その貴族令嬢は妾の子につき、友達ができない
友達が欲しかった。
わたしは妾の子だ。お父様――バルバ・ヴァルシュタイン伯爵とその愛人の子供。
10歳の頃に母が流行り病で死んだ時、私はヴァルシュタイン家に引き取られた。
リーヴ・ヴァルシュタインという名を与えられて引き取られたれたのは良かったのだけれど、家にわたしの居場所はなかった。情から引き取ったみたいだけど、お父様にとって私は不貞の証でしかない。
そしてお母様にとっては嫌っていた愛人の子。自分の血が流れていない娘など好いてくれるはずもない。当然、その子供達――お姉様二人は私を汚いもの見るように扱った。
毎日のようにお母様とお姉様達から受ける嫌がらせ。お父様は仮にも自分の血が流れた娘だからか、手を出しはしなかったが助けてもくれない。
そんな出で立ちだから、当然貴族社会では酷く虐められる。お姉様二人のご友人、そして当然私の同世代の子たちも同様。彼女らは決して穢れた血を受け入れたりはしない。そんな立場では年頃になっても婚約すら出来ない。
虐めの内容は色々で物を隠される服を汚されるはまだ優しい方。無理矢理食べさせられたサンドイッチ。口にして蠢いていたのは黒い虫。夜会のグラスに誰が入れたのか、よく見ると煌めくのはガラスの結晶。
きっと周りにとって一番望ましかったのが、私が自殺する事だったのだろう。
……そんな環境の中でもわたしが自らの命を絶つ事をしなかったのは、とある母の言葉があったからだ。
『リーヴ、この先貴方には辛い事が沢山あると思うわ。でも必ず貴方の気持ちを分かってくれる友達が現れるわ。だから希望を捨てないで』
幼き日の母の言葉。友達ーーそれは私の環境からしたら手に入る筈が無いもの。一緒に本を読んで、一緒にご飯を食べて、笑い、泣き、同じ思いを共有できる友達。そんな人が現れたらなんて幸せだろうか。
そんな事を考えていながら嫌がらせに耐える毎日を過ごしていた。そしてーーーー彼女は唐突に現れた。
「何を読んでいるの?」
ある日、いつもの様に木陰で独りぼっちで本を読んでいた時。不意に声を投げかけられる。ふと見上げると一人の少女が此方を見ていた。栗色の綺麗な髪に紅い瞳。わたしと同じくらいの年の子だ。
わたしは咄嗟に立ち上がり警戒する。だってわたしに近づく子はだいたい嫌がらせ目的なのだから。けれどもその子は予想もしない事をわたしに言ったのだ。
「……私はエレナ。あ、あのね」
「?」
「あ、あの。リーヴ。わたしと友達になってほしいの」
手から力が抜け、本がバサリと地面に落ちた。だってそんな言葉生まれて初めて聞いたから。
ーーこれがエレナとの初めての出会い。
エレナは文字通り、わたしの友達になってくれた。エレナはとある子爵家の令嬢……なのだけれどあまり家族内での立場が良くないらしい。死んだ前妻の子で一人だけ腹違いらしい。
何だか似ている。エレナは表立って虐めを受けている訳ではないけど、何か近いものを感じずにはいられなかった。そしてエレナも同じものを感じていたらしい。思いの共感。それはわたしにとって初めての経験であり胸の内に何か熱いものが湧くのを感じた。
公然と友達として一緒にいたらエレナに迷惑がかかるかもしれない。だから、わたし達はこっそりと人目につかないように交友を深めた。
「……エレナ」
「ん?」
「何でわたしといてくれるの?」
「なんで……て。友達だからでしょ。友達は一緒にいるものよ」
「……そっか」
エレナという友達の誕生は私に大きな希望を与えた。たった一人友達が出来ただけかもしれない。それでもわたしとっては大きな気持ちの拠り所で、それを思うだけでどんな嫌がらせにも耐える事ができたの。
そうして三ヶ月が過ぎたある日、わたしはエレナに呼び出された。ーーーーこの日は、わたしの人生を決定づける日となる。
丁度その日は雪が降りしきる冬空。エレナから前々から作っていたマフラーを互いに交換する日だった。場所は何時ものーーわたしとエレナが出会ったある木の木陰。
わたしは自分の作ったマフラーを手に約束の場所へ向かう。エレナの瞳の様な紅いマフラー。エレナが喜んでくれる姿を思うと胸が暖かくなる。
そうして、待ち合わせの場所へ着く。が、誰もいない。
「?」
エレナはだいたいこういう時はいつも先にいるから少し不思議に思った。ーーその時だ。
「?!」
ドンっと後ろから強い衝撃を受けてわたしは前に倒れる。冷たい雪の感触。そして、立ち上がる間も無くわたしは後ろ手を縛られ自由を奪われた。
突然の事に混乱するわたし。すると多数の足音が近づいてくるのが聞こえた。首を上げ上を見るとそこに居たのはーー。
「……え」
わたしは目を見開く。そこに居たのはわたしのお姉様とその取り巻き。そしてーーエレナ。わたしは信じられなかった。一体何が起きているのか理解出来ない。
ニヤニヤとお姉様方は下卑た笑みを浮かべている。
「あら、御機嫌ようリーヴ。お友達期間は楽しかったかしら」
「な、なんで……?」
「ふふ、分かってないみたいね。エレナ、教えて差し上げなさい」
ずっと無表情だったエレナ。ゆっくりと手を振り上げるとーー。
「うぁっ?!」
顔面が雪に押し付けられる。突き刺さる様な冷たさ。雪で口が塞がれ息が出来ない。バタバタと手足を暴れさせるが拘束されていては意味をなさない。息ができない、苦しい。
「あらあらエレナ。あんまりやると死んでしまうわよ」
お姉様の声が聞こえ、顔を押し付ける手が離される。息も絶え絶えにしているとお姉様がわたしの髪を掴み顔を無理矢理上げさせる。
「う、あ……」
「ぷっ、あはははは。不細工な顔」
お姉様方はわたしの顔を見て笑う。雪と涙と鼻水で大層不細工な事だろう。
「さ、エレナ。言っておやりなさい」
お姉様は蛇の様にエレナに纏わりつき囁く。先程から無表情を貫いていたエレナはゆっくりと口を開き。
「ーー気持ち悪いわ。穢れた血め」
「……え?」
わたしの頭がエレナの言葉を理解するのを拒否する。何を言っているのか分からない。分かりたくない。だってわたしとエレナは友達だから。友達がそんな事を言う筈がない。
「え、エレナ……」
信じられない。そんな様子な話を見てお姉様方は吹き出す。
「ぷ、く……あはははははは! その表情傑作! 仕込んだ甲斐があったわ。……エレナ、友達のふり、ご苦労だったわね」
「友達の……ふり?」
「そうよ、エレナには最初から友達のフリをしてあなたに近づいてもらったの」
「……え」
言葉を脳が反芻しようとして拒否する。息が苦しい。上手く呼吸ができない。嘘だよね。そんな思いを胸にエレナを見るがーー。
「友達な訳ないでしょ。誰が汚い血のあなたと友達になるの」
「う、嘘よ……」
「……友達って言うのは対等な者なのよ。ゴミ虫以下のあなたと同じわけないじゃない。あなたの気持ちなんか分からないし、分かりたくもないわ」
「あ……」
氷の様な冷たいエレナの言葉がわたしの胸を貫きーーわたしの何かを壊した。
「ふふふ。さ、行くわよエレナ。それにしても良い顔をだったわ。悲劇の舞台役者もあんな顔は出来ないわよ」
「……」
遠ざかる足音。わたしは1人冷たい雪上に残される。今の出来事をどうにか理解しよう頭がぐるぐると回っている。
エレナの言葉を咀嚼し、反芻する。
『友達って言うのは対等な者なのよ。ゴミ虫以下のあなたと同じわけないじゃない。あなたの気持ちなんか分からないし、分かりたくもないわ』
エレナの言う通り、わたしは彼女と対等ではなかったのだろう。同じ思いを分かち合うのが友達……。
ーーーーそうか。そうだったのか。頭の中で何かが砕ける様な音がした。
友達は対等で同じ気持ちも分かり合えなきゃダメなんだ。
わたしはエレナやお姉様方の気持ちは分からない。きっと理解する事は出来ないだろう。だったらわたしの気持ちと同じにさせれば良いんだ。
きっとそうすれば友達になってくれる。同じ思いを共有する、本当の友達に。そうか、最初からそうすれば良かったんだ。
お母様。分かったよ。思いを分かってくれる友達が居ないならーー作れば良いんだ。
それから直ぐにわたしは家を出る。わたしの持っている金、情報、そして身体を対価に貴族と対立する勢力へ身を売った。口に出す事を憚れる様な事も沢山した。身体にもその爪痕は残ってしまった。
けれどもそんな事は大した事では無い。本当の友達になるには仕方ない事なの。
先ずはお姉様の取り巻き。それの1人1人を徹底的に調べて、弱みを探す。社会的にダメになる様なモノを。貴族というのは往々として隠し事があるものなの。
そうして1人づつ孤立させてーーわたしと同じ立場にする。没落するもの。婚約破棄されるもの。皆、泣き喚き辛そうな顔を決まって浮かべる。その度に友達が1人づつ増えていく気がした。
「お、お願いもう許して」
目の前に全裸で這い蹲るお姉様。この人は婚約者がいるのにもかかわらず不貞を働いていた。それもとびっきりの変態行為を相手としていたので、嵌めるのは楽だった。
「許すも何もわたしは怒ってません。むしろ、前よりわたしとお姉様は近くなりました。その事は大変嬉しいです」
「な、何を言って」
「昔の事は仕方がないです。同じ気持ちが分からなければ、姉妹として中違いするのは仕方ないでしょう。わたしはお姉様方の気持ちが分からなかった。だからお姉様方にわたしの気持ちを分かってもらう事にしたのです。だから……食べてください」
「ひっ……」
サンドイッチに蠢く黒い固まり。お姉様の目の前には、かつてわたしが食べさせられた虫入りサンドイッチ。
「む、無理よ」
「なら心苦しいのですが、あの事を公表いたします。お姉様が苦しむのは悲しいですが」
「や、やめて!」
「なら、食べてくださいね」
「う、うううううっ!!」
長い葛藤の後、お姉様はサンドイッチを食べた。吐き出したりして中々食べ終わらなかったけど、頑張って食べてもらった。最後は気絶しちゃったけど、完食出来て良かった。
「地獄絵図だな……」
そう呟くのは後ろで見ていた仲間の男。眉をひそめてこちらを見ている。
「そうですか?」
「……俺が言うのもあれだが、復讐をしたらお前は復讐相手と同じになるんだぞ。人を呪った者は呪われる」
「それで良いんです」
「は?」
「だって友達も家族も、同じ思いをして本当の存在でしょう? わたしは復讐がしたいんじゃ無い。ただ、同じになりたいだけなんです」
同じ思いを共有して初めて本物の存在だ。
「今、わたしとお姉様は本当の家族になれた気がします」
だからわたしは顔を苦悶に歪め気絶するお姉様を愛おしそうに撫でた。
そうしてーー最後はエレナの番だ。同じ様に彼女の周りから追い詰めていく。彼女は追い込まれ、森の中の別宅へ逃げ出した。
そしてわたしはそこを訪れるとーー。
「……リーヴ」
そこには幾分か老けたが、エレナがそこにいた。顔色は悪く、少し痩せている。
「多分、と思っていたけどあなたが黒幕だったのね」
「うん、ごめんね。わたし、エレナと本当の友達になりたいから」
「……友達……か」
エレナは遠い目でわたしを見る。そこに浮かんでいる感情をわたしは読み取れない。
「ねぇ、リーヴ。わたし今から死ぬの」
エレナはポツリとつぶやき、手にグラスを取る。
「……死ぬの?」
「ごめん、疲れちゃたからさ」
「……じゃあ、わたしも死ぬよ」
「えっ」
エレナは虚を突かれた表情を浮かべる。けれどもわたしは自然とその言葉が出て来る。だってわたしはエレナの友達だから。
「友達は一緒にいるものだよ、エレナ」
「そっか……そうだよね」
エレナはそう言うと杯を呷る。わたしもそれを受け取り飲み干す。するとーー眠くなって来た。体から力が抜け、床に倒れる。エレナも同様に横たわっていた。
近くにエレナの顔。紅い瞳がわたしを見つめている。
「……リーヴ」
「なぁに?」
「……ごめんね」
「なに……が?」
視界がぼやけて来た。もうエレナの顔は見えない。声だけがふわふわと反響している。
「……リーヴ」
「な……に?」
「……こんど……は、ずっと……いっしょに……いる、から……ね」
手に暖かいものが触れる。きっとエレナの手だ。
「うん……ずっと……いっしょに……」
「……いっしょ……に」
■ ■ ■ ■
数時間後、リーヴの仲間の男はエレナの別宅へ入る。そこには2人の少女の遺体を見つけた。側には空になった杯。毒を飲んだのだろう。
リーヴの手伝いをしていて事の顛末は分かっていた。どうしようもない、救われない復讐劇だ。
「…………」
男は、救われない、と呟きかけてやめた。何故ならリーヴの表情が余りに幸せそうだったからだ。対称にエレナの方は涙の跡があった。しかしどこか安堵の表情を浮かべている。
2人が最後どんな会話をしたのかは分からない。
ただ側から見たら、そこにいるのは仲睦まじそうに眠る2人の少女。手を繋ぎ眠る仲の良い友達同士がそこにいる様に見えた。