悲しい猫の話
むかしむかし、というには些か時が経っていない頃の話でございます。
ええ、その頃わたしは大店の一家に飼われて暮らしていました。
優しい旦那様としっかり者のお内儀さん、おてんばなお嬢さんとお坊ちゃんがいましたっけ。
みんな、とても優しくて…猫であるわたしをひどくかわいがってくれたものです。
ああ、今でも思い出しますよ。
「ほら、花梅、こちらにいらっしゃいよ」と明るく笑うお嬢さんの声を。
「あなたのぶちは綺麗ね。花ざかりの梅のよう。あたし、桜より梅が好きなのよ」と、わたしを撫でながらおっしゃってくださいました。
そう、ただの三毛だったわたしに花梅という美しい名前をつけてくださったのもお嬢さんでした。
美しくて、気だてもよくて、分け隔てのない愛情を持つお方でした。
それがいけなかったのでしょうか。
お嬢さんが美しかったから、あの下衆どもに目をつけられたのでしょうか。
わたしはあの家族とともにいられるだけでよかった。
それだけでしたのに。
ああ、いま思い出しても憎しみと悲しみで体が張り裂けそうです。
あの日、外から帰ってきたわたしを待っていたのは、炎に包まれる家の奥で血の海に倒れた皆の姿でした。
一目見て、息がないのはわかりました。
刀でばっさりと斬り捨てられて、店に火を放たれたのです。
周到で、反吐が出そうなほど悪意に満ちたやりくちでした。
わたしは泣きました。泣いて、鳴いて、必死で大好きなみなを起こそうとしましたとも。
ただの猫だったわたしに、それ以上、何ができたでしょう。
外では人間たちが騒いでいましたが、炎が大きすぎて中に入ってこれませんでした。
大好きな、みなの体は少しずつ焼けていきました。髪が焼け、着物が焼け、肉も、骨も…。
わたしの体も焼けていきました。お嬢さんが褒めてくれた美しいとらのぶちを炎が舐めて、夜の闇のような色に変わっていきました。
そのままであれば、わたしもただの猫として皆と同じ場所へ向かっていたでしょう。そこでは体はなくとも、苦しみのない、楽しい時を過ごせたはずです。
でもわたしはできませんでした。憎悪と悲哀が強すぎたのです。それほどまでに、この一家を愛していたのでした。
わたしの体は真っ黒になりました。口を開くと炎が出ました。目も、鬱金色から炎の芯にある強い瑠璃色になりました。もはや、猫ではない化け物と成り果てていました。お嬢さんがかわいがってくれた、美しいぶちを持つ花梅はもうどこにもいませんでした。
わたしはそれでよかった。あの家族の仇をとらねば、わたしはわたしを抑えられなかった。
新しい体は刀のわずかなにおいをたどることができました。それをたどり、見知らぬ武家屋敷のひとつに忍び込み、天井裏からねずみのように気配をうかがって、わたしは皆の命を奪った者を突き止めました。
毛にまとわりつくような嫌な声が聞こえたのを覚えています。
「ご苦労であった。あの娘、町人の分際で私の縁談を断りおってのう。腹が煮えておった。父親の方も、金を貸すのを渋りおって…両替商など、武士あってのものであろうに」
「まさしく。お陰様でよい仕事ができたというもの。奴らも草葉の陰で自らの行いを悔いていよう」
下卑た笑いが聞こえたところで、わたしは天井をやぶりました。
驚くふたりに、うなり声でできた言葉を使ったことは覚えています。
「わたしは、お前たちを、許しはしない…!」
わたしの爪で、ふたりはあっけないほど簡単に裂けました。人間とはこれほどに脆かったのかと驚いたほどです。
長い長い傷から信じられないほど大量の黒い血が溢れて、畳を濡らしていきました。
わたしは口から出る炎で屋敷を焼きました。
老練ですばしっこいねずみをようやく捕らえたときのように、気持ちがさっぱりとしていました。
わたしは笑いました。嬉しくて、嬉しくて……悲しかった。
もう皆がいないことを、そのときはっきりと感じてしまったのでした。
炎に包まれながら、泣いて、鳴いて、笑って……
そこで、わたしの意識は途切れました。
だから、ここが、まえの場所と違うことはわかります。
あのとき、わたしは二度目の死を迎えたのだと。
後悔はしてないです。時を戻せても、きっとわたしはわたしのために仇を討った。
ただ、聞いてほしかったのです。わたしが、どれだけあの家族を愛していたか。坊ちゃん、お嬢さんと過ごした日々がどれだけ大切だったか。
化け物になったわたしはきっと、ことわりが違うこの場所でももう皆に会うことはできないでしょう。
わかっています。
話すことができて、嬉しかった。
ありがとうございます、えんまさま。