一話
箱庭―――、そこは唯一であって唯一でない場所。そしてあらゆる干渉を受け入れ、変化を遂げることはない不変の世界。しかし今やその世界もある男にとっては憎悪の対象でしかなかった。全身に纏わりついた武装と殺意は、ただひたすらにその憎悪をぶつける存在を、牙をむく相手を探し続けていた―――。
広がる夜の闇に一閃の雷鳴が光る。
しかしそこに雷雲はない。あるのは深くフードを被った男の姿である。
雷が何かに直撃し、排煙と火花が飛び散る。
フードの男が前方に険しい目つきを暫し投げつけ、『対象』が無傷であることを確認する。
男が雄たけびを上げると、周囲の空気が業火と化す。
蛇の様に火は蜷局を巻き、やがて大蛇がうねる程の火柱が幾つも聳え立った。
「―――燃えろ」その一言で周囲の火柱が『対象』に向けて猛進を開始する。
大気に変化を生じさせる程の圧倒的な火力が『対象』を捉えた。
その灼熱の劫火はあらゆる岩も鋼も、存在でさえも気化させ、この世の全ての物を消失させることができるだろう。―――その『対象』を除いては。
起こる凄まじい破壊と衝撃。爆風の熱に草木に着火し、辺りは烈火に包まれる。
「今のはとびっきりの一撃のはずだったんだけどな」男は苦笑いした。
不自然に溶解した地面、木は燃え、生命の息吹すらも消し去られた地獄のような景色の先。
その黒い影は体に付着した灰をけぶらせながらのっそりと立ち上がる。
それは鉄。否、未知の金属で構成された鎧を身に纏った戦士。
あらゆる魔法も兵器も弾き、強靭という次元を遥かに超越したその存在。
その不気味に煌く瞳は、すぐさま攻撃対象であるフードの男を捉えた。
しかし男は一歩も引くことなく、その存在に整然と向き合う。
ふと、鎧の戦士が掌をこちらに向けるように腕を上げる。
エネルギーの集中を感じた男は本能のままに魔法を詠唱した。
先ほどまで灼熱に包まれていた空気が突如冷却を初め、氷の粒が現れ始める。
人の拳ほどの大きさになった氷塊が凝集を初め、それはやがて氷柱となり、すぐさま氷壁へと姿を変化させた。
彼が魔法を解除させない限り、一帯は永久凍土に包まれ続けるであろう。
高濃度の魔力密度によって構成された氷壁はありとあらゆる衝撃を吸収し・・・。
鎧の戦士の掌から一閃の光が放たれる。それは男の努力をあざ笑うかのように何層にも編み込まれた氷壁をいとも容易く貫き、男の肩を掠め、背後の稜線すらも破壊する。
「ははは・・・うそでしょ・・・」
空の片雲が引き裂かれた事を確認すると、男はいよいよ覚悟を決めたように、瞳を閉じる。
―――天に召します我が御身よ。どうか、この愚物の祈願をお聞き届け下さい―――。
男は肩の傷を抑えつつ、わずかな希望を仰いだ先の空に灯す。
しかし何も変化は起きることはない。只々、男の”処刑”の時間が刻一刻と近づいてくるだけである。
わずかに残った氷壁が、先ほど放たれた熱線によって溶けきる。
タイミングを見計らった様に、鎧の戦士がこちらに向かって跳躍する。100mはあった距離は一瞬で詰められ、鎧の戦士はその頑強を極めた金属で纏われた右手を繰り出す。「ッ! グゥアールド!!」男が苦し紛れに唱えた身体防護魔法は一瞬で破られ、その余剰ダメージとして男の肋骨と臓器に修復不可能なレベルの負傷が与えられる。
(馬鹿な・・・巨人級魔法だぞ・・・・・!)
血しぶきをあげながら宙を舞う男。
彼の世界はスローモーションになり、今の彼には一秒が永遠にすら感じられる。視界が鮮血に染まり、やがて漆黒にかわっていく。
(あれ、死ぬの・・・?僕・・・)
漂う死の香りへの男に問いかけに答えるものは、いない。
鎧の戦士は再び跳躍し、無慈悲で残酷な追撃を彼に加える。
それは男の体を組織の根本から破壊し、男の四肢は鮮血とともに空中に無残に飛び散る、はずであった。
刹那、男の体を光柱が包む。
攻撃の矛先を失った戦士の拳は光柱にはじかれ、強かに数度、地面に叩きつけられながら吹き飛ぶ。
「―――心より御礼を申し上げます、我が神よ。必ずややつを・・・悪魔の手先を、その御身の御前でうち滅ぼして見せましょう」
新たに手に入れた力、そして責務を噛みしめるように瞳は強く前を見据える。
何度でも起き上がる強大な敵。だがそれがどうした。
魔法陣を展開する。魔法を詠唱し、攻撃の準備を整える。どうやら向こうは距離を詰めたいご様子だ、ずんずんとこちらに向かい猛進する。
(好都合だ・・・何発でもぶつけてやる・・・!魔力が朽ちてなくなるまで、何度でもだ・・・!!)
魔法陣が発動し、数々の神撃の魔術が鎧の戦士を捉える。そして、戦士は―――
世界の存亡をかけた闘いが、始まった。
『―――今度は選択を誤るのではないぞ』
「\ジャラ/ヘイyo boyお待たせして\ジャラ/悪かったぜ\ジャラ/」
サングラスをかけた色黒の顔かにやりと歪む。
巨大な図体を左右に揺らしながらジャラジャラと音をならし、嬉しそうに駆け寄ってくるその姿は、なんというかサイズ的に違和感しかない。
というか鎖の音がうるさい。
理由はよくわからないが、彼は体の至るところに鎖を巻いていた。
「あの・・・それって・・・」
黒髪の青年は恐る恐る口を開く。
しかしチャラチャラな見た目にジャラジャラなファッションの巨漢は指摘というものが理解できないらしい。
よくぞ聞いてくれたとばかりに口を歪ませ、自慢げに話し出す。
「かっこいいだろ・・・?500年間誰からも言われたことないんだが、俺は最高にcoolだと思ってるぜ。」
(いや、褒めた訳じゃないんだけどなぁ・・・)
というか500年間も生きてて誰もダサいと指摘しなかったのか、正に負の連鎖・・・・
その鎖の巨漢の名前は「ゲンブ」何だかんだ500年生きており、一部からは神様のように崇拝されている・・・らしい。
正直言って半信半疑である。中身は15歳で成長が止まっているのという説が男の中で浮上する。
そんな事を考えている内に、彼らは遂に目的地に到着した。
「ともかく、わかんねーことだらけだろうがよ。暫くはここがboyのhomeになるってわけだ」
ひとまずとばかりに色黒男はこちらにコーヒーを差し出す。
受け取ったコーヒーを一杯すすると「あの、ここって・・・どこなんでしょうか・・・」と素直に疑問を口にした。
ビルの上から見下ろす巨大な都市。遠目でも全てを視界に映すことは叶いそうにない。
下を多くの人間が行き交っているのが見える。
張り巡らされたインフラと魔鉱石をふんだんに使用した装飾の数々は、まるでその繁栄ぶりを彼らに見せつけるかのようである。
「記憶喪失ってのはマジなんだな」男は苦笑いするとまるで演劇でも始めるかのように大げさに両手を開く。
「ウェルカム、魔道学園都市ガフラータへ。魔術師にとっては学びの場であり、人類にとっての最終防衛線の、世界一crazyな学園都市だぜ。まあ世界一つったってこの世に残ってる学園都市なんてここだけなんだけどな、ハッハッハ!!」
「魔術・・・学園都市・・・世界で一つの・・・」
あまりに現実味のない単語の羅列に目をパチクリさせる。少し眩暈がするほどだ。
「どうした?なんか心が擽られるものがないかな?魔法、魔術、素敵なキャンパスライフ!ウフフ、心がエキサイティング!」
ウフフという女声から、エキサイティングの迫真ぶりへの変化がわりと本気で気味が悪かったので男は景色に見とれるふりをしてやり過ごす。
「それにしても何度みてもbeautifulな町だな、ここは。流石俺様が必死に500年守ってきただけはある。」
「あの、ゲンブさんのたまーによくわからない単語が挟まるのは何なのでしょうか・・・」
「あぁ、これは昔使われていたイェー語というものらしいぜ。なんかノリノリでいい感じだろ。いつか学園でも必修科目にしてやるから覚悟しろ」
「それ取らなきゃ卒業できない魔術学園都市って何なんですか」
知ったばかりの単語をやたら使いたがる中高生のようなダサさは筆舌に尽くしがたい。
男は断固拒否する。
「ともかく、学園長の推薦とはいえここに入学する限りはboyにも魔術を学んでもらわなきゃな」
不安そうな顔を見せる俺を心配したのか、二度背中を叩くと彼は不安からはもっとも離れた感情でこう諭した。
「ハッハッハ!ドンウォーリードンウォーリー!!ここにいる限り、お前は死なせないし、死なせる気はねえ!学園生活にもすぐ慣れるし、記憶だって暫くすりゃあもとに戻るだろ!ゲノジードが何体現れようと何体でもぶっ倒してやんよ、なんつったって俺は都市を500年守ってきた四天王の一角、ゲンブ様だからな!!」
ゲンブは豪快に笑い、肺から空気が漏れるほどの強さで何度も背中を叩いてくる。あまりの激痛に引き攣った笑顔を返すことしかできない。
しかし今は彼の気休めではない激励が素直に嬉しかった。もともと勘ぐっていたわけではないが、彼は信頼に値する人物であると、改めてそう認識することができたのである。
だが残念ながら俺が心配であることは学園生活や記憶やゲノジードとかそういうことではなかった・・・
最も俺が心配している事、それは・・・・
「ゲンブ様、お迎えに上がりました」
ゲンブは膝をポンと叩くと「おっきたみてぇだな」と従者に軽く礼を言う。
その従者は中年の男であったが、何故かこちらをギロリと睨む。だがそれは悪印象というより、品定めするような目線である。
「こっから学園まではちょっぴり距離があるからな。この魔道車を使わせていただくぜ」
ウキウキと上機嫌で車に乗り込む巨漢のあとにギチギチと体を乗せこむ。
というかめちゃくちゃ車内が狭い。
どうにかドアが閉まることを確認したゲンブが車を出すように合図をする。
「改めてようこそ、魔術の世界へ。期待してるぞ、ルーキー君」
音もなく滑らかに走り出したその車内で、前を見据えたままゲンブはそうつぶやいた。
「そんでずっと迷ってたんだが、boyが記憶を取り戻すまで、名前をつけようと思う。これからないと困るだろうし、なんつったってboyじゃややこしいこともあるからな」
名前・・・か
二日前に防護領域のギリギリのラインで記憶喪失状態で発見された男。思い出せもしない記憶に特に愛着はなかったが、少しだけ以前の自分がどんな人間であったか気にならないこともない。
「んじゃあノリで決めるぞ。お前の名前はキオウ カズヤ!決定!」
「0.5秒で決めないでください。ノリって何ですか」
「キオウカズヤ・・・キオウカズヤ・・・・俺の名前は今日からキオウカズヤです・・・・」
「刷り込まないで下さい・・・・」
とりあえずさっきのイェー語が混じったような、ダサい名前を付けられなくてよかったと胸を撫で下ろす。
もしなんとかboyなんて付けられたらもう一度記憶を無くしてやる覚悟であった。
付けられた名前を心のなかで何度か復唱する。これから自分はキオウ カズヤとして生きていくことになる。ノリで作ったわりには悪くない名前である、と思ったが・・・。
「んーやっぱそれじゃいかんな。イェー語を混ぜたwonderfulな名前を・・・」
「いやっいいですよ。これでいいです!ゲンブさんセンスあるなぁ~、ハハハ」
「だからこそこの天才的センスを発揮してだな、そうだdreamer boy KAZUYA なんてどうだ?」
センスしか感じない
暫く車内で名前の押し付けと拒絶の押し問答が続いた。
過ぎ去っていく魔鉱石に彩られた見たことのない景色。多くの人々。キオウ カズヤと名付けられたその男のゲノジードに対抗するための魔術への求道が今、始まる。はずである。
しかし今カズヤの心の中に巣食う不安。
魔術学園都市にいながら、魔法を一切使える気がしないという不安を心に押しとどめ、カズヤは目的地への到着を待つことしかできなかった。
これは、一人の魔術の凡才が、英雄と悪魔の称号を冠するまでの物語である。