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(7)


 しばらくして体を動かせるようになると俺は港へと向かった。

 電車もないし今夜は泊まっていくといいと御蔵妻は言ったが、世話になるつもりはない。俺はこれから半魚人に喰われるのだ。

 曇りの黄昏時。

 海も風も、凪いでいる。

 大きく深呼吸をしてから呼びかけた。


「写真を撮ってきたぞ」


 俺の声を認識するようになったのか、半魚人はすぐに現れた。陸に上がると水滴をしたたらせながら近づいてくる。

 恐怖心がなくなったとはいえ生臭さには堪えられない。鼻をつまみながら、俺はカメラのディスプレイを見せた。

 画面には人魚のミイラが写っている。


「この町の人間どもは数百年前に人魚を歓迎しておきながら惨殺し、血肉を体内に取り入れて不老不死になろうとしていたそうだぞ。そして現在もなお、人魚の肉を食おうとしている。どうだ。人間が憎いか。憎いだろう」


 憎しみを煽るつもりで吐き捨てる。

 半魚人は数回瞬きを繰り返した。絞り出されたのは、前と同じ金属を擦り合わせたような声。


『しあわせに、くらしているのでは、なかったのか。しあわせに、していると、おもったから、わたしも、にんげんを、たべて、にんげんに、なろうと、おもったのに』


 ——やはり連続殺人事件の犯人は半魚人だったというのか!

 しかし、人間になろうと思った、だと?

 憎しみの対象が、町の人間ではなくて人魚だというのは?


 半魚人は我を失ったかのようにふらふらと歩き、大きな音を立てて海へ飛びこんだ。激しく水飛沫があがる。


「待てよ。これを見せたら俺を喰ってくれると約束したじゃないか! ……!」


 大声を出してしまったことに自分自身で吃驚する。

 魚の部分だけを水面に出して、半魚人は淡々と答えた。


『わたしの、にくしみは、まとはずれだった。あのこが、いないなら、もう、いい』

「おい! 待てよ!」


 しかし制止も虚しく、半魚人は海に沈んでいってしまった。



「おかえりなさい」

「よく来たな! さあ、あがれ」


 結局行くあてのないまま、御蔵家に泊まらせてもらうことになってしまった。居間では御蔵夫が豪快に焼酎を飲んで赤ら顔になっている。


「お風呂、入る? 客人には最初に入ってもらっているから」


 他人の家の風呂なんて入りたくもなかったが、汗と潮風にまみれている現状で断ることはできなかった。まだ、最初に入れたからましだった。

 やはり胃がはちきれるくらいの夕食を食べさせられ、客間に敷かれた布団に横になる頃には、1日の疲労が全身に広がっていた。比喩ではないくらい、鉛のように体が重たい。

 なんとかスマートフォンの充電をする。未読メッセージは出版社からの、進捗状況の確認のみだった。

 布団のなかでブラウザを開いて、『人魚伝説 曇天町』と入力する。

 幾つかのまとめサイトが表示された。俺もかつてはここに炎上案件を載せていたものだ。睡魔と格闘しながら目で追っていく。探していた情報は多数の項目の下の方に埋もれていた。


 ——数百年前。流星群極大の日、港に現れた人魚。

 地主と恋に落ちたが子ができず、跡継ぎを狙う名家の謀略によって殺された。その血肉は地主と再婚した名家側によって祝い物として振る舞われた。

 町の人間は不老不死となった。

 しかしその子どもは不老不死ではなく、親より先に老いていく。予期せぬ悲劇。少しでも子孫を残そうと、外から人間を呼ぶために町おこしをしたのが昭和の人魚伝説ブームだった。

 また、人魚には双子の姉がいた。

 人魚は美しい顔立ちをした下半身が魚の生物だった。一方で双子の姉は上半身が魚だったと、当時から生きている人間により証言されている。

 非常に醜い生き物であった、と。


 御蔵妻から聞いた話と食い違う部分はあるものの、合点がいく。


 つまりあの半魚人は人魚の双子の姉なのだ。

 忌み嫌われ、疎まれた、人間になりたかった半魚人。


 暗闇に光る文字の羅列を追ううち、眠くてたまらなかったのに寝られなくなってしまった。



「おい! 朝だぞ! 起きろ! 働かざる者食うべからず。畑に行くぞ」

「……」


 それでもいつの間にか眠っていたらしい。まだ夜も明けていないのに、御蔵夫のがなり声に否応にも目が醒めた。

 筋肉痛で足の節々が痛い。

 拒否も反論もできないくらい回らない頭で強制的に軽トラックに乗せられ、連れて行かれたのは小さな畑だった。

 プチトマトがたわわに実っている。というか、野菜が実っているところを見るのはほぼ初めてだった。


「ほら、食いたい分だけ摘め」


 俺にビニール袋を渡してくると、隣で御蔵夫はきゅうりやらピーマンを収穫しはじめた。

 摘め、と言われてもどうすればいいのか。

 恐る恐る手を伸ばすと怒号が飛んでくる。


「やり方も知らないのか! これだから東京育ちはいかん。ここをぽきっと優しく折ってやるんだ。いいか、丁寧にやるんだぞ。こんな風に。そうだ。やればできるじゃないか。食ってみてもいいぞ」


 御蔵夫は服の裾でプチトマトを拭いて、口へ放り込んだ。

 真似して食べてみる。

 口のなかでプチトマトが弾けた。

 食卓でも感じたが、まるで自分の知っているそれではないみたいだった。脇役としてしか認識したことのないプチトマトが主役のように存在感を放っていた。


「生きるということは、育てるということだ。それは必ずしも子どもじゃなくてもいい。こうやって、野菜なんかでもいいな。魚の養殖も楽しい。船が直ったら海に連れてってやるから楽しみにしておけよ。まぁ、とにかくなんでもいいんだ」


 いいことを言っているように聞こえるが、御蔵夫は豪快に笑いながら鼻の穴に指を突っ込んでほじっていた。

 その手で収穫されたものは食べたくないと、正直思った。


 戻ってくると朝食にはたくさんの野菜と、大きな目玉焼きと、麦ご飯と、具だくさんの味噌汁が並んでいた。またもや食べきれない量を無理やり食べさせられた。御蔵妻はずっと微笑んでいて、御蔵夫は米粒を飛ばしながらひたすらうるさかった。

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