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(4)


 助手席に乗るのは断った。その代わりに助手席には女が座っている。

 軽トラックの荷台は衝撃を直に伝えてくる。整備されていない山道を乱暴に運転している所為で、常に体が左右上下に揺られている。三半規管が弱ければ吐いてしまうだろう。


「お前さん、名は何というんだ」

「……清瀬」

「下の名は」

「正義」

「漢字はどう書く」

「せいぎ」

「いい名じゃないか。俺は御蔵一郎。こっちは妻の、はな。歳はいくつだ」

「21」

「21にしては疲れた顔してるな! で、在所はどこだ」

「ざいしょ……?」

「田舎のことよ。清瀬さんはどちらからいらしたの?」

「東京」

「生まれも育ちも東京ってやつか」


 会話という行為がそもそも苦手なので、俺は黙り込む。


「親御さんは元気か?」


 会うのが二回目の人間によくもずけずけと訊いてくるものだ。苛立ちが募ってきて俺は感情的に吐き出す。


「知らない。物心ついたときから施設で生活していた」


 大体の人間はそう答えると、遠慮することが美学だとでも思っているのか立ち入ってくることはなかった。そのとき必ず同情しているような顔つきになるのが腹立たしかったけれど、この答えは俺にとっては分厚い壁を造る為に欠かせなかった。


「施設だぁ? ひどい話だな! お前さん、親のないまま、よく立派に成人まで育ったもんだ。愛想と礼儀はないけどな」

「あなたも遠慮がないけどね」


 がはは、と御蔵夫が笑う。横で御蔵妻が溜息をつくのが聞こえた。


「清瀬さん、ごめんなさいね。悪い人じゃないんだけれど、ちょっとばかり他人を慮るのが苦手なのよ。……それで、今はおひとりで暮らされているの?」

「18になったら施設を出なければいけなかったから」


 ……忘れていたのに思い出してしまう。

 ぎりぎり東京の隅で安い風呂なしのアパートを借りて、アルバイトをして食いつないでいた。金はなく、当然のように友人もおらず、将来に希望なんてある筈もなかった。20歳になったら死のうと思っていた。

 しかしそれを御蔵夫妻に話す義務はない。

 御蔵妻は俺の無言を返答と受け取ったようだった。


「そうなの。これまで、がんばってきたわね」


 さらに答える必要もない。俺は、両の拳を強く握りしめた。

 空は相変わらず曇っているし、眼下の海も灰色に淀んでいる。

 なんて辛気くさい町なんだ。まるで、俺みたいだ。



 中腹の少し開けた場所で軽トラックを駐めて、御蔵夫が降りるように促してきた。ここからはさらに道路が細くなるので徒歩でしか進めないのだという。

 底のすり減ったスニーカーに大小様々な砂利の感触が伝わってくる。

 御蔵夫妻の後について歩いて行く。ふたりは平然と歩いているが、段々と息が切れてきた。途中でふたりが振り返っては質問をしてきたけれど、疲れもあって無言でいたら、そのうち何も言ってこなくなった。


「着いたわよ」


 声に反応してゆっくりと顔を上げると、そこは小さな神社の入り口だった。

 違和感を覚えたのは、青い鳥居と、その傍らには石柱の代わりに魚の石像があることだ。俺の視線に気づいて御蔵妻が言う。


「ここは人魚を祀っている神社なの」


 『人魚』という言葉に心臓が縮み上がりそうになる。

 今はどうしてもその言葉に過敏に反応してしまう。脳裏にあの半魚人が蘇ってきそうで、慌てて首を左右に振った。

 すると御蔵妻の口から信じられない言葉が飛び出した。


「信じてもらえないだろうけれど、清瀬さんは、人魚に狙われているわ」

「おい、お前」

「ううん。正確に言うと、人魚の欠片を体内に有している者」


 御蔵夫が制止してくるのは意外だった。しかしそれを振り切って、御蔵妻は続けた。


「わたしには分かるの。だから、お守りを渡したくて。ついてきてちょうだい」


 冗談には聞こえなかった。

 冷や汗が止まらない。一礼してから鳥居をくぐる。石段をしっかり踏みしめて登ると30段ほどで拝殿の前に出た。

 手水舎で手を洗い、口をすすぐ。そんな簡単な行程ですら、手が震えているのでまともに柄杓を扱えず苦戦する。それでもなんとか手水を終えた。

 狛犬の代わりに魚のご神像が拝殿の左右正面にある。

 御蔵夫妻と共に拝殿に参拝する。

 無言で御蔵妻が拝殿の奥へと回った。立ち尽くしている俺に気づいて振り返ってきたので、慌ててついていく。

 しかし、本殿に神職でもない人間が、まして余所者が足を踏み入れていいのか。

 困惑が表情に表れていたのだろう。御蔵妻は、手招きをして俺を呼び寄せた。

 御蔵妻はしゃがむと、本殿の床下から鍵を取り出した。本殿の鍵にしてはセキュリティが甘すぎるが、ここまで辿り着くのも一苦労なので罰当たりな輩はそんなにいないのだろう。

 本殿の戸がゆっくりと引かれる。

 絢爛さはなく、奥に黒い塊が祀られている。目を凝らしてみても薄暗くて判別ができない。しかし位置的に、恐らく御神体なのだろう。


 御蔵妻は本殿に入っていくと、手慣れた様子で脇にある戸棚のようなものから何かを取り出して、戻ってくると俺の掌の上に置いた。

 それは親指の爪ほどの小ささで、金色のような銀色のような不思議な色に輝いていた。触ってみると薄い割に硬くて容易に割れそうにない。


「……鱗?」

「正解」


 神妙そうな面持ちのまま、御蔵妻は頷いた。


「人魚の鱗。きっと、これが貴方を守ってくれるわ」

「どうしてこんなものがこんな神社の奥にあるんだ。訳の分からないことばかりだ。いい加減に、俺にも分かるように説明してくれないか」


 自分からは、半魚人と出会ったとはとうてい口にすることができない。

 しかし狙われているというのはそういうことではないのか?

 守ってくれるとはどういう意味なのか。


「気づかなかった? 人魚だったものなの、あれは」


 すると御蔵妻が本殿の奥を指差した。

 黒い、塊。御神体だと予測したのは正解だったようだ。

 二の句を継げないでいると、御蔵妻は人魚に視線を向けたまま語り出す。


「この町に人魚が打ち上げられたのは、江戸時代と呼ばれていた遠い昔のこと。とても美しい人魚だったわ。金と銀を混ぜたような色の緩やかな長い髪、海のように澄んだ蒼い瞳、透きとおるような白い肌を持ち、下半身の魚の部分は、虹色に輝いていた。誰もが彼女に魅了された。いちばん彼女を愛したのは、当時の地主。ありったけの方法で求婚をして、彼女もやがてそれを受け入れた。悲劇はその後。ふたりの間には、子どもができなかった。そして、元々地主の婚約者だった女の一族の策略によって人魚はばらばらに切り裂かれた……」


 伝承をなぞるのではなく、思い返すように、まるで自らがそれを見てきたかのような話し方だった。

 御蔵妻が自らの掌を上に向けて、じっと見つめる。


「人魚の肉には不老不死の力がある。その力を得ようと、人々はその肉を分け合って食べた。それまで人魚と友人関係にあったのに、掌を返すように、こぞって食べた……。そして、不老不死とはいかないまでも、ゆるやかに老いることができるようになったの。これでも、わたしも何百年も生きているのよ」


 最後の告白には、息を呑むしかなかった。

 人魚の肉を食べて何百年も生きているだと? そんなことがあってたまるものか。とうてい信じることができない話だ。

 普段の俺なら一笑に付していただろう。しかし、今は違う。


「……どうしてそんな話を俺にするんだ」


 やっとの思いで言葉を振り絞る。


「さっきお伝えした通りよ。清瀬さんは人魚に狙われているから、予備知識として。勿論、信じるかどうかは自由だわ。それに、あなたは連続殺人事件を取材しに来たんでしょう? だとしたらこの町の予備知識くらいは必要かと思って」


 掌の上でかすかな光を反射している鱗に視線を落とす。

 事件現場の写真を撮っているところを見られたのだから当然のことだろう。


「わたしはあの事件のことを人魚の仕業だと考えているの。ただしくは、ここに祀られた人魚の半身。かつて聞いたことがあるの。人魚には、双の存在がいたと。……だから、それが、人魚を奪った復讐をしているのだと、思っている」



 その後、断って無視までしたのに強引に御蔵夫妻の家に連れていかれ、昼食を食べさせられる羽目になってしまった。


「遠慮なく食えよ! その細い体じゃ倒れちまうだろ!」


 年季の入った卓袱台の上には色々な食べ物が並んでいた。

 民宿の夕食に比べれば圧倒的に家庭的だ。

 湯気の立っているだし巻き卵。プチトマト。きゅうりの漬け物。こんにゃくと鶏肉の煮物。さらには鶏肉のからあげ。当然のように焼き魚と刺身もある。

 味噌汁は汁より具材の方が多い。根菜中心で、豚肉の入っていない豚汁のようだ。

 炊きたての白ご飯を茶碗に山盛りよそわれると流石に目を丸くしてしまった。


「そうそう。取材は体力が資本だからね」

「取材? なんだ、お前、取材しに来たのか?」


 いまいち事情を把握していない御蔵夫の質問は流す。

 ここまで来たら観念せざるを得ない。俺は両手を合わせて、小さくいただきますと呟いた。


「お前、魚を食べるのが上手いな!」


 米粒を飛ばしながら清瀬夫が嬉しそうにしている。

 施設ではよく焼き魚が出されていたので、骨を避けながら食べることには慣れている。肉厚で濃厚。港町だけあって、味覚音痴の俺にも美味しさが分かった。

 白米もかまどで炊いているらしく、食べたことのないふっくら感がある。

 いちばん驚いたのはなんてことないプチトマトだった。


「あま、い」


 思わず口にしてしまうくらい、瑞々しくて甘かった。


「嬉しい。少し離れたところに畑があってね。お野菜は基本的に自家栽培なのよ」


 しかしまともに食事をしたのはいつ以来だろうか。

 当然のように自炊などしないからコンビニや牛丼屋で済ませてしまう俺にとっては、充分すぎる量だった。


「民宿の豪華な食事に飽きたらいつでも食べに来てね」


 軒先で手を振られて御蔵家を後にしたのは、午後1時をまわった頃だった。

 腹が重い。

 満腹感からくる睡魔と闘いながら、そのまま俺は第三の現場へ戻った。


 ——早朝に見た半魚人ともう一度遭遇できるのではないかと考えたのだ。


 人魚伝説と連続殺人事件が関連していると100%信じている訳ではない。ただ、御蔵妻の言葉にひっかかりを覚えたのだ。


『人魚に狙われている』


 俺は第四の犠牲者となりえるだろうか?

 次の犠牲者が失う部分はどこだろう、と思った。片足のどちらか。死因は失血死だ。恐らく、苦しみながら息絶えることだろう。

 だけど死ねるならどんなに楽か、と感じてしまったのだ。


 不覚にも温かな場所へ行ってしまった所為だ。御蔵夫妻の所為だ。

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