分の話はまともに取り合ってくれなかった主に落胆した。

何が自分には足りないのか、わからない。


「あの、喜一朗殿…。」


「しっかりやれよ!俺は留守番だ。」


無理やり作った笑顔が、小太郎に堪え、精一杯頑張っているが空回りの先輩が気の毒になった。


どうしたらいいのかと考えながら政信について行った。

彼は抜け出すのかと思いきや、広い庭へ向かった。

何をするでもなく、ただ黙ったまま庭をぶらぶら歩いていた。

川が屋敷の外から引き込んであり、大きな池が作ってあり、小振りな橋も架けられていた。

政信は橋の上に立ち、池を覗きこんでいた。

その中には、紅や白、黒、黄金色の大きな鯉が泳いでいた。

喧嘩することなく、悠々と泳ぐ鯉を眺める政信に、小太郎は意を決して聞いた。



「あの、なんで喜一朗殿を嫌うんです?」


「…嫌いなわけじゃない。重いんだ。」


ぼそっと彼が返した。眼は今だ鯉を眺めていた。


「え?」


『重い』の意味がいまいち分からなかった小太郎は考えたが、わからなかった。

しかし、聞き返す前に政信が言ってくれた。


「殿、殿うるさいだろ?犬みたいにくっついて来るくせに、堅苦しい。」


「…そう言うことか。でも、殿の為じゃないですか?」


「本当か?…本心が見えないから不安だ。」


「本心?」


「…取り作っている気がしてならない。俺のご機嫌取りして、利用しようとしてるんじゃないかって。」


「あの、私は大丈夫なんですか?」


「あぁ、お前は俺の正体知らない時から仲良くしてくれた。今も態度は変わってない。」


「……。」


「あいつも、お前みたいに、素直で丸くなれば仲良くできるかもしれんな。」


「言ってみたんですか?喜一朗殿に?」


「…言ってない。」


「言ったほうが良いと思うけどな…。」


「そうか?」


「はい。殿の為にも、喜一朗殿の為にも。」


「……。そろそろ戻るか?学問の時間だ。」


「はい。」





学問を偉い先生に教えてもらったが、普段学問所で学ぶのより数倍上の難易度で半分ほどしかわからなかった。

しかし、殿と先輩二人はいとも簡単に理解し、先生に褒められていた。

彼らの姿は小太郎にとてもかっこよく見えた。


凄い!

元に戻ったら、今まで以上に勉強頑張らないと。

将来二人みたいになりたい。





昼過ぎになると、三人は庭で武術の稽古をした。

小太郎はまず、先輩と殿の剣術の立ち会いを見物した。


政信は強い、何度か立ち会って小太郎は一度たりとも打ち込めたことがない。

彼に「筋がいい」と褒められたが、彼から一本取り、勝つまでは満足できない。

一方、喜一朗とはやったことはないが、何度も見物した。

道場で一二を争うほどの腕前で免許皆伝も目前ではと思われているほど。


そんな二人の戦いは白熱した物になった。

お互い隙を窺い、打ちあったと思えば、互いに離れ、睨みあうだけになることもあった。

決着はつかないかと思ったその時、喜一朗がわざと隙を作った。

その様子は傍から見ていた小太郎にもわかったが、理由までは理解できなかった。

次の瞬間、政信が喜一朗に勝っていた。


「参りました!さすが殿、剣の腕が…」


そう笑顔でいう喜一朗に政信はそっぽを向き、厳しいが感情を抑えた声で政信に告げた。


「…お前、手を抜いたろ?」


「めっそうもございません!殿がお強いのです。なにを…」


「手加減したくせに。わざと負けただろ?」


「……。」


「…ウソつきと、ご機嫌とりは大嫌いだ。よく覚えておけ。良鷹、次はお前だ」


「はい。」


二人の良くない雰囲気に少し、へこんだが気を取り直して政信の前に行き、木刀を構えた。

しばらく会っていなかった間の鍛錬の成果を見せつけたかった。


「来い!」


「はい!」


必死に食らいつき、どうにか主から一本だけ取ることに成功した。


やった!

打ち込めた!


「この前よリ上手くなったな。凄いじゃないか。」


「ありがとうございます!」


やった!

褒められた!


喜んでいたのもつかの間、急に喜一朗に引っ張って行かれ、耳元で注意された。


「…おい、本気を出すんじゃない!」


「え?なんで?」


「…分からないか!?主に本気だして勝とうとする家来がいるか!?」


「そうですか?」


喜一朗の言葉が小太郎には理解ができなかった。


よくわからない。

稽古なんだから、本気を出さないと、強くはなれない。

それに、こっちの方が殿嬉しそうだったし。


「わかったか?怪我させたらヤバいし、いろいろ他にも…」


長々と説教が始まり、小太郎はうんざりした。

政信の言っていた『重い』の言葉がわかった気がした。


こんなに難しいこと並べたててお説教じゃ、気が滅入るよ…。

自由時間の喜一朗殿の方が面白い人なのに…。



このつまらない説教を二人の主はしっかり聞いていた。

突然驚くべきことを告げた。


「喜一朗!お前、出てけ。」


「え?」


「俺に詭弁を使うやつは要らん!俺に本気出さないのは貶している事とみなす。首だ!」


「殿、それがしは、殿のためを思って…」


「うるさい。二度と来るな!わかったか?」


「……。」


小太郎は先輩を助けようと、口を挟んだ。


「殿!喜一朗殿にそんな…」


「お前には関係ない。そんなやつほかっておけ。行くぞ。」


「……。」


小太郎は理解ができない上、怒られて首にされそうな喜一朗が心配でたまらなくなった。


なんで?

なんで、怒られるの?

どうして、いきなり首なの?


「おい、良鷹!」


機嫌が悪そうな政信の声が飛んできて、我にかえった。

隣の喜一朗が眼を伏せて、小太郎に告げた。


「良鷹、殿の御命令だ、俺はほかって行け。」


「……。」


しかたなく、小太郎はその場を後にした。




その後、喜一朗が必死に面会を申し出ても、政信は応じることはなかった。

小太郎も彼なりに説得をしたが、黙りこくったままだった。。


しかし、夕方になると小太郎に、

「もう今日は下がっていいぞ。明日は休みだから、家に帰れ。雨が降る前にな。」


言われて、外を見ると、どんよりとした厚い雲に覆われ、まるで小太郎の心の中のような天気だった。


「失礼いたします。」


何もできなかった自分の不甲斐なさに辟易し、部屋に戻ると、喜一朗がすでに居た。

彼もまた、どんよりとした暗い表情で部屋の隅に座っていた。


「…喜一朗殿、どうする?家に一度帰る?」


これ以上傷口を広げないよう、慎重に言葉を選んだ。


「そうする…。お前も今日は家に帰れるんだろ?」


「はい。」


「…先に帰ってていいぞ。俺は支度しないといけないから。」


「…そうですか?」


本気で、出てく気かな?

まだ、一緒に二日しか働いてないのに。


「じゃあな。」


「じゃあ、また、明後日…。」


小太郎が去った後、政信は一人悶々と悩み始めた。







小太郎は、家に帰って来た。

家に入るなり、下男下女に囲まれ、仕事はどうだっただの、疲れてないかだの、なにか食べるかだの、口々に言われ、驚いた。

たった一日家を留守にしただけで、こうも心配してくれる家の者たちがありがたかった。


母の初音も同様だった。

表の騒ぎを聞きつけて、早足で小太郎に寄ってきた。

彼女の顔には安堵の表情が現われていた。


「小太郎!お帰りなさい。お仕事どうだった?」


「大丈夫だった。心配はいらないよ。」


「良かったわ…。さぁ、御飯にしましょう。絢女!早く来なさい!」


「はい。…あら、お帰りなさい。」


他の皆とは正反対の冷静な出迎えだった。


「ただ今戻りました!」


「…お疲れ様。」


いつもと違い、少しそっけない姉だったが、あまり気に止めないことにした。

虫の居所でも悪い時は、すぐ態度に現れる姉だった。



食事を取りながら、母は小太郎にさまざまな質問を投げかけた。

仕事内容、屋敷の様子などなど。

話の流れで、同僚の話題が上った。


「で、もう一人のお小姓はどういう方?」


「そうだった、喜一朗殿だよ。」


母に言いたかった事だった。

よく家に来てくれる憧れの先輩。しかし、首の危機。

大人の知恵を借りたい。どうやったら、喜一朗殿が今の仕事を続けられるのか。


「え!?喜一朗さま!?」


ずっと黙ったままだった絢女はいきなり驚きの声をあげた。


「なに?姉上?」


「え、いや、なんでもないわ…。」


「へんなの。そうだった、母上、喜一朗殿なんだけど…」


小太郎は、母に相談し始めた。




一方、政信は小姓二人が帰った後、ひっそりと静まり返った部屋で小太郎に言われたことを思い返していた。


『言ってみたんですか?面と向って。』


『いや。』


『言ってあげた方が良いと思うけどな…。』


『そうか?』


『はい。喜一朗殿の為にも、殿の為にも。』


言うって言ったって、どうやるんだ?

もっと柔らかくなれってか?

どうしたもんか…。


ふと気付くと、いつしか外は雨になっていた。

冬の雨、寒くしとしと雨が降っていた。

ボーっと霧のような雨を眺めていると、ふと人の気配を感じた。


「ん?」

見渡したが、部屋には誰もいなかった。


「気のせいか…。」


しかし、念のためたちあがり、部屋をうろつき、気配の根源を探そうと試みた。

そこで、部屋ではなく部屋の外にそれがあるということに気がついた。

部屋の隅にある小窓の外だった。


「おい、そこにいるのは誰だ?出て来い!」


「はっ…。」


現れたのは、濡れ鼠になった喜一朗だった。

あまりにみじめな姿に、政信はあっけにとられた。


「お前、帰ったんじゃないのか?」


「…頭を冷やし、考えておりました。それに、殿に謝りたかったので。」


「頭は、冷えたのか?」


「はい。もう氷つくほど冷えました。」


そう言う彼の唇は紫色になっていた。

頭どころか、身体の芯まで冷え切っている様子が目に見えた。

心なしか、身体が寒さで震えている。


「…風呂に入ってこい。おい、浮船!着物頼むぞ。」


「いえ、風呂などは!」


「命令だ。入ってこい。」


「はい。」


喜一朗を無理やり命令で風呂へ追いやり、その間に暖かい飲み物を持って来させた。

ついでに、食事も。

毒見も済んでいない暖かいままの食事を要求した政信に、取締りの浮船は渋っていたが問答無用で押し切った。


「食おう、体冷えたろ?」


「そんな、もったいない…。」


「命令だ。」


「はっ。」


命令なら聞く喜一朗のクソ真面目さにあきれた政信だった。


しかし、食事を二人で取りながら、政信は喜一朗に聞いた。


「…なぜ、小姓として俺の所へ来た?」


「…恐れながら、父に言われました。」


政信は、溜息をついた。


「お気に入りになって、取り入っておけって言われたか?」


皆、自分に近づくものはそう言う魂胆。

純粋に人間を見てくれたのは、良鷹だけ。


「…しかし!」


真剣な表情で反論しようとした喜一朗に興味が湧いた。


「なんだ?」


「…それがしは、イヤでした。取り入るなどと、できません。」


「クソ真面目だな。だったら首はいい機会だろ?」


「…それが、どうも、イヤなので。なぜかわかりませんが。」


「ほぅ。首もイヤ、取り入るのもイヤ。何がしたいんだ?」


帰ってきた意外な返事に政信は驚き、興味がさらに湧いた。


「それが、わかりません。」


「わからん?」


「はい。何がしたいのか、何ができるのか、見つけられたらいいのですが。」


その言葉に、政信は少しうれしくなった。

こんなクソ真面目で面白みがなさそうな男にも悩みがあった。

同じ匂いを感じた。

そこで良鷹からもらった助言を実行することに決めた。


「だったらな。いいこと教えてやる。」


「なんですか?」


「もうちょっと柔らかくなれ。俺はお前と同い年だ。良鷹を見習え。」


「そう言われましても…。あれは歳の割にちと軽すぎませんか?」


「そうか?別に俺は構わんが。とにかく、カチコチは疲れるぞ。」


「…柔らかくなるよう、努力いたします。」



いつしか、食事は尾おわり、政信は、喜一朗に聞いた。


「温まったか?」


「はい。ありがとうございました。」


そう言う色が悪かった顔も、血が通い、健康そうな男に戻っていた。


「今晩と明日は休んで、明後日、槍術の特訓だ。槍持ってこい。いいな?」


この言葉に、喜一朗は驚いた。


「え?あの…。」


首になったはずではと口に出す前に、政信に止められた。


「ちゃんと刃がついたやつだぞ。棒はダメだからな。」


真意を汲み取った喜一朗は、ひれ伏して礼を言った。


「はっ。ありがたき幸せ!」


「風邪ひくなよ。じゃあな。」



喜一朗は知りたかった何かを見つけた気がした。

初めて、殿が自分に向けて笑顔を見せてくれた。

先の見えない小姓生活に、光が見えた。


あの笑顔を、いつも見たい。殿を喜ばせたい。

いや、一緒に、三人で笑いたい。

これか、これが本当の意味のやりたいことだ。

殿のおそばに居たい!


この場に来た意義を見出した喜一朗の顔は、晴々としていた。

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