上
死んだ魂は、一度だけ現世に影響を与えることができる。
これをキセキと呼ぶ。
***
「オレ、死んだのか…」
自分の死体を見下ろすのは初めてだが、決して気持ちのいいもんじゃない。
あたりを見回す。
オレのバイクとぶつかったダンプの運ちゃんが、119番に電話している。
近所のおばさんが何か叫びながら、家に戻っていく。
ぞろぞろと野次馬が集まってきた。
彼らの後ろを黒猫が走って消えて行くのが見えた。
そして、もう一度自分の死に顔を見つめる。
ヘルメットは吹っ飛び、自慢の髪はくしゃくしゃになっていた。
「おいおい、リーゼントがボロボロじゃないか…これから彼女とデートだろ。」
自分の身体に話しかける。でも、こいつは目は開けたままピクリとも動かない。
ちくしょう、本当にオレは死んだのか…。
ふと、自分の体に重なったら生き返るんじゃないかと思いつく。
横になるために膝をつく。
「そんなことしても無駄です。」
突然、背後から声がして驚いた。
振り向くと少年が立っていた。小学生になったかどうかくらいの背丈。
女の子かと見間違うような整った顔。黒いぼろ布を服のように着ていた。
「宮河内タクミさんですね。」
「お、おう。」
自分の名前を呼ばれて、慌てて立ち上がる。
運ちゃんの怒鳴り声や野次馬のガヤガヤと比べると、か細くかすかな声だが、オレにはどの声よりもはっきりと聞こえた。
こいつは普通の人間じゃない。オレの直感がそう言った。
「残念ですが、あなたは死にました。もう戻ることはありません。」
少年はクリクリした目でオレを見つめる。
不思議な瞳。吸い込まれるような黒。
「わ、わかってるさ。死んだら一回やって見ようと思ってたんだ。
おも、面白そうだろ。」
少年の表情は変わらない。
泣いているようにも笑っているようにも見える、不思議な無表情。
オレは恥ずかしかった。ちょっと心が折れそうになるほど。
「少しくらいは笑えよ。」
オレは強がってみた。
多分この子が「お迎え」なんだろう。きっと逃げられない。
「お前が、オレをあの世へ連れてくのか?」
「私はただの案内人です。あちらへ連れて行くことはできません。」
え、違うの?
てっきり、この子に天国やら地獄やらに連れて行かれるのかと思った。
「じゃあ案内人って?」
「はい。あなたにキセキの案内をします。」
「キセキ…?」
なんだなんだ。キセキって。
バカなオレにも分かるように説明してくれ。
「はい。あなたは最期に一度だけ、現世に干渉することができます。」
少年は慣れた感じで話をする。なんていうか、役所の喋り方に聞こえる。
「もう、あなたは人や物に触れることはできません。ただし、一度だけ現世に影響を与えることができます。」
少年は一呼吸置いて、言葉を続ける。
「それが、キセキです。」
「奇跡…?え…。どういうこと?」
***
その後、オレは何回か聞いて、少年はそのたびになんでも答えてくれた。
冷たく見えるけど、こいつホントは良いやつだな。
「OK、なんとなくわかった。」
どうやら死んだ俺でも1回だけ物に触ったり、動かすことができるらしい。
そして、それが終わればオレは消える。
やっとオレが理解したころ、救急車が到着した。
救急隊員が車から降りてくる。あっという間に心臓マッサージが始まる。
オレのために頑張ってくれて、ありがとう。でもオレ死んだんだ。
パトカーも到着し、どんどん騒がしくなってきた。
警察官がオレの体をすり抜けて走っていく。
あ、やっぱりオレ死んだんだな。実感する。
「オレ、会いたい人がいる。彼女なんだけど…。」
少年は手を差し出してきた。
「わかりました。手につかまってください。」
「これって奇跡にカウントされないよな。」
「大丈夫です。」
オレは安心して手をつなぐ。
少年は手をしっかりと握り返してきた。
「では行きましょう。」