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死が二人を分かつまで  作者: 恵梨奈孝彦
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第一場・二場

小説というより戯曲です。他のサイトにもあるのですが「オレンジ・ビーチ」の原形であるため、、ここにもアップします。「あなたが見えない」の高彦の台詞にあった、「高彦と康一郎が自衛隊員である世界観」です。「素直がいちばん」にも流用した場面があります。

「保育園落ちた日本死ね」と言っていた人がいました。これを書き上げたのはその発言よりもずっと前でしたが、「日本が死ぬ」とは、きっとこういうことなのでしょう。

「死が二人を分かつまで」


登場人物

絵里奈 白のパンツルック。スニーカー。

一場のみ高校の制服。

三場のみ白いミニのワンピースに素足にサンダル。

鈴   迷彩戦闘服。

高彦  陸上自衛隊常装制服。褐色のジャケットにスラックス。

一場・三場、高校の制服。

康一郎 紺のスーツ。

民兵A 黒の作業服のような、戦闘服のようなものを着用。

喫茶店のマスター 白ワイシャツ、スラックス、蝶ネクタイ。

ウェートレス 店の制服。

操縦士 声のみ。


開幕


第一場

  中央のみスポットライトが当たる。絵里奈、テーブルについて座っている。胸にカナリアの死骸を抱いている。しばらくの間。

  上手から高彦登場。スポットが当たる。パントマイムでノックをする。絵里奈、無反応。

高彦、もう一度ノックをする。絵里奈やはり無反応。高彦、パントマイムでゆっくりとドアを開けて下手に進む。丁寧にドアを閉める。

高彦 「会長…」

絵里奈、無言。無反応。

高彦 「会長!」

絵里奈「うるさい!」

高彦 「失礼しました…。しかし副会長たちが言っています。『生徒会室にカナリアの死骸を持ち込むのはやめてほしい』と…」

絵里奈「気持ち悪いって言ってるの? この子が? それともあたし?」

高彦 「会長…」

絵里奈「だいたいなんで自分で言いに来ないの? なんであたしが一年坊主に説教されなきゃならないのよ!」

高彦 「おれは、説教なんか…」

絵里奈「だったらメッセンジャーボーイ?」

高彦 「(ややムッとして)違います」

絵里奈「ならなんで自分が言えばあたしが言うことを聞くと思ったの? だいたいこの子は死んでなんかいないの! 眠ってるだけなのよ!」

   高彦、何も言わない。

絵里奈「あんたわからないの! さわってみなさいよ! ほら!」

高彦、下手に進む。ライトの明かりが一つになる。絵里奈からカナリアの死骸を受け取り、赤ん坊のように大切に抱える。

絵里奈「わかった?」

高彦 「はい」

絵里奈「だけどこの部屋は寒すぎる。このままじゃ冷たくなってしまう。高彦! ペットショップに行って『ひよこ電球』を買って来い! 一時間以内にもどれ!」

   高彦、カナリアを絵里奈に返し、にっこりと笑う。

高彦 「わかった。三十分以内にもどる。待ってろよ…、絵里奈!」

高彦、ドアを乱暴に開けて(パントマイム)上手に走る。退場。

絵里奈「(カナリアの死骸に頬ずりして)今までありがとう…。あたしはもう大丈夫よ。だって…、あいつがいるから」

絵里奈、カナリアの死骸を抱いたまま上手に向かって歩く。退場。

ライトが消える。

ナレーション「(絵里奈の声)あれから数年の月日が流れた。私は日本から一万五千キロ以上離れた遠い異国にいた。この国は三十年以上続いた内戦がようやく終結し、現在は停戦監視のために数カ国の軍隊が駐留している。そしてこの土地の復興を支援するために日本の自衛隊も派遣されていた。しかし内戦こそ終わったとはいえ、多くの人々が飢えに苦しみ、人心は荒廃し、国中に武器があふれ、政府に力はなく、治安は最悪だった。そしてわたしはある日、ついにこの国で最も危険な存在、『グレアナ民兵』に捕らえられてしまった」

 パッと照明がつく。

第二場

   屋内。舞台中央に民兵、上手側に絵里奈が向かい合って立っている。上手側にテーブル。その前で康一郎が正座している。

民兵A「この国には、日本に帰ったら滅多に見られないものがたくさんある。本物の鉄砲、本物の殺人、そして本物の死体!」

絵里奈「わたしはもともと日本に帰るつもりなんかないわ」

民兵A「なるほど。あんたが日本を捨てたのは悪くない判断だ」

絵里奈「おあいにく様。たとえ日本を捨てたとしても、この国を拾ったりしないわよ」

民兵A「……(康一郎を見て)そちらのお兄さんはどうだ?」

康一郎「何でも捨てるから命だけは助けて下さい…」

民兵A「おれはあんたの命がほしい」

康一郎「ひっ…」

民兵A「日本からの援助がこの国の特権階級を太らせている。庶民には何も回らない。しかし日本人をこの土地で無差別に殺せば援助が途絶える。独裁者が斃れる」

絵里奈「特権階級ね…、いやに流暢な日本語じゃないの。お母さんから教えてもらったの?」

民兵A「母はいない」

康一郎「ぼくにもいません…」

民兵A「父もいない。日本語は外国語として習った」

絵里奈「(ニヤリと笑う)わたしにもいないわ。別に珍しいことじゃない。それで同情してもらえるとでも思ったの? わたしは自分をこんな目に遭わせている奴がどんな境遇でも可哀相に思ったりしないわよ…」

民兵A「なぜ笑っている?」

絵里奈「恵まれているくせに不幸自慢をしている奴が面白くてね!」

   康一郎、ひどく傷ついたような顔をする。

康一郎「そんな…」

絵里奈「甘ったれるんじゃないわよ。この国で日本語を学べる所と言ったら、国立の上級学校しかないはずね。国のお金で勉強させてもらって何が特権階級の打倒よ!」

民兵A「独裁者の金を浪費させた」

絵里奈「国民の血税よ!」

民兵A「こんな田舎で外国語なんか何の役に立つ」

絵里奈「それが不幸自慢だって言ってるのよ! わたしは医者よ。この国に来て武器を持っている奴を全て憎むようになった。わたしたちが慎重に救い上げている命を簡単に奪う奴らを心から軽蔑している。そんなオモチャを振り回して自分が強くなったような気がしている奴を憐れんだりしないわ!」

民兵A「面白いな、おまえらは…」

   民兵、心から楽しそうな顔をする。

民兵A「面白い。本当に面白い。日本では不幸が自慢になるっていうのは本当だったんだな。(間)この土地の人間はもっと素朴で素直だ。不幸な奴は軽蔑される。貧乏人は馬鹿にされ、贅沢する奴ほど尊敬される。不幸が自慢になるっていったいどういう社会なんだ? 日本語と一緒に日本の文化史を習ったが、興味がつきない。(絵里奈を見て)おまえ、医者か。尊敬されてるんだな」

絵里奈「あんたと世間話をするつもりはないわ」

民兵A「医者ってのは職人なんだろ? 人の体を治すのが商売の」

絵里奈、民兵をギロリと睨む。民兵、そんな絵里奈を意外そうに見る。

民兵A「へえ、日本では職人が尊敬されるっていうが必ずしもそうではないわけだ。日本人も、アホウにしか見えない鳥をアホウドリと名づけたころの素直さが残ってるわけだな。この土地でも、外国語をしゃべる奴より、網の修理ができる職人のほうがはるかに役に立つが、それで尊敬されるわけじゃない。威張っている奴がえらい。赤くて派手な色がきれい。脂っこくて栄養価が高いものがうまい。そして…」

民兵、拳銃を抜いて康一郎に向ける。

民兵A「銃を持ってる奴が強い」

康一郎「ひっ…。殺さないでくれ…。何でもするから殺さないでくれ」

民兵A「残念ながら、おまえの利用価値は、日本人として死ぬ以外ないんだよ」

康一郎、手を組んで民兵を拝む。ちらりと下手を見る。

康一郎「命だけは…」

民兵A「だけどこちらのお姉さんには別の価値がある。ボスに差し出してもいい」 

民兵、絵理奈の腕をつかむ。絵理奈、手を振り払おうとする。民兵、康一郎に向けていた拳銃を絵理奈の顔に向ける。

民兵A「おれが食っちまってもいい」

絵理奈、民兵を睨む。民兵、面白そうに絵理奈を見ている。

鈴、下手から登場。自動小銃を民兵に向かって構える。

   絵理奈、勢いよく民兵の手を振り払う。

鈴  「手を挙げなさい!」

民兵、鈴の方を見ながら拳銃を持ったまま両手を挙げる。首を傾けている。緊張感はない。

高彦、民兵に近づいて拳銃を奪う。

民兵A「二人だけか。これがMOTTAINAI精神って奴か?」

絵里奈「勿体ないっていうのはね、絶対に食べ残しなんかしないことよ。食べられない人が世界中にいることを思い出して、自分の境遇に感謝することよ!」

民兵A「日本人が皿の上のものを食っても食わなくても、ここで餓死する奴は餓死する。それでおまえらがいいことをしたような気持ちになれるんだったら、意味があるが」

高彦 「建物の周囲を二百名で包囲している」

民兵A「ふん、プラフか?」

高彦 「外に出ればわかる」

   高彦、振り返って鈴を見る。

高彦 「送ってやれ」

   鈴、小銃を突きつけたまま民兵を促す。

民兵、高彦の顔にぺっと唾を吐きかける。鈴の前を歩く。二人とも下手に退場。

康一郎、正座を解いて立ち上がる。

照明が白になる。鈴と高彦が登場する前より明るい。

高彦、ポケットからハンカチを出して顔を拭う。冷静。絵理奈に向かって挙手の礼をする。高彦下手側、絵理奈上手側。

高彦 「『ボーダーレスドクターズ』の、外科の由比藤医師ですね。こちらでは主に防疫給水支援の活動をしていますが、臨時に邦人保護の任務につきました。陸上自衛隊第三十四普通科連隊、第一中隊長、一等陸尉新条高彦です。本来なら四分前に到着できたはずなんですが。申し訳ありません」

   絵里奈、そっぽを向いて腕組みをする。

高彦 「あの…、由比藤先生」

絵理奈、そっぽを向いたまま。表情に苛立ち。

高彦 「先生…」

絵里奈、高彦をギロリと横目で睨む。右手で根本を縛っていたゴムを外して髪をほどく。左手で横髪をかきあげて耳の上にもっていく。

高彦 「(困ったように)やはりあなたのことはこう呼ぶべきなのでしょうか。……久しぶりだな、絵里奈」

絵里奈「遅いわよバカッ! 相変わらず使えない奴だわね…。あんたが遅刻したせいであたしがどんなに嫌な思いをしたかわかってる?」

高彦 「さっき謝っただろうが…」

絵里奈「何よその態度! 反省が足りない!」

高彦 「とにかく陸自の宿営地まで送る」

絵里奈「いや」

高彦 「ここは危険だ。丸腰で歩けるような土地じゃない」

絵里奈「絶対いや! 武器を持っている奴は信用できないわ! あんたたちが腰にぶら下げているオモチャのせいで人が死ぬのをいやというほど見て来た。この土地が危険なのは、あんたたちみたいな奴らがいるからよ!」

高彦 「それはともかく、送らせてくれ」

絵里奈「今のあんたの世話になったら、あたしが修めた医学っていう学問への裏切りになるのよ!」

高彦 「たまには素直に言うことを聞け」

絵里奈「おあいにく様。あたしはあんたの部下じゃないわ。あんたが自衛隊で偉いのか偉くないのか知らないけど、あたしに関係ないことよ。それにあたしは、『素直』ってことが必ずしもいいことじゃない気がしてきたの!」

高彦 「(康一郎を見て)何かあったんですか?」

康一郎「素直なことは素直なことでしかない。いいことでも悪い事でもない」

絵里奈「偉そうに何を言ってるの? 命乞いしてたくせに」

康一郎「素直だから」

絵里奈「とにかく行かないからね!」

高彦 「おれを困らせるな!」

絵里奈「知らないわよそんなの! 武器を持ってる人間と一緒にいるのはいやだって言ってるでしょうが!」

   高彦、絵理奈の手を取る。

高彦 「とっとと来い!」

   絵里奈、しゃがんで体重を後ろにかける。

高彦 「子どもか、おまえは!」

   鈴、下手側から登場。

絵里奈「いや! 絶対いや!」

高彦 「いいからおまえは、黙っておれについてこい!」

絵里奈、立ち上がり、体を真っ直ぐにのばして高彦に食ってかかる。

絵里奈「あっ、あんた…、何様よ。あんたいったいあたしの何なの!」

   高彦、手を離す。

高彦 「おれはおまえの味方だ。どんな時でもな。それだけは忘れるな」

絵里奈「……味方」

鈴  「空や海と違って、陸には様々な人たちが入り組んだ状態で住んでいます。陸の上では、誰が味方で誰が敵かがわからなければ戦いようがありません。だからどの国の陸軍軍人も、まずそれを明らかにします。『我々』はあなたの味方です。それだけは覚えていて下さい」

   絵里奈、鈴をジロリと睨む。

絵里奈「誰?」

鈴  「陸上自衛隊、東部方面隊補給中隊所属、三等陸尉井上鈴です」

絵里奈「あんたに聞いてないわよ! 高彦! だれよこの人!」

高彦 「今言った通りだ。ちょうど宿営地に女性隊員がいたからついてきてもらった」

   絵里奈と鈴、対峙する。真ん中にいる高彦が居心地悪そうな顔をする。

鈴  「(絵里奈を見て)きれいな方ですね…」

高彦 「こいつはそんなことは言われ慣れてるぞ」

鈴  「よくご存じですね」

高彦 「高校がおなじなんだ」

鈴  「どこの高校ですか?」

高彦 「上陽学園櫻川高校」

鈴  「野球部がセンバツで優勝したり、夏に全国準優勝したりした?」

高彦 「そうだ」

絵里奈「(鈴を見て)可愛いじゃないの」

高彦 「(困ったように)そうか…、そうだな」

絵里奈「若いわね…」

高彦 「おれよりもさらに下だから、おまえから見たらすごく…」

絵里奈「余計なこと言うんじゃないわよ!」

康一郎「あの…、年下の男に呼び捨てにさせてるってことは…」

   絵里奈、鈴から視線を外し、顔を客席の方に向け、横眼で高彦をちらりと見る。

絵里奈「(わざとバカにしたように)告白はこいつからだったわ」

   高彦、バツの悪そうな顔をする。

高彦 「そのことは今はいいだろう。とにかく宿営地まで送る」

   鈴、高彦の方を見る。

鈴  「新条一尉、ちょっと…」

   鈴、やや下手に移動。高彦を呼び、小声で何事かを説明する。絵里奈、横眼で見てイライラしている。

   高彦、鈴を下手に残して絵里奈の所にもどる。

高彦 「状況が変わった。おれは『本来任務』のためにここに残る。おまえは部下に送らせる」

絵里奈「(心底心外そうに)ハァ?」

高彦 「近くの日本人学校が民兵に襲撃されるのではないかという情報が入った。中隊はこれより移動する。おれはここに残るからおまえは中隊といっしょに…」

絵里奈「いやだって言ったのが聞こえなかったの? あたしの仕事は命を救うことよ! 人殺しの集団に守られる覚えはないわ!」

鈴  「…どうしますか?」

高彦 「やむを得ない。自衛隊には邦人を強制的に移動させる権限はない」

   絵里奈、高彦を睨む。

鈴  「しかし、それが求められていなくても、邦人を守る義務があります」

高彦 「その通りだ。中隊を二個分隊に分ける。第一分隊はおれと井上、おれが直卒する。任務はここに残って民間人を保護することだ。残りの隊員全てで第二分隊を編成する。指揮は高橋二尉。日本人学校に急行し邦人を保護、宿営地まで護衛するのが任務だ。高橋に伝えろ。…いや、おれが言おう」

絵里奈「ちょっと、それじゃ…」

高彦 「おれはおまえを移動させることはできないが、残って守ることはできる」

絵里奈「…勝手にしなさい!」

高彦 「勝手にさせてもらうぞ」

   高彦、下手側に退場。絵里奈、目で追う。腰をもぞもぞさせる。

鈴  「(絵里奈に)分隊長に言い過ぎたと思っているのなら気にしなくてもいいです。自衛隊が守っている相手から罵倒されるなんて、よくあることです。分隊長もさっきみたいな反応には慣れていますよ」

絵里奈「余計なこと言うんじゃないわよ!」

   高彦、下手から登場。

絵里奈「高彦…、ちょっとその…」

   絵里奈、目が泳いでいる。腰をモゾモゾさせ、足をモジモジさせる。焦った表情。

高彦 「おまえ何か、荷物があるか? 小さくても」

絵里奈「ないわ」

高彦 「ポケットの中は…」

絵里奈「いま身体検査なんかしたら、絶対に許さないわよ!」

高彦 「カラか」

絵里奈「うん…」

高彦 「(鈴を見て)井上、頼む」

鈴  「は?」

高彦 「絵里奈に渡してくれ」

鈴  「何をですか?」

   康一郎、気まずそうに顔をそらす。

高彦 「雑嚢には何が入っている?」

鈴  「水、レーション、ナイフ、ライター、国旗、薬品、ティッシュペーパー…」

高彦 「渡せ」

鈴  「何をですか? 命令は明確にしていただかないと困ります」

高彦 「(やけ気味に叫ぶ)ティッシュを絵里奈に渡せ!」

   鈴、ポカンとしているが、雑嚢からティッシュを出して絵里奈に差し出す。高彦、鈴よりも下手側に移動。

鈴  「そういうことですか…はい」

   絵里奈、ひったくるようにティッシュを取る。

絵里奈「(鈴に)こんなことを男の人に言わせるなんて、最っ低!(高彦に)なんでこんな子を連れてきたのよ!」

高彦 「おまえの世話をさせるためだ」

絵里奈「あたしの面倒くらい自分で見なさいよ!」

鈴  「分隊長は部隊の指揮を執るのに集中しなければなりません。あなたにばかりかまっているわけには…」

高彦 「井上、言い方がある。絵里奈、男のおれではどうにもならないことがあるんだ。(鈴に)トイレなんていう気の利いたものはこの建物にはないだろうが、どこか適当な場所に連れていってやれ。警戒しろよ。その時も絶対に離れるな」

鈴  「はい」

絵里奈「いやよ。高彦、あんたが連れてって」

高彦 「正気かおまえは」

絵里奈「さっき、『おまえはおれについてくればいい』って言ったじゃないの!」

高彦 「変な意地をはるな。井上、何を言ってもかまわないからこいつを連れて行け」

鈴  「わかりました。(絵里奈に)…先生」

絵里奈「いやよ!」

鈴  「先生がここにいつまでいても、分隊長は動けません。先生が粗相するだけです」

絵里奈「あんた…」

鈴  「着替えなんかないですよ。失敗したいんですか?」

絵里奈、鈴をひと睨みすると、上手に歩き出す。

鈴  「待って下さい…」

   絵里奈と鈴、上手に退場。

高彦、ため息をひとつつくと、下手に顔を向けた康一郎を見る。

高彦 「おまえに話したいことがある」

康一郎「(振り向いて)はい」

高彦 「ここだとあの二人がいつ帰ってくるかわからない。場所を変えよう」

高彦と康一郎、上手に退場。

民兵、客席から登場。舞台中央のテーブルの下に隠れる。

絵里奈、上手から登場。

絵里奈「高彦…、いないの?」

民兵、テーブルから出て後ろから抱きつく。

絵里奈「きゃあああっ!」

民兵A「なかなかいい声で鳴く」

絵里奈、振り返って平手打ちにしようとする。民兵、絵里奈の手首を空中でつかみ、強引に引き寄せる。そのまま頭突き。

民兵A「ビンタっていうのはな…」

頭突き。

民兵A「相手が受けるつもりがなけりゃ…」

頭突き。絵里奈の膝が床につく。

民兵A「絶対に当たらないんだよ…」

腰投げ。絵里奈、仰向けに倒れる。

民兵、絵里奈にのしかかる。

高彦「貴様!」

高彦、上手から民兵に向かって走る。民兵の襟をつかんで引き起こし、右手で拳を握って後ろに引く。民兵、その間かまわずに拳銃を抜いて遊底を引く。高彦の顔に向けて発砲、銃声。高彦、間一髪で客席側に顔を避けるが左手を離してしまう。腰のホルスターから拳銃を抜く。

民兵A「ローレディー」

民兵、立ち上がって絵里奈の近くの床に向かって発砲。銃声。

絵里奈「ひっ…」

民兵A「やれ!」

高彦 「く…」

高彦、銃口を下げる。民兵、倒れている絵里奈に照準をつけたままゆっくりと下手側に後ずさる。

高彦 「女をこんな風に扱ってると長生きできないぞ…」

民兵A「この土地ではだれでも長生きなんかより、今日死なないことに必死なんだ」

民兵、下手端まで来るとくるりと後ろを向き、走って退場。高彦、遊底を引いて下手側に発砲。銃声。鈴、小銃をかかえたまま上手から登場。

鈴  「どうしたんですか? いま銃声が…」

高彦 「井上! どういうことだ! なぜこいつを一人にした!」

鈴  「自分も用を足したくなりまして、ここならば誰かいると思ったので、先に行ってもらいました…」

高彦 「貴様…」

絵里奈「だから言ったじゃないの! 何なの、この子は!」

高彦、銃をしまって絵里奈に右手を伸ばす。絵里奈、無視して自分で立ち上がる。

絵里奈「そんなものを握った手であたしに触らないでちょうだい!」

   康一郎、無線機を抱えながら上手側から登場。

康一郎「何でおれがこんなクソ重いものを…」

康一郎、無線機をテーブルに置く。セットしながら言う。

康一郎「何だか空気がおかしいですね。どうしました?」

鈴  「あなたに説明する必要はありません」

康一郎「なるほど、こちらの先生を危険な目に会わせて叱られているわけですか…」

   康一郎、ヘラヘラ笑いながら絵里奈に言う。

康一郎「先生、良かったら僕がおトイレまでエスコートしますよ」

絵里奈「死になさい」

康一郎「(真顔で)確かにぼくが死んでも悲しむ人はいません。家族がいない」

絵里奈「それがどうしたって言うのよ。この土地では両親揃っている子どもの方がはるかに少ない。わたしは医者よ。安易に『死ぬ』とか甘えてる奴を見ると虫唾が走るわ!」

康一郎、ひどく傷ついた顔をする。しかしまたヘラヘラ笑って鈴に近づく。

康一郎「そちらのお嬢さんはどうです?」

鈴  「死ね」

康一郎「まあそう言わずに。こんな場所で知り合うのも何かの縁です。お近づきになりたいですね」

康一郎、馴れ馴れしい感じで鈴の肩にポンと手を置く。鈴、目をつぶって乱暴に康一郎の手を振り払う。

康一郎「照れてるんですか? ぼくはこれでも名の知れた商社に勤めてるんですよ。自衛隊員の給料なんか安いものでしょ。満更でもないのでは? 責任は取りますよ」

鈴、左手に小銃を持ったまま右手で康一郎を平手打ちにする。康一郎、舞台奥に下がる。鈴、上手に歩きながら右手の甲、右手の平を使って康一郎の顔を打ち続ける。

康一郎「ちょっと…、待って…、待ってくだ…」

   康一郎、舞台奥で尻もちをつく。

康一郎「(泣きそうな声で)こ…、このアマ! 自衛隊員風情が…、おれにこんなことをしてただですむと…」

康一郎、腰からナイフ(銃剣)を抜く。鈴、小銃を康一郎に突きつける。康一郎、ナイフを床に置く。

鈴  「…思ってるわ。あんたが何様か知らないけどね。商社の名前なんかここでは何の価値もないわよ」

絵里奈「ちょっと高彦、あれ…」

高彦 「バカバカしい」

絵里奈「えっ…何て?」

   民兵、客席に出現。舞台に少しずつ向かう。

高彦、拳銃を抜いて絵里奈に向ける。人差し指をトリガーガードに入れずにピンと伸ばす。

高彦 「バカバカしい、と言った」

絵里奈「あんた、何を…」

 絵里奈、横髪をかきあげて耳に乗せる。

高彦 「何でおまえらみたいな奴らを守らなきゃならんのだ。おれたちは何なんだ? 税金泥棒だの、平和の敵だの、勝手なことばかり抜かしやがって」

民兵、客席で椅子にひっかかって倒す。ガタッという音。高彦、一瞬絵里奈から視線を外し、客席側をちらりと見る。高彦、ゆっくりと絵里奈の上手側を通って客席側に回る。

絵里奈「そういう人達も守るのが自衛隊でしょ」

高彦 「おまえはおれに一番言ってはならないことを言った。銃を汚いもののように扱った」

絵里奈「人殺しの道具じゃないの」

高彦 「違う! これは身分の象徴なんだ!」

絵里奈「議員バッジ? ただのオモチャね」

高彦 「殺傷力はある」

絵里奈「道具がなければなんにもできないの? 自衛隊の武器なんか、核兵器を使われれば一発でおしまいなのに!」

高彦 「おれはおまえらみたいな奴から、多くの危険からたくさんの命を救った隊の名誉と、武装救助隊としての理念を守らなければならない。おまえをここで射殺する。ここじゃ死体なんか珍しくない。外に放り出しておけばすむ。」

絵里奈「『武装』と『救助』が矛盾していることがわからないくらい頭が悪いの?」

客席から民兵の声。

民兵A「おまえがさっきから守っているのは名誉なんかじゃない…、理念なんかじゃない…、そんな高尚なものじゃない…、もっとくだらないものだ…、もっとありふれたものだ…、そのへんにいくらでもゴロゴロしてるものだ…」

高彦 「うるせえ…」

民兵A「そこにいるバカ女の頭と腹だ!」

民兵、拳銃をかまえて舞台中央の階段を途中まで昇る。

高彦、客席側に振り向く。民兵、上手側に手を伸ばして発砲。銃声。

民兵A「銃を置け」

高彦、ゆっくりと腰を下げて銃を床に置く。その後ろで絵里奈が高彦の背中に隠れながら同時に姿勢を低くする。高彦、床にしゃがむ。絵理奈、そのうしろにしゃがむ。高彦の背、まっすぐのびている。絵里奈の背、前に傾いて高彦に張り付いている。顔は二人とも客席側。絵理奈、高彦の脹脛をたたく。

絵里奈「どうすんのよ! バレたじゃないの!」

高彦 「てめえ…、わかっててやってたな!」

絵里奈「あんたがあたしを裏切るなんていうくっだらない話を信じるくらいだったら、三分後に地球が爆発するっていう方を信じるわ! だいたいあんた、引き金に指もかけてなかったじゃないの! あたしに銃を向けるのがそんなに怖いの!」

高彦 「当たり前だ! 暴発したらどうする!」

民兵A「やっぱり面白いよ、おまえらは」

高彦 「やっぱり来たのか。しつこい奴だ…」

民兵A「日本語の『潔い』はおれが母親から習った言葉には『あきらめが早い』としか訳せない」

絵里奈「あんたさっき、こいつに見逃してもらってたじゃないの。こんな恥ずかしいことをして平気だなんて、わたしには理解できないわ!」

民兵A「この世に自分に理解できないことなんていくらでもあると誰でも思う。しかし日本人のお医者サマは違うらしい」

絵里奈「何人でもいい。医者として、あんたたちよりはるかにこの国の人たちのために役に立てた。感謝されてもされなくても、正しいことをしたと信じてるわ!」

民兵A「イワシの頭」

絵里奈「はぁ?」

民兵A「何を信じても自由だ」

鈴、銃を舞台奥に向けたまま体を客席に向け、顔を客席側に向ける。

高彦 「(鈴に)撃つな! おまえにこの距離は無理だ!」

絵里奈「……高彦」

高彦 「(絵理奈に)おれが撃たれても絶対に飛び出すな」

絵里奈「あんたは…」

高彦 「おれの死体を盾にしろ」

絵里奈「あたしが…」

   絵里奈、床の高彦の銃を取る。

絵里奈「守る!」

絵里奈、高彦の背中に隠れながら民兵に銃口を向けて引き金を引く。弾が出ない。茫然としたように銃を見る。高彦、絵理奈から銃をひったくる。

高彦 「井上!」

鈴  「はい!」

高彦 「やれ!」

鈴、銃口を上にしてセレクターレバーを動かし、安全装置を外す。康一郎、立ち上がって左手でバレルジャケットをつかみ、鈴から銃を奪う。同時に右手で鈴の肩を押さえる。鈴、思わず両手を見る。そのまま康一郎の足元に跪く。康一郎、銃を水平にして右手でコッキングハンドルを手前に引く。ジャカッという金属音。左足を前に出し、体を半身にさせるが顔はまっすぐに客席を向く。床尾板を肩に当て、銃をほぼ水平、少し銃口を下に構える。高彦、ずるりと尻餅をつく。康一郎、ニヤリと笑う。発砲、銃声。民兵、右手の肘を勢いよく上に曲げて銃を後ろに放る(銃を弾き飛ばされたという芝居)。

民兵A「いったい何をやってるんだ…」

康一郎、銃床を右手で握り、銃身の先を肩にのせ、バレルジャケットで首をぴたぴた叩きながらゆっくり客席に向かって歩く。背をまげる。体を揺らして歩く。

康一郎「フン、いきなり尻餅なんかつくから、外しちまったぜ」

絵里奈と高彦の上手側を通り、高彦に対峙する形でくるりと舞台奥に向く。

康一郎、斜に構えながら銃口を舞台奥に向ける。高彦、康一郎を睨む。

鈴、立ち上がってくるりと客席側を向く。腰の拳銃を抜いて客席に向ける。ゆっくりと客席側に向かって歩く。康一郎、やや上手側を向く

康一郎「動くな!」

   鈴、無視して歩き続ける。

康一郎「来るんじゃねえ! 死ぬぞ!」

鈴、絵里奈と高彦の上手側を通る。康一郎、銃口を下す。

鈴  「ナメるんじゃないわよ…。これは幹部用9ミリ拳銃。軍事国家スイスの設計思想と日本の工業生産技術が融合した芸術品。そこまで行かせてもらうわ」

康一郎「来るなあ…。(苦渋に満ちた表情)来ないでくれ…。来ないでください…」

鈴  「この距離なら外すはずがない…」

   康一郎の上手側を通ってさらに客席側に進む。

鈴  「だから…」

鈴、康一郎の後ろに立つ。上手で椅子が倒れる。ガタッという音。

鈴  「あんたが後ろに立っている時の、あたしは無敵!」

   鈴、民兵に向かって拳銃を構える。同時に康一郎、上手に小銃を構える。高彦と対峙していた時とは違い、背がピンと伸びた完璧な射撃姿勢。同時に銃の部品のこすれるガチャッという音。

民兵A「本当におまえらは面白い」

康一郎「(顔だけを客席に向けて、鈴に)手間かけさせないで下さいよ…」

鈴  「(客席を向いたまま)あんたはあたしを守る義務があるはずよ。自衛官としても…(銃をかまえたまま、顎を引いて左側に傾ける。上半身を舞台奥に向ける)一家の主としてもね!」

民兵、鈴が後ろを向くと同時に腰のベルトで背中に挟んでいた小型拳銃(始めから客席から見えていてもよい)を抜く。右足を前に出して鈴に向かって構えようとした瞬間、康一郎が腰を半回転させて肩で鈴の体に体当たりし、突き倒す。そのまま仰向けになった鈴の顔と上半身に覆いかぶさる。康一郎が体当たりをした時点で高彦は拳銃の遊底を引く。ジャカッという音。撃鉄を起こす。同時に尻餅の姿勢から座撃ちの姿勢になる。康一郎が覆いかぶさると同時に客席側に向かって発砲。銃声。民兵、銃を弾き飛ばされる。

民兵A「くっ…」

民兵、くるりと後ろを向いて客席に退場。

高彦と絵里奈、しばらく肩で息をしている。高彦、いきなり立ち上がって振り返り、絵里奈を怒鳴る。

高彦 「人殺しなんかキチガイのすることだ。おまえみたいなやさしい女のすることじゃねえ!」

 絵里奈も立ち上がる。高彦を睨む。

絵里奈「おあいにく様! あたしがやさしいのは自分の敵に対してだけ。(鈴をちらりと見る)あんたの敵に対しては、躊躇も容赦も存在しないわ!」

高彦 「これでおまえは、あいつらの敵になった! 中立の医師としての権利がなくなったんだぞ!」

絵里奈「そんなもの最初からなかったわ!」

高彦、無線機の所まで行き、マイクを取って話し始める。

高彦 「はい…、異例なことだとはわかってますが…、…………いえ、本人は自分が説得、いや必ず承服させます……。………ありがとうございました」

絵里奈、その間ずっと高彦を睨んでいる。康一郎、立つ。鈴、当然のように康一郎に向かって右手を伸ばす。康一郎、鈴の手を取って引き寄せる。

康一郎「(小声で)手間かけさせるなって言ったろ…」

康一郎、左手で拳を握り鈴のおでこに軽く合わせる。

鈴  「(額に手を当てて大げさに言う)ぶったあ! 家庭内暴力だ!」

 高彦、無線のそばから絵里奈の側に戻る。

絵里奈「一家の主っていうのは…」

高彦 「おまえみたいなフェミニストばっかりじゃない。配偶者をそう呼びたい女もいる」

絵里奈「そういうことじゃなくて、この二人の関係よ!」

鈴  「プロポーズはこいつからでした…」

絵里奈「あんたに聞いてないわよ!」

高彦 「夫婦だ。じゃなきゃあんなことさせられるか」

絵里奈「(康一郎に)あなた…、自衛隊員なのね」

康一郎「三等陸曹井上康一郎。新条一尉の中隊に所属しています」

高彦 「備品の無線機を民間人に運ばせるわけがないだろ。『本来任務』のために平服でここに潜入させたんだ。民兵に日本語がわかる奴がいたから手品に使えるかと思った。井上三尉は手品の種だ。この二人にわざと仲違いをさせてこちらに隙があるように見せかける。たいしたコンビネーションだ。三曹はまだ手品を続けたかったようだが、罵られるより罵る方が耐えられなかった」

絵里奈「当たり前じゃないの」

康一郎、舞台奥まで行って床の上の銃剣を拾って腰に差す。

鈴  「ここに来て正座しなさい」

康一郎「ハンドル引かなきゃタマなんか出るわけないのに、わざわざロックまでかけて…」

   康一郎、ブツブツ言いながら下手に来て鈴の前で正座。鈴、康一郎の髪をつかんで前に引っ張る。康一郎、四つんばい。鈴、その背中の上にどっかと座る。足首を膝の上に乗せる。

康一郎「おいっ…」

鈴  「当たり前よ。暴発したらどうすんのよ…」

康一郎「ギリギリ間に合ったけど、あれじゃいざという時役に立ちませんよ…」

鈴  「そんなことより、よくもあたしにあんなこと言わせたわね…。自分のセリフに心が張り裂けそうだったわ!」

康一郎「そんなにナイーブな人とは知りませんでした」

鈴  「あたしにあんなことを言わせながら、あんたは生きてる…」

康一郎「死んでほしかったんですか?」

鈴  「あんたに『死ね』って言われたら…、あたしは! どんなに怖くたって死ぬしかないのよ!」

絵里奈「なんだかあの様子だと、あたしだけ悪者になってない?」

高彦 「おまえは、おれ以外の男には、そういうことを気にするんだな…」

絵里奈「(高彦を無視して康一郎に)本当のことを教えてちょうだい。あなたに家族はいるの?」

康一郎「勿論います」

絵里奈「(ホッとして)そうなんだ…。今どこで何をしてるの?」

康一郎「背中の上でスネてます…」

絵里奈「なんだかバカバカしくなってきたわ…」

高彦 「さっきそう言ったろ」

絵里奈「もう一つ聞きたいんだけど…。なんであいつを撃たなかったの? どうして?」

高彦 「作戦中の自衛隊員は現地の法ではなく、戦時国際法の制限をのぞけば日本の国内法にのみ支配される。『専守防衛』の交戦規定があるんだ。奴は隊員に向かって撃っていない。銃を弾きとばしたのでさえギリギリの拡大解釈だ。自衛隊員は常に法律を守るように教育されている」

絵里奈「何が『法律を守る』だ! 自衛隊そのものが違法じゃないか!」

高彦 「それだけじゃない!」

絵里奈「なに!」

高彦 「おまえの前で人殺しなんかできるか!」

絵里奈「なぜ!」

高彦 「は…恥ずかしいからだ!」

絵里奈「あんた昔からあたしの前だと無駄にカッコつけたわね」

高彦 「こんな時男がカッコつけてないと、女が不安になるからだ」

絵里奈「そのためならば、負けてもいいと?」

   絵里奈、高彦を平手打ちにする。

絵里奈「あんた…、まさかわかってないの? あんたが負けたらあたしは死ぬのよ!」

絵里奈、高彦の襟をつかんで揺さぶる。高彦、客席側に顔を向けて目をそらす。

絵里奈「任務のためなら殺人さえも覚悟するのが軍人でしょう? そのために銃を提げてるんでしょう? それがないんだったら…、その軍服脱ぎなさい!」

   絵里奈、高彦のジャケットに手をかける。

高彦 「やめろ…女は丸裸でも女だが、男は身なりを整えてこそ男だ」

絵里奈「ねえ。何で自衛隊に入ったの? あんたみたいなやさしい男が、一羽のカナリアの命のためにペットショップを三軒も四軒もまわって、しまいには自転車で隣の市にまで行ったあんたが、なぜこんな所で銃なんか撃ってるの?」

高彦 「おれはおまえにフラれて、おまえが命を救うのなら人殺しになろうと思った。おまえが誰からも尊敬されるのなら、おれはおまえに軽蔑されようと思った。よく『最後まであきらめるな』と言う。確かに試験やスポーツの試合ならいつが最後なのかを他人が決めてくれる。だけど、戦争と恋愛の最後は自分で決めなければならない」

絵里奈「待ちなさい! いつあたしがあんたをフッた。何年、何時何分、地球が何回まわった時!」

高彦 「子供かおまえは」

絵里奈「いいから答えろ!」

高彦 「おまえおれに向かって、『二度と会いたくない』って言ったじゃねえか!」

絵里奈「だからって、何で全く連絡よこさないんだ!」

絵里奈、ジャンプして高彦の髪をつかんで思い切り下げる。高彦、床の上に四つん這いになる。絵里奈、高彦の背にどっかと腰を下ろす。

高彦 「だったら、そっちから連絡してくればよかったじゃねえか!」

絵里奈「そんなことできるわけないでしょ!」

高彦 「なんで!」

絵里奈「女の意地よ!」

高彦 「なんだそりゃ、意味がわからん!」

絵理奈「それにあんた、『おまえは待ってればいい』って言ったじゃないの!」

高彦 「おまえ、そんなつもりだったのか? おれは本気でフラレたと…」

絵里奈「ちっとくらい女が拗ねたからってなぁ、大の男が本気になるな!」

高彦 「『本気』のニュアンスが何かちがうぞ…」

絵里奈「しかもいきなり防衛大なんか行きやがって! それきり桜川に帰ってこないし…」

高彦 「桜川では楽しかったな…」

絵里奈「昔話なんかしたくないわ。だからあたしは、自衛隊が嫌い。あたしからあんたを奪ったから。だから再会した時にあんたが制服を着ていたら、思い切り拗ねて甘えて困らせてやろうと思った!」

高彦 「おまえはもう自衛隊員だ」

   絵里奈、高彦の背からいきなり立ち上がる。

絵里奈「どういうことよ! 入隊したおぼえはないわ!」

   高彦、立って絵里奈を見る。

高彦 「階級は二等陸尉。戦闘員ではなく医官、つまり軍医だ。認識番号はG7206679。必ず暗記しろ」

絵里奈「ひとの話を聞け!」

高彦 「おまえはさっき民兵に向かって発砲しようとした。中立の権利がなくなった。民間人として保護してもらうことはもう期待できない。しかし軍人であれば捕虜として扱われる可能性が全くないでもない。万一民兵に投降しなければならなくなったら、姓名と階級、認識番号を必ず言え」

絵里奈「あいつらが降伏なんか認めるわけないじゃないの! それができたらわざわざ自衛隊なんかの世話にならなくてもすむわ! あんたあたしを守りきる自信がないの!」

高彦 「自分の認識番号は?」

絵里奈「自信がないからこんなことを言い出すのよ!」

高彦 「認識番号だ」

絵里奈「命に代えてもおまえを守るって言え!」

高彦 「認識番号!」

   絵里奈、答えにつまる。

高彦 「腕立て伏せ10回!」

絵里奈「やらないわよバカバカしい!」

高彦 「さっさとやれ!」

絵里奈「あたしはあんたの部下じゃないわよ!」

高彦 「これだけは別だ。おまえの命がかかってるんだ。戦闘行為をした者が捕らえられて認識番号が言えなかった場合、どこの国でも戦犯として処刑してよいと、ハーグ陸戦協定で定められている」

絵里奈「絶対いやっ!」

高彦 「由比藤!」

絵里奈「なに、それが罰なの? あんたに苗字で呼ばれるのだけはいやあっ!」

高彦 「けじめなんだ。由比藤二尉、やれ!」

絵里奈「いやっ!」

高彦 「絵里奈!」

絵里奈「最初っからそう呼びなさいよ! めんどくさい奴だわね…」

   絵里奈、腕立て伏せを始める。

鈴  「(絵里奈を見て)どっちが…」

絵里奈、腕立て伏せをしながら鈴を睨む。鈴、目をそらす。

絵里奈「(立ち上がりながら)やったわよ…」

高彦 「階級は二等陸尉、英語ならルーテナントだ。認識番号はG7206679。番号を復唱しろ」

絵里奈「G7206679…」

高彦 「それに階級と氏名を言えばいい。いつでも言えるようにしろ。抜き打ちで聞くからな」

絵里奈「うん…。ねえ高彦、あんた一つ忘れてることがあるんじゃないの?」

高彦 「何だ」

絵里奈「あたしは罰を受けたわ。(鈴を指す)この子はどうなのよ!」

康一郎、鈴の腰を軽くタップする。鈴、立ち上がる。康一郎も立つ。

高彦 「そうだったな…。井上三尉、腕立て伏せを…」

絵里奈「待ちなさい! あたしはこの子のせいでひどく屈辱的な目に遭った。そんなまともな罰じゃ納得できないわ! もっと屈辱的な罰じゃなきゃいや!」

高彦 「そんなことできるわけないだろうが…」

絵里奈「あの時あんたがもどってくるのがほんの少しでも遅かったら、あたしは何をされたかわからないのよ!」

高彦 「おまえはおれを懲戒免職にしたいのか!」

絵里奈「自衛隊をクビになってもあんた一人くらいあたしが食べさせてあげるわよ! 日本に帰れば、あんたとあたしじゃ収入が違いすぎるしね!」

高彦、黙り込む。気まずい沈黙。絵里奈が焦って口を開こうとしたところで高彦が言う。

高彦 「そうだな」

   気まずい沈黙。絵里奈、高彦を睨む。

   高彦、絵里奈に背を向けて下手を向く。

高彦 「おれはまだ十五歳、生意気な中坊だった。天使が降りてきたのを見た。天使は、家のすぐ近くの進学校の制服を着ていた」

ステージ上の照明が薄暗くなり、絵里奈にだけスポットライトが当たる。

高彦 「温暖な桜川には雪が降らない。せいぜい風花が舞うだけだ。だけどもう春だというのに、オレンジ色の街灯に照らされた天使の周囲に細かい雪がゆっくりと落ちてくるのを見た。天使の美しさを際だたせるために神様がそうさせたに違いない。そして天使は…」

絵里奈「リボンをほどいてはじけた横髪をゆっくりと耳の上にかけた」

絵里奈、言いながら横髪を耳の上にかける。高彦、上手に振り返る。

高彦 「お、おまえ…、おぼえてるのか…」

絵里奈「天使がその時、こちらをじっと見ている少年に、どんな動作をしたら、どんな角度で首を傾げたら、どこに視線を当てたら自分がいちばん綺麗に見えるかを計算していたとしたら?」

パッと照明が明るくなる。

絵里奈「あたしはあんたなんかより、ずっと生臭い」

高彦 「それでもおまえは美しい。きれいな人っていうのは、見ているこちらの気持ちまで明るくしてくれる。だけどおまえの美しさは…、そんなものじゃない。おれはおまえといっしょにいると、切なくなってくる。自分に自信がなくなってくる」

絵里奈「……クラッシックの愛好者は下手くそなオーケストラが大嫌いなそうね」

高彦 「管弦楽なんか知るか。おれもおまえも高校時代は生徒会だ。おまえが会長でおまえ目当てで入ったおれは平役員。日本でのおれとおまえはそんなもんだ。おれは道具なしでは何もできない。銃はあそこでは何の役にも立たない」

絵里奈「あたしがどんなバカなことをしでかしても笑って受け入れる器を持つ、それがあんたよ…」

高彦 「日本で『力』というのは経済力のことだ。おれはおまえを養うことはできない。ここでならともかく、おれは日本ではおまえを守る力がない」

絵里奈「あたしはあんたらしくないあんたが、この世でいちばん嫌い!」

高彦 「井上三尉!」

鈴  「はいっ!」

高彦 「腕立て伏せ30回!」

鈴  「はいっ!」

鈴、腕立て伏せを始める。高彦、椅子に座って拳銃の点検を始める。康一郎、困ったように鈴と絵理奈を見ている。

絵里奈「変わってないわね、あんた」

高彦 「何がだ」

絵里奈「自分に言う資格が無いのを承知で言うわ!」

高彦 「だから何が!」

絵里奈、高彦の顔に10センチくらいまで顔を近づける。

絵里奈「女を無責任に甘やかす所よ!」

   高彦、絵里奈に顔を向ける。

高彦 「『あんたが負けたらあたしは死ぬのよ』」

絵里奈「…何が言いたいのよ」

高彦 「おまえだっておれに甘いじゃねえかよ」

絵里奈、鼻を鳴らしてくるりと背を向ける。

無線機のランプが点く。康一郎、とびつくようにレシーバーを取る。

康一郎「はい。こちら第三十四連隊、第一中隊、第一分隊、井上三曹です…。はい、変わります」

   康一郎、高彦にレシーバーを渡す。

高彦 「ありがとう…。えっ…、わかりました。はい、また何かわかったら未確認でもこちらにまわしてください」

   鈴、腕立て伏せを終わる。

絵里奈「男って、本当に若い女に甘いわね…」

高彦 「おまえも若い男に甘いな」

絵里奈「あたしより一つ下なだけで若者ぶるんじゃないわよ!」

高彦 「サバを読むな。おまえはおれより二つ年上だ」

絵里奈、拳に息を吹きかけながら高彦に近づく。

高彦 「今何時だ」

康一郎「2107です」

高彦 「就寝だ。明朝0400に起床せよ」

絵里奈、後ろから近づき高彦の後頭部を殴る。

高彦 「いてえ…、延髄が吹っ飛びそうだ」

絵里奈「大袈裟ねえ、銃で撃たれたならともかく。延髄が吹き飛んだら即死よ。フタヒトマルナナとかマルヨンマルマルって何なのよ」

高彦 「午後9時7分に午前4時ちょうどだ。敵襲があるとしたら未明だろうが、ここは戦場だ。そこの二人、夜中に変な気を起こすなよ!」

絵里奈「あんたもね! 責任取らせるわよ!」

高彦 「階級!」

絵里奈「二等陸尉!」

高彦 「姓名!」

絵里奈「由比藤絵里奈!」

高彦 「認識番号!」

絵里奈「G720679!」

高彦 「残念。認識番号は7ケタだ。6が一つ足りない」

絵里奈「ずるい! ひっかけだ!」

高彦 「腕立て伏せ10回!」

絵里奈「フン、ダイエットにいいかもね!」

   絵里奈、腕立て伏せを始める。

高彦 「おまえはもう少し太れ」

絵里奈「エッチ!」

絵里奈、腕立て伏せを終わらせて立ち上がる。

高彦 「G7206679」

絵里奈「G7206679! あんた今何かをごまかすために番号言わせたわね…」

高彦 「ただの抜き打ちテストだ」

絵里奈「太れっていうのも照れ隠しね。無駄にカッコつけようとするんじゃないわよ。あたしに一目惚れしたくせに。あたしのこと大好きなくせに。あたしがほしくてたまらないくせに! なのに何年もほったらかしやがって!」

康一郎「何で数字で何年って言わないんだろうな…」

鈴  「歳がばれるからに決まってるじゃないの」

高彦 「おまえはおれに何をさせたいんだ!」

絵里奈「あんたは責任を取りたいの? 取りたくないの?」

高彦、言葉に詰まる。絵里奈、人を殺しそうな視線で高彦を睨む。高彦、目をそらして客席に向かって叫ぶ。

高彦 「総員就寝せよ! 不寝番にはおれが立つ!」

康一郎と鈴、返事をして下手側に横になる。絵里奈、上手に横になりながら高彦に話しかける。

絵里奈「外国での自衛隊員の治安維持って誰がするの?」

高彦 「陸自の保安隊だ」

絵里奈「あんたそこから一歩でも近づいたら、保安隊に通報するわよ!」

絵里奈、高彦に向かって思い切りあかんべえをする。寝る。

高彦 「はあ…」

高彦、溜息をつきながら客席側を向き、小銃をかまえる。

照明が消える。


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