表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死が二人を分かつまで  作者: 恵梨奈孝彦
2/2

第三・第四場

第三場 絵里奈の夢


喫茶店。

上手側のテーブルについて高彦が座っている。机の上に問題集とノートを広げて勉強している。

    絵里奈、上手から登場。

高彦、入ってきた絵理奈に気づかず勉強している。ときどきコップの水を飲む。ウェートレスがやってきて水を足す

絵里奈、高彦に向かい合って座る。高彦のコップを取って一気に飲み干す。

   高彦、ノートから目を離さずにコップを取ろうとする。無い。

高彦 「水が無い…」

絵里奈「あたしが飲んじゃった」

高彦 「ああ、絵里奈」

絵里奈「目の前に彼女が座ってるのに気がつかないの!」

高彦 「水が…」

絵里奈「水、水ってうるさいわね! のどが渇いてたのよ!」

高彦 「そんな季節じゃないだろ」

絵里奈「走ってきたのよ!」

   ウェートレスが水を持ってくる。高彦、ウェートレスの方を向く。

ウェートレス「ご注文がお決まりでしたら及び下さい」

   高彦、ウェートレスの方を向く。

高彦 「ありがとう」

絵里奈「…妬かせたつもり?」

高彦 「は?」

絵里奈「あたしはね、あんたが誰を見てても妬いたりしないわよ」

高彦 「そうか…」

   高彦、遠ざかっていくウェートレスの後ろ姿をじっと見る。その後、江里菜の顔を見る。

絵理奈、高彦の脛を蹴飛ばす。

高彦 「いてえっ!」

絵里奈「何やってんのよ!」

高彦 「すまん。みっともなかったな。つい確認してしまった」

絵里奈「…あたしは女の子に全くモテないあんたに同情してつきあってあげてるだけだからね。たとえあんたが目の前で他の女の子とキスしてても、平気でコーヒー飲み続けるわよ!」

高彦 「そうかい…」

   高彦、ノートにもどる。

高彦 「コーヒーが好きなんだな」

絵里奈「あんたよりもね」

高彦 「そうか…」

絵里奈「悪い?」

高彦 「コーヒーならおれも好きだ」

絵里奈、ウェートレスを呼ぶ。

絵里奈「コーヒー!」

高彦 「それだけでいいのか?」

絵里奈「ショートケーキとエクレアと、アイスミルクティーにプリンアラモード!」

ウェートレス「ご注文を繰り返します。コーヒーに、ホットケーキと、プリンアラモードとアイスレモンティーでございますね?」

絵里奈「違う! コーヒーに、アイスレモンティーとショートケーキと、プリンアラモードとエクレアと、ホットケーキだ!」

高彦 「さっきと違うぞ! しかも増えてる!」

絵里奈「ちゃんと自分で払うわよ!」

   高彦、ノートにもどる。

高彦 「…太るぞ」

絵里奈「…やっぱりコーヒー」

高彦 「おまえはもう少し太れ」

絵里奈「あたしにどうしろっていうのよ!」

高彦 「自分で決めろ」

絵里奈「(ウェートレスに)コーヒー!」

   絵理奈、高彦に向き直る。

絵里奈「あんたなんかより、コーヒーの方が好きだからね!」

高彦 「さっき聞いたぞ」

高彦、ノートにもどる。絵理奈、水を一口飲むと、高彦の水と入れ替える。ウェートレスがコーヒーを持ってくる。

絵里奈「あたし、ヒマなんだけど…」

高彦 「コーヒーでも飲んでろ。おれよりいいんだろ」

絵里奈「あんた、まだそんなことやってるの? だめねえ、そんなことじゃ…」

高彦 「気が散るから黙っててくれないか?」

   絵理奈、黙り込む。

下手側。マスターとウェートレスが話している。

マスター「あの男…、許せん」

ウェートレス「ほっといた方がいいんじゃ…」

マスター「あれじゃ、彼女がかわいそうだ」

ウェートレス「大きなお世話ですよ」

マスター「そうはいくか。おれの店に来た以上は、おれのルールに従ってもらう」

マスター、大股で上手に歩く。

マスター「お客さん、出ていってもらえませんか?」

高彦 「(驚いて)ぼくがですか?」

マスター「そうだ、おまえだ!」

高彦 「なんで…」

マスター「何が『黙っててくれ』だ! 雰囲気が壊れる!」

高彦 「ぼくは、勉強を…」

マスター「勉強って言えば何でも許されるとでも思ってるのか? おれはおまえのママじゃねえんだ!」

高彦 「それは、そうでしょうねえ…」

マスター「おまえのママは、おまえの言うことならなんでも聞くんだろうが! おまえみたいな甘ったれた奴は見たくない! すぐにこの店から消えろ!」

高彦 「そうですか…、絵理奈」

マスター「待て。出ていくのはおまえだけだ。金は要らないからすぐに出ていけ。おまえのこの子に対する態度は許せない」

高彦 「絵理奈…、おまえもそう思うか?」

絵里奈「(目をそらしながら)当たり前じゃないの!」

 高彦、荷物をまとめる。

マスター「フン。この子にはずいぶん横柄な口を聞いていたが、おれには何も言えないのか? 何が『コーヒーでも飲んでろ』だ! おれが淹れたコーヒーを何だと思ってる! この子はな、おまえよりコーヒーの方が好きなんだよ! (絵理奈を見て)こんな奴とは別れたほうがいいですよ」

高彦 「絵理奈、おまえもそう思うか?」

   マスター、高彦の胸倉をつかむ。

マスター「何を呼び捨てにしてやがる。おれに対する態度と同じにしろ!」

高彦 「由比藤さん…、ぼくとはもう会いたくないと思いますか?」

絵里奈「(高彦をまっすぐに見て)似たようなことを何回も聞くんじゃないわよ! あんたとはもう二度と会いたくない!」

高彦 「そうですか…。いままでありがとうございました」

絵里奈「いつまでもそこにいるんじゃない! うざくてきもいんだよ!」

   高彦、絵理奈に一礼する。マスターにも一礼する。

高彦 「ご迷惑をおかけしました…」

   高彦、上手に退場。

マスター、勝ち誇った表情で上手を見送る。

マスター「べそかいてやがった。全く、近ごろのガキは…」

マスター、振り返る。絵理奈、立ち上がってマスターにコップの水をあびせる。

マスター「何しやがる!」

絵里奈「こっちのセリフだ!」

マスター「おれは、あのガキに世間の厳しさを教えてやろうと…」

絵里奈「あいつはね、国立の医学部をうけるために勉強してたんだよ!」

マスター「どこを受けようが同じだ! デート中の女の子をほったらかしにしていいはがない!」

絵里奈「あたしと同じ大学の、同じ学部に入るために!」

マスター「えっ……」

絵里奈「それでもあたしはあいつを無理に呼び出した! それは…、ちょっとはかまってほしかったけど…。あいつが勉強しているところを見ていられるだけでもよかったのに!」

マスター「それは…知らなかったから…」

絵里奈「あんたに説明する必要がどこにある!」

マスター「だけどあんた、『お情けでつきあってあげてる』って…」

絵里奈「大きなお世話だ! あんたコーヒー屋だろう! コーヒー注文されたらコーヒー淹れて、コーヒー持って来ればいいんだよ!」

マスター「何だと! 喫茶店はコーヒー飲むためだけの場所じゃねえんだ! 多くの人が落ち着くことができる場所として…」

絵里奈「あたしがいま落ち着いてるように見えるか!」

マスター「見えません…」

ウェートレス「だからやめた方がいいって…。いい歳してそのへんの高校生よりガキなんだから…」

マスター「あの…、お代はいりませんから…」

絵里奈「ふざけるな! そんなことされたらあたしが因縁つけたみたいじゃないか!」

   絵理奈、伝票と一万円札を差し出す。

マスター「ありがとうございました…」

絵里奈「釣り!」

マスター「はいっ!」

絵里奈「早くしろ!」

マスター「(ウェートレスに)おいっ!」

絵里奈「何を横柄な口聞いてる! あたしに対する態度と同じにしろ!」

マスター「はい…」

   ウェートレス、釣りを持ってきて絵里奈に渡す。

マスター「しかし、これで終わりというわけには…」

絵里奈「当たり前だ! あたしの気持ちを落ち着かせろ!」

マスター「どうしたら…」

絵里奈「あいつを連れてこい…」

マスター「は?」

絵里奈「あいつを上機嫌にしてここに連れてこい!」

マスター「そんな…、どこにいるかもわからないのに…」

絵里奈「今すぐにだ!」

マスター「できるわけが…」

絵里奈「さっさと行け!」

   絵理奈、マスターにコップを投げつける。

マスター「はいっ!」

マスター、上手に向かって走る。退場。

    絵理奈、椅子にへたりこむ。

絵里奈「高彦…、もう会えないなんてうそだよね…」

    ライトが消える。

絵里奈「高彦…」

   間。

絵里奈「高彦…」

   間。

高彦 「いままでつきまとってすいませんでした…」

絵里奈「さっき言ったことは全部ウソで…」

高彦 「もう、あなたの前に立つことはありません…」

絵里奈「だから…、会いたくないなんて、全部ウソなの!」

高彦 「安心してください…」

絵里奈「ひとの話を聞け!」

高彦 「いい夢を見させてもらいました…」

絵里奈「だから…、あたしの話を聞いてよう…」

   間。

絵里奈「高彦…、どこに行ったの?」

間。

絵里奈「どこにいるの!」

   間。

絵里奈「本当にもう会えないの…」

   間。

絵里奈「高彦…」

   間。

絵里奈「高彦…」

 ライトが点く。


第四場

絵理奈「(勢いよく起き上がりながら)高彦! 」

   二場と同じ舞台。高彦、二場の終わりと同じ姿勢で立っている。

高彦 「どうした!」

絵理奈「(茫然としたように高彦を見上げる)高彦…」

高彦 「悪い夢でも見たのか?」

絵里奈、ふて腐れたように寝転がる。

高彦 「おいっ、二度寝できるような状況じゃないぞ」

絵里奈「あんたあたしが寝ている間に変なこととかしなかったでしょうね!」

高彦 「おまえは不寝番の任務を何だと思ってるんだ!」

   高彦、下手側を向いて鈴と康一郎を見る。

高彦 「この二人を起こそう」

鈴、康一郎の胸を枕にして、片足を康一郎の腹の上に乗せている。康一郎、左手を枕にして右手を鈴の首から胸にかけて巻き付けている。顔は二人とも客席側。幸せそう。

高彦 「なんか腹立ってきたな…」

   絵里奈、立ち上がる。

絵里奈「同感ね…」

高彦 「せーの、で行くぞ。せーの!」

   高彦、康一郎の、絵里奈、鈴の脇腹を踏む。

康一郎・鈴「ぐえっ!」

康一郎「あっ中隊長、先生、おはようござ…」

絵里奈「いつまで寝てる気よ!」

高彦 「おまえもさっきまで寝てただろうが」

絵里奈「あたしはお客さんだからいいのよ」

高彦 「そうか。ではお客さん抜きで話がある。従業員は集まれ」

上手から高彦、康一郎、鈴の順でテーブルにつく。絵里奈、高彦の上手側に立ったまま。ムッとしている。

高彦 「(康一郎・鈴に)昨夜連絡があった。日本人学校を護衛していた第二分隊が、民兵約400名に襲われた」

 絵里奈も驚いて高彦を見る。

高彦 「交戦規定のため、気づいていながらも手出しは出来ず、完全に包囲されてしまった。交戦の結果重軽傷者が十数名、隊員か民間人かわからないが死者も一人出た」

絵里奈「隊員に決まってるわ! あんたたちみたいなのが200人もいて、民間人を死なせるわけがないもの!」

康一郎「しかし、先生をそちらに合流させなかったのは正解でした」

鈴  「わかりませんよ…。先生がここに残らず、高橋二尉ではなく中隊長自ら第二分隊の指揮を執っていれば被害を出さずにすんだかもしれません」

   絵里奈、鈴を睨む。

高彦 「おれがここに残ったのは『本来任務』のためだ。絵里奈のためじゃない」

絵里奈、鼻を鳴らしてペットボトルの水をラッパ飲みする。

高彦 「今後の作戦だ。おれと三曹はここに残って本来任務を遂行する。ヘリが来しだい三尉は絵里奈とともにここを離れろ」

絵里奈「ちょっと高彦…」

康一郎「ヘリの時間は?」

高彦 「0600」

康一郎「二時間近くありますね…。その間に民兵の襲撃が」

高彦 「あるかもしれない。予想時刻は夜明け前、人間の集中力が最も切れやすい時間帯だ。だから体を慣らすためにこの時間に起床させた」

鈴  「待って下さい! 自分もここに残るべきでは…。先生はヘリの乗組員に任せればいいでしょう?」

高彦 「命令だ。理由は聞くな」

絵里奈「高彦!」

高彦 「(絵里奈に手を上げて制する)おまえには後で話す。井上三尉、手品の種が割れた以上おまえの任務は終わった。ご苦労だった」

絵里奈「(イライラしている)高彦、無視すんなあ!」

鈴  「(康一郎に)あんたはどう思うのよ」

康一郎「命令に従うべきです」

鈴  「そういう意味じゃないってわかってるでしょ!」

康一郎「このことについては昨日のうちに中隊長から内示を受けていた。…鈴」

絵里奈「(焦っている)高彦、人間が朝必ずやることは?」

高彦 「クイズなら後にしろ!」

康一郎「帰れ」

鈴  「あんた…」

康一郎「帰れ!」

鈴  「(康一郎を見据える)……やっかい払いがしたいみたいだけどおあいにく様。あたしが帰るのはあんたの家よ!」

康一郎「当たり前だ」

絵里奈「(キレている)高彦!」

高彦 「なっ、なんだ…」

絵里奈「(鬼の形相。やけくそ)おしっこ!」

高彦 「すまん! 井上三尉!」

絵里奈「昨日何があったか忘れたの! あんたが連れて行きなさい!」

高彦 「そんなことできるわけが…」

絵里奈「議論している時間はないの。もう限界なのよう…」

高彦 「何でさっさと言わなかった!」

絵里奈「さっきから五回も呼んだじゃないの! もう…ここでするわよ!」

絵里奈、パンツのふちに手をかける。三人とも立ち上がって慌てて背を向ける。絵里奈、高彦を怒鳴る。

絵里奈「あたし、一人じゃ恥をかかないからね! あんたのズボンにひっかけてやる!」

高彦、振り返って上手を見ながら絵里奈の手をつかんで早足で上手に歩く。「だから、女は丸裸でも女だが、男は身なりを整えてこそ男だと…」などと言いながら上手に退場。「あたしの裸なんて見たことないくせに」「おまえのことだとは…」「どこの女よ!」「一般論だ!」という声が聞こえてくる。鈴と康一郎、ポカンとして見送る。

鈴  「ねえ、あたし足手まとい?」

康一郎「そんなことはないさ。それよりすまんな」

鈴  「命令だもの。仕方がないわ。それよりちょっと付き合ってほしいんだけど」

康一郎「どこにだ?」

鈴  「(照れたように笑う)あたしもおしっこ」

康一郎「そっか」

鈴と康一郎、下手に退場。間。突然上手と下手から絵里奈と鈴の悲鳴。間。上手から絵里奈が高彦の耳を引っ張り、下手から鈴が康一郎の耳を引っ張って登場。舞台中央まで進み、女たちが顎で床を指す。男たちは並んで四つん這いになる。顔は客席側。鈴は康一郎の下手側、絵里奈は高彦の上手側から背中に乱暴に座る。

絵里奈「信じられない! 何で振り向くのよ!」

鈴  「あんたも同じよ!」

高彦 「こんな危険な場所でいきなり悲鳴を上げられたら振り向くだろうが! おれにとって何より大切なのはおまえのプライドとか羞恥心とかじゃなくて、おまえの安全なんだ!」

康一郎「尊厳よりも人命が大事なのは戦後日本の常識で…」

絵里奈「虫がいたのよ!」

鈴  「ここで日本の常識なんか通用しないわ!」

絵里奈「責任取らせるわよ!」

康一郎「保安隊か?」

絵里奈「あんたが行くのは、刑務所じゃなくて教会よ!」

高彦 「懺悔すれば許してくれるのか?」

絵里奈、高彦の髪をつかんで上を向かせて睨む。

絵里奈「調子に乗るな…」

高彦 「(苦しそうな顔)おまえ後悔しないのか? 『死が二人を分かつまで』っていうのは、言葉通りの意味だぜ」

絵里奈「わざわざそんなことを聞くこと自体が信じられない! それに今は『命の限り』って言うのよ!」

高彦 「わかった。もういいだろう。そこをどけ!」

絵里奈「本気で言ってるの?」

高彦 「当たり前だ!」

絵里奈「ウソね! あたしが本気のあんたに逆らえるわけがないでしょうが! こうして座っていられるってことは今のあんたは本気じゃ…」

康一郎・高彦「どけ!」

絵里奈と鈴が弾かれたように立とうとするのを、高彦と康一郎、腕を伸ばして相手の腹にまわしながら自分の体の下に入れる。爆発音。康一郎、客席側に走る。高彦、立つ。

康一郎「(客席を見ながら)敵襲! 民兵約400名。武装はカラシニコフ、拳銃、ボルト式小銃! 小火器のみ! 前方の林から突っこんでくる!」

高彦 「全員で来たのか。思ったより早かったな。作戦行動に入る! おれはここで小銃を撃って交戦する。三曹は鹵獲品のRPGを持って遮蔽物を利用して迂回。タイミングよく発射しろ!」

康一郎「意見具申! RPG7は無反動砲と言っても実質は対戦車ロケットです。貫通力はともかく、歩兵に対する効果は薄いかと」

高彦 「こけおどしでいい。敵の先鋒がここにたどり着いた所で撃て。一時でも撤退させればいい。(指さす)右翼は砂浜。正面は砂浜に海。左翼が林だ。遮蔽物になりそうな物は左翼にしかない。十字砲火だ。…行け!」

康一郎「レインジャー!」

   康一郎、走って上手に退場。

絵里奈「民兵…。女も子供もいるわね」

高彦 「カラシニコフ突撃銃は女でも子供でも扱えるほど整備がしやすい。女はともかく、子供は素直だ。『偉い人』に言われれば殺人だってやるだろう」

絵里奈「権威に弱いだけじゃない」

鈴と高彦、テーブルを前に倒してバリケードにする。高彦、テーブルを盾にして自動小銃を撃つ。フルオートの銃声。

鈴  「意見具申! 自分も左翼に進出します!」

高彦 「ここにいろ!」

鈴  「三曹が一人では危険です!」

高彦 「あいつはおまえを守りながら戦うことになる! かえって生存率が下がる!」

鈴  「三曹の任務はRPGを撃つことです!」

高彦 「おまえを見たら、無意識にでも守ろうとする!」

鈴  「三曹を援護します!」

鈴、拳銃の遊底を引いてホルスターに突っこむ。

高彦 「おい、暴発の危険が…」

鈴  「この方がすぐに撃てます!」

高彦 「絵里奈、おまえが止めろ!」

絵里奈「あたしはあんたの部下じゃ…」

高彦 「止めろ!」

鈴  「行きます!」

高彦 「そいつを止めろ、新条絵里奈!」

  絵里奈、鈴の前に立ちふさがる。

鈴  「どいて下さい!」

絵里奈「あんた好きな男の前でカッコつけたいだけでしょ! そんな理由で味方を危険に晒すつもり?」

鈴  「私が足手まといだって言いたいんですか!」

絵里奈「昨日からの様子を見たら誰でもそう思うでしょ! あんたは男を守るんじゃなくて男に甘やかされながら生きていくのがお似合いよ」

鈴  「先生だって分隊長を守ってないじゃないですか!」

絵里奈「不吉なことを言わないで。あいつがあたしを守るってことは、あいつが大けがしてるってことじゃないの!」

鈴  「独身の先生に何がわかるんですか!」

絵里奈「さっきあいつの苗字をもらったわ。あんたとは対等よ」

鈴  「あなたって、本当にもらうことしか考えてないんですね…。わたしは違います! もらったからには返しますよ!」

絵里奈「相手の都合も考えずに押しかけてきただけじゃないの!」

鈴  「あなたの分隊長への態度よりははるかにマシです。わたしはね…、男に甘えながら男にケンカを売る女が、いちばんむかつくんですよ!」

絵里奈、鈴を平手打ちにしようとする。鈴、それをかいくぐって上手に走る。退場。絵里奈、上手を向く。

絵里奈「待ちなさい!」

高彦 「止まれ!」

絵理奈、ビクッとして動きを止める。上手から三発の銃声。高彦、上手に退場。すぐに鈴の両二の腕をつかんで、仰向けの鈴の体を引きずって出てくる。中腰。

高彦 「スリーショットバーストだ。腹を三発撃たれた!」

絵里奈、鈴の体に取り付いて上着をまくり腹を露出させる。

絵里奈「一発は貫通。二発はまだ腹の中に残ってるわ…。この位置だと背骨は傷ついていないだろうけれど、大腸が傷ついたのはどうしようもない。雑菌が一気に横隔膜の中にあふれている。急速に感染してるわ」

高彦 「結論から言え! 助かるのか!」

絵里奈、高彦を見てはっきりと首を横に振る。高彦、無線機に取り付いてマイクに向かって怒鳴る。

高彦 「康一郎! 命令解除だ! …いいから戻れ!」

フルオートの銃声。「ウォー」という恐ろしげな声。

高彦 「ちっくしょお!」

高彦、バリケードまで走り、客席側に向かって撃つ。

鈴  「痛い…、痛い…、コウイチ、たすけて…」

高彦 「(絵里奈に)こいつが撃たれたのはおまえのせいじゃない。おれのせいだ」

絵里奈「わかってるわ…」

康一郎、上手から走って登場。鈴の上手側にしゃがむ。

康一郎「これは…」

絵里奈「腹を三発撃たれてるわ…」

康一郎「先生、お願いします、助けてやって下さい!」

絵里奈「無理よ! すぐにでも開いて感染を防がなけりゃならないけれど、手術室どころかメスの一本もないのよ!」

 康一郎、腰から銃剣を抜く。

康一郎「これで…」

絵里奈「バカ! 麻酔もなしでそんなもので開いたら、激痛でショック死するわよ!」

鈴  「痛い…、苦しい…、痛い…、なんとかして…、コウイチ、どこなの…」

康一郎「そうだ! モルヒネを打って下さい!」

絵里奈「そんなものを打ったらひどく体力を消耗するわ! 死期を早めるわよ!」

鈴  「痛い…、痛い…、コウイチ、あんたなら…」

康一郎「打って下さい!」

絵里奈「わたしは医者よ。良心にかけて打つべきだなんて言えないわ…」

康一郎、銃剣の背のカットソーを絵里奈の頸に押し当てる。

康一郎「あんたの良心なんか知るか! 打て!」

  高彦、振り返って小銃を康一郎に向ける。

高彦 「おい…、銃剣捨てろ!」

康一郎、高彦の小銃の射線に絵里奈の体がかぶるように銃剣を移動させる。高彦、銃口を康一郎の体に向ける。

康一郎「モルヒネ!」

高彦 「銃剣捨てろ! 二回目の警告が済んだ…。撃つ!」

絵里奈「持ってないわよ! ばか!」

康一郎、銃剣を下げる。高彦、小銃を構えたまま。

鈴  「痛い…。痛い…。いたい…。コウイチ、何かしてよ。何もしてくれないの…」

高彦 「三曹、命令だ。三尉を楽にしてやれ」

康一郎、銃剣を握り直す。絵里奈、高彦を睨む。

康一郎「先生。心臓ではなかなか上手くいかないと聞きました。頸動脈を切ればいいのでしょうか」

絵里奈「冗談じゃないわよ! あたしに人殺しの手伝いをさせるつもり! 結局あんたたちもただの野蛮人ね! 人を殺す訓練ばっかりしているときっとそうなるのよ!」

絵里奈、言いながら鈴の体を抱きかかえ、その頸に腕を巻き付ける。

鈴  「先に帰ってるわ…。あんたの家…」

  康一郎、右手の銃剣を水平にして差し出す。

康一郎「おれの女房だ。こいつはおれのものだ。だから最期は…」

絵里奈、さらに鈴の体を抱き寄せる。鈴の体が完全に康一郎に背を向ける。

鈴  「痛いよう…、やっぱり苦しいよう…」

絵里奈「なにが『おれのもの』よ! ただの男の支配欲じゃないの! この子の命はあんたのものなんかじゃない! この子のものでもない! 人は色んなものに生かされているのよ! 医者だろうが家族だろうが、命を奪う権利なんて誰にもないのよ!」

鈴  「やっぱり怖いよう…。コウイチ…、あんたはあたしを殺したりしないよね…」

康一郎、ナイフを床に置く。絵里奈、鈴の体を抱きしめたまま。康一郎、右手で鈴の右手を握る。

康一郎「当たり前だ。おれがおまえをこ」

康一郎、「おまえを」の「お」の辺りで左手で鈴のホルスターの拳銃をつかんで抜く。全く同じ語調で台詞をしゃべり、たとえ貫通しても決して絵里奈の体に射線がかぶらない位置から鈴の後頭部を素早く撃つ。銃声。鈴の体が一気に弛緩する。康一郎、台詞を途切れさせる。銃口が跳ね上がる(慣れない左手で撃ったため反動を押さえられなかったという演技)。銃を下ろして床に置き、そのまま立ち上がる。静寂。遠くから銃声。

絵里奈「人殺しぃ…」

高彦 「三曹、復命しろ」

康一郎「怖がらせずにすみました」

高彦 「殉職者に敬礼する!」

高彦と康一郎、上手側に移動。高彦、小銃を康一郎に渡す。二人、整列する。絵里奈、鈴の体を抱いたまま。二人に背を向けている。

高彦 「捧げぇぇ、銃!」

高彦、挙手の礼。康一郎、捧げ銃の礼。カチャッという音。直る。康一郎、小銃を高彦に返す。

高彦 「作戦を続行する! ここを抜かれたらおれたちは戦略目的そのものを失う!」

康一郎「レインジャー!」

  康一郎、上手に向かって走ろうとする。

絵里奈「ここにいてあげなさいよ! 女房が死んだのよ! 何か思うことはないの!」

  康一郎、立ち止まる。

康一郎「今の気持ちですか…。勝手に職場まで押しかけられることもない。いきなり危険な現場にとびこんで来られることもない。人の気持ちがわからない女にトラブルを多発されることもない。結局自分が手間をかけさせられることもない。こいつのいないそんな世の中が…(振り返って絵里奈を見る)ゲロが出そうなほど怖ええ! ……だから今は、こんな恐ろしい所にいたくない」

康一郎、上手に向かって走る。退場。高彦、バリケードに向かって走る。

高彦 「おまえがそいつのそばにいてやれ」

絵里奈、鈴の体を横たえさせる。目を閉じさせ、拳銃を胸の上に置く。高彦に背を向けて鈴のそばにしゃがむ。高彦、小銃を客席側に向けて撃つ。絵里奈、高彦に背を向けたまましゃべる。

絵里奈「この子が死んだのはあんたのせいよ。あんたが無責任に女を甘やかすからよ。あたしには言う資格がある。さんざん甘やかされたあげくひどくつらい思いをしたあたしならね!」

高彦 「死者の前だ。そんな話はやめろ」

絵里奈「どうせあんたのことだから、この子が康一郎さんのそばにどうしても行きたいって言ったのに流されたんでしょ! 何が手品の種だ! こんな所で女だけにされたあたしたちがどんなに怖かったか、あんたにわかる?」

高彦 「失礼だぞ。そいつはおまえとは違う。戦闘訓練を受けている」

絵里奈「女だけにされてあたしもこわかったけど、この子も怖がっていた。だけどあたしは、この子が用を足していて動けないのをわかっていながら、あんたの所に逃げ帰った! だけどこの子は、一言も言い訳をしなかった! あたしに言い訳ばっかりしているあんたよりずうっとマシよ! (間)もう、やめなさいよ! 数が違いすぎるわ…。どうせ勝てるわけないじゃない! ……お願いだからやめてよう!」

高彦 「まだ負けてはいない」

 高彦、絵里奈に振り返る。

高彦 「おまえが生きている」

高彦、小銃を捨て階段を駆け降りて無線機のマイクに取りつく。

高彦 「今だ…、3、2、1、てぇっ!」

民兵Aが客席から舞台までつっこんでくる。階段を昇るが爆発音とともに舞台の上でそのまま転がるように倒れる。持っていたボルト式の小銃を手から離す。小銃を取ろうと這う。高彦、小銃を蹴飛ばして拳銃を向ける。民兵、仰向けになる。

高彦 「今日死なないようにしていたんじゃなかったのか?」

民兵A「今日はおれの28の誕生日なんだ」

高彦 「おめでとうとでも言ってほしいのか?」

民兵A「長生きできたな…」

絵里奈、民兵に飛びかかって馬乗りになる。往復ビンタ。

絵里奈「あんたビンタっていうのは相手が受けるつもりがなけりゃ絶対に当たらないって言ったわね! よけてごらんよ! よけてごらんよ! くやしいでしょ、くやしいでしょ! くやしかったらジタバタしなさいよ! 何が『長生きできた』よ。『潔い』は『あきらめが早い』じゃなかったの! わたしは、生きるのを諦めた奴がいちばんむかつくの!」

   高彦、絵里奈の右腕をつかむ。

高彦 「やめろ。とっくに死んでる」

絵里奈「わかってる! さわるな人殺し!」

絵里奈、高彦の手を振り払って自分で立つ。高彦、小銃を拾う。民兵、目を開けたまま。無表情。康一郎が上手から登場。

高彦 「三曹、戦死者に敬礼する」

   高彦、小銃を康一郎に渡す。上手に並ぶ。

絵里奈「待ちなさいよ!」

高彦 「捧げぇぇ、銃!」

高彦、挙手の礼。康一郎、捧げ銃の礼。鈴に対するものと同じように、完璧な姿勢。直る。

絵里奈「この人を追いかけて日本からやってきた女と、あたしたちを殺そうとした奴と、同じ扱いなわけ?」

高彦 「生前の行いがどうであれ、死んでしまえば仏様だ。少なくとも俺たち日本人は、そういう文化の中で生きている」

絵里奈「あたしは日本の、そういう所が嫌なのよ!」

   康一郎、無線機のマイクを取る。

高彦 「どうだ」

康一郎「駄目です」

高彦 「受信スイッチを入れっぱなしにしとけ」

高彦、民兵の目を閉じさせ、脇にボルト式の小銃を置く。

高彦 「(絵里奈に)おれたちの『本来任務』は無理矢理にでも『交戦理由』を作ることだった。三曹が平服でここに潜入したのはそのためだ。命がけの任務になるだろうと思ったが、民兵が集団で一斉に攻撃してきたのは計算外だ。まさかこんな形でやることになるとは思わなかった」

絵里奈、何も言わない。

高彦 「三十分以内におまえを日本まで送り届ける」

絵里奈、首を振って半眼で高彦をちらりと見る。

高彦 「この国には海軍も空軍もない。あいつらは海の上には絶対に手出しできない。日本人学校襲撃の報を受けて、護衛艦『いずも』がアメリカとの陸海合同演習の予定を変えて、この国の領海ぎりぎりの所まで来ている。地球上のどこにいようが、自衛艦の中は国際法上の日本領だ。おまえの大嫌いな日本の法律と常識が支配している。今からそこにおまえを送る」

絵里奈「それが本当に嫌いなわけじゃないわよ! だけどあそこには、あたしが心を通わせられる人が誰もいないの!」

   ローター音。

高彦 「(康一郎に)民兵の様子はどうだ」

康一郎「林に隠れています。RPGを調達できたようです」

高彦 「(絵里奈に)このままではヘリが着陸できない。あらかじめ地上攻撃をする必要があるが、不可能だ」

絵里奈、何も言わない。

高彦 「さっきおれたちが攻撃してたじゃないかと言いたいかもしれないが、さっきのおれの射撃も、陽動と牽制が目的だ。ただの威嚇射撃、時間稼ぎだ。あの射撃で誰か死んだとは思えない」

絵里奈「自分は人殺しじゃないって言いたいの? そういうところが言い訳がましいのよ!」

高彦 「(民兵を見て)だからこいつが突っこんで来ることが出来た。『専守防衛』の『交戦規定』があるんだ。『正当防衛』か『緊急避難』のケースでなければ発砲できない。第二分隊もそれでやられた。あの陸時のヘリも、向こうが撃ってこないうちは撃てない」

   絵里奈、無線機をチラリと見る。

高彦 「無線なら爆風でイカレた。修理に一時間はかかる。さっきの状況を伝えることは不可能だ。さすがにヘリが飛んでいる以上は民兵たちも動けないだろうが、いつまでもこうしてはいられない。この建物なんかRPG一発でおしまいだ」

高彦、雑嚢から日章旗を取り出し、転がっていた竿にくくりつける。

絵里奈「何よ、それ。それを振ってヘリに『助けて~』とか叫ぶの? マヌケね」

高彦 「その必要があるんだ。自衛隊は名誉とか理念とか、正義とか理想とかそういう抽象的な概念を守ったりしない。もっと具体的なもの、それが間違っていようがいまいが、日本と日本人を守るための軍隊だ」

絵里奈「日本人はともかく、日本のどこが具体的なのよ。目にも見えなければ手で触ることもできないじゃないの!」

高彦 「おまえは日本なしでも生きられるんだろう。だけど、おれはそうじゃない」

高彦、竿を左手に持って絵里奈の下手側に立つ。

高彦 「目を閉じてくれないか…」

康一郎、絵里奈の背後まで行き、体ごと後ろを向く。

絵里奈「いやっ!」

高彦 「おれはずっとおまえの味方でいる。命ある限り…」

   高彦、にっこりと笑う。

高彦 「…『死が二人を分かつまで』」

高彦、踵を鳴らして絵里奈に対して敬礼する。絵里奈、横髪を耳の上に上げる。

絵里奈「何のつもりよ…」

高彦 「決まってるじゃねえか。日本を守るんだよ…」

高彦、くるりと客席側を向く。康一郎、体を半回転させて肩から絵里奈に体当たりをして突き倒す。俯せになった絵里奈の体に覆いかぶさる。高彦、舞台の中央階段をかけおりる。客席から退場。

俯せの絵里奈の体の上に同じく康一郎が腹這いになった状態。二人とも顔は客席側。

絵里奈「何するのよ!」

康一郎「交戦理由を作るんですよ。今から砂浜の真ん中で国旗を掲げた棒を地面に突き刺すのは日本人であることを示すため。戦闘服ではなく制服を着ているのは日本の自衛隊員であることを明らかにするため。最後に空に向けて一発だけ撃った拳銃を捨てるのは、撃たれるためです!」

絵里奈「離しなさい! あいつ何考えてるのよ! まだあたしの前でカッコつけたいの!」

康一郎「格好なんかつけられません! この作戦には『身なりを整えてこそ男』がポリシーの男にとってどうしようもなく惨めで、残酷で、屈辱的な死が必要なんです!」

   銃声。拳銃が地面に落ちる音。

絵里奈「は、離せ…。

    日本が…、桜川が…、あたしのふるさとが…、

    殺される!」

    自動小銃の一斉射の音。絵里奈、這って客席側に行こうとする。康一郎、それを無理矢理ひきもどす。

絵里奈「た、倒れ…。離せ…、日本が死ぬ。日本が死ぬ! あんた自衛官でしょう! 日本を守りなさいよ!」

康一郎「自分の日本は死にました。あなたの日本も死のうとしている。だけど中隊長の日本は、生きています!」

絵里奈「死んだんじゃないだろうが! 自分で殺したんじゃないか!」

康一郎「鈴を殺したのは紛れもなく自分です。しかし法律上はそうではない。中隊長は自分に銃を向け、命令であることを明言し、復命までさせました! 自分は命令に従っただけだと解釈されるでしょう。しかし中隊長は違う。自衛隊では旧軍のような部下への生殺与奪の権があるわけではない。作戦中の自衛隊員は地球上のどこにいても国内法に支配されています。新条高彦は日本に帰れば第一中隊長でも一等陸尉でも自衛官ですらない。ただの殺人犯です!」

絵里奈「あんたとあたしが黙ってればすむことでしょうが!」

康一郎「あんなバカ正直な人が、そんな嘘をつき通せるわけがないじゃないですか!」

絵里奈「う、うそつき…。ついてこいって言ったじゃない! ついてきていいって言ったじゃない! 連れて行ってくれるって言ったじゃない! あんた、あたしを守りに来ただけなの。迎えに来てくれたんじゃないの!」

康一郎「うそなんかついていません! 恋と戦争は自分で終わらせなくてはならないと。言葉通り、死が二人を分かつ『まで』と! あなたに後悔はしないかと念押しまでしました! 自分が息絶えた時この恋を終わらせると! つまりもう、二度とあなたを失いたくないんです!」

絵里奈「あいつがいつあたしを失くした! 出会ってから一秒の例外もなく、ずうっとあたしはあいつのものだ!」

神経に障りそうな甲高い笑い声。口笛。ヒューヒューと冷やかすような声。外国語らしい歓声。

絵里奈「あ、あいつら! 何してるのよ!」

康一郎「ソマリアの民兵も捕虜や敵兵の死体の衣服を全て剥ぎ取って街中を引きずり回しました…」

絵里奈「(狂おしく叫ぶ)陸上自衛隊…、あいつらぶち殺せえ!」

ローター音。絵里奈、客席側から上手奥へ顔を巡らせる。ローター音、だんだん低くなり、消える。

絵里奈「そんな…」

康一郎、いきなり上半身を上げて胸を絵里奈の顔に覆い被せる。破裂音、ゴーッという音。絵里奈、康一郎の体をこじ開けるように顔を出す。

絵里奈「今のは…」

康一郎「対地攻撃ヘリが林にナパーム弾を撃ちこみました。隠れている場所を燃やしてそこからあぶりだします」

外国語の悲鳴。ヒューという空気を切り裂くような音。爆発音。

絵里奈「これは…」

康一郎「127ミリ砲の砲声です」

絵里奈「大砲なんて、どこにも…」

康一郎「艦砲射撃です。20キロ以上向こうの沖合から撃っています。…とうとう始まる」

絵里奈「戦争…」

康一郎「そんなことにはなりませんよ。日本人にとって法なんてものはたいして大切なわけじゃない。我々という存在がそれを証明しています。日本人学校が襲われて死傷者が出て、同胞の屈辱的な姿を目の当たりにして、日本国民は交戦規定も専守防衛も放り捨ててしまった。これから起きるのは戦争なんかじゃない。虐殺です!」

 重機関銃の発射音。外国語の悲鳴、怒号。

康一郎「焼かれて草原に飛び出した素手の兵隊をヘリが上空からしつこく追い回す。海に飛び込んだ奴らにも容赦なく大口径の機銃弾をあびせている。文字通り血の海だ。あなたは見ない方がいい」

絵里奈「わたしが何人死なせてきたと思ってるのよ! あんたたちみたいな、自分の女の敵でさえ撃つのをためらうような奴らと違うわ!」

康一郎「しかし、地上の援護もなしにあんな低空を飛んで大丈夫か。RPGが…」

絵里奈「あれは…、ホバークラフト?」

康一郎「エルキャック…、『おおすみ』がここに?」

絵里奈「それは…」

康一郎「車両陸揚げ用ホバークラフトです。『おおすみ』は輸送艦です。病院船としても使えま…。あの二両は10式…」

絵里奈「戦車…」

   キャタピラの音。ヒューという音。爆発音。

絵里奈「跳ね返した!」

康一郎「バカめ…、RPG7なんていう貧乏兵器に、10式の前面装甲を破れるか!」

   キャタピラの音、大きくなる。

絵里奈「あいつの服を剥いでいた奴らを…」

康一郎「踏みつぶすだけのためにあんな最新鋭を…」

 何かが潰れるような音。砲声、銃声の喧噪。

康一郎「目を背けたくなるような惨状ですが、必要なことなんです! ここでは一人一人が勝手に戦う。隣りにいた奴が撃たれていったんは逃げても、相手に隙を見つけたら銃を取り出して撃つ。だから救命活動であれ何であれ、ここで行動するためには、武器を持った奴を一人残らず始末するしか…」

絵里奈「何よ。何よ、何よ、何よ! こんなの持ってるんだったら最初から出しなさいよ! どんなに頭の悪い奴でもこんな相手にケンカ売ろうだなんて考えないわ!」

康一郎「あなたは自衛隊の兵器など核兵器を使われればおしまいだと言っていた。ならば核を持っているアメリカやイギリス、中国ロシアがなぜ日本をそれなりに扱っているのかわかりますか? それは彼らがかつて、日本人を本気にさせたことがあるからです! しかし自衛隊はもともと戦うためではなく、戦わないための軍隊だ。これでもう戦わずにすみます。丸腰の日本人がこの国のどこを歩いていても誰も手を出さない。医療、衛生、食糧支援…、本当の意味での援助が可能に…」

絵里奈「この国の将来なんか、知るかあ! これを始めから出していれば、あの子も死なずにすんだ…。高彦もあんな目に遭わなかった!」

砲声と銃声がやむ。静寂。康一郎、絵里奈の体から自分の体をどける。絵里奈、すぐに立ち上がり客席に向かって走り出す。

絵里奈「高彦!」

絵里奈、舞台中央の階段をかけ下りて退場。康一郎、立ち上がって客席に向かう。しかし一度立ち止まって鈴の体を見る。一秒ほどの逡巡。顔を客席に向ける。階段をかけ下りて退場。

ローター音。間。突然無線機のランプが点く。以下の会話は無線機を通したもの。

操縦士「新条一尉を運び終わりました。すぐに離陸します!」

絵里奈「待って。まだ日本人の女の子の体が残ってるわ! こんな所に置いていたら何をされるか…」

康一郎「死体の回収は後回しでいいです。息がある方をすぐに…」

操縦士「了解!」

   ローター音、高くなる。

絵里奈「どこに向かってるの?」

操縦士「『いずも』です。新条一尉にあなたをお連れするように言われています」

絵里奈「『おおすみ』に行け!」

操縦士「ただの輸送艦です。手術室の設備が本土の国立大学病院なみだというだけで…」

絵里奈「『だけ』って何だ! そっちに行け!」

操縦士「女性用シャワールームはおろか、女子トイレさえもないんですよ!」

絵里奈「こいつを死なせるくらいだったら、どこででも垂れ流すわよ!」

操縦士「失礼ながら、部外者に言われて変更するわけには…」

絵里奈「あたしは自衛官だ!」

操縦士「そんなことは聞いてません」

絵里奈「陸上自衛隊医官、新条絵里奈二等陸尉! 認識番号G7206679!」

操縦士「本物だ…。しかしその番号の隊員の氏名は由比藤絵里奈だったんじゃ…」

康一郎「長くなるから説明は後だ!」

操縦士「わかりました。『UH60J・ブラックホーク』より『おおすみ』へ…。着艦許可を求める。重傷者あり。すぐに手術の準備を。それから手術室に一番近いトイレを女性専用に…」

絵里奈「余計なことに時間を使うな!」

操縦士「しかし『いずも』なら8分で行けますが『おおすみ』は少し遠い。10分かかります」

絵里奈「6分で行け!」

操縦士「わかりました…。5分で行きます。ゲロ吐かないで下さいよ!」

ローター音。爆音といえるほどに大きくなる。

   無線機から絵里奈の叫び声。(マイクを通した音)

絵里奈「そんな声であたしの名前を呼ぶなあっ! あんたは死なない…。終わりになんかならない…。(叫ぶ)終わりになんかさせてたま」

プツッと音が切れる。同時にランプが消える。

   間。

   康一郎、上手から登場。セットの前で話し出す。

康一郎「命を救えない医者と命を奪えない兵士の物語はこれでおしまい。ただ、新条高彦が息絶えたのはまぎれもなく『日本』であった。彼が最愛の恋人とともに日本の土を踏むことができたのか。それともそこは国際法上の日本領にすぎなかったのか。私は知っている。しかし今までこの二人を見てきたあなた方に、それを語る必要はないだろう。女は、恋した男にかつて捨てたつもりだった祖国を見た。男は恋した女を守ることが、遠い祖国を守るのと同じと信じた。それを知れば十分なはず。だからこれ以上を語らないままに、この物語を終わる」

緞帳がゆっくりと降りる。鈴と民兵Aの体を覆い隠す。


閉幕。

間。

緞帳が上がる。

カーテンコール(の一例。演出上舞台があまりにも陰惨に終わることを避けたい場合。無論割愛してもかまわない。すでに閉幕しているため物語の内容とは関係がない)

 中央の階段を除き、舞台上の大道具が綺麗に片づけられている。

 民兵A役の役者、下手から登場、客席に礼。

 鈴役、康一郎役の役者、上手から登場。客席に礼。

マスター、ウェートレス役の役者、下手から登場、客席に礼。

その他全員、フロアーに登場。客席に礼。

 高彦役の役者、後ろから体育館に入ってくる。客席に礼。一度体育館の外に出て絵里奈役の役者を伴って入ってくる。そのまま客席中央を通って舞台へ。高彦役、常装制服。絵里奈役、ウェディングドレスにベール、ブーケを持って登場。結婚行進曲。フロアーにいた全員、花道を造る。他の全員、拍手する。クラッカーを鳴らし、紙ふぶきを投げる。床まで降りた所で高彦役、正面に向かって挙手の礼。絵里奈役はその間、高彦役を寄り添うように見上げる。絵里奈役、客席にブーケを投げる。二人、正面を向いて礼。

 全員で横一列になって客席に礼。

 緞帳が降りる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ