中
少年の体が浮く。その手に引かれて、オレも空に浮いた。
バランスを崩しそうになって、両手で少年の手にしがみつく。
「お、おぅ。ビビってないぞ。ちょっと飛ぶのは初めてだったからさ。」
周りの景色が音もなく後ろへ跳んで行く。
飛ぶのって、レースゲームやってるみたいな感覚なんだな。
気がつくと、オレは見たことのないスポーツカーの中だった。
後部座席に少年と二人で座っていた。
「なんだ…車?」
「はい、彼女はここに居ます。」
助手席から聞いたことのある声がする。
「ねぇ、急いでるんだけど!」
オレの自慢の彼女の声だ。
後部座席から見える後ろ姿も可愛い。
「あ゛?無理だって。ムチャ言うなよ。」
運転席にいるのは……誰だこの男?
オレの彼女に馴れ馴れしい態度。
「ムチャでも良いの!急いでよ~。」
「なんか混んできてるんだよ。」
なんだこの男。
ってか、彼女も彼女だ。オレと喋る時とは違う雰囲気。
おいおいおい。オレという彼氏が居ながら、二股か?
これからオレとデートの予定だったろ。
「どういうことだよ!?」
助手席の彼女の肩をつかもうとするが、触ることができない。
そうだった。
「彼らには、あなたの声は聞こえてません。」
少年が冷たく言う。
ちくしょう、わかってるって!
一応、運転席を蹴ってみるが、足もすり抜ける。
「彼らに触ることもできません。」
「わかってる、わかってる!奇跡を使わないといけないんだよな。」
「はい。」
わかっちゃいるが、もう1回運転席を蹴る。
今日はペットショップへ行って、彼女が飼う猫を選びに行くはずだったんだ。
なんで、こんな男と車に乗ってるんだ!?
「もういいじゃん、宮河内なんて。」
運転席の男が言う。さらに続ける。
「あいつワルだし、怖いじゃん。喧嘩もしまくってたって噂だし。よく付き合う気になったよな。」
あん?
オレはキレた。
だが、全ての男への攻撃は無駄となる。
「彼、怖くなんかないよ。たぶん、アンタよりよっぽど気弱よ。」
彼女がそう答えた。
オレがワル?オレが弱い?
なんだこいつら。好き勝手言いやがって。
ブツン。
オレは…マジでキレた…
「おい、この男を殴る。」
少年に聞く。少年はオレの方をじっと見ていた。
「それが、あなたが最期に望むキセキですね。」
「ああ、殴る。」
彼女を殴ることはできない。彼女にどんなことを言われようと傷付けはしない。
だが、この男は許せない。
オレの彼女の隣でへらへらしやがって。
「では、手に意識を集中してください。」
少年はボロっちぃ本を出してきた。
その本でオレの手に触れた。オレの手がどんどん熱くなってくる。
「お、おぉぉ。」
「その熱い手で、触りたいと思うものに当てるのです。」
よしこれでいける。
しかし、少年はそっとオレの手を抑えた。
そしてその黒い瞳でオレを見つめる。
「今殴れば、この車は事故を起こし彼女も巻き込まれます。良いんですね。」
抑揚のない、感情のない少年の言葉。
だが「良いんですね」には、強い気持ちが入っているように聞こえた。
「あ?…あぁ、そうだ。」
ちょっと冷静になれた。
運転手のこいつを殴ったら、彼女も死んでしまうかもしれない。
っていうかオレは、それを最期に消えることになる。
そんなことに奇跡を使って良いのかオレ!
「あぶねっ。な、な。これ、キャンセルできるんか?」
「そのまま何も触らなければ、大丈夫です。」
手の熱さが収まってきた。
「…ありがとう。間違うところだった。」
少年の黒い目に吸い込まれそうになる。
その瞳の色で、オレはふと思い出した。
「そうだ。あの猫がどうなったか知りたいんだ。黒猫。」
「わかりました。」