四話
「知ってる?学園長の点数は100,000超えだってさ・・・機械が壊れてそれ以上は計測できないんだってさ」
誰もいなくなった魔道研究所近くの公園。虚ろな瞳で宙を見つめるのはキオウ カズヤという青年である。
「げ、元気出してくださいっ。努力次第で点数を上げることはできますから!」
カズヤに夜遅くまで付き添い、必死に励まし続けるのは彼の同学園性、赤縁眼鏡に茶のショートボブが特徴的な水無月カホである。
ちなみにゲンブは部屋に帰って疲労を取ることをカズヤに勧め、仕事に戻ってしまった。
「水無月さんが最下位って聞いたとき、不思議と他人事のような気がしたんだ。俺はそうはならないって・・・。ごめん、ほんとクズだよね、俺。いまその立場になって分かったよ・・・なんというか今の気持ちは・・・・死んだ方がマシ・・・」
「そっそんなことないです!死なないでください!カズヤさんがいなくなったら私、悲しいです・・・」
「ははは・・・ありがと。水無月さんは優しいね・・・」
束の間の静寂が二人の間に漂う。息を飲み、水無月が続ける。
「・・・残念ながらこの学園は実力主義です。今まで、私はさんざん嫌な目にあってきました。・・・恐らくこれからも遭い続けると思います。」
彼女の声が震える。今まで彼女に何があったのか、聞くことなど到底できない。劣等感に苛まれつつ、同級生たちから軽蔑の目を向けられる気持ちを推し量ることなど、できるわけもない。
「けど、学校にいても勉強ができない子や、スポーツが苦手だけど競技の練習をする子がいるように、魔術を使えない魔術師だって居ていいと、私は思います。ここの研究を使って・・・いつか魔術を使えなくてもゲノジッドに対抗できる装備を開発できればなと思ってます。そうすればきっと私たちみたいな才能に恵まれない魔術師でも、輝ける日がきっと来ます。そういう社会がきっと来ます。そういう社会に、してみせます。」
カズヤは水無月を見上げる。彼女は凛とした表情を崩さず、続ける。
「だから希望を捨てないで下さい。死にたいとか・・・言わないでください・・・。いつかきっと、報われる日は来ますから・・・」
突然恥ずかしくなったように水無月は頬を紅潮させる。
「やだ、わたしまた偉そうに語っちゃって・・・ごめんなさい、嫌な感じでしたよね、私・・・」
「そんなことない」
カズヤは水無月の手を取る。
「ひゃうっ!?」
「絶対に、そんなことない。正直そんな考え方をしてる人がこの学園にいるって、思ってなかった。だからすごく励まされたよ。お世辞じゃなくて、本当に。ありがとう、水無月さん」
手を握ったまま彼女をまっすぐ見つめる。つい先程まで自分はこの学園にいる価値などないと思っていた。しかし、彼女の一言は不思議とカズヤの心を奮い起たせていた。
「あ、あのっ。」
水無月が突然口を開く。
「は、恥ずかしながら、私、友達出来たことないんです・・・この学校ってほんとに実力主義で・・・・。優しくしてくれる人もいましたけど、でもどうしても友達にはなれないんです。どこか距離があるっていうか・・・」
彼女はたどたどしく続ける。
「カズヤさんがこの点数を出したとき、悲しい反面、ホッとした部分もあるんです。もし凄い点差とか付けられちゃったら、今までみたいに私から離れていっちゃうんじゃないかなって、そう思って・・・」
そんなことはない、と喉まで出かかるが、ここは彼女の話に聞くべきだと判断し、神妙な顔で耳を傾ける。
「だ、だ、だから私と・・・友達になって・・・くださいませんか・・・?」
最後にいくにつれ声のボリュームが下がっていく。
「え?友達・・・?」
あまり予想していなかった話の結論に口をあんぐりとさせる。
「ごめんなさいっやっぱり嫌ですよね!私みたいな冴えない人と友達なんて・・・」
手を離し、ぴょんと一歩距離を取る。
「今日は遅いですし、もう帰りましょう!お気をつけて・・・では、また!」
「ちょっと待って!」
呼び止めようとするが彼女は止まることなく走り去ってしまう。
泣いていた・・・?
カズヤは一瞬考えこむと、息を大きく吸い込む。
「明日、役所の前に、同じ時間に待ってるから!!まだ教えてもらいたいことがいっぱいあるんだ。学園の事、魔術の事、ゲノジッドの事。数えだしたらきりがない。水無月さんには本当にいろんなこと教えてもらって・・・すっごく感謝してるんだ。だから絶対きてね!明日、あの場所に、あの時間だ!」
小人の様に小さくなった水無月がこちらを振り返る。両手を上げて輪っかを作っているのが見えた。恥ずかしかったのかすぐ立ち去ってしまったが・・・。だが最後の彼女の顔は間違いなく
「・・・笑ってたな」
数分間余韻に浸った後、「よしっ」と膝をポンと叩き、カズヤはようやく帰り路についた。
「そういえば寮の場所聞いてなかったな・・・」
しかし彼の足取りは軽やかであった。
帰り路、カズヤは自分の寮を探して歩き回っていた。
地図を読もうにもそもそも地図の場所も分からずじまいである。
昼間は人で賑わっていた商店街もこの時間では物音一つしないほど静まりかえっていた。
もしかして、門限があるのかな・・・?
あまりに誰もいないのでそう勘繰り、カズヤは焦り始めていた。
時刻は既に12時を回っており、諦めかけていたその時である。
前方から歩いてくる一人の男に気付く。
両ポケットに手を入れたまま歩いてくるその男の顔を推し量る事ができないのは、彼が俯き気味に歩いているから、という理由だけではない。
彼は、深々と白いフードを被っていた。
一瞬、警戒心を強めたが、この学園に不審者は入ることはできないというゲンブの説明を信じることにする。
「あのっすみません!」
フードの男はピタリと動きを止めた。だが顔を上げることはない。
(警戒してるのかな・・・・まあ当然か)
なのでカズヤも努めて明るいトーンで話すことを心がけた。
「おれ、道に迷ってしまって・・・寮の12棟ってどこですかね?」
少し間があったが、男は手を高く上げ、方向を指差した。
不自然なポーズにカズヤは違和感を覚えたが、ひとまず礼を言うことにする。
しかし返ってきた返答はカズヤが予想していないものであった。
「・・・・これは・・・・僕の村があった方角だ」
突然喋りだしたフードの男の台詞を頭の中で処理することができず固まる。
「なんの・・・話?」
「覚えていないのか・・・・まあそれも当然かもね」
フードの男はカズヤの肩を掴み、目と鼻の先まで顔を近づける。
「君はいずれ思い出す、そして後悔することになるだろう。この世に生を受けたことをな」
カズヤの頭の中に、何かの景色が浮かんでくる。懐かしいような悲しいような感覚が脳内を満たす。
「君は・・・一体・・・・」
鈍器に殴られたような凄まじい睡魔が頭を襲う。
脳に粘土を詰められたような頭の重さに、彼はふらつき始める。
視界はぼやけ、道のど真ん中でカズヤは意識を失った。
「おい兄ちゃん」
「ふむぅ・・・・」
微睡みの中、聞こえてくる声にカズヤは情けない声を出しながら起き上がる。足をなにかでつつかれ、彼はようやく覚醒する。
「若気の至りってのもいいが、下手すりゃ退学だぞ。門限にはしっかり帰れよ」
掃除用務員の人だろうか、ホウキと塵取りを手に歩いていく。
空は既に白くなり始めており、地平線の向こうには朝日が頭を出しかけていた。
「え、朝・・・?」
カズヤの学園初日は野宿にて締められたのであった。
「えっ!じゃあそのまま来たんですか!?」
声が大きかったと気づき、慌てて口元を抑える。
「うん、どうしても寮が見つからなくて」
「ごめんなさい、私が急に帰っちゃったせいで・・・」
水無月は申し訳なさそうに目を伏せる。
「ううん、俺がしっかりしてなかったからだよ・・・」
「という事は・・・今朝は野宿ですか!?大丈夫です!!?」
「そんな寒い時期じゃなかったしね。案外眠れたよ。」
カズヤはあっけらかんとしている。だが正直なところ多少体調が優れないというのも事実だ。
「凄い・・・私は絶対できません・・・」
「やるとしたら、道端で妙な男に会ってしまった時くらいじゃないかな」
「なんですか?それ」
「・・・いや、なんでもない」
カズヤは昨日の事をはっきり覚えていた。
フードを被った男、不穏な言動・・・・
しかし今する話ではあるまいと、喉の奥にしまい込んだ。
「それで今日は、どこを案内してくれるのかな?」
「では折角ですし、まずは温泉でも行ってみますか?」
水無月の思わぬ提案にカズヤは一拍おき、
「え、あるの?温泉!」
「ありますよ。とってもいい場所なので是非」
枯れた喉に冷水、冷えた体に温泉は最高である。
しかしカズヤのテンションはこの時が本日最高潮であった。
「・・・で、ここが温泉、と。」
「露骨にテンション下げないでください・・・」
「で、でも、温泉っていうから俺はてっきり・・・」
二時間かけて巡った水無月オススメの温泉宿が悉く改装中で入浴できないという、異常なレベルの運の悪さ。
目の前に見えるオンボロ温泉旅館は安い銭湯の方がまだマシである。
「とっとりあえず入りましょう!中は意外とってこともあるかも知れませんし」
立て付けの悪さか、扉はなかなか開かない。
そして掛け声で横開き扉を無理矢理こじ開けると・・・
「―――わぁっ・・・」
そこには予想を遥かに越えない景色が広がっていた。
埃をかぶった廊下、落ちかかった絵画、チカチカと点滅する蛍光灯。
うん、外観を裏切らないオンボロっぷり。見事にオンボロでしっかりと統一されている。星一つ。
「帰ろう水無月さん」
「まっまだわかりません!温泉で一番大事なのはお湯じゃないですか!」
男湯 女湯 故障につき使用禁止 混浴のみ使用可
「帰りましょうカズヤさん」
「待ってくれ!水無月さん!!」
「ど、どうしたんです急に声を張り上げて」
「やっぱりオンボロだからって入浴を諦めるなんて間違ってるよ!何事だって経験だ。これだってやってみなきゃ分からないだろ?」
「さっきまで帰りたいオーラ出しまくってたじゃないですか!どうしたんです急に一体」
「そんなことない。むしろラッ・・・。とにかくここまで来たんだ。勿体ないじゃないか」
「だって混浴ですよ・・・?カズヤくんは恥ずかしくないんですか?」
「おう何やってんだお前ら?」
「「え!?」」
ふいに二人の肩を組まれ、体がビクつく。
そしてその声と、筋肉質な腕には見覚えがあった。
「御雷・・・・レイナさん」
「おっアタイの名前を覚えてたか!カハハ嬉しいねぇ」
「えっ君も温泉に?」
「たりめーだろそれ以外あるかっての!」
昨日の出来事がまるで嘘であったかのような接し方にカズヤも困惑を隠せない。
「・・・まあ昨日は悪かったよ。ちょいと気が立っていてねぇ・・・ゲンブのおっさんに叩きのめされてアタイの未熟さに気付いたんだ。」
「いや、いいよ別に・・・」
カズヤは電撃を流された件について実はさほど気にしていなかった。
特に誰も怪我をする事がなかったというのが大きいが、カズヤ自身が感じ取っていた彼女の豪快な性格も嫌いではなかった。
人前でちょっと手が痺れて、奇声上げて、目をひんむいて倒れていただけの話だ。
しかし、水無月はずっと押し黙ったままである。
というより、御雷とどう接すればいいのか分からず沈黙しているといった印象だ。
それも無理はない。実力主義のこの学園において、水無月と御雷の実力差は歴然である。
彼女が水無月の敵でないという保証はどこにもないのだ。
だがその空気を瓦解させるように、御雷が勢い良く切り出した。
「そこの眼鏡のねぇちゃんいい洞察力があるねぇ」
「・・・え!?」
「あんた、アタイの電撃を事前に読んでコイツに伝えてただろ あれがもう少し早ければアタイの攻撃は失敗していたねぇ」
「そんなこと・・・ないですよ・・・・」
「遠慮しなくてもいいんじゃないかな。少なくともあの場であの攻撃に気づいてたのは水無月さんだけだよ」
「ありがとう・・・・ございます・・・・」
水無月は嬉しそうに頬を緩めた。
恐らく御雷は相手の力量に興味があったり強敵との闘いを望んでいるだけで、実力でつきあい方が変わるタイプではないのだろう。
これで、少なくとも先程のような気まずい雰囲気はなくなった。
「さァて、温泉入るかーーっ!」
「おう!」
「えっ二人とも抵抗ないんですか!?」
小さなわだかまりも消え、三人はいよいよ温泉へと入湯する・・・!
「まあそりゃ、そうだよなぁ・・・・」
一人廊下に残されたカズヤは寂しげに呟く。
「覗いたら殺す」
そう言い残し温泉に入っていった御雷は時間で男女分ける事を提案した。
殺すというのは比喩ではなく本気で殺しそうな勢いだったので、無論一瞬であろうと覗く気はしない。
「なぁんだおめぇ意外とあるじゃねーか」
「ちょ、やめてください・・・恥ずかしい・・・あっ」
「全身プニプニじゃねーか・・・うりうり」
「あっんっ・・・・やめ・・・・」
「それに比べてアタイの筋肉を見な!カッチカチだろ!」
「うわぁ、すっごい・・・・」
先程までぎこちなかった二人がここまで打ち解けたのはとても微笑ましい。
自分も混ざりたいくらいだ。
「おい、今俺も混ざりたいとか思っただろ?」
「思ったんですか!?カズヤくん!」
「思ったらどうするの?」
「殺す」
「思ってなかったら?」
「殺す」
「今世界で一番の理不尽を感じた気分だよ・・・・」
その時である。目の前を灰色の小さい何かが横切った。
それは小さく鳴き声を上げると、更衣室のドアの隙間からその中へと入っていく。
っまずい!ネズミだ!!
「水無月さん、御雷、今そこにネズミが入った!噛まれたら危険だ、気をつけて!」
しかしその声は、浴室の中での盛り上がりの最高潮と重なり、彼らには届かない。
「くそっ!おれがどうにかするしかない!」
彼を突き動かすのは彼女たちを守らねばという使命感。
カズヤは腰の短剣を抜くと、勇ましく更衣室の中へと入っていく。
「さあ出てこい!」
そう、それは出てきた。二人裸で、浴室から。
「ひゃうっ!カズヤくん!?」
「てめぇ・・・・」
「いやいやちょっとまってこれはホントに誤解で」
「・・・殺すって言ったよな」
「ちょっと待って。ネズミだ、ネズミがいるんだ」
「あぁ確かにいるな」
「でしょ?いるんだよ。話が通じてよかっ―――」
「――――キオウカズヤという名のな」
「ハハッそんな名前のネズミはいませんよ」
「殺す」
「まてっ―――!!」
湯治を終え、全快した御雷の魔法が叩き込まれる。
うぎゃあああああああぁ!!!
その叫び声は周辺の建物全てに響き渡り、物陰からネズミも逃げ出す程の絶叫だったそうだ。
「ね、もう仲直りしてください。ほんとにネズミが入り込んでたってことは分かったんですし」
「いや、それにしてもお湯に電撃流すのは反則でしょ。死ぬかと思った」
「電気風呂ってあんだろ。そんなのも知らぬぇのか」
「電気と感電の差くらいは分かってほしい」
「言うわりにはピンピンしてんじゃねーか」
「はいっストーップ、やめましょう!お互い握手してください!」
水無月はカズヤと御雷を交互に見ゆると、手を握り二つの手を近づける。
無理矢理握手させられる直前、カズヤは一瞬躊躇する。
御雷の目をはっきりと見据え、その目線を彼女は真正面から受け止める。
「痺れる奴はナシな・・・?」
「信頼できるなら握ってみろよ」
唾を飲み込み、カズヤは腹を括る。
手を握り、お互いの無骨な手の形を確かめ合う。
そして彼らは、会って初めて心からの握手を交わした。
「まだ、日没まで時間はありますね」
「悪い、アタイは近日の王都招集の準備をしなきゃいかんのよ。残念だがここまでだ」
「ならしょうがない。俺と水無月さんでどこかに・・・」
「おいあれってもしかして・・・」
「おっ最弱王に最弱女王じゃん」
「なんで御雷が一緒にいるんだよ」
「知らね、カツアゲでもしてんじゃねーの」
「マジでコネで入れるもんなんだな・・・」
「1000点いかないとか一般人レベルじゃん」
「・・・これは結構精神にくるね」
「大丈夫です。前を向いてください。こんなの慣れっこです」
慣れる事ができるわけがない。他人の悪意に何も感じなくなった人間の心は既に壊れているだろう。まだ成人も迎えていないような女の子がこれだけの環境に身を置かざるをことに得ない事に、思わず拳を固くする。
しかし陰口を言っていた二人にずんずんと近づいていく人間が一人。
タンクトップに背丈ほどはある槍、そして威圧に満ちた立ち振舞い。それは間違いなく、
「御雷・・・?」
「なぁ・・・・お前らはあいつらの何を知ってる?」
「え、御雷さん!?」
二人は突然の御雷の質問に目をパチクリさせる。
「答えろ。お前らはあいつらの、何を知ってる?」
ようやく質問の意味を分かり始めたのか、片方がたどたどしく答え始める。
「そんなの・・・魔導検診で最下位取って・・・・」
「それ以外は?何を知ってんだ?」
一同は口ごもった。
「あいつらと話したことはあるか?闘ったことはあるか?その程度の知識でお前たちはくどくどと陰口を並べるのか」
彼らは何も言い返す事はなかった。
それは相手がかの学生部四天王であるから、というだけではないだろう。
「―――数字だけで人間を図るんじゃねえ」
そう言い捨てると、彼らの小声の悪態など気にも留めず、彼女は颯爽と去っていく。
敬礼したくなるほど立派な背中に見とれていると、御雷はささっと水無月に駆け寄り、彼女の肩を抱いた。
「はうっ」
「いいか水無月、気にしない勇気も必要だが、闘う勇気も必要だ。アタイが協力してやんのはこれが最後なんだから、後は自分でどうにかしな」
「は・・・はい」
「それに今あんたは・・・一人じゃねぇだろ」
水無月に微笑みかけ、御雷はカズヤを一瞥する。
「じゃあな。次温泉行くときァまた誘ってくれよな」
「ああ、次は感電しない事を願ってるよ」
御雷と別れた後、二人は次の目的地に向かう。
相変わらず周囲から浴びせられる軽蔑の目や陰口は心を抉っていく。
しかし彼らには直接それを叱ってやるような胆力はない。
ひたすら前を向いて足を動かし続けるしかなかった。
「着きましたよ、ここが図書館です」
校舎から少し離れた場所、蔦に覆われた洋館は他の建物とは一線を画す見た目をしている。
中に入ればほとんど貸し切り状態で、外と違い陰口に晒されることもない。
少し二人の無言が続く。心に溜まった泣き言や弱音を必死に静寂の中に溶かしていく。おそらくそれは心の中の不純物となり、永遠に濁りとして残り続けるだろう。しかし二人は分かっていた。
ここで不安を吐露したところで何も変わらないことを。彼らへの敗北を認めることになるという事実を。
そして、場の雰囲気を変えるように、水無月が明るく切り出す。
「さあ、では今日はゲノジッドについての勉強をしましょう! これも私たちにとっての理想の社会を作っていくために必要不可欠な事です!」
「おう、お願いします、水無月先生」
「まず、ゲノジッドについてカズヤ君が知っていることを教えてください。」
水無月が眼鏡を人差し指でクイと上げる。
「そうだな...まず人類の敵ってこと...?くらい?」
「他には?」
カズヤは手をパンと叩き勢いよく切り出す。
「あっそうだ、魔法しか弱点がないんだっけ」
「うん、まあ及第点ってとこですかね。最低限の知識はあるみたいです。
でもやっぱりおかしいですね。この世界では常識みたいなものかと思ってましたけど・・・」
「いや、実は俺は・・・」
そしてカズヤは話し出す。つい三日前、防護領域のギリギリの村で意識を失って発見されたこと。ゲンブと出合ったときのこと。記憶が存在しないこと。
水無月は少し驚いた様子だったが、すぐに納得したように手を叩く。
「どうりで。最初は少し抜けてる人かなって思ってたんですけど、この国にいる限り魔術や学園の事を知らないなんてありえないですもんね」
では話に戻りましょうと、水無月は周りの本棚から本を集め始める。
『愚神礼賛』『おうちで簡単!トマトケチャップの作り方』『笑う赤鬼』
『ダウンワーク 507年号』
全く整合性を感じないタイトルの数々にカズヤの脳内は混乱を始める。
「あのー先生、これはいったい・・・」
「これから、ゲノジードの撃退方法を教えます」
ゲノジードの倒し方とトマトケチャップに何の因果関係も感じないが、黙って話を聞くことにする。
「まず、ゲノジード、通称『ゲノ』にはコアという物が存在します。これがコアだと思ってください」
水無月は懐から水晶玉の様なものを取り出す。
「かつて人類が魔術を使えなかった時代、彼らは銃や戦車、爆弾等でゲノに対抗しようとしました。しかし、その時代にゲノを倒すことができたという話は1つも存在しません。どういうことか分かりますか?」
水無月が質問を投げ掛ける。
「つまり・・・・ゲノを倒すには単純に衝撃でダメージを与えればいいって訳じゃないってことか」
「上手くいけば一時的に無力化も可能ですが、旧来の兵器はほぼ役に立たないと言っていいでしょう。かつて『テトラ』という大規模破壊兵器を使った帝国がありました・・・簡単に言えば半径30kmが吹き飛ぶ威力ですね。しかしそれでもゲノのコアは残っていたと聞きます。本当に頑丈なんですね」
そして水無月は先程持ってきた本を水晶玉を囲っていくように組み立てていく。
「じゃあゲノを倒すにはどうすればいいか、お教えしましょう」
指をパチンとならし、食い気味でカズヤは先制する。
「ズバリ、コアを破壊する!」
「正解です、カズヤくん。ゲノジードを倒すには、コアを破壊します。このように体の中心にあるコアを露出させ、最強の魔法で打ち抜きます!」
そう言うと水無月は本を乱雑に取り除き、真ん中にある水晶を指でつつく。
あぁ、本なら何でも良かったんだね・・・。
しかし一つカズヤには疑問があった。
「質問です、先生。俺は思うんだけど、魔法っていうのも爆弾とかそういうものの延長なんじゃないのかな?例えば火を出す魔法でゲノが倒せるんだったら火炎放射機とかで事足りるだろうし、そこに大きな違いがあると思えないんだけど・・・」
「いい質問ですね、カズヤくん」
水無月のテンションが上がる。彼女の饒舌モードにさらに拍車が掛かる。
「私が使える魔法って一つしかなくて、それで例えるのが凄く難しいのが悔しいけど・・・とにかく魔法で発生させる火とか氷とか雷っていうのは物理法則とかに縛られない、この世界において全く異質なものなんです。少し難しい話ですけどね。例えば魔術師が氷を出して、それが溶けきっても水は残らない。どこかに消えてしまうんです」
「何となく分かった様な・・・とにかく、それだけゲノジードも魔術も、この世界では次元が違うものなんだね・・・」
「けど、散々ゲノの倒し方についてお話してきましたが、実はここ200年はゲノは出現していないんです。500年前、原初の魔術師と呼ばれる学園長が魔術による防護領域を発生させ、ひとまずこの国は安泰となりました。しかしそれから約300年間、ゲートというものを通して、領域内にも稀にゲノが出現し続けたんです。新暦307年の牛人型5.7mのゲノジードを最後に、それもなくなりましたが・・・」
水無月の講義は夕方まで続いた。知りたがっている人間に自分の知識を伝授することは楽しいものだ。相手が貪欲であればあるほどいい。
ゲノジードが出現する前の人類のこと、四国時代と呼ばれる戦乱の歴史、学園長の噂話・・・
友との語りに飢えたもの、知識に飢えたもの。
彼らにとってその日はとても充実したものになったであろう。
そしてその日だけではない。
その次の日も、またその次の日も、彼らは図書館で勉強会を開いた。
スポンジのように知識を吸収していくカズヤと、歩く図書館、水無月カホ。
彼らのその充実した時間と日々はあっという間に過ぎていった。
しかし、カズヤがこの学園に来て二週間、平和な日常は突然終わりを告げる。その事は彼らはもちろん、この世界の誰一人として予想などしていなかったであろうが。