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黒ねこの雪の花

作者: 宮下ほたる


 鬱蒼と茂る森のように暗い空は、今が昼間だということを意識しないと気づけないような、それこそ時間がわからなくなる、そのくらい重く厚い雲が広がっていた。

 灰色のソラ。暗い丘。

 誰も来ない、みんな知っているはずなのに、誰一人としてくることのない秘密の丘。

 ここは私とルーンだけの秘密の場所。

 私たちが初めて出逢ったところ。

 丘の頂を少しすれたところに突き立った小さな棒切れ。そこに書かれていたはずの文字は、雨風にさらされてにじんでしまっている。何が書かれているのかは、元の状態を知らない人には読めないだろう。


 墓標になったその棒切れの前に座り込む。

 私がこれを読めなかったら彼は泣くだろうか?

 そんなことを考えながら寝転がった。

 だってこれを書いたのは他ならない私なのだから。




















 私にはコンプレックスがある。


 ひとつはつい最近ようやく諦めたことして、染めようにも染まらない黒髪がある。髪質の問題もあるようだけれど、染めても黒ずんで色がくすんでしまう。でなければすぐに落ちてしまう。

 明るい色の多い中、私の漆黒に近いロングは異質だろうと自覚している。腰までの長さを見て、私は魔女だと形容されたこともある。切らずにいるのは自己主張という名の意地だ。


 もうひとつはいい加減諦めなければと思うこととして、私が人混みを避ける要因にもなっている『匂い』がある。香水だとかそんな高価なものは使っていない。体質的に『花の匂い』がするらしい。そう言われたことがある。断言できないのは自覚がないからだ。私のハナではそんな『匂い』は感じられない。だから性質が悪い。


 切り捨てられるものなら捨ててしまいたいが、あいにく体質となると切りようがない。諦めと理不尽さの反発の狭間で揺れている私は、周囲から孤立していた。取り残されたと気がついたときには独りになっていた。今更、という気もしたので、あえて自ら輪に入っていこうとは思わなかった。

独りなら、誰に気兼ねする必要もない。


 義務的に通っている学校が放課になると、つるむ友人もいなかった私は、一目散にこの丘に来た。何もない、見晴らしだけ無駄にいい、私のお気に入りの場所だ。何より誰も来ないのがいい。

 私と学校の間に丘がある、そのあたりにいつも座り込んで、本を広げる。朝のうちに図書館で借りてきたやつだ。こういう点に関してだけ学校は便利な場所だと思える。

 日が頭上にある限り、私はここから動かない。本の文字が読めなくなったらやっと腰を浮かせて帰路につく。雨のとき以外はそれが私の日常だった。

 それがあの日、彼と逢った日に崩れた。



 私は休日も平日と同様に誰も来ない丘に行く。違うのは滞在時間だけだろうと思う。家でやらなければならない必要最低限の用事を終えて、昼食を済ませた後、数冊の本とあめ玉を一掴みバッグに入れる。

 丘一面の足首丈の草原は、普段私が歩くところと座り込むところだけ少し短い。細い獣道になっている。


 あめをひとつ口に含んで本を開く。私が読む本はとにかく無節操だ。目に付いた本をとりあえず借りてくる。ほとんど自分で買ったことはない。もしすべて購入していたとしたら、今頃私の部屋は足の踏み場もなくなっているだろう。そのくらいは読んでいるつもりだ。

 ふたつ目のあめを食べようとバッグに手を伸ばす。と、足下で何かが動いた。虫……? それにしては動きが大きい。

 それはすぐに黒い姿を現した。


「……ねこ?」


「そうだけど? それよりも甘い匂いがしたんだ。何かあるの?」


 自問のつもりだったのに答えが返ってきた。…空耳?


「お腹、空いてるの?」


「四日も食べてなかったらそりゃね」


 会話が成立してしまった。私はついに頭がおかしくなってしまったらしい。


「あめしかないけど…食べる?」


「ホント!? いる、ほしい!」


 なんて表情のわかりやすいねこだ。瞳を輝かせたかと思うと、私が包みから出したあめをシャリシャリと音を立てて、心底おいしそうに噛み砕く。ねこにあめって食べさせてもよかったっけ?


「おいしいんだけど」


 ねこが言う。


「おいしんだけど、匂いが違うな。さっきの匂いは…こっち?」


 鼻を近づけてべろりと私の手を舐めた。


「匂い、するの?」


「ぼくの好きな甘い匂いがするよ。あぁ、自己紹介がまだだったね。ぼくの名前はルンペルシュツルツキン。命の恩人、君の名は?」


「ロゼット。ロゼでいいわ。ルンペル……長くて噛みそうね。ルーンでいい?」


「ぼくにはルンペルシュツルツキンという立派な名前が…!」


「わかったわかった、怒らないでルーン?」


「ルンペルシュツルツキン……」


 毛を逆立てたり長い尻尾をしょぼくれさせてみたり。私は彼をからかうのを面白いと思ってしまった。


 この丘でこんなに口を動かしたのは初めてだった。

 開いた本のページは数枚とめくられることなく、日が傾くまでしゃべりとおした。話して分かったことは、ルーンは以外に物識りだということ。ねこにしておくのがもったいないくらいほど。

 言っても世話ないことだけれど、ルーンがねこでよかったとも思う。人間相手では、私はもっと警戒してしまっていただろう。

 月を見上げたかと思うと、また会いにくるねと言い残し、彼は草原の中へ隠れてしまった。

 私はこのとき初めて丘に独りになるのを淋しいと思った。



















 昼休みのことだった。


「ロゼット~」


 教室を出て、裏庭に向かう途中に名前を呼ばれていた。一瞬、誰のことだろうと聞き流していた。


「ロ~ゼ~ット~!」


 二度目で声の主がルーンだと気がついて足を止めた。


「ルーン…」


「ルンペルシュツルツキン! ロゼットってば、何回呼んでも気づかないんだから」


「呼ばれたの、二回じゃないの?」


「もっと呼んでたよ、ロゼット~! って」


「学校で私の名前を呼ばれることなんてないから」


「みたいだね、笑ってるけどロゼットの周りだけ空気が違ってた。窓から見ててもわかるもんだね」


「ルーンってばいつからいたの? 全然気づかなかった」


「それだけ真剣に授業に参加してたってことだろう? ぼくは教室に入るのは悪いだろうと思って木の上にいたんだ」


「そう。ルーンはもう何か食べたの? 私、今からお弁当にするつもりなんだけどおかず食べる?」


「すもものあめがあったらちょうだい。この前のやつ、すっごくおいしかったから」


「いいよ、今日も持ってきてる。……黒ねこを連れて歩いてるなんて、私まるで魔女みたいね。誰かの言ってたことはあながち的違いじゃないのかも」


「みんなは不吉の象徴だって、ぼくみたいな毛並みを嫌う人間は多いけど、ロゼットは違うんだね。そんなに淋しかったの? ぼくの相手にするなんて」


「確かに学校の中で誰かと直接話すことは少ない……というかほとんどないって言ってもいいけど……。淋しいと思ったことはないわ。…ううん、初めは淋しかったのかもしれない。でも日常って、不変に続くと馴れちゃうものなのよ」


 そう言って笑うとルーンは黙ってしまった。


 沈黙があると自然にまわりの音が耳に入ってくる。一人だったら全てシャットアウトしてしまうのに、今はルーンがいつ話し出すかが気になってそれもできない。

 ついに耐えきれなくなって私からまた口を開いた。


「……ルーンは私のそばにいてくれるの?」


 何を聞いているのだろう。ねこは何にも縛られずに自由気ままに生きていく主義だって、何かで読んだことあるのに。

 聞いた途端、後悔してまた口をつぐんでしまった。すると。


「いいの?」


 信じられない、とでも言いたげな声が足下からして、思わず立ち止まる。ルーンは溢れんばかりに瞳を見開いて私を見上げていた。


「ぼく、ロゼットのそばにいてもいいの?」


 この表情の分かりやすい彼は、私が頷くと、それこそ飛び跳ね回って喜んだ。

 そうか…私みたいな変わり者以外に彼のそばに近づこうとする人間は居なかったのかもしれない。淋しかったのは私も彼も同じだったんだ。

 ルーンは渡り廊下からはずれた花壇から器用に花を一本手折ってくわえてくる。


「ロゼットはね、こんな匂いがしてるんだよ」


 彼が渡してくれたのは、小さな“雪の花”だった。


「ぼくがいちばん好きな匂いなんだ。ロゼットが淋しいんだったら、ぼくはずっとそばにいてあげるよ、約束する」


 それから私たちはいつも一緒にいるようになった。












 ルーンは私の無二の親友と言ってもいい。学校内では教室以外のところではよくそばに寄ってきて一緒に話した。渡り廊下や裏庭など、人があまり来ないところにいるのが多かった。誰かが近くに来ると、彼はわざとらしく「にゃー」と鳴くのだ。

 その点、丘の上ではいつも何か自慢話をしてくれた。私たち二人だけしかいないのだから、話が途切れることもなく、私の読書冊数は少しずつ減っていった。口が忙しくなると、目は活字を追えなくなるらしい。


 ルーンは私の知らないことを教えてくれた。

 例えば、ねこの魂は七個もあるらしい。魔女がねこを、特に黒ねこを好んで使役に選ぶのはそれだけの理由があると、胸を張っていった。他のねこに比べて聡明なのだそうだ。ルーンが言うのだから間違いないと思う。

 他にも、涙が薬になることや、くじけたとき勇気をもてる魔法の呪文。とにかくいろんなコトを教えてくれた。


 あの日、私たちはほんの些細なことでケンカをした。理由も思い出せないくらい小さなコトで。

 私は曇空に背を向けて、丘から一人駆け出した。その日から三日、雨が降り続いたので私は丘には行かなかった。学校でもルーンの姿は見かけなかった。
















 雨も止んだ四日目。

 休日だったこともあって、私は昼過ぎから丘に向かった。さすがにルーンに謝りたかった。話す相手の居ない三日間に、私はかなり堪えていた。


 丘の、いつもの場所に着いた私を待っていたのは、元気なルーンじゃなかった。

 獣道を歩きながら遠目に何かがあるのがわかった。黒いかたまりだ。見間違えるはずのないくらい、純黒のかたまり。


 嫌な予感がして私は駈け寄った。

 かたまりはルーンだった。


 彼はすっかり体温をなくして固まっていた。

 抱きかかえると力無く垂れ下がった尻尾が、動くことは二度となかった。


 私は泣きながら謝った。もう何を謝りたかったのかさえ分からなかったが、とにかくルーンを抱いたまま謝り続けた。


 今までいくら誘っても私の家にも来なかった彼は、きっとあの雨の中もここにいたに違いない。

 だからって、こんなに冷たくなってしまったらもう話もできないじゃないか――


 ルーンの――ルンペルシュツルツキンの嘘吐き……ずっとそばにいてくれるっていったのに……

 涙が枯れるまで泣いた私は、彼を傍らに寝かせて素手で土を掘り返した。

 彼を寝かせるためにどれだけ掘ればいいのか分からなかったが、水分をたっぷりと含んだ土は思った以上に柔らかかった。


 ルーンに土をかぶせるときも視界はひどくにじんでいた。

 小さな棒を墓標に見立てて『ルンペンシュツルツキン』と書き込んだものを突き立てた。

 私はこの丘に独りでいるのが辛くて早々に後にした。















 私がこの丘にくる回数は減っている。


 今日みたいな、雨の振る一歩手前のようなときばかり足を運ぶようになった。

 晴天の日は思い出にするには傷が生々し過ぎるのだ。

 だから私は今日も逃げているようなこんな天気を選んでここに来る。

 彼を埋葬したのはかなり前のこと。

 今でも発端を忘れたケンカのことを謝りたくて、それでいて今、約束を破って私を独りにしている彼を責めたくて。

 矛盾した気持ちを抱えたまままた私は頬を濡らす。


『ずっとそばにいるよ』


 ふと、ルーンの声が聞こえた気がした。とたんに甘い、スノードロップの匂いが鼻をついた。私は驚いて起き上がる。

 空は相変わらず暗いけれど、さっと吹き抜けた風が季節はずれの花の匂いをまき散らす。

ルーンのいちばん好きだった“雪の花”

 一際強く吹き付けてきた風にのって、ルーンの呪文が聞こえた気がした。

 ――いつか教えてくれた、くじけたときに唱えるチャーム。

 今の今まで忘れていた。なんてことだろう。ルーンが教えてくれたじゃないか、ねこには七つの魂があるんだって。

 もう大丈夫、ごめんね、すっとルーンは約束を守ってそばにいてくれていたのに、私気づけてなかったよ。

 ルーンに心配させて、ごめんね。もう大丈夫だから。ありがとう。

 丘一面に急に咲き誇ったスノードロップを眺めながら私はこの場所をはなれる。

 もうここに来なくても、ルーンは、ルンペルシュツルツキンはいつもそばにいてくれてるってわかったから。

 だから、ごめんねはもう言わない。


 ありがとう、ルーン。


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